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~影の女王と五人の歌姫~ 標的はアイドル(その十七)

この物語はフィクションです。

この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。


ようこそ、東京の影の中へ。

ここは、光が滅び、影が支配する世界。

摩天楼が立ち並ぶ、華やかな都市の顔の裏側には、深い闇が広がっている。

欲望、裏切り、暴力、そして死。

この街では、毎夜、人知れず罪が生まれ、そして消えていく。

あなたは、そんな影の世界に生きる、一人の女に出会う。

彼女の名は、エミリア・シュナイダー。

金髪碧眼の美しい姿とは裏腹に、冷酷なまでの戦闘能力を持つ、凄腕の「始末屋」。

幼い頃に戦場で、彼女は愛する家族を、理不尽な暴力によって奪われた。

それは、彼女が決して消すことのできない傷となり、心を閉ざした。

今もなお、彼女は過去の悪夢に苛まれ、孤独な戦いを続けている。

「私は、この世界に必要とされているのだろうか?」

「私は、幸せになる資格があるのだろうか?」

深い孤独と絶望の中、彼女は自問自答を繰り返す。

だが、運命は彼女を見捨てなかった。

心優しい元銀行員の相棒、エミリアの過去を知る刑事、そして、エミリアの過去を知る謎めいた女ライバル。

彼らとの出会いが、エミリアの運命を大きく変えていく。

これは、影の中で生きる女の物語。

血と硝煙の匂いが漂う、危険な世界への誘い。

さあ、ページをめくり、あなたも影の世界へと足を踏み入れてください。

そして、エミリアと共に、非日常の興奮とスリル、そして、彼女の心の再生の物語を体験してください。

あなたは、エミリアに、どんな未来を見せてあげたいですか?

…この物語は、Gemini Advancedの力を借りて、紡がれています。

時に、AIは人間の想像を超える unexpected な展開を…

時に、AIは人間の感情を揺さぶる繊細な表現を…

Gemini Advancedは、新たな物語の世界を創造する、私のパートナーです。


この作品はカクヨムにて先行公開しており、こちら(小説家になろう)では一ヶ月遅れでの公開となります。あらかじめご了承ください。


ただし、どうか忘れないでください。

これは、あくまでフィクションだということを。

This is a work of fiction. Any resemblance to actual events or persons, living or dead, is purely coincidental.

Ceci est une œuvre de fiction. Toute ressemblance avec des événements réels ou des personnes, vivantes ou mortes, serait purement fortuite.

(この作品はフィクションです。実在の出来事や人物、存命・故人との類似はすべて偶然です)

 

夜の帳が完全に下り、東京の摩天楼が放つ光の粒もまばらになり始めた頃。

日付が変わる直前、街全体が深い眠りにつこうとしているその時間、東京の治安を守る砦、警視庁の建物もまた、静寂に包まれているはずだった。

しかし、刑事部に割り当てられたフロアだけは例外だった。

窓から漏れる人口の明かりの白々とした光は、まるで昼間の喧騒をそのまま閉じ込めたかのように、異様な熱気を帯びていた。


匿名の情報源からもたらされた、国際的な資金洗浄に関する情報。

その一報は、静かな湖面に投げ込まれた巨大な岩のように、瞬く間に波紋を広げ、数か国の捜査機関を巻き込む大規模な捜査へと発展していた。

刑事部のフロアは、そんな捜査に駆り出された刑事たちの熱気と、彼らが発する微かな汗の匂い、そして幾重にも積み重なった書類の、インクと紙が混じった独特の香りで満たされていた。

壁一面に張り巡らされたホワイトボードには、複雑に絡み合う事件の関係図が、赤、青、黒のマーカーで描かれ、まるで現代アートのような様相を呈していた。


部屋の隅では、コップが散乱し、インスタントコーヒーの粉がテーブルに薄く積もっている。

数人の刑事たちが、モニターを睨みつけ、キーボードを叩く音だけが、時折、沈黙を破っていた。

その音は、まるで戦場に響く銃声のように、張り詰めた空気を切り裂いていた。


そんなフロアの一角で、俗にいう『吊るし上げ』が始まろうとしていた。


「松田、お前はどれだけ俺たちに迷惑をかけているんだ!」


係長の怒号が、静まり返ったフロアに響き渡った。

その声は、まるで雷鳴のように、他の刑事たちの動きを一瞬、静止させた。

係長のデスクは、彼の人となりを表すかのように乱雑だった。

飲みかけのコーヒーがなみなみと注がれた、使い古されたマグカップ。

その隣には、最新型のノートパソコンが、まるで不釣り合いな装飾品のように置かれている。

そして、デスクの上には、山積みになった書類と、読みかけの捜査資料が、無秩序に散らばっていた。


係長は、ドスンと音を立ててデスクを叩いた。

その衝撃で、冷め切ったコーヒーが波打ち、カップがカチャカチャと小刻みに踊る。

ノートパソコンもまた、その振動で軽く跳ね上がり、薄い金属音が静寂を切り裂いた。


「係長。そんなに怒りますと血圧が上がって、次の健康診断でも再検査って言われますよ」


松田は、心配そうな表情を浮かべながらも、軽口を叩いてその場の空気を和らげようとした。

無精髭を生やし、くたびれたスーツを着たその姿は、歴戦の刑事にふさわしい風格を漂わせている。

しかし、その瞳の奥には、反省の色は微塵も見られなかった。


「お前のせいだろうが!勝手に何でも首を突っ込んでかき乱すから『下着泥棒に気を付けてください』のチラシ配りだけを指示したのに、もう一度聞くが、なんである国の大使館の火事現場で聞き込みなんてやっていたんだ!! そのせいで、こっちまで方々からクレームが来たんだぞ!!!」


