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ある砂漠のおはなし

市場でのおはなし

作者: 烏十ヰ
掲載日:2025/10/16


 市場(バザール)はひときわ賑わっていた。

 少女は母親と一緒に市場を歩いていた。黒い人波がどこまでもどこまでも続き、売り子と買い手の掛け声がこだまのように響く。スパイス、果物、香油にお酒、あらゆる匂いが充満して混ざり合う。天井を見上げれば色とりどりの布の間から日光が差し、その間を一定の間隔で鳥かごがぶら下がっている。

 ピチチ、ピチチと小鳥の鳴き声が響き渡る。

「どうして市場なのに鳥さんがいるの?」

 少女は母親に尋ねた。

「綺麗でいいでしょう?」

 母親は上を見ようともせずに言った。

 母親は染め物屋に入ると店の主人と話し込み、少女は暇になった。店の表に出てみると、向かいの絨毯屋の軒先に鳥かごがぶらさがっていて、その中で水色の綺麗な小鳥が鳴いている。

 絨毯屋の主人とおぼしき人がお店の前でパイプをふかしていた。少女は通りを渡っていって、主人にたずねた。

「どうしておじさんはお店で鳥さんを飼っているの?」

「なぜって、綺麗でいいだろう」

 絨毯屋の主人はそう言って、白い煙を吐き出した。

「どれ、見てみるかい」

 主人は椅子に上がって鳥かごを降ろすと、少女の前の地面に置いた。少々乱雑に動かしたせいで籠がぶつかり音を立てたが、中の鳥は驚く素振りもなく大人しくしていた。

「見ていいの?」

「ああ、あんたのお母さんにもよろしくな。うちの絨毯も買っていってくれるように言っとくれ」

 絨毯屋の主人はパイプをふかしたまま、お店の中へ戻っていってしまった。

 少女は小鳥を眺めた。小鳥は透き通った水色の羽をしていて、ピチチ、ピチチと時折鳴いている。たしかに、こんな鳥がたくさんいたら綺麗だなと少女は思った。

 しばらく鳥かごを眺めていた少女は、ふと、かごの一部が欠けてちょうど小鳥一羽ぶんの隙間が空いていることに気付いた。

「あ」

 と思ったとたん、隙間からすいと水色の小鳥が飛び立った。

「鳥さん、待って」

 少女は慌てて小鳥を追いかけた。

 市場の人混みの中でも、水色の小鳥の羽は不思議と目立った。すいと角を曲がった先を見ると、小鳥は公衆浴場(ハンマーム)の入口の門扉(アーチ)をくぐり抜けた。少女は母親のもとから離れて違う店に入ってしまう躊躇で、一瞬足を止めた。が、屋内に入ったなら捕まえられる。そう思い、ハンマームの中庭を抜けた。普段なら昼から混むというのに、その日は不思議と客の姿はおろか、門番の一人も見えなかった。

 中庭を抜けて暗い屋内へ入った、と思ったのに、ぼんやりと明るい光が差して少女は驚いた。天井に明かりとりの硝子が嵌めてあるのだろうか。そう思ってふいと上を見上げると、細い路地の間から青空 が覗いていた。おかしなことに、扉を潜ったと思ったのにそこは屋外なのだった。

 チチチ、と路地を曲がった向こうから小鳥のさえずりが聞こえた。

「鳥さん、待って」

 少女は鳥の声を追って角を曲がった。

 土壁が褪せて日光を反射している。その路地を鳥の声を頼りにしばらく進むと、誰かが道端に座り込んでいるのが見えた。近づくと、禿げた男が一人、ターバンも巻かずに、黙々とろくろを回しているのだった。すぐ横には男が作ったものか、土製の壺が山と積まれている。

「おじさん、水色の羽をした小鳥を見なかった? こっちに飛んできたと思うのだけれど」

 少女は男に尋ねた。

「あぁ、鳥かい。見たさ。あんた、鳥をお探しかい」

 男は顔も上げずに言った。

「うん。おじさんは何をしてるの?」

「見ての通り壺を作っているのさ。土ならこの通り、いくらでも地面にあるからね」

 男は地面を指差した。見ると確かに、地面は踏み固められた硬い土でできているというのに、男が手に取るとぐにゃりと崩れて粘土になった。そうして男はそれをろくろの上に据えると、あっという間に壺の形を作り上げるのだった。

