第28話 生徒会室と六人の先輩
月曜日。
朝から空が薄く曇っていた。
葵は北棟の廊下を歩きながら、今日のことを考えた。放課後、生徒会室。審査の場。
何故2体目のピクシーを召喚出来たのか説明できないまま、そこに立つ。
ライラが胸元で静かにしていた。
「緊張してる?」とライラが聞いた。
「少し」と葵は答えた。
「私も」
「ライラが緊張することあるの」
「葵が緊張してるから」
葵は少し笑った。それだけで、少し軽くなった。
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午前の授業は通常通りだった。
モローの授業は今日も当たり障りのない内容だった。速くも遅くもない。踏み込まない。誰も傷つけないが、誰の力にもならない授業だった。
ルシアンは今日、葵に何も言わなかった。ただ、視線だけがあった。測るような、静かな視線。
エリックは今日も授業中に一度だけ葵の方を見た。目が合うと、すぐに前を向いた。何を考えているかは、葵にはわからなかった。
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放課後。
廊下を歩いていると、後ろから足音がした。
「小春」
振り返ると、白羽だった。制服姿。黒髪を一つに結んでいる。
「生徒会室に来い。案内する」
「……白羽先輩も、今日の審査に」
「生徒会の一員だ。当然いる」
白羽はそれだけ言って、歩き出した。葵はその後ろについた。
ライラが胸元で「白羽先輩、来てくれたんだね」と小さく言った。
葵は何も言わなかった。でも——少し、ありがたかった。
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生徒会室は中央棟の二階にあった。
重い木の扉。白羽が扉を開けた。
葵は一歩、中に入った。
広い部屋だった。中央に長いテーブル。窓から午後の光が差し込んでいる。
そこにいる人間を、葵は順番に見た。
テーブルの上座に、一人の女生徒が座っていた。
艶やかなストレートの長い黒髪。切れ長の目。知性と余裕が混ざったような視線。座っていても、背が高いのがわかった。テーブルの上に書類を広げていたが、葵が入ってきた瞬間に顔を上げた。
その隣に、明るいブラウンの髪をゆるやかに波打たせた女生徒が座っていた。端末を触りながら、にこにこしていた。葵と目が合うと、小さく手を振った。
窓際に、金色の髪を一つに束ねた女生徒が立っていた。眼鏡。腕を組んで、外を見ていた。アリアだった。
テーブルの端に、一人だけ背の低い女生徒が座っていた。プラチナブロンドのさらさらした髪。氷のような青い目。背筋が真っ直ぐで、小柄なのに妙な迫力があった。
壁際に、もう一人いた。
カヴィヤだった。保健委員長として同席しているらしかった。葵と目が合うと、小さく頷いた。いつもの穏やかな顔だったが——どこか、心配そうな色が混ざっていた。
白羽が葵の隣に来た。
葵は室内を一度見渡した。
向かいの席に、ルシアンが座っていた。隣にもう一人、コネ組の男子。二人とも、葵を見ていた。
「全員揃ったわね」
上座の女生徒が口を開いた。
声は落ち着いていた。でも、よく通った。
「生徒会長の蒼玲よ。今日の審査を進める」
蒼玲は葵を見た。一秒、二秒——値踏みするような沈黙。
葵はその視線を、正面から受けた。
「小春葵ね」
「はい」
「座りなさい」
葵は指示された席に座った。ルシアンの向かいだった。
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「ルシアン・フォン・ヴェルナー。申し立ての内容を述べなさい」
ルシアンが立ち上がった。
「申し立ての内容を述べます。
複数の神魔との契約を試みた人間は、例外なく死亡しています。これは広く知られた事実です。
従って、生存している小春葵が二体目の神魔と正式な契約を持つ可能性は、限りなく低い。
にもかかわらず演習で二体目が出現した。
考えられる説明は一つ——何らかの手段でピクシーを演習に参加させた。
結果として演習の正当性は損なわれており、Sクラス配属の根拠は成立しないと判断します」
淡々とした口調だった。感情的ではない。論理として組んできていた。
蒼玲は聞き終えてから、葵の方を向いた。
「小春葵。反論は?」
葵は少し間を置いた。
室内が静かだった。
「……反論はありません」
誰かが息を呑んだ気配がした。
「ルシアンの指摘は正しいです。二体目が出てきた理由が、僕自身にわからない。
でも——分からないことは、不正でないことの証明にはならない」
「つまり」と蒼玲が言った。「自分では弁護できない、ということ?」
「はい」
室内がまた静かになった。
ルシアンが少し表情を変えた。何かを考えているような間があった。
窓際のアリアは外を向いたまま、動かなかった。
ブラウンの髪の先輩が端末から顔を上げて、葵を見ていた。にこにこしていたが、目は笑っていなかった。何かを測っている目だった。
壁際のカヴィヤが、葵をじっと見ていた。心配そうな顔だった。何か言いたそうで——でも、ここでは言えない、という顔だった。
「……弁護できないのに」
端の席から、静かな声がした。
プラチナブロンドの女生徒だった。窓の方を向いたまま、口だけ動いていた。
「堂々としているのは何故」
葵はその先輩の方を見た。先輩は葵を見ていなかった。窓の外を見ていた。
「怖くないわけじゃないですけど……嘘をついても仕方ないので」
プラチナブロンドの先輩は何も言わなかった。でも——少しだけ、表情が動いた気がした。
