空虚な椅子と、歪な礎石 其一
この物語はフィクションです。
この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
ようこそ、東京の影の中へ。
ここは、光が滅び、影が支配する世界。
摩天楼が立ち並ぶ、華やかな都市の顔の裏側には、深い闇が広がっている。
欲望、裏切り、暴力、そして死。
この街では、毎夜、人知れず罪が生まれ、そして消えていく。
あなたは、そんな影の世界に生きる、一人の女に出会う。
彼女の名は、エミリア・シュナイダー。
金髪碧眼の美しい姿とは裏腹に、冷酷なまでの戦闘能力を持つ、凄腕の「始末屋」。
幼い頃に戦場で、彼女は愛する家族を、理不尽な暴力によって奪われた。
それは、彼女が決して消すことのできない傷となり、心を閉ざした。
今もなお、彼女は過去の悪夢に苛まれ、孤独な戦いを続けている。
「私は、この世界に必要とされているのだろうか?」
「私は、幸せになる資格があるのだろうか?」
深い孤独と絶望の中、彼女は自問自答を繰り返す。
だが、運命は彼女を見捨てなかった。
心優しい元銀行員の相棒、エミリアの過去を知る刑事、そして、エミリアの過去を知る謎めいた女ライバル。
彼らとの出会いが、エミリアの運命を大きく変えていく。
これは、影の中で生きる女の物語。
血と硝煙の匂いが漂う、危険な世界への誘い。
さあ、ページをめくり、あなたも影の世界へと足を踏み入れてください。
そして、エミリアと共に、非日常の興奮とスリル、そして、彼女の心の再生の物語を体験してください。
あなたは、エミリアに、どんな未来を見せてあげたいですか?
…この物語は、Gemini Advancedの力を借りて、紡がれています。
時に、AIは人間の想像を超える unexpected な展開を…
時に、AIは人間の感情を揺さぶる繊細な表現を…
Gemini Advancedは、新たな物語の世界を創造する、私のパートナーです。
この作品はカクヨムにて先行公開しており、こちら(小説家になろう)では遅れて公開となります。あらかじめご了承ください。
ただし、どうか忘れないでください。
これは、あくまでフィクションだということを。
This is a work of fiction. Any resemblance to actual events or persons, living or dead, is purely coincidental.
Ceci est une œuvre de fiction. Toute ressemblance avec des événements réels ou des personnes, vivantes ou mortes, serait purement fortuite.
Dies ist ein Werk der Fiktion. Jegliche Ähnlichkeit mit tatsächlichen Ereignissen oder lebenden oder verstorbenen Personen ist rein zufällig.
นี่คือนิยายที่แต่งขึ้น บุคคล สถานที่ หรือเหตุการณ์ใดๆ ที่ปรากฏในเรื่อง หากบังเอิญคล้ายคลึงกับบุคคล สถานที่ หรือเหตุการณ์จริง ทั้งที่ยังมีชีวิตอยู่หรือเสียชีวิตไปแล้ว ถือเป็นเรื่องบังเอิญทั้งสิ้น
(この作品はフィクションです。実在の出来事や人物、存命・故人との類似はすべて偶然です)
週が明け、月曜日の昼下がり。
福岡での、嵐のような週末を終え、東京に戻ってきた事務所は、まるで別世界のように静かだった。
