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東京影譚 ~エミリア、影を紡ぐ者~  作者: ミルティア


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73/350

空虚な椅子と、歪な礎石 其三

この物語はフィクションです。

この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。


ようこそ、東京の影の中へ。

ここは、光が滅び、影が支配する世界。

摩天楼が立ち並ぶ、華やかな都市の顔の裏側には、深い闇が広がっている。

欲望、裏切り、暴力、そして死。

この街では、毎夜、人知れず罪が生まれ、そして消えていく。

あなたは、そんな影の世界に生きる、一人の女に出会う。

彼女の名は、エミリア・シュナイダー。

金髪碧眼の美しい姿とは裏腹に、冷酷なまでの戦闘能力を持つ、凄腕の「始末屋」。

幼い頃に戦場で、彼女は愛する家族を、理不尽な暴力によって奪われた。

それは、彼女が決して消すことのできない傷となり、心を閉ざした。

今もなお、彼女は過去の悪夢に苛まれ、孤独な戦いを続けている。

「私は、この世界に必要とされているのだろうか?」

「私は、幸せになる資格があるのだろうか?」

深い孤独と絶望の中、彼女は自問自答を繰り返す。

だが、運命は彼女を見捨てなかった。

心優しい元銀行員の相棒、エミリアの過去を知る刑事、そして、エミリアの過去を知る謎めいた女ライバル。

彼らとの出会いが、エミリアの運命を大きく変えていく。

これは、影の中で生きる女の物語。

血と硝煙の匂いが漂う、危険な世界への誘い。

さあ、ページをめくり、あなたも影の世界へと足を踏み入れてください。

そして、エミリアと共に、非日常の興奮とスリル、そして、彼女の心の再生の物語を体験してください。

あなたは、エミリアに、どんな未来を見せてあげたいですか?

…この物語は、Gemini Advancedの力を借りて、紡がれています。

時に、AIは人間の想像を超える unexpected な展開を…

時に、AIは人間の感情を揺さぶる繊細な表現を…

Gemini Advancedは、新たな物語の世界を創造する、私のパートナーです。


この作品はカクヨムにて先行公開しており、こちら(小説家になろう)では遅れて公開となります。あらかじめご了承ください。


ただし、どうか忘れないでください。

これは、あくまでフィクションだということを。

This is a work of fiction. Any resemblance to actual events or persons, living or dead, is purely coincidental.


Ceci est une œuvre de fiction. Toute ressemblance avec des événements réels ou des personnes, vivantes ou mortes, serait purement fortuite.


Dies ist ein Werk der Fiktion. Jegliche Ähnlichkeit mit tatsächlichen Ereignissen oder lebenden oder verstorbenen Personen ist rein zufällig.


นี่คือนิยายที่แต่งขึ้น บุคคล สถานที่ หรือเหตุการณ์ใดๆ ที่ปรากฏในเรื่อง หากบังเอิญคล้ายคลึงกับบุคคล สถานที่ หรือเหตุการณ์จริง ทั้งที่ยังมีชีวิตอยู่หรือเสียชีวิตไปแล้ว ถือเป็นเรื่องบังเอิญทั้งสิ้น


(この作品はフィクションです。実在の出来事や人物、存命・故人との類似はすべて偶然です)


月曜日の夜、七時少し前。

日が落ちて久しい東京の空は、厚い雲に覆われ、星も見えない。

しかし、街自体が放つ、無数の光のサインやビルの明かり、車のヘッドライトが、空気をオレンジ色と白に染め上げ、本当の闇夜の訪れを拒んでいた。


エミリアが指定した、都内の、繁華街から一本入った裏通り。

佐藤は、白いコンパクトカーの運転席で、息を殺し、ハンドルを握る手にじっとりと汗を滲ませていた。

エンジンはかけたまま、ライトは消灯している。

人通りは、表通りに比べれば少ないが、それでも、時折、酔客や、家路を急ぐ人々が通り過ぎていく。

佐藤は、エミリアの予測通りに、ターゲット…村田健二が、この道を通るのか、そして、作戦は、本当にうまくいくのか、心臓をバクバクさせながら、通りの向こうにある、古びたネットカフェの入り口を、慎重に見守っていた。


