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東京影譚 ~エミリア、影を紡ぐ者~  作者: ミルティア


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79/351

空虚な椅子と、歪な礎石 其九

この物語はフィクションです。

この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。


ようこそ、東京の影の中へ。

ここは、光が滅び、影が支配する世界。

摩天楼が立ち並ぶ、華やかな都市の顔の裏側には、深い闇が広がっている。

欲望、裏切り、暴力、そして死。

この街では、毎夜、人知れず罪が生まれ、そして消えていく。

あなたは、そんな影の世界に生きる、一人の女に出会う。

彼女の名は、エミリア・シュナイダー。

金髪碧眼の美しい姿とは裏腹に、冷酷なまでの戦闘能力を持つ、凄腕の「始末屋」。

幼い頃に戦場で、彼女は愛する家族を、理不尽な暴力によって奪われた。

それは、彼女が決して消すことのできない傷となり、心を閉ざした。

今もなお、彼女は過去の悪夢に苛まれ、孤独な戦いを続けている。

「私は、この世界に必要とされているのだろうか?」

「私は、幸せになる資格があるのだろうか?」

深い孤独と絶望の中、彼女は自問自答を繰り返す。

だが、運命は彼女を見捨てなかった。

心優しい元銀行員の相棒、エミリアの過去を知る刑事、そして、エミリアの過去を知る謎めいた女ライバル。

彼らとの出会いが、エミリアの運命を大きく変えていく。

これは、影の中で生きる女の物語。

血と硝煙の匂いが漂う、危険な世界への誘い。

さあ、ページをめくり、あなたも影の世界へと足を踏み入れてください。

そして、エミリアと共に、非日常の興奮とスリル、そして、彼女の心の再生の物語を体験してください。

あなたは、エミリアに、どんな未来を見せてあげたいですか?

…この物語は、Gemini Advancedの力を借りて、紡がれています。

時に、AIは人間の想像を超える unexpected な展開を…

時に、AIは人間の感情を揺さぶる繊細な表現を…

Gemini Advancedは、新たな物語の世界を創造する、私のパートナーです。


この作品はカクヨムにて先行公開しており、こちら(小説家になろう)では遅れて公開となります。あらかじめご了承ください。


ただし、どうか忘れないでください。

これは、あくまでフィクションだということを。

This is a work of fiction. Any resemblance to actual events or persons, living or dead, is purely coincidental.


Ceci est une œuvre de fiction. Toute ressemblance avec des événements réels ou des personnes, vivantes ou mortes, serait purement fortuite.


Dies ist ein Werk der Fiktion. Jegliche Ähnlichkeit mit tatsächlichen Ereignissen oder lebenden oder verstorbenen Personen ist rein zufällig.


นี่คือนิยายที่แต่งขึ้น บุคคล สถานที่ หรือเหตุการณ์ใดๆ ที่ปรากฏในเรื่อง หากบังเอิญคล้ายคลึงกับบุคคล สถานที่ หรือเหตุการณ์จริง ทั้งที่ยังมีชีวิตอยู่หรือเสียชีวิตไปแล้ว ถือเป็นเรื่องบังเอิญทั้งสิ้น


(この作品はフィクションです。実在の出来事や人物、存命・故人との類似はすべて偶然です)