窓の外には、冬晴れの、強いが冷たい日差しが、オフィスビル街の無機質な壁を照らしている。
エミリアが福岡にいる間に、サスキアが完璧に管理していたのだろう、室内は、清潔で、整然としており、そして、やはり、エミリアが設置した複数台の高性能加湿器によって、亜熱帯雨林のような、しかし心地よい湿度が保たれていた。
サスキアが、デスクで黙々と作業を進めていると、カチャリ、と静かにドアが開き、エミリアが、まるでファッション雑誌から抜け出してきたかのような、軽やかな足取りで入ってきた。その表情は、福岡での疲れなど微塵も感じさせず、むしろ、何か良いことでもあったかのように、上機嫌に見えた。
「ただいまー! サスキア、お留守番ご苦労様!」
彼女は、両手に提げていた、二つの、見た目にも明らかに高級そうな紙袋を、受付カウンターに、ポン、と置いた。
博多駅で、出発間際に慌てて(しかし、抜かりなく)選んだお土産だ。
「サスキアには、これ。福岡で、すっごくお洒落で、美味しいって評判のパティスリーを見つけたの! きっと、あなたの口にも合うと思うわ」
エミリアは、リボンがかけられた、洗練されたデザインの箱(焼き菓子詰め合わせ)を、サスキアに差し出す。
「あ、僕からは、これ…定番ですけど…」
佐藤も、慌てて、自分が選んだ、老舗のロゴが入った、少し地味だが上品な紙袋を、そっと隣に置いた。
サスキアは、その二つの対照的なお土産を、柔らかな、しかし、やはり感情の読み取れない、完璧な微笑みと共に受け取った。
「シュナイダー様、佐藤さん、ご丁寧にありがとうございます。お心遣い、痛み入ります」
その所作は、いつも通り、非の打ち所がなく、美しい。
「さて、と」
エミリアは、満足げに頷くと、すぐにテキパキと次の行動に移った。
「健ちゃん。例のマンションの報告書、最終チェック終わったから、クライアント(ファンド)に、オンラインで正式に送信しておいてくれる? 私がチェックした限り、完璧な出来だったわ。ボーナス、期待できそうよ?」
佐藤が「うん、わかった。すぐに送るね」と頷き、パソコンに向かう。
その間に、エミリアは、今度は、どこか落ち着かない様子で、自分の腕をさすったり、肩を回したりし始めた。
「…うーん、やっぱり、体がなまってる気がするのよねぇ…」
彼女は、大きなため息をつきながら、不安そうな顔(しかし、その瞳の奥は楽しそうだ)を作る。
「福岡では、健ちゃんの護衛(という名のデート)と、『市場調査』(という名の食べ歩き)ばっかりだったから、私の、この、国宝級に大事な、戦闘スキルとか、反射神経とか、…あと、大事な筋肉ちゃんたちが、落ちてないか、すごく不安で、心配で、夜も8時間しか眠れなかったわ! だから、ちょっと、これから、いつもの秘密基地(再開発放棄地区のビル)で、みっちり、集中トレーニングしてくる!」
その言葉とは裏腹に、彼女の声は、どこかウキウキしているように聞こえるのは、佐藤の気のせいだろうか。
エミリアは、事務所の隅に置いてあった、自身のトレーニングウェアや、もしかしたら他の『道具』も入っているかもしれない、スポーティなダッフルバッグを、軽々と肩にかけた。
そして、出かける間際に、まるで母親が子供に言い聞かせるように、念を押すように、佐藤のデスクに、ひょいと顔を近づけた。
甘い香りが、ふわりと香る。
「ねえ、健ちゃん。いいこと? 私が留守の間、もし、誰か、変な来客があったり、判断に迷うような、怪しい電話があったりしたら…絶対に、健ちゃんが、一人で、勝手に判断しちゃダメよ? まず、絶対に、サスキアに相談するの。いいね?」
その声は、子供に言い聞かせるように、どこまでも優しかった。
佐藤は、その、あまりにも自分を子供扱いする(そして、信用していない)言葉に、カチンときた。
同時に、心配してくれていることへの、くすぐったいような気持ちも湧き上がる。
