羅針盤は彼女たちの手に、彼はただ揺れる 其十二
この物語はフィクションです。
この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
ようこそ、東京の影の中へ。
ここは、光が滅び、影が支配する世界。
摩天楼が立ち並ぶ、華やかな都市の顔の裏側には、深い闇が広がっている。
欲望、裏切り、暴力、そして死。
この街では、毎夜、人知れず罪が生まれ、そして消えていく。
あなたは、そんな影の世界に生きる、一人の女に出会う。
彼女の名は、エミリア・シュナイダー。
金髪碧眼の美しい姿とは裏腹に、冷酷なまでの戦闘能力を持つ、凄腕の「始末屋」。
幼い頃に戦場で、彼女は愛する家族を、理不尽な暴力によって奪われた。
それは、彼女が決して消すことのできない傷となり、心を閉ざした。
今もなお、彼女は過去の悪夢に苛まれ、孤独な戦いを続けている。
「私は、この世界に必要とされているのだろうか?」
「私は、幸せになる資格があるのだろうか?」
深い孤独と絶望の中、彼女は自問自答を繰り返す。
だが、運命は彼女を見捨てなかった。
心優しい元銀行員の相棒、エミリアの過去を知る刑事、そして、エミリアの過去を知る謎めいた女ライバル。
彼らとの出会いが、エミリアの運命を大きく変えていく。
これは、影の中で生きる女の物語。
血と硝煙の匂いが漂う、危険な世界への誘い。
さあ、ページをめくり、あなたも影の世界へと足を踏み入れてください。
そして、エミリアと共に、非日常の興奮とスリル、そして、彼女の心の再生の物語を体験してください。
あなたは、エミリアに、どんな未来を見せてあげたいですか?
…この物語は、Gemini Advancedの力を借りて、紡がれています。
時に、AIは人間の想像を超える unexpected な展開を…
時に、AIは人間の感情を揺さぶる繊細な表現を…
Gemini Advancedは、新たな物語の世界を創造する、私のパートナーです。
この作品はカクヨムにて先行公開しており、こちら(小説家になろう)では一日遅れでの公開となります。あらかじめご了承ください。
ただし、どうか忘れないでください。
これは、あくまでフィクションだということを。
This is a work of fiction. Any resemblance to actual events or persons, living or dead, is purely coincidental.
Ceci est une œuvre de fiction. Toute ressemblance avec des événements réels ou des personnes, vivantes ou mortes, serait purement fortuite.
Dies ist ein Werk der Fiktion. Jegliche Ähnlichkeit mit tatsächlichen Ereignissen oder lebenden oder verstorbenen Personen ist rein zufällig.
นี่คือนิยายที่แต่งขึ้น บุคคล สถานที่ หรือเหตุการณ์ใดๆ ที่ปรากฏในเรื่อง หากบังเอิญคล้ายคลึงกับบุคคล สถานที่ หรือเหตุการณ์จริง ทั้งที่ยังมีชีวิตอยู่หรือเสียชีวิตไปแล้ว ถือเป็นเรื่องบังเอิญทั้งสิ้น
(この作品はフィクションです。実在の出来事や人物、存命・故人との類似はすべて偶然です)
深夜の強襲揚陸艦の飛行甲板は、月明かりと、点滅する誘導灯の青白い光に、幻想的に照らし出されていた。
強い海風が、ローターの回転によってさらに激しくなり、甲板を叩きつける。
中型ヘリコプターのエンジン音が、夜の静寂を切り裂き、轟音へと変わっていく。
タラップが格納され、機体がわずかに浮き上がる。
窓からは、疲労と不満、そして安堵が入り混じった複雑な表情の日本側交渉チームの面々――大河内、黒川、白石、武藤、そしてT.M.――の姿が一瞬見えた。
彼らの隣には、任務を終えたのか、黒一色の完全武装に身を包み、ガスマスクで顔を覆った、国籍も性別も不明瞭な『護衛』が、微動だにせず座っている。
ヘリコプターは、力強く甲板を離れると、旋回し、日本の護衛艦が待つであろう、漆黒の夜空へと一直線に飛び去っていった。