水曜日の夜も更け、ようやく定食屋の喧騒が終わりを告げた。

最後の体育会系学生客を叩き出すように送り出し、油まみれの厨房とホールの片付けを終えた頃には、時計の針はとっくに午後十時を回っていた。

体中の筋肉が悲鳴を上げ、汗と油の匂いが作業着に染み付いている。


「…つっかれた……」

「……ん」


橘陽菜と藤井澪は、言葉少なに、店の裏手にある、軋む急な階段を上った。

そこが、彼女たちに与えられた住処――定食屋の二階にある、元は店主夫婦の子供部屋だったという、六畳一間の和室だ。


陽菜が、年季の入ったふすまをガラリと開けると、むわりと人の気配と、階下から漂ってくる中華料理の油と香辛料の残り香が混じった、独特の匂いがした。

部屋は清潔に保たれているものの、色褪せた畳、日焼けした砂壁、艶を失った古い木の柱が、否応なく昭和の時代を感じさせる。

窓の外には、隣の建物の壁しか見えない。

部屋の中央には小さな折り畳み式のちゃぶ台が置かれ、壁際にはそれぞれの布団が既に敷かれていた。

唯一の近代的な設備である壁掛けエアコンが、ゴォーと控えめな音を立てて、乾燥した冬の空気を温めている。


「あー…マジ、腰痛え…」


陽菜は、持っていたタオルをちゃぶ台に放り投げると、どさりと畳の上に座り込んだ。


「つか、腹減った…」

「…先にシャワー、行ってきていい?」


澪は、壁の隅にある数少ないコンセントの一つに、自分のスマートフォンの充電ケーブルを挿しながら、静かに言った。既にタコ足配線になっているそこには、陽菜の充電器も挿さっており、空きはもうない。


「あ! おい、澪! あたしのスマホ、まだ50%もねーんだけど!」


陽菜が、床に置かれた自分の充電ケーブルを見て叫ぶ。


「…じゃあ、あたしがシャワー浴びてる間だけ、そっち挿しとけば。ドライヤー使う時はまた抜くけど」


澪は、表情を変えずに淡々と言う。


「はあ!? ドライヤーなんか使ってんじゃねーよ! 自然乾燥でいいだろ!」

「髪、傷む」

「知るか! 大体な、このクソ部屋、コンセント少なすぎんだよ!」


陽菜が立ち上がり、壁の別の場所を探すが、やはり空いているコンセントはない。

枕元には、店主の源さんが「これでも聴いて、少しは世の中のこと勉強しな」と渡してくれた、充電式の小さなポケットラジオが置かれ、これもまた貴重なコンセントの一つを占拠していた。

ラジオからは、コミュニティFMのDJの、落ち着いた深夜放送の声が微かに流れている。


『――明日の天気ですが、引き続き冬型の気圧配置が続き、都内は一日を通して乾燥した晴天となるでしょう。火の元には十分ご注意ください――』


「…ったく!」


陽菜は諦めて、再び畳に座り込むと、今度は声を潜めて毒づいた。


「天気予報なんかより、あのクソ女からのメールだよ、問題は!」


その言葉に、澪も動きを止め、陽菜に向き直った。

二人の間に、昼間の喧騒と疲労とは質の違う、重たい空気が流れる。

ここからは、階下の保護司夫婦――源さんと女将さん――に聞かれてはいけない話だ。


「…マジで、ムカつくんだけど、アイツ」


陽菜は、畳に肘をつき、ひそひそ声で、しかし怒りを込めて言った。


「なんであたしらが、あの『夜組』とかいうガキどもと、友達ごっこしなきゃなんねーんだよ! しかも、『深夜集会をやめさせろ』だ? 命令されてできるか、そんなこと!」

「……」


澪は、黙って陽菜の言葉を聞いている。


「大体な、『失敗したら、もっと面白いペナルティ』って何だよ!? あの女なら、マジで何してくるか分かんねーぞ!」


陽菜は、昨夜の不良たちを相手にした時とは違う、エミリアに対する本物の恐怖を、わずかに声に滲ませた。


「…でも」


澪が、静かに口を開いた。


「やるしかないんでしょ。あたしたちには、他に選択肢、ないんだから」


その冷静すぎる言葉に、陽菜はぐっと唇を噛む。

そうだ、分かっている。

逆らえない。

あの圧倒的な力の差。

そして、この場所を提供されているという、抗いがたい現実。


「……分かってるよ、そんなことは!」


陽菜は、声を荒げないように、必死で抑えながら言った。


「でも、どうすんだよ!? どうやって、『友達』になるんだよ? あいつら、昨日はビビってたけど、あたしらのこと、絶対、怪しんでるって!」

「……」


澪は、ちゃぶ台の前に座り直し、少し考えるように俯いた。


「…まず、情報を集める。昨夜見たメンバー…リーダーっぽい子と、お喋りな子と、静かな子。名前は、美咲、陽子、詩織…だったかな。あの子たちが、普段どこで何をしているか。何に興味があって、何を不満に思っているか…」