「ちょ、ちょっと待ってよ、エミリア! あの、僕だって、これでも元銀行員だし、社会人として、最低限の判断くらい…!」
しかし、エミリアは、佐藤の、その、蚊の鳴くような、ささやかな抵抗を、まるで心地よい子守唄でも聞くかのように、にっこりと、しかし、有無を言わせぬ、絶対的な笑顔で、言葉を重ねた。
「サスキアに相談して、サスキアの指示に、必ず、100パーセント、従うこと。いいわね? 約束よ?」
その碧眼が、有無を言わせぬ圧力と、…そして、ほんの少しの、からかうような光で、佐藤を射抜く。
「…………はい…」
佐藤は、もはや、反論するだけの、いかなる根拠も、気力も、持ち合わせていなかった。
そして、認めたくはないが、エミリアの言う通りだ、と、心のどこかで納得してしまっている自分もいたのだ。
この、常に冷静で、完璧で、そして、おそらくは自分よりも遥かに多くの修羅場をくぐり抜けてきたであろう、美しい年上のオランダ人女性、サスキア・デ・フリースの前では、自分の、ちっぽけな銀行員としての経験やプライドなど、何の役にも立たない。
それを、彼は、この短い期間で、本能的に、そして痛切に、理解してしまっていたのだ。
彼は、まるで小学校の先生に、居残りを言い渡された子供のように、意気消沈して、再びパソコンの画面に向き直り、報告書の送信ボタンを、力なくクリックした。
背後で、エミリアの、満足げな、そして「じゃ、行ってくるわね!」という、やけに明るい声と、彼女が軽やかな足取りでオフィスを出ていく音が聞こえた気がした。
冬の日差しが差し込む、静かなオフィスの中に、佐藤の、重いため息だけが、虚しく響いた。
***
月曜日の昼下がり。
事務所の壁にかかった、ミニマルなデザインの時計が、間もなく正午を告げようとしていた。
窓の外は、強い冬の日差しが、隣のビルの壁に跳ね返り、やや眩しくオフィスの中に差し込んでいる。
しかし、空気そのものは、ガラス越しにも冷たさが伝わってくるようだ。
室内は、エミリアが不在のためか、あるいは、サスキア・デ・フリースの纏う静謐なオーラのせいか、奇妙なほど静かだった。
聞こえるのは、規則正しいキーボードの打鍵音、高性能加湿器が立てる、かすかな水蒸気の音、そして、自分の胃がきゅう、と鳴る音だけだった。
佐藤は、自分のデスクで、いくつかの調査報告書の最終確認を終え、送信ボタンを押したところだった。
達成感よりも、むしろ、週末の出来事の記憶が蘇り、どっと疲れを感じる。
彼は、大きく伸びをしながら、隣の、今は主のいないエミリアのデスクに目をやった。
彼女は、午前中に「体がなまってるから、集中トレーニング!」と、やけに張り切って出て行ったきり、戻る気配がない。
(エミリア、今日は、もしかしたら、お昼も戻らないかもな…。一度何かに熱中すると、本当に時間を忘れるタイプだし…)
そうなると、昼食はどうしようか。
一人で、またデスクでコンビニ弁当というのも、さすがに味気ない。
かといって、あの、完璧すぎる秘書であるサスキアさんを、気軽に誘っていいものだろうか…? 彼女は、エミリアがいない間も、常に完璧に、そして、どこか近寄りがたいほどのプロフェッショナリズムで、黙々と自分の仕事を進めているのだ。
(…でも、一応、聞いてみるだけなら…)
彼は、意を決すると、椅子を静かに回転させ、受付カウンターでノートパソコンの画面に静かに視線を落としている、サスキアの美しい横顔に、少しだけ勇気を出して、声をかけた。
「あ、あの、サスキアさん…」
彼の、やや緊張した声に、サスキアは、キーボードを打つ手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
そのブルーグレーの瞳が、静かに彼を見つめ返す。まるで、磨かれたガラス玉のように、感情の色は読み取れないが、拒絶されているわけでもないようだ。