その赤いテールランプが、まるで流れ星のように、闇の中に吸い込まれ、瞬く間に見えなくなる。
甲板には、再び、エンジンの残響と、海風の音、そして、どこか虚無的な静寂だけが残された。
それから間もなく、静寂は再び破られた。
今度は、闇の向こうから、別のヘリコプターのローター音が、徐々に近づいてくる。
先ほど去っていった機体とは違う、より重厚で、安定した響き。
やがて、月光を浴びて鈍く輝く、中型のヘリコプターが姿を現し、甲板の誘導灯に導かれ、静かに、しかし確かな衝撃と共に着艦した。
ローターがゆっくりと回転を止め、機内の照明が漏れると、ドアが開かれる。
最初に降り立ったのはヴァネッサだった。
夜の潮風が彼女の黒髪をわずかに揺らすが、その表情は能面のように固く、長時間の作戦指揮の疲労か、あるいは別の理由か、何を考えているのか窺い知ることはできない。
続いて、飛行甲板を歩くのに不慣れな佐藤が、ジャンの腕に軽く支えられるようにして、おぼつかない足取りで降りてくる。
彼の目は、慣れない夜の甲板と、巨大な艦の構造物に、不安げに彷徨っていた。
彼らの後には、数名のオプスキュリテのメンバーが、まるで影のように音もなく続き、その動きには一分の隙もない。
彼らは、誰に言葉を交わすでもなく、暗黙の連携で、黙々と艦内へと続くハッチへと向かった。
深夜の飛行甲板は、彼らの規則正しいブーツの音と、遠い波の音だけを、虚しく響かせていた。
ヴァネッサの個室――日本チームが慌ただしく使用した後――では、技術担当のグレゴリー・クレールらが、まるで外科手術のように精密な手つきで、盗聴器や残留データがないか最終チェックを行っていた。
電子的なビープ音が、静かに繰り返される。部屋は、再び主を迎え入れるために、静寂を取り戻そうとしていた。
その頃、エミリアは、日本チームの護衛任務を終え、足取りも軽く、目的の部屋へと向かっていた。
口元には、押さえきれない微かな笑みが浮かんでいる。
約束の『報酬』――健ちゃんと二人きり、同じ部屋で過ごせる時間。
長かった航海の疲れも、先ほどの任務の緊張感も、その期待の前では些細なことだった。
甘い予感が、冷たい艦内の空気を温めるように、彼女の胸を満たしていた。
しかし、目的の部屋に近づくにつれ、彼女は違和感を覚えた。
ドアの前に立つジャンの、その妙に居心地の悪そうな、まるで叱られた子犬のような背中に。
「Euh... Mademoiselle Emilia...?(あ、あの…エミリアさん…?)」
ジャンは、エミリアの姿を認めると、明らかに動揺した様子で、視線を泳がせた。
「Eh bien... le Chef est à l'intérieur... elle... travaille... et... Sato-san est avec elle aussi...(ええと…シェフは中で…その…お仕事中で…そして…佐藤さんも、彼女と一緒です…)」
彼の言葉は歯切れが悪く、額には冷や汗が滲んでいる。
エミリアの背筋に、氷のような悪寒が走った。
彼女は、ジャンの言葉を最後まで聞かず、静かに、しかし有無を言わせぬ力でドアを開けた。
目に飛び込んできたのは、予想を裏切る光景だった。
部屋には、確かに佐藤がいた。
しかし、彼はヴァネッサから渡されたのであろうキャリーバッグを所在なさげに抱え、部屋の隅で、まるで置物のように小さくなっている。
そして、部屋の主のように、リビングスペースの大型テーブルに向かい、ノートパソコンのキーボードを軽やかに叩いているのは――ヴァネッサだった。
ラウンジにいた時と同じ、冷徹な司令官の顔で。部屋の空気が、一瞬で凍りつく。
「...Vanessa.(…ヴァネッサ)」
エミリアの声は、驚くほど静かだった。
しかし、その静けさには、嵐の前の不気味さが宿っている。
「Tu avais dit 'juste nous deux', n'est-ce pas ? C'était notre accord ! Tu imagines les efforts que j'ai faits ? Supporter les discours de ces types ennuyeux, pondre ce fichu rapport... Tout ça, pour te retrouver toi ici ?(『二人だけ』って言ったわよね? 約束だったはずよ! 私がどれだけ我慢したと思ってるの? あの退屈な連中の話を聞いて、あの忌々しい報告書を書き上げるために…! それで、結局、あなたがここにいるわけ?)」