「情報収集って…どうやってだよ?」

「…さあ」


澪は、小さく首を振った。


「それは、これから考えないと。…でも、いきなり『深夜徘徊はやめなさい』なんて言っても、反発されるだけなのは分かる」

「だよな! あたしなら、絶対、うるせーババアって思うね!」

「…あなたと一緒にしてほしくないんだけど」


澪が、冷ややかに突っ込む。


「んだと、コラ!」


陽菜が、反射的に言い返す。


いつものような、小さな口論。

しかし、すぐに、二人の間に重い沈黙が戻る。

課せられた任務の厄介さと、失敗した時の恐怖。そして、そもそも、人を『誘導』するなんて、自分たちにできるのかという不安。


「…とりあえず」


しばらくして、澪が再び口を開いた。


「まずは、あの子たちに、もう一度、接触する方法を考えよう。偶然を装って…」

「偶然ねぇ…」


陽菜は、腕を組み、天井を睨んだ。

エアコンの送風音が、やけに大きく聞こえる。


具体的な計画は何一つ立たないまま、時間だけが過ぎていく。

階下からの物音も、もう聞こえない。

ラジオからは、静かな音楽が流れ始めていた。

疲れ切った体と、重くのしかかる厄介な任務。

陽菜は、ごろりと畳の上に寝転がり、目を閉じた。

澪も、壁に背中を預け、深く息を吐き出した。

やるしかない。

その言葉だけが、重く、冷たく、昭和の匂いが残るこの小さな和室に響いていた。

互いの存在だけを頼りに、二人の、奇妙で困難な『ペナルティ』が、静かに始まろうとしていた。


                    ***


水曜日の夜も、針がてっぺんを回ろうかという時刻。

マンション群に隣接する私鉄の駅前ロータリーは、一日の役目を終えたように静まり返り、家路を急ぐ人も、タクシーを待つ人も、もうほとんど見当たらない。頼りない水銀灯の白い光と、煌々と輝く自動販売機の明かりだけが、人気のない空間をぼんやりと照らし出していた。冷え込んだ空気が肌を刺し、吐く息は白い。


その、自販機の光が届くロータリーの隅の、冷たいコンクリート製の花壇の縁に、四人の少女たちが身を寄せ合うように集まっていた。「いつものメンバー」――高橋美咲、小林陽子、遠藤詩織、そして、もう一人の、少し年下に見える少女。


「…マジ、昨日のあの子たち、何だったんだろうね?」


陽子が、飲みかけのペットボトルのカフェラテを手に、興奮冷めやらぬといった口調で切り出した。その明るい茶髪が、自販機の光を反射してキラキラと光る。


「いきなり出てきてさー、めっちゃ強くて! あのチンピラども、一瞬で黙らせちゃったじゃん?」

「うん…でも、ちょっと怖くなかった?」隣で、詩織が小さな声で呟く。彼女は、大きめのパーカーのフードを目深にかぶり、膝に置いたスケッチブックに視線を落としたままだ。「なんか、目が…普通じゃなかった、気がする」

「まあ、怖かったけど…助かったのは事実だし」美咲が、リーダーらしく冷静に、しかしどこか考え込むように言った。「名前、陽菜と澪って言ってたっけ…。一体、何者なんだろう…」


昨夜の、突然の出来事。不良に絡まれた恐怖と、それを颯爽と(そして少し暴力的に)解決して去っていった謎の二人組。その記憶は、まだ生々しく彼女たちの心に残っていた。いつもの他愛ないバイトの愚痴や、好きなアイドルの話の合間にも、ふと、あの二人の鋭い眼差しや、無駄のない動きが話題に上る。それは、この退屈で、どこか息苦しい日常の中に現れた、一瞬の、しかし強烈な「非日常」だった。