「ほれできた。こいつも昔は立派な英雄(ケイクバード)だったんだ。嬢ちゃんと同じくらい勇敢なね」

 男は作り上げた壺を指してそう言った。

 少女は自分が褒められたのかよくわからず、何と言えばいいのか困って地面の土を爪先でほじくった。その様子を見て男は笑った。

「小鳥ならこの先の道を真っ直ぐに行ったよ。道のりには気をつけてな」

 そういうと男はまた壺作りに戻った。少女は言われた通り道をまっすぐ進んだ。

 またしばらく道をまっすぐ進むと、今度は大きな宿場の裏手に出た。路地に面した裏口の隣で、二人の男の子が数え切れないほど並んだ盃に一杯ずつ酒を注いでいた。少年は二人ともまったく同じ顔をしていて、たぶん双子なのだろうと少女は思った。

「こんにちは、水色の羽をした小鳥を見なかった? こっちに飛んできたと思うのだけれど」

 少女は尋ねた。双子の少年はちらりと少女を見ると、ふいとそっぽを向いてまた水甕から盃に葡萄酒を注ぐ仕事に戻った。

「ねぇ、こんにちは。小鳥を探しているのだけれど。水色の羽をした、綺麗な小鳥なの」

 少女は辛抱強く尋ねた。双子の片方がようやく答えた。

「小鳥なんか探しているのかい。ここに来るお客さんはみんなお酒のほうがいいって言うのに」

 双子のもう片方も答えた。

「盃に注いだ酒を呑むのは一瞬なのに、君は小鳥なんてものにうつつを抜かすのかい」

「でも、わたしが逃がしちゃった鳥さんだもの。わたしが見つけなきゃいけないもの」

 少女はなおも食い下がった。

「僕らは仕事が忙しいんだよ」

「一晩の宿に一杯の酒なのに、お客はみんなすぐ飲み干してしまってはもうないって嘆くからね」

 少女は憤慨して、右足で地面を蹴った。

「そんなお酒より鳥さんのほうがよっぽどいいわよ。飲み干してなくなったりしないもの」

 すると、双子の男の子は驚いて手を止めた。

「おやまあ珍しい。お客の中じゃあんまり見つからないタイプだ。不毛なこともあるものだね」

「そこまで言われちゃしょうがない。僕らには引き留める権利はないものね」

「小鳥ならあっちへまっすぐ行ったよ」

「そのまま真っ直ぐ行けば見つかるよ」

 双子の少年は交互に言った。

「ありがとう。お仕事の邪魔をしてごめんなさい。ところで、何をしているの?」

「見ての通り、この宿屋に泊まるお客のために酒を注いでいるのさ」

「お客はひっきりなし、注文も底なし。まるでみんな葡萄酒があれば安全だと思ってるみたい」

「安全な旅路なんてないのにね」

「君もせいぜい気をつけなよ」

 双子の少年はそう言って、酒を注ぐ仕事を続けた。

 少女は言われた通り、通りをまっすぐ進んだ。路地は広くなったり狭くなったりしながら、それでも迷うようなこともなく真っ直ぐ続いた。そうしてしばらく行くと、今度は老人に出会った。