ヴァネッサは、キーボードを叩く手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
その表情は、涼やかで、どこか面白がっているようにも見える。
「Oh, ma sœur. Je n'ai jamais dit 'vous laisser seuls tous les deux'. J'ai dit 'faire en sorte que tu partages la chambre de Sato-san', si ma mémoire est bonne ?(あら、姉さん。私は『あなたたち二人きりにしてあげる』とは言っていないわ。『あなたが佐藤さんの部屋を共有できるように手配する』と、そう言ったはずよ、私の記憶が確かならね?)」
悪戯っぽく、しかし冷ややかに、彼女は言葉の罠を指摘する。
「De plus,...(それに、)」
ヴァネッサは立ち上がり、部屋の奥、ベッドルームを指差す。
「Ceci est un bâtiment militaire. Il faut bien respecter une certaine bienséance. Que je 'chapronne' votre petite cohabitation est donc parfaitement logique, non ?(ここは軍の施設よ。ある程度の礼儀作法は守らないとね。だから、あなたたちの、ささやかな同室生活を、私が『お目付け役として見守る』のは、完全に論理的でしょう?)」
その口調は、あくまでも正論を述べているかのようだったが、その瞳は楽しげに細められていた。
エミリアの肩が、怒りで微かに震えた。
その碧眼に、一瞬、氷河の下のマグマのような、危険な光が宿る。
ヴァネッサは一瞬身構えた。
だが、次の瞬間、エミリアはふっと息を吐き、表情から力が抜けた。
そして、むしろ、どこか楽しむような、あるいは、挑戦的な、妖艶な笑みを浮かべた。
(…そう、別に、ヴァネッサが同じ部屋にいたって…健ちゃんと甘い時間を過ごすのに、何の『障害』にもならないわ…むしろ…)
エミリアの思考は、ヴァネッサの想像を超えた方向へと飛躍していた。
ヴァネッサは、エミリアのその、あまりにも冷静な、そして予想外の反応に、眉をひそめた。
激怒すると思っていた。
しかし、この落ち着き払った態度は…? まるで嵐が来る前の、不気味な凪のようだ。
ヴァネッサの背筋に、今度は彼女自身の、嫌な予感が走った。
この姉は、自分が考えているよりも、ずっと厄介なことを企んでいるのかもしれない…。
(Ah, je vois...(ああ、なるほど…))
ヴァネッサは、エミリアの挑戦的な笑みの裏にある、さらに歪んだ計算を瞬時に読み取った。
(En gros, je ne suis qu'un pion pour qu'elle lui fasse croire à leur 'complicité spéciale', le détourne des autres et le rende totalement dépendant... Ma sœur, incorrigible...!(要するに、私は、彼女が彼に『特別な共犯関係』を信じ込ませ、他の女から引き離し、完全に依存させるための、ただの駒というわけね…私の姉は、どうしようもない…!))
ヴァネッサは内心で深く、冷たい溜息をついた。
もはや、生半可な監視では意味がない。
この姉の暴走を止めるには、物理的な手段しかない。
「Ma sœur, un instant, s'il vous plaît.(姉さん、少々こちらへお願いします)」
ヴァネッサは、極めて事務的な、感情を排した声でエミリアを呼び寄せた。
エミリアが、なおも油断なく、しかし内心の期待を隠しきれない、猫のような表情で近づいてくる。
その間に、ヴァネッサは滅多に使わない黒いアタッシュケースを金庫から取り出し、重々しい音を立ててテーブルに置いた。
そして、中から取り出したのは――月明かりを受けて鈍く光る、一組の冷たい手錠だった。
エミリアが訝しげに眉をひそめる間もなく、ヴァネッサは素早い、しかし蛇のように滑らかな動作で、エミリアの白魚のような左手首を掴むと、手錠の片側を嵌めた。
カチリ、と冷たい金属音が、豪華なスイートルームの静寂に、場違いに響く。
