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東京影譚 ~エミリア、影を紡ぐ者~  作者: ミルティア


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空虚な椅子と、歪な礎石 其四

この物語はフィクションです。

この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。


ようこそ、東京の影の中へ。

ここは、光が滅び、影が支配する世界。

摩天楼が立ち並ぶ、華やかな都市の顔の裏側には、深い闇が広がっている。

欲望、裏切り、暴力、そして死。

この街では、毎夜、人知れず罪が生まれ、そして消えていく。

あなたは、そんな影の世界に生きる、一人の女に出会う。

彼女の名は、エミリア・シュナイダー。

金髪碧眼の美しい姿とは裏腹に、冷酷なまでの戦闘能力を持つ、凄腕の「始末屋」。

幼い頃に戦場で、彼女は愛する家族を、理不尽な暴力によって奪われた。

それは、彼女が決して消すことのできない傷となり、心を閉ざした。

今もなお、彼女は過去の悪夢に苛まれ、孤独な戦いを続けている。

「私は、この世界に必要とされているのだろうか?」

「私は、幸せになる資格があるのだろうか?」

深い孤独と絶望の中、彼女は自問自答を繰り返す。

だが、運命は彼女を見捨てなかった。

心優しい元銀行員の相棒、エミリアの過去を知る刑事、そして、エミリアの過去を知る謎めいた女ライバル。

彼らとの出会いが、エミリアの運命を大きく変えていく。

これは、影の中で生きる女の物語。

血と硝煙の匂いが漂う、危険な世界への誘い。

さあ、ページをめくり、あなたも影の世界へと足を踏み入れてください。

そして、エミリアと共に、非日常の興奮とスリル、そして、彼女の心の再生の物語を体験してください。

あなたは、エミリアに、どんな未来を見せてあげたいですか?

…この物語は、Gemini Advancedの力を借りて、紡がれています。

時に、AIは人間の想像を超える unexpected な展開を…

時に、AIは人間の感情を揺さぶる繊細な表現を…

Gemini Advancedは、新たな物語の世界を創造する、私のパートナーです。


この作品はカクヨムにて先行公開しており、こちら(小説家になろう)では遅れて公開となります。あらかじめご了承ください。


ただし、どうか忘れないでください。

これは、あくまでフィクションだということを。

This is a work of fiction. Any resemblance to actual events or persons, living or dead, is purely coincidental.


Ceci est une œuvre de fiction. Toute ressemblance avec des événements réels ou des personnes, vivantes ou mortes, serait purement fortuite.


Dies ist ein Werk der Fiktion. Jegliche Ähnlichkeit mit tatsächlichen Ereignissen oder lebenden oder verstorbenen Personen ist rein zufällig.


นี่คือนิยายที่แต่งขึ้น บุคคล สถานที่ หรือเหตุการณ์ใดๆ ที่ปรากฏในเรื่อง หากบังเอิญคล้ายคลึงกับบุคคล สถานที่ หรือเหตุการณ์จริง ทั้งที่ยังมีชีวิตอยู่หรือเสียชีวิตไปแล้ว ถือเป็นเรื่องบังเอิญทั้งสิ้น


(この作品はフィクションです。実在の出来事や人物、存命・故人との類似はすべて偶然です)