そんな、少しだけいつもと違う空気が流れる中、不意に、低いエンジン音と共に、一台の、派手な改造が施された(しかし、明らかに型落ちで安っぽい)黒いセダンが、ロータリーに滑り込んできた。そして、彼女たちのすぐ近くに、わざとらしくゆっくりと停車する。運転席と助手席の窓が、ウィーン、という音と共に下がった。


中から、下卑た笑みを浮かべた、見るからに柄の悪い若い男二人が顔を覗かせた。鬼塚の「組織」の、さらに末端にいるような、チンピラの中でも質の悪い連中だ。おそらく、鬼塚や古柴には内緒で、勝手に組織の名前を使い、手っ取り早く「シノギ」にありつこうと、夜の街をうろついていたのだろう。警察の目が光り始めたことで、上からの締め付けが厳しくなり、自分たちで小遣いを稼ぐ必要に迫られているのかもしれない。


「よぉ、可愛い子ちゃんたち、こんな夜っぴて何してんのぉ?」


運転席の、髪をけばけばしい赤に染めた男が、馴れ馴れしく声をかけてきた。助手席の、爬虫類のような目つきの男も、ニヤニヤしながら少女たちを品定めするように見ている。その視線は、粘りつくようで、不快感しか催さない。


美咲は、即座に危険を察知した。昨夜の経験が、彼女の警戒心を鋭敏にしていた。彼女は、すっと立ち上がり、陽子と詩織を自分の背後にかばうようにして、冷たく言い放った。


「…別に。あなたたちに関係ないんで」

「おっと、つれねぇなぁ。そんな怖い顔すんなよぉ」赤髪の男は、全く悪びれずに続ける。「俺ら? 俺らは、まあ、この辺仕切ってるモンだけど? 名前くらい、聞いたことあんだろ? 『鬼塚』さんの若い衆だよ」


鬼塚の名前。その響きに、美咲だけでなく、陽子や詩織の顔にも、さっと緊張の色が走った。名前だけなら、この辺りで聞いたことがないわけではない。関わってはいけない、厄介な連中だと。


「だから、何ですか? 用がないなら、あっち行ってください」美咲は、恐怖を押し殺し、毅然とした態度を崩さない。

「まあまあ、そう邪険にすんなって」助手席の爬虫類目の男が、シートから身を乗り出すようにして言った。「ちょっと話があるだけだよ。お前らさ、なんか金に困ってたりしねえ? 俺らがさ、ちょーっと『イイ仕事』紹介してやろうかと思ってんだけど?」


その言葉には、甘い響きの中に、明らかに胡散臭い、危険な匂いが含まれていた。


「間に合ってますんで。失礼します」美咲は、話を打ち切り、陽子と詩織の手を引いてその場を離れようとした。


「おい、待てよ!」


赤髪の男が、慌てて車から降りてきて、美咲の腕を掴もうとする。


「ひっ…!」詩織が、小さな悲鳴を上げた。

「触んな!」美咲が、その手を強く振り払う。


「んだと、コラ! このアマ!」赤髪の男が、逆上して声を荒らげる。「俺らが誰だか分かってんのか!? 鬼塚さんの名前出してんのに、その態度はねえだろうが!」

「そうそう、俺らの言うこと聞いとけば、怖いもんなしだぜ? なあ?」爬虫類目の男も車から降りてきて、ニヤニヤしながら距離を詰めてくる。


少女たちの間に、明らかに恐怖が広がっていく。昨夜のように助けてくれる人は、今夜はいない。逃げ場のない、深夜の駅前ロータリー。常夜灯の頼りない光の下で、彼女たちは、じりじりとチンピラたちに追い詰められていく。


「…連絡先くらい、教えろや」

「ちょっと車乗って、話聞くだけだって」


下品な言葉と、威圧的な態度。腕を掴まれそうになり、美咲は必死で抵抗する。陽子は涙目になり、詩織はただ震えるばかりだ。


(どうしよう…! 誰か…!)