「そろそろ、お昼の時間ですけど…エミリア、もしかしたら、今日はもう事務所には戻らないかもしれませんし…」
佐藤は、少し早口になりながら、慎重に言葉を選んだ。
「もし、あの、ご迷惑でなければ、ですけど…何か、デリバリーでも、ご一緒しませんか?」
彼は、一気にそこまで言うと、相手の反応を窺うように、付け加えた。
「サスキアさんの、何か、お好きなものとか、…あるいは、この辺りで美味しいと評判のお店とか、ご存知でしたら…? もし、特にご希望がなければ、僕の方で、何か、当たり障りのないお弁当でも探しますが…僕は何でも大丈夫ですので」
サスキアは、その、佐藤の、少し遠慮がちで、しかし、誠実な気遣いに満ちた申し出に、表情をほとんど変えなかった。
しかし、その瞳の奥に、ほんのわずかな、興味とも、単なる思考ともつかない、微かな光が宿ったように見えた。
彼女は、細く長い指を、自身の形の良い顎に、優雅に軽く当て、数秒間、何かを吟味するように、静かに黙考した。
まるで、提示された選択肢の中から、最も合理的な一手を選び出すかのように。
「お気遣い、痛み入ります、佐藤さん」
やがて、彼女は、低く、落ち着いた、しかし、聞き間違いようのない明瞭な、美しいアルトの声で答えた。
「確かに、エミリア様は、一度『訓練』…(彼女は、そこで、ごく自然に、しかし、佐藤にも分かる程度に、意図的に間を置いた)…に集中されると、お戻りが遅くなることも、ままありますからね。せっかくのお誘いですので、お言葉に甘えさせていただきましょうか」
そして、彼女は、まるで、最も効率的で、健康的な選択肢を導き出したかのように、落ち着いた声で、しかし明確な提案を口にした。
「そうですね…では、もしよろしければ、何か、グリルされた鶏むね肉か、あるいは、良質なタンパク質が摂れる、例えば西京焼きのような焼き魚が主菜のお弁当があれば、それが良いかもしれません。午後の業務効率を考慮いたしますと、やはり、栄養バランス、特にタンパク質の摂取は重要ですので」
その言葉は、あくまで丁寧で、提案の形を取っているが、その内容は、彼女の健康と身体機能維持に対する、明確な意識を示していた。
(やっぱり…エミリアほど極端じゃないけど、サスキアさんも、ちゃんと、そういうこと考えてるんだな…すごいな…)
佐藤は、妙に感心し、納得した。
自分など、昼食といえば、つい、カツ丼とか、ラーメンとか、そういうものに目が行きがちなのに。
「もし、佐藤さんが、このオフィス周辺で、そういった、比較的、健康志向で、かつ、信頼できるデリバリーを提供しているお店をご存知でしたら、そちらでお願いできますでしょうか? もし、特に心当たりがなければ、私の方で、いくつか候補のリストを作成し、ご相談いたしますが」
彼女は、そう言って、再び、穏やかな、しかし、どこか相手に有無を言わせぬ、不思議な説得力を持つ、完璧な微笑みを浮かべた。
それは、佐藤に選択を委ねているようでいて、実質的には、彼女が望む方向(=健康的で高タンパク質な昼食)へと、巧みに、そして、実にエレガントに、誘導する、見事なコミュニケーション術だった。
佐藤は、その、抗いがたい微笑みに、少しだけ気圧されながらも、「わ、わかりました! えっと、確か、駅の近くに、そういうお弁当屋さんがあったはず…! すぐ、調べてみます!」と、なぜか、少しだけ張り切って、力強く頷くしかなかった。彼の単純な思考回路は、既に「サスキアさんの期待に応えなければ!」というモードに切り替わっていたのだ。
***
佐藤は、サスキアの期待(という名の、明確な指示)に応えるべく、事務所周辺のデリバリー可能な店を、ネットでいくつか検索した。
そして、ようやく、駅から少し離れた、昔ながらの商店街の路地裏に、栄養バランスの良さそうな、手作り弁当を売りにした、小さな惣菜店を見つけ出した。
いかにも頑固そうな親父さんが一人で切り盛りしているらしい、渋い店構えだ。