「Quoi... ?!(何…!?)」
初めてエミリアの完璧なポーカーフェイスから余裕が消え、純粋な驚愕が浮かんだ。
ヴァネッサは構わず、もう片方を、素早く自身の右手首に嵌め、確実にロックした。
再び響く、冷たい金属音。
それは、まるで運命の扉が閉じる音のようだった。
流石のエミリアも、これは予想外だったのだろう。
大きく見開かれた碧眼が、信じられないものを見るように、自分とヴァネッサを繋ぐ無骨な銀色の鎖を、そしてヴァネッサの涼しい顔を、交互に見つめて固まっていた。
まるで美しい彫像のように、時が止まったかのようだ。
ヴァネッサは、そんなエミリアを一瞥もせず、部屋の隅でキャリーバッグを抱えたまま完全に凍りついている佐藤に向き直った。
その声は、あくまでも冷静で、保護者のように穏やかだった。
「Pardon the arrangements, Sato-san, but the sofa is yours this evening. It is my duty to 'chaperone' my sister, ensuring appropriate conduct, given the circumstances. You needn't worry.(この段取りをお許しください、佐藤さん、しかし今宵はソファがあなたのものです。状況を鑑み、適切な行いを保証するため、姉を『付き添い監督する』のが私の義務ですので。心配には及びません)」
そして、ヴァネッサは、ようやく固まったままのエミリアに向き直り、冷ややかに、しかしどこか昔の戦場での日々を懐かしむような響きで告げた。
「Juste pour que tu saches, ma sœur : la clé des menottes ? Elle n'est pas là. ...Quelle infortune ! Comme c'est dommage ! Cela fait une éternité... Et si nous dormions ensemble, comme lorsque nous étions blotties l'une contre l'autre dans cette tranchée exiguë ?(一応言っておくけど、姉さん:手錠の鍵? ここにはないわ。…なんて不運! なんて残念! 永遠に感じるほど久しぶりね…あの窮屈な塹壕でお互いに寄り添っていた時のように、一緒に寝るのはどうかしら?)」
その言葉が、エミリアの凍結を解く引き金だったのか、あるいは、佐藤の恐怖の限界を超えたのか。
エミリアの表情が、みるみるうちに怒りの炎に染まっていくのを幻視した佐藤は、もはや一刻の猶予もないと本能が告げていた。
彼は、まるで火事場の馬鹿力のように、ソファに投げ出していた上着を掴むと、部屋のドアに向かって、文字通り、転がるように逃げ出した。
ドアノブに手をかけ、もつれるように開けて、廊下に飛び出す。
背後で、エミリアの、地獄の底から響くような低い、しかし美しい声が聞こえた気がした。
「VANESSA !!! Espèce de... !(ヴァネッサ! この…っ!!)」
と。
***
艦内の冷たく無機質な廊下で、佐藤は荒い息をついていた。
耳の奥で、まだエミリアの怒声が反響しているような気がする。
一刻も早くここから逃げ出したい、心臓が警鐘のように鳴り響いている。
しかし、それ以上に恐ろしい想像が、鉛のように重い鎖となって彼の足を縫い止めた――このまま逃げたら? 今度こそ、エミリアは自分に愛想を尽かすのではないか? 彼女に見捨てられること、それが、今の佐藤にとって、何よりも耐え難い恐怖だった。
結局、佐藤は、まるで絞首台に自ら向かう囚人のように、重い足取りで、あの豪華すぎる部屋へと引き返した。
息を殺し、まるで罪人のようにドアの前に立つ。
部屋の前には、ジャンが、まるで忠実な番犬のように、しかしどこか疲れた表情で立っていた。
佐藤の姿を認めると、彼は深く、言葉にならない同情を込めたため息を漏らし、無言でドアを静かに開けてくれた。
その目には、『ご愁傷様』とでも言いたげな、憐憫の色が浮かんでいた。
佐藤は、恐る恐る、息を潜めて部屋に足を踏み入れた。
意外なことに、先ほどまでの嵐のような気配は消え、そこには奇妙な、張り詰めた静寂が支配していた。
月明かりが大きな窓から差し込み、部屋の輪郭を青白く浮かび上がらせている。
ヴァネッサは、リビングスペースの、上質な革張りのソファに深く腰掛け、膝の上に置いたタブレット端末に視線を落としていた。