美咲が、絶望的な気持ちで助けを求めようと周囲を見回した、その時だった。

遠くから、パトカーのサイレンの音が、微かに、しかし確実に、近づいてくるのが聞こえたような気がした。


「…ちっ! サツかよ!」


チンピラたちも、その音に気づいたのだろう。あるいは、これ以上騒ぎを大きくする度胸がなかったのか。彼らは、忌々しげに舌打ちすると、「おい、今日のところは勘弁しといてやるよ! だが、次会ったら、タダじゃおかねえからな!」と、捨て台詞を残し、慌てて車に乗り込み、猛スピードで走り去っていった。


後に残されたのは、恐怖で凍りついたままの、夜組の少女たちだけだった。サイレンの音は、いつの間にか遠ざかり、あれは空耳だったのかもしれない。助けは来なかった。だが、チンピラたちは去った。


「……行った…?」陽子が、震える声で呟く。

「……うん」美咲は、まだ荒い息を整えながら、頷いた。しかし、その表情には、安堵よりも、深い恐怖と、自分たちの無力さへの絶望感が色濃く浮かんでいた。

詩織は、その場にへたり込み、小さく嗚咽を漏らし始めた。


組織の名前をちらつかせた、末端のチンピラ。彼らは、気まぐれに、そして自分たちの都合だけで、いとも簡単に、少女たちのささやかな「居場所」を脅かす。

陽菜や澪のような、圧倒的な「力」がなければ、自分たちは、こうやって怯え、蹂躙されるしかないのか。

美咲は、ぎゅっと拳を握りしめた。悔しさと、言いようのない恐怖が、冷たい夜風と共に、彼女の心を深く凍らせていく。


この夜の出来事は、彼女たちに、自分たちが生きる世界の、冷酷な現実の一端を、改めて突きつけることになった。そして、この恐怖が、いずれ、彼女たちを、更なる危険な道へと誘うことになるのかもしれないことを、今はまだ、誰も知らなかった。


