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第26話 剣術部

月曜の放課後。


Sクラスの剣技授業が終わり、他の生徒が解散し始めたとき、ハルトマンが葵を呼んだ。


「小春」


「はい」


「お前は戦う術を知りたいか」


「はい、知りたいです」


「やり方は甘くないぞ」


「大丈夫です」


「なら放課後、南棟の剣術部の道場に来い」


「……理由を聞いていいですか」


「来れば分かる」


それだけだった。ハルトマンは次の仕事に向かって歩いていった。


――――――――――――――――――――――


南棟の、奥の方にある道場。鍛冶部の地下とは違う棟だが、同じ方向にある。扉は重そうな木製だった。


近づくと——音がした。


素振りの音だった。一本、また一本。間隔が等しく、乱れない。


葵は扉の前で少しだけ立ち止まった。ライラが胸元で静かになった。


扉を開けた。


道場は広かった。天井が高く、壁際に木剣や竹刀が並んでいる。磨かれた床板が、夕方の光を受けていた。


広い空間の中に、一人の人物がいた。


黒い髪を一つに結っている。背が高い。制服の上から稽古着を羽織っていて、片手に木剣を持っていた。等間隔の素振り。一本ずつ、確実に、真っ直ぐに。葵が扉を開けても——止まらなかった。


一本。また一本。


葵は扉の近くで待った。


素振りが止まった。人物がゆっくりと木剣を下ろして、振り返った。


澄んだ黒い目が、葵を見た。上から下まで、一度だけ。


「お前が小春葵か」


声は落ち着いていた。短く、きっぱりしていた。


「はい」


「神刃白羽だ。三年生。風紀委員長をやっている、白羽でいい」


少し、間があった。


「来るのが分かっていたような顔ですね」


葵は言うつもりはなかった。でも、口から出ていた。


白羽は答えなかった。答えない、ということが答えだった。


「演習、見ていた」


白羽はそれだけ言って、また前を向いた。少し間があった。


「ロングソードの切っ先を素手で拾ったとき——怖くはなかったのか」


「怖い、とは思いませんでした」


「そうか」


白羽の口元が、ほんの少しだけ動いた。笑ったのかどうか、葵には分からなかった。


――――――――――――――――――――――


その時、道場の奥の扉が開いた。


一人、入ってきた。また一人。


葵は数えた。


三人、五人、十人——止まらなかった。


気づけば道場に、葵以外の人間が三十人いた。全員、木剣を持っている。全員、すでに気配が違う。足元の空気が重い。魔力で体を強化している者が何人もいた。それだけではない——全員が、葵を見ていた。


「……白羽先輩」


「入部試験だ」


白羽は壁際に退いた。腕を組んだ。


「全員同時にかかっていい」


三十人が、動いた。


――――――――――――――――――――――


葵はとっさに右側の壁に走った。


練習用の木剣が立てかけてある。一本引いた。振り返った瞬間には、もう前に三人来ていた。


最初の一人の木剣を受けた。


——重い。


魔力で体を強化している。腕の力が普通ではない。正面から受け続けたら、いずれ押し切られる。


葵は木剣を流して、横に出た。背後に気配があった——ライラが胸元で反応した瞬間に、葵はすでに体を傾けていた。頭上を木剣が通り過ぎた。


距離を取る前に、左から来た。受けた。また来た。受けた。三人が同時に間合いを詰めてきた。


——多い。


考える暇がなかった。ライラが方向を示す。体が動く。受けて、流して、逃げる。それを繰り返した。


三十人が、二十五人になった。二十人になった。


それでも来る。疲弊するより先に次が来る。息が少し上がり始めていた。足が床板を踏むたびに、衝撃が積み重なっていく感じがした。


十五人目が来たとき、木剣が折れた。


部員の一撃を受けた瞬間、乾いた音がして、葵の木剣が中ほどから断ち切られた。


折れた先端が床に落ちた。


葵の手に残ったのは、柄の部分だけだった。


部員たちの動きが、一瞬だけ止まった。


その一瞬で——葵は動いた。


床に落ちた折れた先端を、素手で拾った。割れた木の端が手のひらに食い込んだ。痛みがあった。でも手を止めなかった。


ライラが、手のひらを包む光をわずかに強めた。指先から手のひらへ、光が薄く広がった。


「……っ」


誰かが息を呑む声がした。


葵は動いた。


――――――――――――――――――――――


素手になってから、何かが変わった——と後から思った。


でも戦っている間は、そんなことを考える余裕はなかった。ただ、体が動いた。木剣の柄を持った右手と、折れた先端を持った左手。二つの端を使って、部員たちの木剣を受け、流し、捌く。


