3 青蛙のいざない④
翌日、放課後。
碧生は書道の道具(硬筆用)を入れた手提げバッグを持って、書道教室へ向かっていた。
野崎銀雪書道教室の幼児~中学生対象の稽古日は、曜日で毛筆と硬筆の稽古日をわけている。
水曜日は硬筆、土曜日は毛筆だ。
(事情があって土曜日に休んだ者が水曜日に毛筆の稽古をすることも可能は可能だが、基本はそうなっている)
先週の土曜日に、碧生はすでに今月分の毛筆の課題を仕上げた。今日は硬筆の課題を仕上げてしまう予定になっている。
それはいいのだが……。
(野崎さんのところの水路の近く、通らなアカンよな……)
絶対嫌だと言うほどではないが、出来ればあの水路の付近には近付きたくない。
近付きたくないが、近付かなければ書道教室へ行けない。
行けないけど、近付きたくない。
(ああもう、イライラするなァ)
苛立ちまぎれに碧生は、目についた電柱を軽く蹴飛ばす。……足が痛いだけだった。
もやもやしつつも碧生は、水路のある道まで出てきた。
その時。
グワーッ。ギャーギャーギャー。アホーアホー。
角の向こうで響き渡る、人の声じみた鳴き声。カラスらしい、が……。
「黙れ、うるさいワ! ナニがアホー!や!」
わめいている声に聞き覚えがある。
碧生はあわてて角を曲がった。
角を曲がり、碧生は、あっけにとられてポカンとする。
声から予想していた通り、ナンフウがいた。
目を吊り上げ、道や塀にいる数羽のカラスに向かって、庭掃除用の竹ぼうきを無茶苦茶に振り回している。
カラスを攻撃……というか、完全にカラスに遊ばれていたが、本人は必死らしくその事実に気付いていない。
「波多野! ナンフウ!」
強めに声をかけると、ヤツは、我に返ったというのか正気に返ったというのか、振り回していたほうきを止め、ゆっくり下ろした。
黒地にグレーで斜めの切り替えがあるスウェットの上下に、無造作にかかとを踏んだくたびれたスニーカーというスタイル。
おそらく、部屋着のまま古スニーカーをつっかけて出てきたのだろう。ナンフウはこの辺に住んでいるのかもしれない。
「結木?」
茫然と碧生の名を呼ぶヤツは、憑き物が落ちたような顔をしていた。
「……お前。何してんねん。さすがにカラスいじめたらアカンやろ」
ナンフウはムッとした。
「別に……いじめてへん。それにこれは、どっちか言うたら、せーとーぼーえー、や」
(せーとーぼーえー?)
碧生は一瞬怪訝に思ったが、ああ『正当防衛』かと気付く。
「カラス相手に正当防衛って。お前、カラスになんか、大事なモンでも取られたんか?」
「こいつら……カラス違う!」
吐き捨てるように言うとナンフウは、苦虫をかみつぶしたような顔でうつむく。
しかしそれ以上は何故か、むうっと押し黙っている。
不意に、ギャギャギャ、とカラスたちが鳴いた。
なんだかあざ笑っているようにも聞こえる。
『せやけど、今回のモリの若葉、気ィ短いやっちゃな~』
『ツカサの若葉はビックリして固まってるだけで、害はないけど面白ない。モリの若葉はリアクションが派手で面白いけど、イキナリほうき振り回してきよる』
『足して二で割ったらちょうどええのにな』
グワッグワッグワッ。
あざ笑うように鳴くと、カラスたちは一斉に飛び立ってどこかへ行ってしまった。
「……」
「……」
取り残された形になった二人の少年は、しばらく無言でその行方を追っていたが。
やがて、どちらからともなくのろのろと、互いの顔を見た。
「……おい。結木。アレ、聞こえたか?」
ぼそっと問うナンフウへ、
「ああ……、まあ、な」
と、カラカラの喉から碧生は、声を絞り出して答える。
「クソ!」
不意に地面へほうきを叩きつけ、ナンフウはしゃがみこんだ。
「やっぱ、夢でも気のせいでもないんかよっ!」
顔を覆って叫ぶナンフウは、泣いているようにも見えた。