そして、予測時刻ぴったりに、そのガラスドアが開き、数人の男たちが出てきた。

中心にいるのは、小野寺雅美が見せた、あの不快な写真と同じ顔…村田健二だ。

安物の、しかし派手な上着を着て、ポケットに手を突っ込み、やけに顎を上げて、肩で風を切るように歩いている。

その後ろには、同じように、どこか場末感の漂う、三、四人の若い男たちが、だらだらと、しかし、虚勢を張るように、胸を反らせてついてきていた。

彼らは、互いに、下品な冗談を言い合ったり、意味もなく周囲を睨みつけたりしている。

しかし、その歩き方、その視線の配り方、その全身から漂う雰囲気は、佐藤の目から見ても、どこか、アクション映画か、三流の不良漫画の主人公を、素人が、一生懸命、しかし滑稽なまでに、真似しているようにしか見えなかった。本物の『ワル』が持つ、静かな、しかし底知れない、あの威圧感や、隙のない動きとは、全くの別物だ。


(…やっぱり、クロガネさんとは、月とスッポンだな…)


佐藤は、その、あまりにも分かりやすい『虚勢』を見ながら、無意識に、以前対峙した、あの裏社会の大物、黒木剛の姿を思い出していた。

クロガネがこの光景を見たら、「あんな、名前も知らんチンピラ共と、この俺様を比較するんじゃねえ!」と、間違いなく激高するだろう。

しかし、佐藤にとっては、エミリアという、絶対的な戦闘能力を持つ存在が、常に比較の基準として、頭の中に刷り込まれてしまっている。

そのエミリアの前でさえ、どこか小さく見えながらも、決して失われなかった、あのクロガネの持つ、静かで、重い、本物の『迫力』。

それに比べれば、目の前の、虚勢だけで中身のない連中の威嚇など、子供の癇癪のようにさえ思えてしまう。

佐藤は、自分が、いつの間にか、そんな比較をしてしまっていることに、わずかな驚きと、そして、エミリアの世界に染まりつつあることへの、一抹の不安を覚えていた。


彼が、そんな思考に一瞬、気を取られている間に、助手席から、エミリアの気配が、音もなく消えていた。

そして、次の瞬間、彼は、目を疑った。

エミリアが、まるで、最初から、彼らグループの最後尾にいたかのように、…あるいは、闇から滲み出た、彼らにしか見えない影のように、ごく自然に、村田健二の、真後ろに、ぴったりと張り付いていたのだ。

村田も、他の取り巻き連中も、誰一人、すぐ後ろに、金髪碧眼の美しい『死神』が迫っていることに、全く気づいていない。

そのプロフェッショナルな、完璧な潜入技術。


エミリアは、佐藤が、自分の存在に気づくのを、まるで待っていたかのように、後ろ手に組んだ、白い手袋をはめた右手を、小さく、しかし明確に、三度、くいっ、くいっ、くいっ、と上げた。合図だ。


(来た!)


佐藤は、反射的に息を詰め、心臓が喉までせり上がってくるのを感じながら、ステアリング中央のホーンボタンを、震える指で、しかし、指示通り、一回だけ、短く、鋭く、叩いた!


プッ!!


静かな裏通りに、不意打ちの、甲高いクラクションが、突き刺すように響き渡る!


途端に、村田健二とその取り巻き連中は、文字通り、獣のように、憎悪と殺意に満ちた形相で、一斉に、佐藤の車の方を、これでもかというほどの、品性下劣なメンチを切って、睨みつけた!