                    ***


水曜日の深夜、木曜日に変わろうかの時刻。

西高東低の冬型の気圧配置がもたらした乾燥した大気は、都会の明かりさえも洗い流したかのように澄み渡り、空には無数の星々が、凍てつくような鋭い光を放っていた。

まるで砕いたダイヤモンドを漆黒のベルベットに撒き散らしたかのようだ。

吹き抜ける風は、頬を切りつけるように冷たい。


マンション群に隣接する私鉄の駅前ロータリーは、終電もとうに過ぎ去り、今はただ、街灯の白い光と自動販売機の明かりだけが、人気のない空間を寒々と照らしている。

その光の下、コンクリートの花壇の縁に、四人の少女たちが、まるで凍りついたように立ち尽くしていた。『夜組』のメンバーだ。


つい先ほど、彼女たちは、組織の名前をちらつかせるチンピラたちから、直接的な脅威に晒された。

車が猛スピードで走り去った後も、その場から動けずにいる。恐怖で足が竦んでいるのだ。


「……行った、よね…?」


小林陽子の声が、震えながら夜気に溶ける。

その明るい髪色は、今は色褪せて見え、顔は涙でぐしゃぐしゃだった。


「…うん」


リーダー格の高橋美咲が、かろうじて頷いた。

彼女は、怯える詩織ともう一人の少女を背中にかばうように立っていたが、その肩は小刻みに震え、強がってはいても、恐怖を隠しきれていない。

足元には、詩織が落としたらしいスケッチブックが、頼りなく転がっていた。


「怖かった…マジ、怖かった…」

「どうしよう、美咲ちゃん…また来たら…」


嗚咽を漏らし始めた詩織を、陽子がぎゅっと抱きしめる。

美咲も、どうすればいいのか分からなかった。

いつもの『居場所』が、一瞬にして、最も危険な場所に変わってしまった。警察? でも、組織の名前を出された以上、下手に動けばもっと酷いことになるかもしれない。

昨夜助けてくれた、あの強い子たちは…? でも、連絡先も知らない。ぐるぐると、恐怖と無力感が頭の中を支配する。


その時だった。ロータリーの入り口の方から、二つの人影が、まるでためらうかのように、ゆっくりと近づいてくるのが見えた。


「…おい、陽菜。本当に声かけんの? なんて?」

「…うるせえな! 分かんねえから、とりあえず様子見だって言ってんだろ!」


ひそひそと、しかし苛立ちを含んだ声で言い合っているのは、橘陽菜と藤井澪だった。エミリアからの理不尽な『ペナルティ』――夜組と友達になり、深夜集会をやめさせる誘導――を受け、気乗りしないまま、それでも指示には逆らえず、『偵察』と称して、恐る恐る現場に近づいてきたのだ。

二人の吐く息も、冬の夜空の下で白く凍る。


「あ…!」


陽菜たちの姿を最初に認めたのは、陽子だった。

彼女は、まるで救いの船でも見つけたかのように、目を見開いた。


「昨日の…!」


その声に、美咲も詩織も、弾かれたように顔を上げる。

そこには、昨夜、自分たちを助けてくれた、あの忘れられない二人組が立っていた。


「お願い! 助けて!」


次の瞬間、陽子は、後先考えずに、陽菜と澪のもとへ駆け寄っていた。他のメンバーも、磁石に吸い寄せられるように、その後を追う。

恐怖と混乱で、正常な判断力を失っていたのかもしれない。藁にもすがる思いだった。


「え…ちょっ…!?」


突然、泣きそうな顔で詰め寄られ、陽菜は思わず後ずさる。


「お願い! また変な奴らが…!」

「今度は、『鬼塚』って名前出してきて…!」

「連絡先教えろって…!」

「マジで怖くて…!」

「どうしたらいいか分かんないの!」


堰を切ったように、少女たちの、恐怖と混乱に満ちた言葉が、矢継ぎ早に陽菜と澪に浴びせられる。

その必死の形相、震える声、潤んだ瞳。それは、昨夜の比ではない、切迫したヘルプだった。


予想外すぎる展開に、陽菜も澪も、完全に面食らって言葉を失った。

ただ『偵察』に来たはずが、いきなり、深刻で、しかも明らかにヤバそうな相談を受けている。

特に『鬼塚』という、具体的な名前。

昨夜のチンピラとは違う、組織的な背景を感じさせる響き。


(クソッ…! なんだよ、これ!? 話が違いすぎるじゃねえか…!)


陽菜は、内心で叫んだ。

助けを求められている。

無視はできない。

だが、これは、自分たちがどうこうできるレベルの話なのか?


(…まずい)


隣で、澪は冷静に状況を分析していた。


(相手は『組織』を名乗っている。昨夜のチンピラとは違う。下手に介入すれば、あたしたちまで危険に巻き込まれる。エミリアの指示は『友達になって誘導』…暴力での解決じゃない。これは、あたしたちだけじゃ手に負えない…!)


「陽菜」


澪が、陽菜の袖を強く引いた。


「これは、無理。エミリアに連絡するしかない」

「はぁ!? あの女に!? 冗談じゃ…!」


陽菜は、反射的に抵抗しようとした。

この状況で、あのエミリアに頼るなど、プライドが許さない。


「他に方法があるの!? 下手したら、この子たちだけじゃなくて、あたしたちも消されるかもしれないんだよ! それでもいいの!?」


澪の、普段は感情の見えない瞳が、強い光を宿して陽菜を射抜く。

その言葉に、陽菜はぐっと息を詰まらせた。

そうだ、これは遊びじゃない。

本物の危険だ。

自分たちの力だけでどうにかなる相手ではないかもしれない。

…悔しい。

腹立たしい。

だが、澪の言う通りだ。


「………分かったよ」


陽菜は、苦々しく呟くと、ポケットからスマートフォンを取り出した。


その頃、エミリアは、心地よい眠気を誘うハーブの香りと共に、愛しい『健ちゃん』との、まだ見ぬ甘美な未来へと飛んでいた。


(明日は、健ちゃんの手作りのお菓子でも…いや、それよりも、週末に、少し遠出して温泉旅行なんてどうかしら? 健ちゃん、きっと喜んでくれるわよね…ふふっ)