 痩せこけた老人は傍らの荷車に置かれた大量の壺や盃を、地面に叩きつけては壊していた。それを見て少女はやや怖気づいたが、思い切って老人に尋ねた。

「おじいさん、なにをしているの?」

「見ての通り壺を割っているのさ。土塊(つちくれ)でできたものは土塊に帰る。簡単なことじゃろうて」

 老人はそう言いながらまた地面に盃を叩きつけた。土器の割れる音に少女は首をすくめた。

「でも、わざわざ割らなくてもいいように思えるわ。まだ足も折れていないのに」

「そういうものなんじゃよ。わしが好きで割っているんじゃない、この盃は元からこう割れるさだめにあったんじゃ。そいういふうに決まっているんじゃよ。ほれ、この壺もな」

 老人はそう言いながら壺を地面に落とすと、手に持った棒切れで地面を混ぜた。すると割れた土器の破片は不思議なことに地面に溶けて、土に戻っていった。

 少女はその様を驚いて見ていたが、ふと自分が老人に聞こうとしていたことを思い出して我に返った。

「おじいさん、水色の羽をした小鳥を見なかった? こっちに飛んできたと思うのだけれど」

「鳥かい。あんたはこんな時になっても、鳥なんか追いかけようってのかい」

「こんな時って?」

「すべてが手遅れになってしまうような時さ。誰にだって訪れるのさ。もちろん、あんたみたいな嬢ちゃんにもな」

「でも、鳥さんはきっとまだ間に合うわ。ついさっきこっちに飛んで来たはずなの」

 老人は壺を割る手を止め、溜め息をついた。

「小鳥ならそこの角を曲がっていったよ。そうまで言うなら追いかけな。今ならまだ間に合うだろうよ」

「ありがとう、おじいさん」

「ああ。いい旅路をな」

 老人はひとつ頷くと、再び壺を取り上げた。少女は次の壺が割れる音が響く前に、その場を後にした。

 少女は老人に言われた通り、路地の角を曲がった。また路地が続くのかと思われたが、急に視界が明るく開けた。

 そこはやや広い広場になっていた。中央に泉が湧き出ており、その周りには一面に、赤黒緑様々な小鳥が止まってさえずっていた。その中に紛れて一羽だけ、水色の羽を震わせる鳥がいた。

「鳥さん!」

 少女は一目で小鳥を見つけ出すと、小鳥へ向かって駆けていった。ほかの鳥が驚いて飛び立つ中、水色の小鳥だけは飛び去らずに少女を見つめてピチチと鳴いた。

「よかった、鳥さん。わたしがわかるのね。さあ、帰りましょう」

 少女は小鳥の前にしゃがむと、手を差し出した。

 しかし小鳥はすっと羽ばたくと、広場の向こうの細い路地へとまた飛び去ってしまった。

「あ、待って!」

 少女は今度こそ慌てて小鳥の後を追いかけた。そうして広場から路地へ入ると──

 そこは見慣れた絨毯屋だった。

 驚いて立ち止まる少女を後目に、小鳥は自分が出てきた鳥かごの中に、自ら入って行った。そうしてピチチと鳴いた。その途端、少女の耳に突然はっきりと、市場のざわめきが戻って来た。

 少女が茫然と驚いていると、絨毯屋の主人が店から出てきた。少女はまた逃げないようにと鳥かごを絨毯屋の主人に慌てて返すと、急いで向かいの染め物屋にいる母親のもとへと駆けていった。

 その翌日、少女はもう一度小鳥に会いに市場の中の同じ店へやってきた。

 しかし、小鳥はいなかった。それどころかそんな水色の鳥など飼っていないと、主人は言うのだった。

「去年死んじまってから、もう半年以上鳥なんて飼っちゃいないさ。この鳥かごも放りっぱなしでね、だからほら、鳥かごのここなんか、穴が開いているだろう」

 少女は近くの公衆浴場にも行ってみたが、門をくぐって中庭を進んでも、広い浴場へと着いただけで、屋外の路地など見つかるはずもなかった。ただ、浴場の天井は確かに硝子張りになっていて、水色の分厚い硝子を通して路地のようなうすぼんやりした光が入ってくるのだった。外に出て鳥がたくさんいる泉のある広場も探してみたが、そんな場所はおろか、昨日自分がどこの路地に入ったのかも思い出せなかった。絨毯屋の隣には細い路地などなく、隣の店との土壁が立っているだけだった。

 それでも少女には、あの壺作りの男も、宿場で働く双子の男の子も、壺を壊す老人も、そしてあの水色の小鳥も、どこかにきっと存在して、今もろくろを回したり、酒を注いだり、棒切れで地面をかきまわしたり、不思議な声で鳴いたりしているのだろうと、なぜだかたしかに思えるのだった。


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