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蒼玲が立ち上がった。
「却下」
一言だった。
ルシアンが「理由を——」と言いかけた。蒼玲は視線だけをルシアンに向けた。
「この学校で、自分の能力を完全に説明できる者が何人いる? 契約神魔との共鳴は、理論で全て説明できるものではない。前例がないことは、不正の証拠にはならない」
蒼玲は葵の方に向き直った。
「それに——」
少し間を置いた。口の端が、ほんのわずかに上がった。
「私は演習を見ていた。あれは本物よ」
ルシアンは黙った。
「異議申し立ては却下。小春葵のSクラス配属は有効。以上よ」
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ルシアンたちが立ち上がった。
退室する前に、ルシアンは一度だけ葵を見た。何かを言おうとして——やめた。そのまま扉を出ていった。
扉が閉まった。
室内の空気が、少し変わった。
ブラウンの髪の先輩が「お疲れさまー」と言いながら伸びをした。アリアが窓際から離れて、テーブルの方へ来た。
カヴィヤが葵のそばに来た。
「傷ついてない?」
「……審査で怪我はしないと思いますけど」
「そういうことじゃなくて」
カヴィヤは葵の顔を見た。穏やかな目だったが、どこか安堵の色が混ざっていた。
「よく頑張ったわ、葵くん」
葵は少し間を置いた。
「……ありがとうございます」
カヴィヤは小さく笑って、壁際に戻った。
その様子を蒼玲は葵を眺めるように見ていた。
品定めでも、威圧でもない——もっと別の何かだ。コレクションケースの中の、まだ手に入っていない一点を確認するような、静かで確信に満ちた目だった。
「小春葵」
フルネームで呼ばれると、なぜか少し緊張する。
「あなた、私のものになりなさい」
葵はすぐに答えられなかった。生徒会に入れ、ということだろうと頭では理解した。
でも——言葉の重さが、その解釈より少し大きかった。
「……生徒会、ということですか」
「そう」と蒼玲は言った。「そういうこと」
返事をする前に一度だけライラの温かさを確かめた。悪意はなかった。ただ。
——悪意がないことと、安心できることは、違う。
白羽が小さく「……またか」と言った。
ブラウンの髪の先輩が「あ、来た来た」という顔でにこにこした。
アリアはテーブルに書類を置いて、そのまま書類を見始めた。関与しない、という顔だった。
カヴィヤが「あら」と言って、少し笑った。
「お姉さま」
プラチナブロンドの先輩が立ち上がった。声は静かだった。でも、確実に割り込んでいた。
「私と結婚するはずでしょう」
「あら、エリサ。今は別の話をしているの」
「別の話ではありません。事実の確認です」
プラチナブロンドの先輩——エリサベット先輩、と蒼玲は呼んだ——は葵の方を向いた。葵と目が合った。
一瞬——何かを言いかけた顔になった。
でもすぐに、表情が閉じた。
「……あなたが小春葵」
「はい」
「演習の時と今日の審査、見ていた」
「……はい」
「嘘をつかなかった」
「嘘をついても仕方ないので」
エリサベット先輩は少し間を置いた。視線を外した。窓の方を向いた。
「……まあ」
小さく続いた。
「最低限生徒会に参加する資格はありそうね」
「エリサにしては褒めてる」とブラウンの髪の先輩がにこにこしながら言った。
「うるさい」
エリサベット先輩の頬が、わずかに赤くなった。
「お姉さまが選ぶなら——」
エリサベット先輩はそこで言葉を切った。また窓の方を向いた。
「……最低限の水準はあるべき、ということよ。それだけ」
それ以上は言わなかった。
蒼玲が葵を見て、にこりと笑った。
「どう? 私のそばにいなさい、という意味よ」
葵は少し間を置いた。
「……アリア先輩と白羽先輩、カヴィヤ先輩も、ここにいるんですか」
「当然。副会長と風紀委員長、保健委員長よ」
「……じゃあ、入ります」
蒼玲の眉が少し上がった。「私のそば、という条件より先に確認することがあったのね」という顔だった。でも——嫌ではなさそうだった。
「あら。素直じゃない子ね」
「すみません」
「謝らなくていい」
蒼玲は少し笑った。今度は最初から隠していなかった。
「歓迎するわ、小春葵」
カヴィヤが「よかった」と小さく言った。葵には聞こえていた。
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生徒会室を出ると、廊下はもう夕方の光だった。
白羽が隣に来た。並んで歩いた。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
「……白羽先輩」
「何だ」
「今日、迎えに来てくれたのは——」
「通りがかっただけだ」
白羽はそれだけ言った。葵の方を見なかった。廊下の前を向いたまま、歩いていた。
葵は少し考えた。
「……そうですか」
「次の剣術部の稽古は水曜だ。忘れるな」
「忘れません」
それだけだった。
白羽は廊下の曲がり角で別の方向へ歩いていった。葵は一人になった。
ライラが胸元から顔を出した。
「通りがかっただけ、かな」
「どうだろうね」
「違うと思う」
「そうだね」
葵はまた少し笑った。
「ライラ」
「うん」
「今日、どうだった」
ライラは少し間を置いた。
「……カヴィヤ先輩は、本当に心配してた」
それだけだった。
葵はその言葉の選び方を、少し不思議に思った。全員についてではなく、カヴィヤだけを言った。
でも聞き返さなかった。廊下の先に、夕方の光が差し込んでいた。
葵は歩き出した。