しかし、その店は、ウェブサイトの片隅に、小さく、しかし断固として、こう記されていた。
「ネット注文、電話注文、配達は、一切やっておりません。悪しからず」
電話で問い合わせてみても、受話器の向こうから聞こえてきたのは、予想通り、店主らしき男性の、「弁当か? まだあるかもしれんが、残ってる保証はねえ。欲しけりゃ、自分でさっさと取りに来な」という、ぶっきらぼうな声だけだった。
(まあ、仕方ないか…この辺りだと、他には、あまりヘルシーなお弁当屋さんもなさそうだし…)
佐藤は、軽くため息をついた。
ちょうど、午前中の報告書作成で、座りっぱなしで体が凝り固まっていたところだ。
気分転換と、軽い運動がてら、直接、買いに行くことにしよう。
「サスキアさん、すみません。ちょっと、お弁当、直接買ってくるので、少しだけ事務所、お願いします」
受付カウンターの向こうで、サスキアは、モニターから顔を上げずに、静かに頷いた。
「承知しました。いってらっしゃいませ、佐藤さん。お足元、お気をつけて」
その声は、いつも通り、丁寧で、そして、感情の温度が全く感じられなかった。
佐藤は、コートを羽織り、財布とスマートフォンだけをポケットに入れると、事務所のドアを開けた。
彼が、古びた、しかし、一度聞いたら妙に耳に残る、あの軽やかで、少しだけ調子っぱずれな電子メロディが流れる、鉄製の外階段を降りていく。
ビルの外に出ると、冬晴れの、冷たく乾燥した空気が、火照った頬に心地よかった。
太陽は、空の高い位置にあるが、その光は、どこか力がなく、街全体が、シャープな、しかし色の薄い影に覆われている。
彼は、大きく一度深呼吸をした。
しかし、その時、何か、いつもと違う、漠然とした違和感を覚えた。なんだろう? 街並みは、昨日と、何も変わらないはずなのに…。
彼は、何気なく、自分たちの事務所が入る、その雑居ビルを見上げた。
灰色がかった、くすんだタイル張りの、何の変哲もない、築数十年は経っていそうな中規模ビル。
そして、すぐに、違和感の正体に気づいた。
一階。昨日まで、確かに、何か、古びた喫茶店か、あるいは、小さな不動産屋のような、くすんだ看板を出していたはずのテナントスペースが、もぬけの殻になっている。
ガラス戸には、内側から、大きな白い模造紙が、無造作に貼り出されていた。そこに、事務的なゴシック体で書かれた文字が見える――『テナント移転のお知らせ 長年のご愛顧、誠にありがとうございました』。
(あれ…? ここ、移転したんだ…。そういえば、何の店だったっけ…?)
佐藤は、首を捻った。
思い出せない。
喫茶店だったような気もするし、違うような気もする。
そもそも、この事務所に通い始めてから、この一階の店に、お客さんが出入りしているのを、ほとんど見た記憶がないことに、彼は今更ながら気づいた。
(もしかして、ずっと前から、ほとんどシャッター通りみたいな状態だったのかな…?)
その考えは、さらなる疑問を、彼の心に呼び起こした。
彼は、改めて、自分が今出てきたばかりの、その、くすんだ雑居ビル全体を、下から上まで、ゆっくりと、舐めるように見上げた。
一階は、今、空き店舗になった。
二階は…? 窓には、くたびれたブラインドが閉められたままで、人の気配が全く感じられない。
三階が、自分たちの事務所。
四階は…? やはり、窓は暗く、カーテンもかかっていないようで、がらんどうに見える。
五階も、六階(おそらく最上階だろう)も、同じように、まるで廃墟の一室のように、生命感が感じられない。
全ての窓が、まるで、固く閉じられた、埃っぽい瞼のように、重く、暗く、見える。
(まさか…いや、そんなはずは…)
佐藤の背筋に、ぞくり、と冷たいものが走った。
心臓が、嫌な音を立てて脈打つのを感じる。
(このビル、もしかして、…三階の、うちの事務所を除いて、…全部、空き家なんじゃないか…?)