火曜日、朝。警視庁 刑事部 捜査第一課フロア


空は、西高東低の冬型の気圧配置がもたらした、突き抜けるような青空だった。

窓から差し込む朝日は、鋭く、そして冷たく、埃っぽいオフィスに、非情なまでのコントラストを描き出している。

しかし、その冬晴れの清々しさとは裏腹に、捜査第一課のフロアは、日曜日から続くであろう、重く、淀んだ、そして異常なまでの緊張感と疲労感に支配されていた。


電話のベルが、ひっきりなしに鳴り響いている。

キーボードを叩く音、書類をめくる音、そして、誰もが睡眠不足とストレスで逆立った神経を隠そうともせず、低い声で交わされる、怒号にも似た業務連絡。

おそらくは、週末に発生した、あの湾岸トンネルの大規模水没・窃盗事件の対応に、フロア全体が忙殺されているのだろう。


そんな喧騒の真っ只中に、松田は、場違いなほどにくたびれた姿で、自分のデスクの前に立っていた。

関西からの格安バスで、昨夜、東京駅に着いたばかり。

体は、硬いシートのせいで、バキバキに軋んでいる。

頭は、寝不足と、昨夜、係長から一方的に言い渡された理不尽な決定への怒りで、重く、鈍く痛んだ。


昨夜、彼がバスを降り、疲れ果てて本庁に到着した時、係長は、関西への『謝罪行脚』に出発する、まさにその準備中だった。

そして、彼は、満面の、しかし、その裏にドス黒い怒りを隠した『ネコナデ声』で、松田に、とんでもない『置き土産』をしていったのだ。


『松田ぁ。俺が、可愛い可愛い部下の貴様のために、俺の、そして、俺の家族の、一生の心の傷になるやもしれん、屈辱的な『土下座』謝罪行脚に、わざわざ関西まで行ってやるんだぞぉ? なぁ? それに対して、お前も、少しは、反省を示す『誠意』ってもんを、形で見せるべきだよなぁ? ああ?』

『係長。いくらなんでも、それは、反社会的…』

『松田!! 貴様、この状況で、まだ、自分が被害者だとでも言うつもりか!? 裏社会の連中と、ズブズブの関係にあると、もっぱらの噂のお前が、どの口で、そんなことを言うんだ!?』


係長は、普段の冷静さを完全に失い、その顔を怒りで真っ赤にしながら、松田に詰め寄った。


「いいか!? お前も、初心に帰って、その、腐った根性を叩き直す必要がある! 明日から、制服を着て、勤務に励め! いいな!!」

「し、しかし、係長、私は捜査一課の…」

「ま・つ・だぁ~! 俺が! お前の! 代わりに! 行くんだぞ!? それくらい、やれよなぁ!? ああ!?」


…こうして、松田は、捜査第一課に籍を置いたまま、『反省と誠意を示す』という名目で、制服を着て、本来なら地域課の若手が行うような雑務に従事するという、前代未聞かつ屈辱的な状況に、正式に(そして、おそらくは期間限定で)巻き込まれたのである。


彼は、ロッカーから引っ張り出してきた、あるいは、支給係から半ば投げつけられた、ビニールに包まれたままの真新しい警察官の制服に、今、まさに悪戦苦闘していた。

糊が効きすぎてバリバリと音を立てるワイシャツ、首に食い込む硬い襟、微妙にサイズの合わないズボン…。

鏡に映る自分の姿は、まるで、場末の劇団の、やる気のないエキストラのようだった。

そして、何よりも、この、個性を拒絶する青い制服が、今の彼の、やさぐれて、不満と疲労に満ちた心と、絶望的なまでに釣り合っていなかった。


(…ったく、どこの世界に、捜査一課の刑事が制服着てビラ配りなんてやらされるんだ…係長の野郎、覚えてやがれ…)


松田が、心の中で毒づきながら、最後のボタンを、苛立ちと共に留めようとした、その時だった。


「松田さん! おはようございます!」


背後から、不意に、明るく、しかし、どこか場違いなほどに、凛とした声がかかった。


振り返ると、そこには、いつもの、動きやすさを重視した、しかし、彼女のスタイルの良さを際立たせる、ラインの綺麗なグレーのパンツスーツ姿の桜井刑事が、片手にテイクアウト用のコーヒーカップを持ち、悪戯っぽい、しかし挑戦的な笑みを浮かべて立っていた。

彼女の服装は、普段、捜査部のフロアで見かける、颯爽とした私服刑事のそれと、何も変わらない。

だからこそ、今、屈辱的な警察官の制服を無理やり着せられている松田の姿との対比が、残酷なほどに、そして、どこか滑稽なまでに、際立っていた。


「…桜井。お前、なんで、ここにいるんだ? しかも、俺はこのザマだぞ…? お前は、いつも通りじゃないか」


松田は、驚きと、当惑と、そして、わずかな自嘲で、言葉を失った。

自分が、こんな屈辱的な扱いを受けているのに、なぜ、将来有望なはずの彼女が、わざわざ、自分と行動を共にしているのか? まるで、見せしめか、あるいは、お守り役か?


