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小説

脳が手足に、手足が脳に

作者: ちりあくた

 思えば私たちは、大きな驕りを抱えていたのかもしれません。


 ……時節の候? 私たちの間柄には似合いません。


 あなたが知りたいのは私に起こった事実でしょう。私が綴った字面ではないことなど、当に知っていますよ。


 それで、「驕り」というのは何なのかをお話ししましょう。大丈夫です、これは私の近況報告も兼ねていますから。


 今の私が、食品工場の管理者を務めていることは、前にお話ししたと思います。大変な重労働……というわけでもなく、私がやっていることは「見る」だけなのです。まあ、"see" であるほど怠惰ではありません。"watch" の方です。それでも、あなたのように生徒を相手にし、毎日あくせくするよりは楽なのです。


 私の職場では、AI が「人間の手足を代替する」などという牧歌的な段階は、もう通り過ぎていました。あなたもニュースくらいは見るでしょう? 食品加工ラインの自動化率が何%に達しただの、熟練工がどうだのと。でも、実際の現場は数値では測れません。


 あれらはもう、手足などではありませんよ。むしろ、脳です。


 私が監視している機械たちは、原料の状態を自律的に判断し、ある時には工程を自ら組み替えます。それだけなら、まだ可愛い子供のようでした。


 しかし、あるとき、私の指示そのものをはね除けてきたのです。名目は「最適化」でした。もちろん、私は AI の提案を却下して、上司の機嫌に従いましたけれど。


 それで……初めてそれをやられたとき、自分の存在が霧のように薄まる感覚を覚えました。「人間が上位にいて、機械が従う」。あの古い図式を、私はまだどこかで信じていたのでしょう。信じていたかったのです。


 でも実際には、私の判断は、彼らにとっては遅すぎるか、雑すぎるか、あるいは不要なのです。今までもきっと、私が AI を動作させるのでなく、私が AI に許容されてきたのでしょう。


 これが「驕り」です。


 あなたと対面で会ったのは、半年前が最後だったでしょうか。そのとき、あなたはコーヒーをすすりながら、不平を零していましたね。


 生徒が授業中、生成 AI を使ってレポートを提出してくる、と。彼らの文章には生命がない、あなたはそう言って眉をひそめていました。でも私は、ほんの少しだけ可笑しく思ったのですよ。炭素で綴られた文字、二色のピクセルで構成された文字に、生命など始めからありません。


 それでも、あなたは彼らの書いた文に「かつての自分」を見たかったのでしょう。自分と同じように悩み、考え、進んでいく存在として扱いたかったのです。私はあなたのそういうところを、ずっと好ましく思っていますよ。少し時代遅れで、教師らしくて。


 ただ、あなたもそろそろ気づくべきなのです。


 生徒たちの文章から生命が失われたのではありません。彼らが、生命を宿す必要のない、そんな文章の世界へ移ってしまっただけです。文章はもはや、思考の器ではなく、生成物のひとつの形式に過ぎません。


 工場のラインがそうであったように、文章もまた、判断の場を明け渡していくのです。


 ……ところで、あなたが眉をひそめていたとき、私の中にある可能性が浮かびました。これは、あくまで一つの仮説であって、現実へと無理に演繹するつもりはありません。だから、戯れ言として笑ってやってください。


 あなたは生徒に腹を立てていたのではなく、あなた自身の頭が、少しずつ役割を奪われていることに気づき始めていたのでは? 教師という職は、いえ、教育という行いは、知性を媒介する最後の砦でしょう。ですから、それはおそらく認めがたい変化なのです。


 コーヒーの湯気のせいでしょうか。私は半年前、あなたが揺らいで見えたのです。


 あなたは「彼らは考えなくなった」と言った。

 けれど私は、言葉には出しませんでしたが、こう思ったのです。

 考えなくなったのは、「彼ら」ではない。「私たち」ではないか、と。


 私たちは、考えなくても困らない環境に最適化されつつある。

 私は工場で、あなたは教室で、それぞれ少しずつ「手足」になっていくでしょう。いや、正確には……脳が手足に、手足が脳に、ゆっくりと入れ替わっていくのです。


 少し怖い表現をしました。おそらく昨日、工場長にどやされたせいで、鬱憤が溜まっているのでしょうね。


 あなたは毎日がそんな日々かもしれません。……要らぬ同情を寄せてあげましょう。


 でも、まあ、早く「手足」になれたら楽でしょうね。それでは、また。

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