そんな馬鹿な、と彼は頭を振った。
しかし、改めて見れば見るほど、ビル全体から漂う、人の気配の希薄さ、老朽化した外壁の汚れ、そして、隣接する、フェンスで囲まれ、雑草が生い茂る、再開発が頓挫したらしい広大な空き地が放つ、見捨てられたような寂寥感は、否定しようがなかった。
時代から、取り残されたような、忘れられたようなビル。
(エミリアは、どうして、こんな、…お世辞にも良いとは言えないような、古くて、人気もなさそうなビルを、わざわざ事務所に選んだんだろう…? 他にもっと、新しくて、綺麗なオフィスビルだって、あったはずなのに…)
佐藤は、その時、この雑居ビルが、立地の悪さ(隣接する問題地区)、建物の老朽化(バリアフリー未対応、耐震性への不安)、そして低い収益性によって、多くの入居者が次々と退去し、オーナーである小野寺幸三にとって、固定資産税と維持費だけがかさむ、完全な『不良債権』と化していたことなど、知る由もなかった。
彼はただ、冬の冷たい日差しの中で、自分が今、身を置いている場所の、漠然とした、しかし、拭いがたい「この雑居ビル、本当に大丈夫なんだろうか?」という不安感に、じわりと包まれていた。
彼は、小さく、そして重いため息をつくと、目的の惣菜店へと、再び足を向けた。
背後の、静まり返った雑居ビルが、まるで、何かを語りたげに、彼を見下ろしているような気がした。
***
佐藤は、目的の惣菜店で、サスキアに頼まれた『グリルチキンとブロッコリー、たっぷり野菜サラダに玄米』という、いかにも健康志向な弁当を二つ確保した。
そして、…もしかしたら、あのエミリアのことだから、トレーニングに飽きて、あるいは、お腹を空かせて、意外と早く事務所に戻っているかもしれない、と考え、彼女が好きそうな、彩り豊かで、これもまたヘルシーな鶏むね肉と温野菜の弁当も、一つ、余分に買っておいた。
(まあ、戻ってこなかったら、僕が夜ご飯にすればいいだけだ)
そんな、ささやかな、しかし彼にとっては自然な気遣いを胸に、彼は、ほかほかと温かい湯気を立て、食欲をそそる、おそらくは特製の生姜醤油か、あるいはハーブソルトであろう、良い匂いを放つ弁当の袋を提げて、事務所へと戻る道を急いだ。
冬の太陽が、アスファルトに長い影を落とし始めている。
古びた雑居ビルの、冷たい鉄製の外階段を昇る。
三階に近づくと、センサーが彼を感知し、あの、どこか間の抜けた、しかし、もはやこの場所の『チャイム』として耳に馴染んでしまった、軽やかな電子メロディが、彼を出迎えた。事務所の、少し重いドアノブに手をかけ、静かに開ける。
「ただいま戻りま――」
言いかけた彼の言葉は、しかし、室内の空気の違いに気づき、途中で途切れた。
いつもと違う。
エミリアは戻っているようだが、彼女が発しているオーラが、普段、佐藤に向けるそれとは、全く異質だったのだ。
凛とした、しかし、どこか計算された響きを持つ、硬質な声。
それは、間違いなくエミリアの声だったが、彼女が『仕事』…それも、おそらくは、重要な取引相手か、あるいは、油断のならない相手と対峙する時にしか見せない、『仮面』を被った声だった。
「――ええ、ですから、その件に関しましては、こちらで入手可能な情報と、過去の類似ケースに基づいた、最適なリスク分析と、解決策をご提示できるかと存じます。もちろん、最大限の機密保持をお約束した上で…」
応接スペースの方から聞こえてくるその声に、佐藤は、ドアの前で、思わず立ち尽くした。
すると、エミリアの声が、わずかにトーンを変え、彼に向けられた。
「あら、佐藤さん、お帰りなさい。…ごめんなさい、今、少し取り込み中なの。買ってきたお弁当は、後で、ゆっくりいただきたいから、先に冷蔵庫にしまってきてくださる? 冷めないように、ラップもお願いね。それが終わったら、こちらへ、少しだけ、顔を出してほしいの」
声の主は、姿を見せない。
来客と、ソファで向かい合っているのだろう。
その口調は丁寧だが、有無を言わせぬ響きがあった。
(来客…? しかも、エミリアさんが、あんな『仕事モード』全開で話す相手って…一体、誰なんだろう…?)