彼女の口元には、珍しく、年相応の、無防備な笑みが浮かんでいた。


突然、その甘い妄想を切り裂くように、テーブルの上に置かれた、スマートフォンが、けたたましい、緊急連絡を示すアラート音を発した。

陽菜と澪からの連絡を示していた。

エミリアの表情から、一瞬で笑みが消え、深い不快感と、鋭い警戒の色が浮かぶ。


「…もうっ! 何なのよ、こんな時間に! いいところだったのに!」


舌打ちし、乱暴にスマホを手に取ると、通話ボタンを押す。

開口一番、その声は氷のように冷たかった。


「――何? 緊急じゃなければ、ただじゃおかないわよ」

『エ、エミリアさん! 大変なの! あの子たちが!』


スピーカーから聞こえてきたのは、明らかに動転した、陽菜の切羽詰まった声だった。

そして、それに続く、昨夜とは比較にならない、深刻な状況報告。

チンピラ。脅迫。『鬼塚』という名前。助けを求める声。


エミリアは、その報告を、眉間に深い皺を寄せながら聞いていた。

彼女の頭の中では、甘い妄想は跡形もなく消え去り、代わりに、苛立ちと、困惑と、そして、面倒な事態への予感が渦巻き始めていた。


(はぁ!? 何それ!? 何で、そうなるのよ!? ちょっと様子見て、仲良くなって、やんわり諭してこいって言っただけじゃない! なんで、聞いたことも無い『組織』とか『鬼塚』とかの名前が出てくるわけ!? あの子たち、一体何をどうしたら、そんな面倒事に巻き込まれるのよ!?)


計画が、早くも、そして予想外の方向へと転がり始めている。

エミリアは、こめかみを押さえ、深く、深いため息をついた。


電話の向こうでは、陽菜の必死の声が続いている。


「…だから、どうしたらいい!? 教えてくれよ、エミリアさん!」


その声に、すがるような夜組の少女たちの気配も伝わってくる。


澄み切った冬の夜空の下、それぞれの場所で、少女たちの運命が、静かに、しかし確実に、交錯し始めていた。

エミリアの、完璧だったはずの(?)計画は、早くも綻びを見せ、見えない『組織』の脅威が、すぐそこまで迫っている。この厄介な状況に、果たして彼女はどう対応するのか。それは、深い溜息の後に続く、彼女の次の言葉にかかっていた。


                    ***


木曜日の朝。

冬型の気圧配置が居座り、関東地方は昨日から続く、空気がガラスのように澄み切った快晴に恵まれていた。

しかし、その恩恵はカラカラの乾燥という代償を伴う。

窓の外、陽光を浴びて輝く高層ビル群とは対照的に、エミリアのオフィス内は、エミリア・シュナイダーの徹底した管理の下、常に最適な湿度が保たれていた。


受付カウンターでは、サスキア・デ・フリースが、背筋を伸ばし、完璧な所作でモニターに向かっている。

その姿は静謐で、まるで精密機械のようだ。

彼女の存在そのものが、このオフィスにプロフェッショナルな緊張感を与えている。

部屋の隅では、高性能な加湿器が静かに白いミストを噴き上げ、窓から差し込む明るい朝日の中で、その粒子がキラキラと舞うのが見えた。

エミリアは、自分のデスクでタブレット端末を操作しながら、ふと指先で自分の頬に触れ、その潤いに満足げな表情を浮かべた。

乾燥は美容の大敵であり、思考の妨げにもなる、というのが彼女の持論だ。


しかし、その整えられた完璧な空間と、彼女のわずかな満足感とは裏腹に、エミリアの纏う空気は、明らかにまだ不機嫌だった。

昨夜の、忌々しい出来事を引きずっているのだ。


「…はい、エミリア。今朝のダージリン」


佐藤が、淹れたての紅茶を、繊細な白磁のカップに入れて、そっと彼女のデスクに置いた。

湯気と共に、芳醇な香りが立ち上る。


「ありがとう、健ちゃん」


エミリアは、礼を言いつつも、その声にはまだ棘がある。


「…まったく、昨夜は本当に最悪だったわ。 なんでも、私が育ててあげてる、あの可愛い二人組? 陽菜と澪が、チンピラに絡まれてる女の子たちを助けようとして、逆にピンチになってるとか、わけの分からない状況になってて! しかも、相手が『鬼塚』とかいう、聞いたこともないような名前の組織を名乗ってるとか!」