その横顔は、いつものように涼やかで、先ほどの姉妹喧嘩など、まるでなかったかのようだ。
そしてエミリアは…彼女もまた、別のソファに、まるで精巧に作られた人形のように、静かに座っていた。
ただし、その左手首と、隣に座るヴァネッサの右手首は、鈍い銀色の輝きを放つ手錠で、固く繋がれていた。
「Oh, Sato-san. I see I've caused you some worry.(あら、佐藤さん。心配させてしまったようですね)」
佐藤の気配に気づいたヴァネッサが、ゆっくりと顔を上げた。
その声は、絹のように滑らかで、母親が子供を諭すような優しささえ感じさせた。
手錠の鎖が、彼女の動きに合わせて、カシャリ、と微かな金属音を立てる。
「I'm afraid you'll have to make do with the sofa tonight, Sato-san. You see, I need to keep a close eye on my sister here, to prevent any... rash actions. You have nothing to worry about.(申し訳ないが、今夜はソファで我慢してもらうことになるわ、佐藤さん。ご覧の通り、姉から目を離せないのよ、どんな…軽率な行動も防ぐためにね。心配はいらないわ)」
その言葉は、どこまでも冷静で、保護者のように穏やかだったが、手錠で繋がれた姉を『監督』するという状況の異常さが、佐藤の背筋を凍らせた。
佐藤は、エミリアの方を恐る恐る窺った。
激怒しているかと思ったが、意外にも彼女は静かだった。
ただ、どこか不満げに唇を尖らせ、ヴァネッサから顔を背け、窓の外の星空を眺めているだけ。
それでも、普段の彼女からは考えられないほど、その態度は大人しい。
佐藤は、その静けさが、かえって嵐の前の静けさのように感じられ、息を詰めた。
エミリアが本気で怒った時、何が起こるか…想像もしたくなかった。
ヴァネッサも、佐藤も、この時、エミリアの思考の深淵を覗き込むことはできなかった。
彼女の心の内を支配していたのは、怒りではなかった。
ヴァネッサが同室にいようと、手錠で繋がれていようと、そんなことは些細なこと。
自分の目の届く、同じ空間に佐藤がいる。
彼が、自分から逃げ出さずに、ここに戻ってきた。
その事実こそが、彼女にとっては、何よりも重要であり、ヴァネッサに対する小さな勝利の証だったのだ。
彼女の歪んだ独占欲は、既に満たされ始めていたのかもしれない。
そのことに気づかない二人の前で、エミリアはただ静かに、満足げなため息を、誰にも気づかれぬように、小さく漏らした。
***
強襲揚陸艦での日々は、奇妙なルーティンを生み出していた。
佐藤は、あの日以来、毎日欠かさずトレーニングルームに通い、シャドーボクシングの練習を続けていた。
壁一面の鏡に映る自分の姿は、まだぎこちなく、まるで振り付けを間違えたダンサーのようだ。
それでも、最初の頃よりは、いくらかマシになっている…はずだ。
汗が流れ落ち、心臓が早鐘のように打つ。
床に染み付いた汗と、微かなオイルの匂いが混じり合った、独特の空気が満ちていた。
部屋の隅では、オリヴィエ、ニコラ、ヴァンサンが、それぞれ黙々と自己トレーニングに励んでいたが、その視線は、時折、鋭く佐藤の動きを捉えていた。
「Sato! You're stiff as a board! Relax those shoulders, come on!(サトウ! まるで板みたいにガチガチだぞ! 肩の力抜いて、ほら!)」オリヴィエの陽気な声が飛ぶ。
「Tch... Your footwork's stiff. Watch your feet. Like you're gliding on the floor.(チッ…ステップが硬いぞ。足元を見ろ。床を滑るようにだ)」ニコラが、いつもの皮肉っぽい口調ながらも的確なアドバイスを挟む。
ヴァンサンは、黙ってはいるが、佐藤のフォームが崩れると、そっと手本を示すように、シャープなジャブを空中に繰り出してみせる。
彼らなりの、不器用な『監督』であり、面倒見の良さだった。
佐藤は、彼らの厳しさの中に、かすかな温かさを感じ始めていた。
そんな、汗と、かすかな火薬の匂いが漂う空間に、エロディが、まるで場違いな春風のように、ひょっこりと顔を出した。