「あ”あ”!?」

「なんだ、テメェ、コラ!」

「ゴルァ!」


口々に、聞くに堪えない、汚い罵声が、車内にまで届きそうな勢いで飛んでくる。


エミリアから「大丈夫、予想通りよ」と、あれほど聞かされていたにも関わらず、その、剥き出しの、野蛮な敵意と暴力性に、佐藤の肝は、完全に冷え切っていた。足が、ガクガクと震える。


その、佐藤が恐怖で硬直し、村田たちが車に向かって怒鳴りつけている、ほんの数秒の、混沌とした時間の間に、エミリアの『仕事』は、既に終わっていたのだろう。

彼のスマートフォンが、ポケットの中で、ブルリと短く震えた。

慌てて画面を見ると、エミリアからの、ごく短いメッセージ。


『完了。近くのコンビニ駐車場。5分後』。


佐藤は、まだこちらを睨みつけ、悪態をつき続けている連中に気づかれないよう、慌てて、しかし、できるだけ静かに、車のギアをドライブに入れ、アクセルを、ゆっくりと、踏み込んだ。心臓は、まだ、激しく脈打っている。


指定されたコンビニの、煌々と明るい駐車場に滑り込むと、ほぼ同時に、店の入り口の影から、何事もなかったかのように、エミリアが、すっと現れ、慣れた様子で、素早く後部座席のドアを開けて乗り込んできた。


佐藤は、バックミラー越しに、後部座席のエミリアを見た。

彼女は、既に、小さなピンセットと、DNA鑑定キットに付属していた、透明なチャック付きの滅菌済みビニールパケを取り出し、その中に、今しがた採取したであろう、ターゲットの黒い、やや脂っぽい毛髪を、…数本どころか、明らかに数十本はありそうな量を、手際よく、しかし、指紋一つつけない、完璧な手順で、保管していた。

まるで、希少な昆虫標本でも扱うかのように、丁寧かつ迅速に。

これぞ、プロの仕事だ、と佐藤は思った。


「ふふ、相手が、あまりにも分かりやすく油断しすぎていたから」


エミリアは、作業を終えると、けらけらと、心底楽しそうに笑いながら、佐藤に話しかける。


「つい、予定より、サービスで、たくさん、引っこ抜いちゃったわ。これだけあれば、鑑定も確実、100パーセント保証付きね!」


その、あまりにも無邪気な、しかし、やっていることの恐ろしさとのギャップに、佐藤は、もはや眩暈さえ覚える。


「さて、これで『記念品』の採取は完了だけど、…鑑定結果が出るまでには、いくら特別ルートを使っても、早くても数日かかるから、それまでは、私たちも、しばらくは何もできないわね」


エミリアは、パケを慎重に証拠品袋に入れながら、続ける。


「まあ、念のため、氷川 鏡花には、『村田健二っていう、質の悪い虫が、小野寺さんの周りをうろついてるみたいだけど、あなた(の配下の闇金)は、彼とは一切、取引しない方が、身のためよ』って、軽く、注意だけはしておくけど」


佐藤は、ハンドルを握りしめたまま、ただ、静かに聞いていた。


「大丈夫よ。彼女には、ちゃんと『見返り』(=小野寺家の問題解決という、彼女にとっても間接的な利益、あるいは、別の価値ある情報)を用意してあげるんだから。有益な情報提供に対して、あの貪欲な女だって、文句は言わないでしょう!」


エミリアは、自信満々に、そう付け加えた。その横顔は、既に、次の『ゲーム』へと意識が向いているようだった。


                    ***


「――まもなく、終点、東京駅日本橋口に到着いたします。車内にお忘れ物のないよう、ご注意ください。…長い間のご乗車、お疲れさまでした」


車内アナウンスの、感情のこもらない、テープを再生したような声が、松田の、硬いシートと不自然な姿勢で痺れ切った体を、不快な現実へと引き戻した。

月曜日の夜。

週末の喧騒が少しだけ落ち着きを取り戻し始めた、巨大都市の入り口。

関西ナンバーの、車体に煤と長距離移動の疲労を滲ませた高速バスは、定刻を三十分以上過ぎて、ようやく、東京駅の、巨大なバスターミナルの、排気ガスと消毒液の混じったような、独特の匂いが充満する一角に、重々しく、そして、まるで疲れ果てた巨獣のように、停車した。


値段だけを最優先して選んだ夜行便。

その、リクライニングもほとんど意味をなさない、拷問器具のような硬いシートでの往復は、四十代半ばを過ぎた松田の、既に酷使されきった肉体には、少々…いや、かなり酷だった。