佐藤は、戸惑いながらも、エミリアの指示に従うことにした。
彼は、音を立てないように、そっと受付カウンターへ近づき、静かにモニターに向かうサスキアに、ほとんど吐息のような小声で尋ねた。
「あの、サスキアさん…お客様ですか? どなたか、アポは…入ってましたっけ?」
サスキアは、モニターから顔を上げ、人差し指を、そっと自身の唇に当てて「静かに」というジェスチャーをした後、同じく、囁くような、しかし正確無比な小声で、答えた。
「…このビルのオーナーでいらっしゃる、小野寺様の、奥様です。先ほど、アポイントメントなしで、直接お見えになりました」
オーナーの、奥様? 佐藤の心臓が、ドクン、と、今度は不安で大きく跳ねた。
(も、もしかして、事務所のことで、何か、問題でもあったんだろうか…? 賃貸契約のこととか…? まさか、勝手に卓上コンロ使って、鍋料理してるのがバレたとか…!? いや、それはないか…)
彼の思考は、一気に、あらぬ方向へと転がり始める。
彼は、サスキアに小さく頷き返すと、手に持っていた、まだ温かい、湯気と共に美味しそうな匂いを放つ弁当の袋を、そのままサスキアに、やや躊躇いがちに差し出した。
「あ、じゃあ、これ…すみませんが、後で、冷蔵庫にでも、お願いできますか…?」
「承知いたしました」
サスキアは、表情一つ変えずに、その袋を、静かに、そして確かな手つきで受け取った。
まるで、それが彼女の当然の業務の一部であるかのように、その動作には一切の淀みがない。
「シュナイダー様がお待ちです。応接スペースへどうぞ」
彼女は、静かに佐藤を促した。
佐藤は、改めてジャケットの襟を(無意識に)引き寄せ、一つ、短く、しかし深く、息を吸い込んだ。
まるで、これから尋問でも受けるかのような気分だった。
そして、応接スペースへと、先ほどよりも、さらに重く、そして、言いようのない不安に満ちた足取りで、向かった。
少しだけ開いていたドアの隙間から、上品な、しかし、どこか神経を逆撫でするような、甘く重い香水の香りと、張り詰めた、息苦しいほどの、緊迫した空気が、濃密に流れ出してくるのが感じられた。
***
佐藤は、エミリアに促され、応接スペースへと足を踏み入れた。
そこには、事務所のシンプルなソファに、二人の女性が、低いガラステーブルを挟んで、静かに向かい合っていた。
一人は、当然エミリア。その碧眼は、今は、仕事モードの、鋭いが、どこか底の知れない光を宿している。
もう一人は、おそらく三十代前後だろうか、上質なツイードのセットアップスーツを、まるで誂えたかのように完璧に着こなした、見るからに育ちの良さそうな、美しい女性だった。
しかし、その陶器のように白い肌と、丹念に施されたであろうメイクの下に、隠しきれない深い疲労と、切実な憂慮の色が、暗い影のように浮かんでいる。
「健ちゃん、こちらへ。ご紹介するわ、このビルのオーナーの、小野寺 雅美様よ。…そして、雅美様、こちらが、私のビジネスパートナーで、投資アナリストの佐藤です」
エミリアの、滑らかな紹介の声。
佐藤が、緊張で背筋を伸ばしながら、「はじめまして、佐藤と申します」と深々と頭を下げると、雅美は、力なく、しかし気丈に微笑んでみせた。
その動きは、まるで精巧な人形のようだ。
「まあ、ご丁寧にどうも…。小野寺 雅美と申します。こちらこそ、本日は、突然、このような時間に押しかけてしまい、大変申し訳ございません…」
彼女の声は、鈴を転がすように美しいが、その響きには、ひどくか細い、ガラス細工のような脆さが感じられた。
テーブルに置かれた、おそらくサスキアが用意したであろう、美しいティーカップの縁を、彼女の、手入れされた、しかし神経質そうに動く指先が、意味もなく撫でている。
「夫が、その…もう、高齢でして…」
雅美は、ぽつり、ぽつりと、しかし、その言葉には、切実な響きを込めて、語り始めた。
夫である小野寺幸三が、複数の不動産や金融資産を持つ、いわゆる資産家であること。
そして、彼女自身が、年の離れた後妻であること。
「若い頃は、…ええ、正直、かなり、女性にはおモテになったようですし…」
その言葉には、諦めとも、自嘲ともつかない、複雑な響きが混じっているように、佐藤には聞こえた。
「ただ、…私たち夫婦の間にも、そして、幸いと言うべきか…以前のご関係でも、子供には、恵まれなかったようなのです。少なくとも、夫は、そう申しておりました…先日までは」