「Sato-san, wouldn't you like to take a little break?(佐藤さん、少し休憩なさいませんか?)」
彼女は、にこやかに微笑みかける。その笑顔は、この鋼鉄の艦内では、ひときわ明るく見えた。
「I hear a Japanese ship is sailing alongside nearby. It's quite a rare sight, so wouldn't you like to go see it?(日本の船がすぐ近くを並走しているそうですよ。とても珍しい光景ですから、見に行きませんか?)」
「A Japanese... ship?(日本の…船?)」
佐藤は、疑問符を浮かべながらも、エロディの誘いに頷いた。
単調な訓練からの、思いがけない気分転換になるだろう。
エロディの案内に従い、二人はトレーニングルームを出て、艦内の、まるで迷路のような、灰色の廊下を進む。
金属の壁、低い天井、そして時折すれ違う、無表情な兵士たち…。
やがて辿り着いたのは、巨大な格納庫だった。
圧倒的なスケール感。
天井は遥か高く、クレーンやパイプが複雑に走り、まるで巨大生物の肋骨のようだ。
壁際には、戦闘ヘリや装甲車両が、巨大な模型のように整然と並んでいる。
床にはオイルの染みが点々と残り、機械油と潮の香りが混じり合った、重く、しかしどこか心を落ち着かせる匂いが漂う。
エロディは、格納庫の隅、巨大なサイドドアが少しだけ開け放たれた場所へと佐藤を導いた。
強い日差しと、生暖かい潮風が、そこから流れ込んでくる。
「From here, it's harder to be seen from outside, and besides, we won't be in the way of any work.(ここからなら、外からは見られにくいですし、それに、作業の邪魔にもなりませんから)」
開口部の向こうには、息をのむような光景が広がっていた。
どこまでも続く、太陽に照らされて眩しく輝く、穏やかなフィリピンの海。
そして、数キロメートルほど離れた距離を、まるで忠実な番犬のように、一隻の灰色の艦船が、白い航跡を長く引きながら、この強襲揚陸艦と寸分違わぬ速度で並走していた。
水平線上に現れたのは、スマートなシルエットを持つ灰色の巨体だった。
滑らかな船体の上には、無数のアンテナとレーダーが林立し、さながら動く要塞のようである。
艦首には、堂々とした単装砲が据えられ、その存在感を際立たせていた。
その主砲のすぐ後方、前甲板にはミサイル垂直発射システム(VLS)のセルが、まるで蜂の巣のように整然と並んでいる。
さらに艦の中央部に目を移せば、やや角度をつけて外側を向いた、重厚な対艦ミサイル発射キャニスターが数基、獲物を狙うかのように静かに鎮座しており、 この艦の高い戦闘能力を雄弁に物語っていた。
「That's a JMSDF escort ship... a destroyer, I believe.(あれは海上自衛隊の護衛艦…駆逐艦、だと思います)」
エロディが、指差しながら説明する。
その声には、わずかな興奮が混じっているようだった。
「I heard from the Chef, though... that over by the nuclear carrier in our fleet, there's an even bigger ship, the kind you Japanese refer to as a 'light carrier,' sticking very close.(シェフから聞いたんですけどね…私たちの艦隊の原子力空母のあたりには、さらに大きな船、日本の皆さんが『軽空母』って呼ぶ種類のものが、すごく近くについているらしいです)」
佐藤は、その光景を、ただ呆然と眺めていた。
なぜ、わざわざ日本の艦船が、このヨーロッパの艦隊と、こんな大海原の真ん中で、一緒に走る必要があるのだろう? 彼には、その軍事的、あるいは政治的な意味合いなど、全く理解できなかった。
ただ、子供の頃、友達と、新しいおもちゃやゲームを見せびらかし合ったことを、ぼんやりと思い出していた。
巨大な軍艦を何隻も連ねて、互いの性能や練度を、競い合っているのだろうか。
まるで、国と国が、互いの最新のおもちゃを見せつけ合っているみたいだ、と。
彼は、そんな、どこか間の抜けた、しかし彼にとっては自然な感想を抱いていた。
***
太陽は中天に高く昇り、フィリピン海の穏やかな海面を、まるで溶けたガラスのように眩しく照らし出す。