軋む腰、石のように固まった肩、全身を覆う、鉛のような倦怠感。

乗客の流れに合わせて、重い体を引きずるようにバスを降り、薄汚れた荷物置き場から、使い古された、傷だらけのキャリーケースを受け取る。

その全ての動作が、彼の、消化不良の、そして、どうしようもなくやさぐれた心を、さらに重くした。


正式な辞令の書類一枚なく、たった一本の、事務的で、有無を言わせぬ、一方的な電話連絡。


「――松田警部補、謹慎は本日付で解除とする。理由は聞くな。状況も聞くな。ただちに本庁へ出頭し、新たな指示を待て」


それだけで、彼は、自腹を切ってまで掴みかけていたはずの、大きな『獲物』を、まさに、その尻尾を捕まえようとした、その寸でのところで、取り逃がし、こんな、まるで護送車のようなバスで、東京へと、強制的に連れ戻されたのだ。


(…あの、内燃機関の町工場の件…クソが…!)


松田は、奥歯をギリリと噛み締めた。

どこからか、彼の非公式な連絡先に、匿名で、しかし、妙に具体的で、無視できないリアリティを持つ情報が届けられたのだ。

国籍不明の海外資本による、関西地方の、ある特定の、しかし、忘れ去られたような技術を持つ町工場の、不審な買収計画。

情報の出所は、十中八九、あの、人を食ったような態度で、いつも自分がただ働きさせ、しかし、その情報だけは、時に、途方もなく正確で、価値のある、あの『影の女王』…エミリアだろうと、彼は確信に近い推測をしていた。

彼女の動機など、どうでもいい。

だが、その情報の『価値』と『危険な匂い』は、ベテラン刑事としての彼の勘が、間違いなく『本物』だと告げていた。

だからこそ、彼は、謹慎中の身でありながら、なけなしの貯金を使い、関西へと飛んだのだ。

そして、もう少しで、その買収計画の、きな臭い、国際的な闇の取引に繋がるであろう、その尻尾を、掴めそうだった。

その矢先に、この、あまりにも理不尽で、官僚的な、復職命令。


(…せめて、あと二日…いや、一日あれば、何かが掴めたかもしれなかったのに…!)


松田の、行き場のない悔しさが、まるで、重いキャリーケースを引きずる、ガタガタ、ゴロゴロという、アスファルトを削るような、不快な音になって現れるようだった。

その、みすぼらしい音は、月曜の夜を、まだ週末の延長のように楽しむ、着飾った人々…彼らの、華やかな笑い声、高級そうなレストランから漏れるジャズの音色、そして、無数の車のヘッドライトが織りなす、まばゆい光の洪水の中へと、虚しく、そして、惨めに吸い込まれていく。


彼は、顔を上げた。

遠くに見える、丸の内や新宿の、天を突き、夜空を侵食するような摩天楼。

宝石を散りばめたビロードのように、どこまでも広がる、巨大都市の夜景。

その、圧倒的なまでの、人工的な美しさと、華やかさ。

それが、今の、疲れ果て、苛立ち、そして、どす黒い無力感に沈む、彼のやさぐれた心には、ただ、ひどく、白々しく、空虚で、そして、どこか、自分を嘲笑っているかのように、悪意を持って、輝いているように見えた。


(…チッ、くだらねえ。こんな街の、どこに、俺が守るべき正義があるってんだ…)


やがて、彼の視界に、目的地の、重厚で、威圧的な建物が映る。

霞が関に聳え立つ、警視庁本部庁舎。

しかし、その姿は、彼が知る、いつもの、月曜の夜のそれとは、明らかに、異なっていた。


まるで、巨大な要塞が、臨戦態勢に入ったかのように。

通常なら、夜間は、必要最低限の部署を除いて、灯りが落とされているはずの窓が、全てのフロアで、煌々と、まるで真昼のように、尋常ではない輝きを放っているのだ。

眠らない街、東京。

その中でも、今夜の警視庁は、異常なまでに覚醒していた。


庁舎の周囲には、普段の比ではない数の、黒塗りの公用車や、地味だが高性能そうな覆面パトカーが、ひっきりなしに、サイレンも鳴らさずに、しかし、明らかに緊急の様子で、出入りを繰り返している。