「いいえ? 私は、今日から、正式に、再び松田さんの相棒として、ご一緒させていただきます。何か、問題でも?」


桜井は、きっぱりと言い放つ。

その瞳には、からかいとは違う、真剣な光が宿っていた。


「捜査部の皆さんには、それはもう、泣いて引き留められましたけどね。『桜井君! 君ほどの、将来を嘱望された逸材が、なぜ、わざわざ、あの組織の厄介者(松田のことだ)と組んで、キャリアの傷にしかならない事を…!? 再考してくれ!』って。でも、きっぱり、お断りしました」


松田は、自分のような『問題児』とコンビを組んだままでは、彼女の、輝かしいはずのキャリアに、取り返しのつかない傷がつくと、昨夜、電話越しに、何度も、真剣に警告した。

しかし、彼女は、頑として、その決定を覆そうとはしなかった。


桜井は、松田の、窮屈そうな制服姿を、上から下まで、楽しそうに(あるいは、興味深そうに)眺めると、言った。


「でも、松田さん…。その制服姿も、意外と、お似合いですよ? もっと、こう、ベルトの上にお腹が乗っかっているかと、想像していたのですが? 日頃の不摂生が祟って」


軽口を叩く余裕は、まだ、あるらしい。


「…桜井、お前が俺と相棒のままだと知って、うちの係の若い連中、全員、本気で号泣してたぞ? 『俺たちの希望の星が…』ってな」


松田は、苦々しく言い返す。


「あらあら。光栄ですね」


桜井は、全く悪びれずに笑う。


「でも、松田さん。細かいことは、良いじゃないですか?」


彼女は、まるで、これから楽しいイベントにでも行くかのように、声を弾ませた。


「それより、今日の私たちの大事な任務! 駅前で、特殊詐欺被害防止キャンペーンの、ビラ配り、でしたよね? 最近、本当に被害が増えていますから! 地域住民の安全を守る、これも、私たち警察官の、立派な、大事な防犯活動です! さあ、松田さんも、気合を入れて、頑張りましょう!」


彼女は、なぜか、キラキラと目を輝かせている。

その手には、大量の『特殊詐欺に注意!』と書かれたチラシの束が握られていた。


松田は、その、あまりにも場違いな、そして理解不能な、桜井の異常なまでの張り切りように、もはや、戸惑いを通り越して、眩暈さえ覚えていた。


(こいつ、本当に、頭でも打ったんじゃないのか…? それとも、俺への嫌がらせを、本気で、心の底から、楽しんでるのか…?)


しかし、桜井の真意は、別のところにあった。

トンネル工事現場で考えた、松田の持つ、あの、常識や組織の論理では測れない、規格外の『突破力』。

それを、もう少しだけ、この人の一番近くで、見てみたい。

そして、もしできるなら、学びたい。

ただ、それだけだったのだ。

彼女にとって、今日のビラ配りは、そのための、絶好の『観察』の機会でしかなかった。


                    ***


火曜日の朝。通勤ラッシュの激しい波が嘘のように引き、都内某私鉄の、巨大なターミナル駅のコンコースには、穏やかな、しかしどこか気だるいような、平日の午前中の空気が流れていた。

冬晴れの空から差し込む、低い角度の太陽光が、磨かれた床に、明るい光の筋を描いている。


「…ふぅ、終わったか」


松田は、配り終えて空になったチラシを入れてあった紙袋を片付けながら、重いため息をついた。

駅前での『特殊詐欺被害防止キャンペーン』のビラ配り。

それが、今日の、そしておそらくは、当面の間の、自分に与えられた『任務』だった。

予想外に早く終わったのは、ひとえに、今、自分が着ている、この忌々しい『制服』のおかげだろう。

普段なら、胡散臭がって誰も受け取らないようなチラシを、今日は、多くの人が、特に高齢の女性などが、「ご苦労様です」と、労いの言葉と共に、素直に受け取っていったのだ。