空には白い雲がいくつか浮かんでいるが、視界を遮るものは何もない。
二つの艦隊は、互いに数キロメートルの距離を保ちながら、巨大な鋼鉄の鯨が海原を並んで泳ぐように、静かに、しかし力強く航行を続けていた。
日本の大型護衛艦――多くの軍事評論家が『軽空母』と分類するその広大な飛行甲板は、現在、自艦の航空機運用を停止している。
政治的な配慮か、あるいは単なる演習スケジュールか。
理由はともあれ、それは甲板にいた多くの乗組員に、予期せぬ、そしてまたとない『観劇』の時間を与えていた。
飛行甲板の端、安全柵のすぐ内側には、作業を中断した整備員、休憩中のパイロット、非番の自衛官たちが、まるでアイドルのコンサート会場に集まったファンのように、あるいは、初めて動物園に来た子供のように、鈴なりになっていた。
彼らの背後や周囲では、ローターブレードを固く縛られた哨戒ヘリコプターや、整然と並ぶ最新鋭の短距離離陸・垂直着陸(STOVL)機が、静かにその灰色の巨体を休めている。
まるで、自らの出番を待ちながら、海の向こうで行われている華やかな航空ショーを、固唾を飲んで見守っているかのようだ。
それは、日本の海の守りの精鋭たちであり、欧州の有志国で編成された艦隊に対する静かな、しかし確かな自負心の表れでもあった。
だが、自艦が誇るこれらの翼を前にしても、乗組員たちの視線は、ただ一点――並走する巨大な艦影、欧州の有志国で編成された艦隊が誇る原子力空母――に、釘付けになっている。
手にはスマートフォンやカメラが握られ、抑えきれない興奮が、熱っぽい囁き声や、時折上がる「おおっ!」という短い歓声となって、潮風に乗って流れていく。
「おい、見たか今の!」
「すげえ…射出だ!」
「映画そのものじゃないか…!」
彼らの多くは、ヘリコプターや、最新鋭とはいえ自艦が運用する垂直離着陸が可能な戦闘機の運用には慣れている。
だが、今、目の前で繰り広げられているのは、彼らが子供の頃から映像で、あるいは模型で見て憧れた、空母運用の『華』――白い蒸気をもうもうと噴き上げながら、艦載機を水平線の彼方へと撃ち出す、蒸気カタパルトによる射出。
そして、甲板に張られたワイヤーが、着艦する機体を、まるで巨大な獣の首を捕らえるかのように、強引に停止させるアレスティング・ワイヤーによる着艦。
それは、彼らにとって、教科書でもシミュレーターでも決して味わえない、圧倒的なパワーと技術が凝縮された、生のスペクタクルだった。
視線の先、巨大な空母の甲板から、白い蒸気が濛々と立ち昇る。
次の瞬間、鋭い楔形の艦載戦闘機が、まるでパチンコ玉のように、信じられないほどの加速で射出された! 腹に響くような轟音が一瞬遅れて海面を渡り、機体はあっという間に紺碧の空に吸い込まれていく。
かと思えば、別の機体が、優雅な、しかし計算され尽くした曲線を描きながら着艦態勢に入る。
甲板に叩きつけられるような衝撃、そしてワイヤーにフックが掛かる甲高い金属音(は、さすがにこの距離では聞こえないだろうが、想像はできる)。
機体は信じられないほど短い距離で急停止し、熟練のデッキクルーたちが、まるで精密機械の部品のように、蟻のように素早く動き回り、機体を次の発艦準備へと移していく。
その一連の流れは、息つく暇もないほどダイナミックで、洗練されていた。
その熱狂的な様子を、護衛艦の艦橋から、艦長と数人の幹部自衛官が、やや困惑したような、それでいてどこか微笑ましいような、複雑な表情で眺めていた。
双眼鏡を目に当てた副長が、小さく呟く。
「…まあ、気持ちは分かりますがね、艦長。まるで、遠足に来た小学生のようですな」
艦長は、深くため息をついた。
その音には、部下への理解と、同時に、自衛官としての規律を重んじる立場からの、わずかな当惑が滲んでいた。
「…規律は保たせろ。だが、あまり厳しく言うな。彼らにとっても、…いや、我々にとっても、これは得難い経験だ。相手の練度を、この目で直接見られるのだからな」
彼の言葉は、部下を理解する指揮官としての顔と、この異様な『見学会』が持つ軍事的な意味合いを冷静に分析する顔の両方を示していた。
一方、海の向こうの巨大空母の甲板では、水兵たちが、いつものように、日常業務を淡々とこなしていた。
時折、並走する日本の艦から送られる熱い視線や、振られる手に気づき、軽く手を振り返したり、あるいは、不思議そうに首を傾げたりしながら。
彼らにとって、それは毎日繰り返される、当たり前の光景でしかなかったのだ。