ゲートの警備も、普段の数倍はいるであろう制服警官によって、厳重に固められているのが、遠目にも分かった。

建物全体が、まるで、巨大な、息を潜めた獣のように、異常なほどの緊張感と、切迫した『何か』が進行中であるという、不穏な気配を、無言のうちに、冬の冷たい夜の闇へと、強く放っている。


松田は、その、異様な光景を、しばらく、呆然と見つめていた。

何かが、起こっている。それも、とてつもなく、大きな何かが。


(…何が、あったんだ…? 俺が、関西で、一人で踊らされている間に、…この、東京で、一体、何が…?)


彼の脳裏に、言いようのない、重く、そして、非常に質の悪い予感が、暗い影のように、じわりと広がり始めていた。

キャリーケースを引きずる音が、今夜は、やけに、大きく、そして、不吉に響いた。


                    ***


月曜日の夜、九時過ぎ。

警視庁本部庁舎の、巨大な建物の窓という窓が、まるで眠ることを忘れたかのように、煌々と、そして神経質なまでに明るい光を放っていた。

その異常な光景は、今、この組織が、尋常ではない事態の渦中にあることを、無言のうちに物語っている。


松田は、長い夜行バスの旅で、油と埃と、そして自身の加齢臭が染みついたような、くたびれたコートのまま、捜査第一課(あるいは、彼が所属する部署)の、騒然としたフロアに足を踏み入れた。

フロア全体が、電話のベル、キーボードの打鍵音、走り回る足音、そして、疲れと焦りが混じった、低い怒号のような声で、満ち溢れている。

誰もが、目の下の隈を深くし、鋭い、しかし疲労しきった目で、モニターや書類の山と格闘していた。

明らかに、何かが起こっている。

彼が関西で追っていた『町工場』のことなど、誰も気にも留めないような、巨大な何かが。


自分のデスク(数週間の不在で、既に書類が山積みになっていた)に、軋む音を立てるキャリーケースを、なんとか押し込んでいると、背後から、妙に、そして不気味なほど、ねっとりとした声がかかった。


「おぉー、松田くぅーん。ご帰還かね? いやはや、関西への『ご旅行』、ずいぶんと、お楽しみだったようだねぇ? この、謹慎中の、大事な時期に」


声の主は、彼の直属の上司である係長だった。

その声は、普段の、怒鳴りつけるような声とは似ても似つかない、猫が獲物を嬲る前のような、ねっとりとした、奇妙な『優しさ』を帯びており、それが、松田の背筋を、ぞくりと、凍りつかせた。


気づけば、フロアの、あれほど騒がしかった物音が、水を打ったように静まり返り、全ての視線が、こちらに集中している。

同僚たちの、好奇と、同情と、そして、ほんの少しの嘲笑が混じったような視線が、痛いほど突き刺さる。


「松田」


係長は、松田のデスクの前に立つと、その、睡眠不足とストレスで充血した目で、じろり、と彼を睨みつけた。


「お前に、伝えるべきニュースがある。悪いニュースと、…まあ、お前にとっては、結果的に、良いニュースになるのかもしれん、もう一つの悪いニュースだ。…どっちから聞きたい?」


(どっちも悪いニュースじゃないか…)


松田は、心の中で毒づいたが、口に出せるはずもない。


「…いえ、どちらでも。二つ、同時にお願いします、係長」


彼は、努めて平静を装い、しかし、床に根が生えたように、動けずに、そう答えるしかなかった。


「そう言うと思ってな」


係長は、神経質そうに、自分のこめかみを指で揉んだ。


「まあ、お前のような、組織のルールより、自分の勘を優先する、無能な働き者にも分かりやすいように、二つの悪いニュースを、特別に組み合わせて、お前にとってだけは『良いニュース』に聞こえるように、伝えてやろう」