雅美は、そこで一度、言葉を切り、傍らに置いた、おそらくは高級ブランドのものであろう、上質な革のハンドバッグから、厚手の封筒を取り出した。
「…それが、」
彼女の声が、わずかに震える。
テーブルの上に、白い手袋をはめた手で、数枚の写真を、滑らせるように並べた。
「一月ほど前から、…全く見ず知らずの、この男性が、突然、現れまして…。自分が、主人が、その…結婚前に、外で作った子供…つまり、『隠し子』である、と、そう名乗り出て…」
佐藤は、テーブルに並べられた写真に、思わず目を落とし、息を呑んだ。
それは、明らかに、プロの手によるものではない、隠し撮りされたものや、遠くから、おそらくは安価な望遠レンズで撮影されたもので、画質は粗く、被写体の表情も、どこか歪んで見えた。
しかし、そこに写っている男の顔には、佐藤が見覚えのある…いや、正確には、二度と見たくないと思っていた類の、『匂い』があった。
年の割には老けて見える、あるいは、幼稚さが抜けきらない顔つき。
安物の、しかし悪趣味なほど派手なジャージ姿。
落ち着きなく左右に動く、ギラギラとした欲に濡れた目。
そして、何よりも、その表情全体にこびりついた、浅ましいほどの、欲望と、姑息さ、そして、どこか自分を過大評価しているような、根拠のない自信の匂い。
それは、佐藤が銀行員時代に、融資の返済に行き詰まり、嘘と虚勢で固めた、どうしようもない種類の人間たちの中に、時折、確かに感じた類の、『腐臭』に近かった。
「そして、私たちに、…」
雅美の声は、もはや、か細い囁きに変わっていた。
「父親として認知すること、そして、将来の相続分からの、相当額の生前贈与を、非常に、強く、要求してきたのです…! 当然、夫も私も、全く身に覚えのない、悪質な要求です。それで、すぐに、夫が長年、信頼しております、顧問弁護士の古川先生にお願いして、このような馬鹿げた要求をしてくる男性が、夫の子供ではありえないことの証明と、今後一切、私たちに接触しないように、強く、突っぱねていただくよう、依頼しました」
雅美は、一度、息を整え、そして、さらに声を落として続けた。
その声には、もはや、隠しようのない、深い恐怖の色が浮かんでいた。
「…それが、…その、頼りにしていた古川先生が、二週間ほど前、ご自宅近くの、夜道で、…車にはねられて…。意識不明の重体のまま、今も、病院の集中治療室に…。警察は、ひき逃げ事件として捜査してくださっていますが、…犯人は、まだ、捕まっていないのです」
部屋の空気が、一瞬で凍りついた。
佐藤は、背筋に、氷の杭を打ち込まれたような、鋭い悪寒を感じた。
「この件があってから、夫は、もう、すっかり怯えてしまって、自室に閉じこもるようになってしまいました。それで、私が、代わりに、別の弁護士の先生や、信頼できる調査会社を探したのですが…ひき逃げの件が、どこからか漏れたのか…どこも、『特殊な事情がおありのようですので』とか、『当方では、残念ながら、お力になれません』とか、遠回しに、…あるいは、あからさまに、断られてしまって…。誰も、この件を、引き受けてくれないのです…!」
雅美の目から、堪えていた涙が、はらり、とテーブルの上に落ちた。
佐藤は、雅美の、涙ながらの訴えを聞きながら、そして、テーブルの上の、あの『老け顔の男』の写真を見つめながら、自分が、エミリアの相棒となってから、知らず知らずのうちに身につけていた『感覚』…物事の表面だけではない、裏側にあるはずの繋がりや、危険を嗅ぎ分ける感覚…が、けたたましく警鐘を鳴らしているのを、この日ほど、はっきりと実感したことはなかった。
隠し子騒動、強引な金銭要求、そして、タイミングが良すぎる、担当弁護士の『事故』。
これは、単なる偶然ではない。
単なる詐欺でもない。
写真の男は、おそらく、明らかにアウトローの世界に、深く、そして汚く、足を踏み入れている人間だ。
そして、その背後には、もっと大きな、もっと冷酷で、もっと危険な何かが、確実に、潜んでいる。
これは、もはや、通常の弁護士や、普通の探偵が扱えるレベルの問題ではないのだ、と。
彼は、隣に座るエミリアの横顔を、盗み見た。
彼女の碧眼は、静かに、テーブルの上の写真を見つめている。
その表情は、やはり、読み取れない。
しかし、その瞳の奥に、一瞬だけ、獲物を見つけた時のような、冷たい、鋭い光が宿ったのを、佐藤は、見逃さなかった。