「松田さん。やっぱり、制服姿だと効果抜群ですね」


隣で、同じようにチラシを入れてあった紙袋を片付けていた桜井が、感心したような、それでいて、明らかに面白がっている口調で言った。


「変な勧誘とかじゃなくて、本物の警察官だって、一目で分かりますもんね。いっそ、このまま、ずっと制服で勤務されたらどうですか? 警視庁の広報活動のエースになれるかもしれませんよ?」


彼女は、悪戯っぽい笑みを浮かべて、松田を見上げた。

そのパンツスーツ姿は、いつも通りの、颯爽とした刑事のそれであり、それが余計に、制服姿の自分の惨めさを際立たせているようで、松田は内心で舌打ちした。


「いやいや、」


松田は、窮屈な制服の襟元を指で緩めながら、苦笑いを浮かべて答えた。

声には、諦念が滲む。


「俺みたいな、くたびれたオッサンより、桜井みたいな、きりっとした若い美人が制服着た方が、よっぽど効果があるだろうよ、きっと。みんな、喜んで、チラシどころか、差し入れまでしてくるんじゃないか?」


彼の口調は、いつものぶっきらぼうさよりは、少しだけ、年相応の、そして状況を受け入れたかのような、穏やかさが混じっていた。


「そうですか? 制服ですか…」


桜井は、わざとらしく、うーん、と考えるふりをした。


「まあ、私が着てもいいですけど…その場合、係長の胃、本当に、持ちますかね? 心配です」


彼女は、意味ありげに、くすくすと笑う。


「はあ? 桜井の制服姿と、係長の胃袋に、一体、どんな因果関係があるって言うんだ?」


松田は、怪訝な顔で聞き返した。

桜井は、ふっと、悪戯っぽい笑みを消すと、真顔になり、少し声を潜めて、しかし、確信に満ちた、鋭い口調で言った。


「だって、係長が、松田さんに、この、本来ありえないはずの『制服勤務』を、わざわざ命じた、本当の理由ですよ」


彼女の、普段は真面目一辺倒に見える瞳が、知的な光を宿して、細められる。


「表向きは、『初心に帰れ』だの『反省の意を示せ』だの、もっともらしい、おためごかしを並べていますけど、…その裏にある、本当の狙いは、二つ。一つは、もちろん、松田さんが、あまりの屈辱に、自分から辞表を書きたくなるように仕向ける、陰湿な精神的嫌がらせ。そして、もう一つ…こっちが、おそらくは、係長の本音でしょうけど…」


彼女は、周囲に人がいないことを、素早く確認するように、一瞬だけ視線を走らせた。


「…捜査官として、最も動きにくく、目立つ格好(制服)をさせることで、松田さんを、物理的に、そして心理的に、『無力化』することですよ。この制服姿では、潜入も、張り込みも、…もちろん、例の関西での一件みたいに、組織に黙って、勝手に管轄外に飛び出して、個人的な聞き込みや、危険な調査をすることも、事実上、不可能になる。…つまり、係長なりの、巧妙で、そして、悪質な『飼い殺し』ですよ。厄介払いはしたい、でも、政治的な理由でクビにはできない。だから、飼い殺しにする」


桜井は、そこまで言うと、再び、今度は、少しだけ同情的な、しかし、やはりどこか面白がっているような、複雑な表情を浮かべた。


「それなのに、私が、その係長の意図を理解した上で、あえて制服まで着て、松田さんと一緒に、この『飼い殺し』状態に甘んじていたら…さすがの係長も、ご自身の『策謀』のえげつなさと、その結果(期待の若手まで道連れ)に、罪悪感…は感じないまでも、面倒な責任問題になる、と感じて、胃に穴が開いちゃうんじゃないかな? と思いまして」