その言葉には、隠しきれない、深い深い、疲労と、怒りと、そして、この組織そのものへの、諦念のようなものが、滲み出ていた。


「まず一つ」


係長は、重いため息をついた。


「明日から、俺は、関西に出張だ。 …ここにいる、俺の部下たちが、…おそらく、お前の同期や後輩たちも、全員が、今、東京で起こっている、国家レベルの大問題(トンネル水没事件を指しているのだろう)の対応で、徹夜で、血反吐を吐くような思いで、捜査や対応に追われている、まさに、その最中にな」


松田は、ただ、「…それは、ご苦労様です」と、他人行儀に答えるのが精一杯だった。


「なぜだと思う?」


係長の目が、据わった。


「それはな、松田。お前が! この私が! 謹慎処分を言い渡したにも関わらず! 勝手に! 管轄外の関西にまで出向き! あろうことか、よそ様の警察組織(関西の府警か県警だろう)の縄張りを、滅茶苦茶に荒らしてくれたおかげでな! その尻拭いのために! この俺が! 直々に! ほうぼうの関係各所に、頭を下げて、土下座までして、謝罪して回らなければならなくなったからだ!!」


係長の顔が、怒りでみるみる赤黒く染まっていく。

額には、青筋が、ミミズのように浮き出ていた。


松田は、さすがに、全身から血の気が引くのを感じた。

まずい。

これは、本当にまずい。

警察組織において、『縄張り荒らし』と、それに対する『土下座(比喩だとしても、それほどの深刻な謝罪行脚を意味する)』は、組織の面子に関わる、あってはならないレベルの大失態だ。

自分の行動が、そこまでの事態を引き起こしていたとは…。


「本当はな」


係長の声は、怒りで震えていた。


「俺が、明日、関西に謝罪に行く時は、お前の辞表を、この懐に、しっかりと忍ばせていくつもりだったんだぞ…。それが、筋ってもんだろうが…!」


係長の顔は、怒りのあまり、赤黒く変色し、額には血管が浮き出ている。

フロアの誰もが、息を殺して、その怒声を聞いていた。


「…だがな、松田」


係長は、今度は、どこか自嘲的な、そして深い、深い、疲労の色を浮かべた、力ない声で話を続けた。


「お前…松田君が、これまた謹慎中の身でありながら、東京で、だぞ! 関西から、何か、悪質なスカウトか何かに追われて逃げてきたとかいう、若い娘たち二人組を『保護』し、そして、お前が個人的に懇意にしているとかいう、その筋(保護司の世界)では、それなりに名の通った、例の保護司の先生に、わざわざ、お前自身が頭を下げて、彼女たちの身柄と、今後の面倒を『押し付けた』…いや、失敬、『お預けした』、という一件があったそうじゃないか」


松田は、完全に虚を突かれた。

確かに、そんな出来事はあった。

謹慎中で時間を持て余し、しかし、性分で夜の街を勝手にパトロール(という名の散歩)していた時に、明らかに怯え、そして、ただならぬ雰囲気を持った若い二人組(陽菜と澪)を見かけ、声をかけたのだ。