エミリアは、思い出しただけでも腹が立つ、といった様子で、綺麗な眉をひそめる。


「それで、どうしようもなくなった陽菜が、私に泣きついてきたってわけ。まったく、手間のかかる子たちだわ!」

「それで…陽菜さんたちは…?」


佐藤は、心配そうに尋ねる。


「ああ、もう! だから、官舎でグーグー寝ていたであろう松田を叩き起こして、『あなたが保護した可愛い子たちがトラブルに巻き込まれてるみたいだから、大至急、現場に急行して、よろしく処理しておきなさい』って」

「それって…お願いした、ということでは…?」

「違うわ!」


エミリアは、語気を強めた。


「あれは、お願いじゃない。今まで、さんざん私をただ働きさせてきた、あの刑事への、正当な『貸し』の回収よ! 今回も、入院先の調査依頼、結局うやむやにする気満々だったし! 少しは借りを返してもらわないと、割に合わないわ!」


ふん、と鼻を鳴らすエミリア。

佐藤は、その剣幕に押されながらも、根気強く愚痴を聞き続けた。


「そ、それで、陽菜さんたちは…その、夜組? の子たちも、無事だったの?」


佐藤が、心配そうに、そして本題を促すように尋ねると、エミリアは、差し出された紅茶を一口、静かに飲んでから、少しだけ落ち着いた口調で答えた。


「ええ、まあね。『夜組』と名乗っていた子たちも、陽菜も澪も、無事よ。怪我もなかったみたい。まったく、心臓に悪いわ。…後始末は、松田がうまくやったでしょう。ああ見えても、ああいう泥臭い現場対応と、保護司さんみたいな人への説明は得意みたいだから」

「それなら、本当に良かった…」


佐藤は、心から安堵した。最悪の事態は避けられたようだ。


「でも、エミリア」


佐藤は、カップを置き、疑問に思ったことを口にした。


「その、チンピラが名乗ったっていう『鬼塚』とか、その組織? 集団? のことは、エミリアは知らなかったの?」


その質問に、エミリアは、心底不思議そうな顔をして、肩をすくめるボディランゲージを見せた。


「知らないわ、そんな名前。聞いたこともない」

「え?」

「ええ、全く。おそらく、だけど…」


エミリアは、少し考える素振りを見せた後、軽蔑の色を隠さずに言った。


「うちと契約してる情報屋が、『注目すべき新興勢力』とか『要注意団体リスト』とかで、わざわざ『新着情報』として私に報告してくるような価値も無い、ということなんでしょうね。要するに、その程度の、取るに足らない、無名な雑魚以下ってことよ」


エミリアは、まるで道端の石ころでも見るかのように、あっさりと結論付けた。


佐藤は、その言葉に、呆気にとられた。

エミリアは、裏社会の新しい動きや、新人の情報にも常にアンテナを張っている、いわば『新し物好き』でもある。その彼女が『知らない』『価値もない』と断言する組織とは、一体どれだけレベルが低いのだろうか…。

佐藤は、エミリアの傲慢さに呆れつつも、その情報網の広さと、彼女なりの価値基準の厳しさに、ある種、逆の意味で感心せずにはいられなかった。


加湿器が静かに白い蒸気を吐き出す、快適な湿度のオフィス。

窓の外の冬晴れの空の下で、エミリアは再びタブレットに視線を落とし、佐藤もまた、複雑な思いを抱えながら、自分のデスクの書類へと意識を戻した。

それぞれの時間が、また静かに流れ始める。

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