「…………」


松田は、絶句していた。

桜井の、あまりにも的確で、そして、あまりにも冷徹な分析。

そうだ、言われてみれば、その通りだ。

単なる嫌がらせや、感情的な報復などではなかった。

あれは、自分が、組織にとって『邪魔』で『危険』で『扱いにくい』存在だからこそ、合法的に、しかし確実に、捜査の現場から排除するための、計算され尽くした『策謀』だったのだ。


係長に対する、ほんのわずかに残っていた、「あの人も、俺のせいで、板挟みで大変なんだろうな」という、同情にも似た気持ちが、…桜井の、その鋭すぎる分析を聞いた瞬間、完全に、跡形もなく、粉々に消し飛んでいた。

残ったのは、この、巨大で、不条理で、そして、時に、信じられないほど陰湿な、警察という組織そのものへの、冷たい、深い、諦念にも似た怒りだけだった。


(…あの、クソ狸親父め…! そこまで、考えて、俺を、飼い殺しにするつもりだったのか…!)


彼は、奥歯を、ギリリ、と強く噛み締めた。

そして、同時に、自分の浅はかさを、改めて思い知らされた。

関西での行動、保護司への依頼…それらが、巡り巡って、こんな形で、自分と、そして、おそらくは係長の首を絞めることになるとは…。


(…やりすぎた…か…俺も…)


松田は、初めて、心の底から、自分の行動が招いた結果の、その複雑さと、重さを、痛感していた。

彼は、もう一度、重いため息をつくと、隣で、心配そうに(しかし、その瞳の奥には、強い好奇心を宿して)自分を見つめている、若く、優秀な、そして、なぜか自分から離れようとしない、この奇妙な相棒に向き直った。


「…分かったよ、桜井。お前の言う通りかもしれん。…悪かったな、お前まで、こんな、つまらん仕事に付き合わせて」


彼の声には、いつものような、ぶっきらぼうな響きではなく、年齢相応の、深い疲労と、そして、ほんの少しの、心からの反省の色が、滲んでいた。


                    ***


「あ、あの…すみません。警察の方…ですよね?」


少し離れた場所から、遠慮がちに、しかし、芯のある、澄んだ声がかけられた。


声のした方を見ると、小柄な、白髪を綺麗にまとめた、上品そうな老婦人が、一人、こちらを不安げな、しかし、何かを決意したような目で見つめていた。

手には、買い物用の小さなカートが握られている。

服装は、地味だが、清潔で、きちんと手入れされているのが分かった。


「ええ、そうですけど…こんにちは、お母さん」


松田は、驚いた。

自分の口から、これほど自然に、穏やかで、優しい声が出たことに。

彼は、反射的に、制服の襟元を正し、老婦人の目の高さに合わせるように、わずかに腰を屈めた。

隣の桜井も、驚いたように一瞬、目を見開いたが、すぐに、柔らかい、安心させるような微笑みを浮かべ、松田の隣に立った。


「どうかなさいましたか? 何か、お困りごとですか?」


松田は、できるだけ、威圧感を与えないように、ゆっくりと尋ねた。


「あ、ありがとうございます…お忙しいところ、本当に申し訳ありません…」


老婦人――鈴木富子と名乗った――は、何度も頭を下げながら、震える声で、しかし、懸命に、言葉を紡ぎ始めた。その目は、必死だった。


「わたくし、このすぐ近くの、〇〇町に住んでおります、鈴木と申します。実はですね、わたくしの、お隣の家の、…加藤さんのことで、ご相談がありまして…」


彼女は、少し声を潜め、心配そうな表情で続ける。

その皺の刻まれた顔には、寝不足の色も見える。


「加藤さんは、もう80歳を過ぎてらっしゃる、一人暮らしの男性でしてね。奥様にも、もう十年以上前に先立たれて…。それが、一月ほど前から、ご持病が悪くなられて、今は、少し遠くの、大きな病院に、長いこと入院されてるんです。それで、家が、ずっと留守になっておりまして…。それで、…それでですね、数日前からなんですけどね…!」


鈴木さんの声のトーンが、明らかに切迫したものに変わった。


「その、加藤さんの、誰もいないはずの留守宅に、どうも、見慣れない…なんというか、こう、目つきの悪い、…柄の悪そうな、若い男の人たちが、何人か、勝手に出入りして、…まるで自分の家みたいに、住み着いちゃってるようなんですよ!」