ライラが足に魔力を通した。踏み込みが速くなった。


包囲の中に入った。内側に入ると、外から攻撃しにくくなる。外周の部員たちが距離を測り直そうとする——その隙に、内側の二人の木剣を同時に封じた。


一人が転んだ。また一人が間合いを切って下がった。


十人が残り、七人になり、五人になった。


最後の三人が、互いに目を見合わせた。葵を取り囲もうとして——三人同時に踏み込んだ。


葵はそのまま、前の一人に向かって走った。


横の二人は間に合わない。前の一人が木剣を振り下ろす直前——葵は屈んで潜り抜け、その背後に出た。残り二人の木剣が、前の一人の直前で止まった。


三人が静止した。


道場が、静かになった。


葵は立っていた。息が乱れていた。足が少し重い。でも体はまだ動ける。


――――――――――――――――――――――


「止めろ」


白羽が壁から離れた。静かな声だったが、道場全体に響いた。


部員たちがいっせいに構えを解いた。


葵は右手に木剣の柄、左手に折れた先端を持ったまま立っていた。手のひらに、割れた木が食い込んだ痕が赤くなっていた。


白羽が葵の前に来た。頭一つ分上から、真正面に見た。


「素手になってから動きが変わった」


「……そうですか」


「学校でやる、基本の型じゃない」


「……自分でも、なぜ動けるかわからないんです」


白羽はしばらく葵の顔を見ていた。何かを測っているような目だった。


「そうか」


少し間を置いた。


「剣は、一人で強くなれない。壁がいる」


それだけ言った。


——壁。


葵は今日の三十人を思い返した。体が動いた。でも何かにぶつかっていた。受けて、流して、逃げることしかできなかった場面が、何度もあった。木剣が折れた瞬間のことを思った。あのとき体は動いたが——次はもっとうまくできる気がした。できる気がしたということは、まだできていない、ということだ。


「……入部します」


「では明日から来い」


――――――――――――――――――――――


部員たちが道具を片付け始めた。葵が扉の方へ向かいかけたとき——部員たちの顔が視界に入った。何人かと目が合った。険しい顔をしていた者が、今は少し違う顔をしていた。悔しそうな、でもどこか納得したような、そういう顔だった。


葵が扉に向かいかけたとき、白羽が口を開いた。


「今日の部員たちに、恨みを持つな」


葵は振り返った。白羽はまっすぐ葵を見ていた。


「私が指示した」


「わかりました」


白羽は少し間を置いた。


「お前には入部資格がないと思っていたやつが、半分以上いた」


「そうですか」


「だが、お前にはあった」


それは事実の確認だった。評価ではなく——まるで、最初から知っていたことを口に出しただけ、というような言い方だった。


葵は少し考えた。


「……白羽先輩は、どう思っていましたか」


白羽は答えなかった。


答えない、ということが、答えだった。


「最初から、合格すると思っていた?」


白羽はしばらく葵を見た。それから静かに言った。


「三十人で足りるかどうか、少し考えた」


葵は何も言えなかった。


それは謙遜でも、皮肉でも、ましてや褒め言葉でもなかった。白羽の目は揺れていなかった。淡々としていた。まるで——木剣が何本で折れるかを、試合の前に計算していたような、そういう目だった。


「なぜ分かったんですか」


「……分かった、ではない」


白羽は視線を外した。壁際に立てかけた木剣へ、ほんの一瞬だけ目を向けた。


「そういう気がした。それだけだ」


それだけだ、と白羽は言った。でもその「それだけ」が、何かをわざと端で切ったような、不自然な短さだった。


ライラが胸元で、かすかに揺れた。


悪意はなかった。ただ——葵には、白羽が「知っていた理由」を持っていて、それを言わないことにしている、という感覚だけが残った。


「明日から来い」


白羽は背を向けた。迷いがなかった。必要なことが終わった、という動き方だった。


葵は少し考えてから、頷いた。白羽がそれを確認して、視線を外した。


――――――――――――――――――――――


道場の扉を出ると、廊下の夕光が目に入った。


ライラが胸元からそっと顔を出した。


「……すごかった」


「三十人は多すぎると思う」


「白羽先輩、厳しいね」


「そうだね」


葵は廊下を歩きながら、右手を見た。


——壁がいる。


白羽の言葉が、頭の中にまだ残っていた。


「カヴィヤさんいるかな」


「どうだろうね」


葵は保健室への廊下を曲がった。

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