彼女たちが、関西で厄介な連中に追われ、東京に逃げてきたこと、しかし、身分を証明するものも、頼る当てもないことを知った。

警察に突き出せば、彼女たちは、補導されるか、あるいは、元の環境に送り返されるだけだろう。

それでは、根本的な解決にならないどころか、追手の組織に居場所を知らせるようなものかもしれない。

かといって、自分が直接面倒を見るわけにもいかない…。

途方に暮れていた時、ふと、昔、世話になった、あの頑固だが人情家の、保護司も務める定食屋の親父の顔が浮かんだのだ。

彼なら、何とかしてくれるかもしれない、と。

そして、松田は、保護司である彼に事情を(ある程度、ぼかして)説明し、「社会勉強のため」という名目で、住み込みで働かせてもらえないかと、頭を下げて頼み込んだのだ。

もちろん、彼女たちの本当の『監督者』が、あのエミリア・シュナイダーであることなど、一言も触れずに…。


「そのことが、だ」


係長は、苦虫を百匹ほど噛み潰したような顔で続ける。


「どういうわけだか、その保護司の先生の選挙区の、やけに影響力のある、大物の国会議員の先生のお耳に、大変『美談』として、入ってしまったらしいんだ! その偉い先生が、いたく感激なさってな! 『謹慎中という、自身の不遇な状況にも関わらず、身の危険を顧みず、社会からこぼれ落ちそうな若き女性たちを保護し、更生の道筋までつけた! なんと職務熱心で、心優しき、模範的な警察官だ! こういう、真の警察官こそ、組織は、全力で支え、大切にしてやらねば、日本の未来はない!』…とかなんとか、この、聞いているだけで虫唾が走るような、クソありがたいお言葉を、わざわざ! 俺たちにとっては、雲の上の、そのまた上の、天上の世界におわすような方々にまで、ご丁寧にも、言づけてくださったんだとよ…!」


松田は、ようやく、この、あまりにも唐突で、理不尽な復職命令の、本当のカラクリを理解した。

自分の、刑事としての本質的な捜査活動『関西での町工場調査』は、組織の不興を買い、クビ寸前までいった。

しかし、ほとんど偶然と、その場の善意(と、エミリアへの責任転嫁の意図)で行った、別の行動が、巡り巡って、政治的な力となり、自分の首を繋いだのだ。

なんと、皮肉で、馬鹿馬鹿しい…。


「なぁ、松田…」


係長の顔には、深い疲労と、組織への、そして、おそらくは自分自身への、諦めの色が、濃く浮かんでいた。


「俺はな、…たまたま、運悪く、お前のような、規格外のトラブルメーカーの上司だった、という、ただそれだけの、悲運によってだ。ここにいる、俺の可愛い部下たちが、おそらく今夜も、明日も、明後日も、徹夜で、この国の存亡に関わるかもしれない、クソでかい事件(トンネル水没)の捜査に、文字通り、身を削ってあたっている、その、まさに、その最中にだ! 俺は、たった一人で! 関西くんだりまで行って! お前が、勝手に、しでかしてくれた、クソ面倒なトラブルの後始末のために! 各方面の関係各位に! 頭を下げて! 下手すりゃ、土下座までして! 謝ってこなければならんのだ! …これは、どう考えても、俺にとっては、人生最悪レベルの、『悪いニュース』だよな?」


松田は、もはや、返す言葉もなかった。

そうだ、自分の軽率な行動が、…いや、たとえそれが善意からだとしても、組織のルールを無視した行動が、上司に、そして、今まさに奮闘しているであろう同僚たちに、これほどの迷惑をかけている。

彼は、ただ、深く、深く、こうべを垂れ、背筋を伸ばして、係長の言葉を、その中に込められた、怒り、疲労、そして理不尽さへの嘆きを、全身で受け止めるしかなかった。


「…でもな、松田」


係長は、続ける。

その声には、もはや、怒りというよりは、乾いた、力のない響きだけがあった。


「お前にとっては、結果的に、『良いニュース』になったわけだ。この、とんでもない大失態をしでかしても、辞表も書かずに済み、…それどころか、どこぞの偉い先生からの、ありがたい『お墨付き』まで得て、ペナルティーも、おそらくは、事実上、無しで、…こうして、俺の目の前に、しゃあしゃあと、突っ立っていられるのだからなぁ?」


その言葉は、松田の胸に、重く、そして鋭く突き刺さった。

どす黒い顔になり、血圧がどれほど上がっているのか分からない係長の、その、あまりにも理不尽な、しかし、組織の論理としては、ある意味で『正しい』結論の前に、松田は、ただ、心の底から、深く、深く、頭を下げることしかできなかった。


「……申し訳…ありませんでしたっ!!!! そして、…ありがとうございます…」


彼の、心の底からの、やり場のない悔しさと、上司への申し訳なさ、そして、自分の行動が招いた結果への、深い反省のこもった謝罪の声は、しかし、警視庁の、騒然とした、巨大な組織の喧騒の中に、虚しく、吸い込まれていくようだった。

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