彼女の声には、恐怖と、抑えきれない怒りの色が混じっていた。


「夜中も、時々、ガヤガヤとした話し声や、ドンドンと大きな物音が聞こえたりして、…正直、気味が悪くて…。それで、心配になって、昨日、近くの交番にも、相談に行ったんです」


彼女は、そこで、はぁ、と深いため息をついた。その息も、白く、頼りない。


「そしたら、若いお巡りさんが、一度は、家まで様子を見に行ってくれたんですが…中にいた連中がですね、『いやあ、加藤さんとは古い付き合いでね。入院中、家の空気の入れ替えとか、簡単な管理を頼まれてるんですよ。だから、時々、泊まらせてもらってるんだ』なんて、へらへら言い訳するもんですから…。お巡りさんも、『そうですか、ご苦労様です』なんて言って、それ以上、強くは言ってくれなくて…。『所有者ご本人からの被害届がないと、すぐには、民事不介入で…』なんて、難しいこと言って、すぐに帰ってしまわれて…」


その声には、諦めと、警察への、わずかな不信感が滲んでいた。


「でもねぇ、刑事さん!」


鈴木さんは、今度は、松田と桜井の顔を、一人一人、真っ直ぐに見つめて、強く訴える。

その、年齢を感じさせない、強い光を宿した目で。


「どう考えても、おかしいんですよ! あの、真面目で、少し頑固なくらい、几帳面な加藤さんが、見ず知らずの、あんな、チンピラみたいな若い衆に、大事な、自分の終の棲家を、『管理してくれ』なんて、頼むはずがないんです! 絶対に、何か、よからぬことを企んでいるに違いありません! このまま放っておいたら、加藤さんの家が、乗っ取られてしまうんじゃないか、あるいは、もっと物騒な犯罪の、隠れ家や、アジトにでもなっているんじゃないかって、心配で、心配で…ここ数日、夜も、ろくに眠れないんです! 本当に申し訳ありません、こんな、ただの近所の心配事で、お忙しい刑事さんたちのお時間を取らせてしまって…。でも、どうか、どうか、もう少しだけ、詳しく、あの家のことを、調べていただけませんでしょうか…? この通り、お願いしますだ…」


彼女は、そう言うと、小さな体をさらに縮こませるようにして、深く、深く、頭を下げた。

その震える小さな背中には、地域社会の平穏と、長年見守ってきた隣人への、切実な思いが、ひしひしと込められていた。


松田と桜井は、顔を見合わせた。

松田の瞳には、既に、面倒な『雑務』へのうんざり感ではなく、目の前の『事件』の匂いに対する、刑事としての、鋭い光が宿り始めていた。


                    ***


太陽は、既に西へと傾き始め、冬の午後の、頼りなくも澄んだ光を、古い家並みが続く住宅街に投げかけていた。

桜井が運転する、地味なセダンタイプの覆面パトカーは、助手席に、窮屈そうな制服姿の松田を乗せ、私鉄沿線のかつての『新興住宅地』…今は、高齢化が進み、昼下がりには人影もまばらな、静寂に包まれた細い道を、ゆっくりと進んでいた。

車窓からは、手入れされた小さな庭や、懐かしいデザインの門構えが見えるが、どこか活気は失われている。

車内には、警察無線の、時折入る、ノイズ混じりの音声と、暖房の微かな作動音だけが響いていた。


「…松田さん」


桜井は、前方の道を慎重に確認しながら、バックミラー越しに、助手席で腕を組み、苦虫を噛み潰したような顔をしている松田に、静かに問いかけた。


「先ほどの、鈴木さんのお話…いわゆる『占有屋』の類でしょうか?」

「…さあな」


松田は、窓の外の、変化の少ない景色に目をやったまま、吐き捨てるように答えた。


「正直、ああいう、古典的な手口の犯罪は、法改正や、昔の集中取り締まりで、もう、ほとんどいなくなったもんだと思っていたんだがな…」


彼は、胸ポケットから、使い古された手帳とボールペンを取り出すと、膝の上で、先ほどの鈴木さんの証言内容を、思い出すように、あるいは、思考を整理するように、几帳面な文字で書き込み始めた。

その横顔には、深い疲労と、やるせない苛立ちの色が浮かんでいる。


「それで、松田さん」


桜井は、彼のその横顔に、何かを読み取ろうとするかのように、少しだけ声のトーンを落として、続けた。


「現場に着いたら、…何か、有効な捜査の手法はありますか? こういうケース、私は、あまり経験がなくて…」


彼女の声には、純粋な疑問と共に、この型破りな先輩刑事の『やり方』を学びたい、という、隠された好奇心が滲んでいた。


松田は、ペンを走らせる手を止め、ふぅ、と、息を吐き出した。


「…まあ、セオリー通りなら、まずは家主(加藤さん)の親族を探して、被害届を出してもらうのが筋だろうな。だが、入院中で、身寄りもいない(あるいは疎遠)となると、時間がかかる。その間に、連中が何を仕掛けてくるか分からん」


彼は、そこで一度、言葉を切り、助手席の窓から、目的地の家が近づいてくるのを、鋭い目で見定めた。


「…一度、交番の制服警官が訪問して、『口約束だ』で追い返されているんだろう?」

「はい、鈴木さんの話では…」

「なら、話は早い」


松田は、初めて、桜井の方へと顔を向けた。

その目には、いつもの、刑事としての、鋭い光が戻っていた。


「桜井、今回は、お前が、インターフォンを押して、中の連中に話を聞いてみろ」

「え? 私が、ですか?」


桜井は、意外な指示に、少しだけ戸惑いの声を上げた。


「職務質問でしたら、私より、経験豊富な松田さんが直接、お話された方が、効果的ではないかと…」

「いや、逆だ」


松田は、首を横に振った。


「連中はな、一度、『制服警官』を、もっともらしい言い訳でけむに巻いた、という『成功体験』を持っちまってる。だから、今、同じ『制服』を着た俺が、インターフォンを押したところで、大して動揺もしないだろう。『ああ、また来たか』くらいにしか思わんはずだ」


彼は、自分の、この窮屈で屈辱的な制服を、自嘲するように、軽く叩いた。


「だがな、桜井」


彼の目が、悪戯っぽく光る。


「お前は違う。私服で、若くて、しかも、いかにも『本庁のエリートキャリア様』って雰囲気を漂わせている。そういう、予想外のタイプの人間が、突然、現れて、冷静に、理詰めで質問してきたら、どうだ? あの手の、根は小心者の連中は、内心、かなり動揺するはずだ。あるいは、なめてかかって、油断して、思わぬ『ぼろ』を出すかもしれん」

「…なるほど」

「だから、お前が、表で話を聞け。俺は、お前の、その『キャリアの威厳』とやらの影に隠れて、一歩下がったところから、連中の表情や、仕草、部屋の中の様子なんかを、じっくりと、観察させてもらう。それで、何か、引っかかることがあれば、俺が、その場で突っ込む」


桜井は、松田の、その、一見、単純な役割分担に見えて、実は、相手の心理を巧みに利用しようとする、きめ細やかな『心理戦』の戦術に、内心、舌を巻いた。

ただの嫌がらせで制服を着せられていると思っていたが、…この人は、どんな状況でも、刑事としての思考を止めないのだ。


「…分かりました」


桜井の口元に、好戦的な、挑戦的な笑みが浮かんだ。


「承知しました、松田警部補(彼女は、あえて階級で呼んだ)。それでは、私が、思いっきり『エリートらしさ』を前面に出して、彼らを揺さぶってみましょう。お手並み拝見、といきましょうか」


桜井は、職務質問という、通常ならストレスの多い仕事が、今は、なぜか、少しだけ、ワクワクするような、スリリングなゲームのように思えてきていた。

覆面パトカーは、目的地の、古い一軒家の前に、静かに、停車した。

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