係長の顔は、まるで茹で上がった蛸のように真っ赤だった。

その怒りは、まるで火山の噴火のように、今にも爆発しそうだった。

松田は、その様子を冷静に観察しながら、心の中で呟いた。


(こりゃ、今度の健康診断でも血圧が高すぎて医者に怒られるな…)


「本当なら辞表でも書かせたいところだが…。良かったな、松田」


突然、係長はニタリと笑みを浮かべ、松田を見つめた。

その笑みは、まるで獲物を狙う肉食獣のように、不気味な光を放っていた。

松田は、その変化に嫌な予感を感じずにはいられなかった。

まるで、深い森の中で、見えざる危険に囲まれたような、そんな感覚だった。

背筋を、冷たい何かが這い上がってくる。

松田の経験則から生まれた危機を察知する本能が、最大級の警報を鳴らしていた。


「お前が勝手に聞き込みして、外交問題になりかけた、あの火事の一件だが…」


係長は、先程までの怒気を幾分か潜め、低く、しかし、はっきりと聞こえる声で切り出した。

その声には、先ほどの激情とは異なる、何かを含んだ響きがあった。

まるで、重い真実を告げる前の、静かな前触れのような。

松田は、その声色の変化に、一抹の違和感を覚えながらも、次の言葉を待った。


「…先方から、連絡があった」


係長は、一呼吸置いて、続けた。

その言葉の端々には、普段の彼からは想像もつかないような、慎重さが滲み出ていた。


「『此度の件につきましては、遺憾ながら、我が国の主権に対する侵害と受け取られかねない、誤解を生じ得る言動が確認されたとの報告を受けております。しかしながら、両国の友好関係を鑑み、もしそのような誤解が生じているのであれば、速やかに事実関係を確認し、適切な措置を講じる用意がございます』…とのことだ」


係長は、まるで外国語の文章をそのまま日本語に訳したような、硬く、そして回りくどい言い回しで、相手国の意向を伝えた。

その言葉は、外交的な駆け引きの匂いを濃厚に漂わせていた。

まるで、水面下で繰り広げられる、静かな、しかし激しい主導権争いを、そのまま言葉にしたかのようだった。


「つまり、遠回しに謝罪と、事態の収拾を求めてきたんだ」


係長は、最後にそう付け加え、ようやく松田の方を向いた。

その表情には、怒りとも、呆れともつかない、複雑な感情が浮かんでいた。

まるで、面倒なパズルを解き終えた後のような、そんな疲労感と、達成感が混ざり合ったような、何とも言えない表情だった。


「松田、お前が情報源として胡散臭い連中を利用しているのは知っているが、何時から外交的圧力を訂正させて謝罪させるほどの人脈を作ったんだ?」


不意打ちのように放たれた係長の質問は、まるで鋭利な刃物のように、松田の思考の隙間を縫って核心に迫ってきた。

その声は、騒がしい部屋の中で、やけに大きく響き、松田の鼓膜を強く揺さぶった。

松田は一瞬、言葉に詰まった。

まるで、舞台上で突然セリフを忘れてしまった役者のように、頭の中が真っ白になった。


(外交的圧力を訂正させて謝罪させるほどの力を持つ知り合い…?)


松田は、自分の脳裏に、これまでの人生で出会った人物たちの顔を、走馬灯のように思い浮かべてみた。

しかし、その中に、そのような力を持つ人物は、一人として思い当たらなかった。


「係長。私のようなしがない公務員が、外交的圧力を訂正させて謝罪させるほどのお友達と出会えるわけないじゃないですか」


松田は、努めて平静を装い、冗談めかして答えた。

しかし、その声は、ほんのわずかに震えていた。

まるで、薄氷の上に立っているかのような、危ういバランス感覚だった。


「よく言う。噂じゃ東京どころか、世界でトップレベルの裏社会の凄腕を顎で使っているそうじゃないか」


係長は、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、松田の言葉を真っ向から否定した。

その眼差しは、まるで獲物を追い詰める肉食獣のように、鋭く、そして執拗だった。

部屋の片隅で、照明器具がジジジ…と微かな音を立てている。

それが、やけに耳についた。


「係長。まさか警察官の私が裏社会の人間を使えるわけないじゃないですか」


松田は、再び冗談めかして答えた。

しかし、その声は、先ほどよりもさらに硬くなっていた。

まるで、鋼鉄の鎧を身に纏い、自分の本心を隠そうとしているかのようだった。


そんな二人のやり取りを、桜井は、自分のデスクから冷ややかに見つめていた。

彼女は、今日の日報をノートパソコンで作成しながら、時折、二人に視線を送っていた。

その表情は、まるで退屈な舞台劇を鑑賞している観客のように、冷淡で、そしてどこか諦めに似た感情を湛えていた。


ショートヘアの彼女は、市販の動きやすいスーツを颯爽と着こなし、その姿は、まるで雑誌から抜け出してきたモデルのようだった。

しかし、その美貌とは裏腹に、彼女の表情は硬く、感情の起伏がほとんど見られなかった。


(また、この二人の茶番劇が始まった…)


桜井は、心の中でため息をついた。

その音は、静かなオフィスの中に、小さく吸い込まれていった。

パソコンのキーボードを叩く音だけが、虚しく、部屋に響いていた。

秋の夜風が、窓の隙間からそっと入り込み、彼女の頬を撫でる。

それは、まるで、この閉塞的な空間から逃げ出したいと願う彼女の心のように、冷たく、そして儚い風だった。


彼女の視線の先では、松田と係長の、まるで喜劇のようなやり取りが、まだ続いていた。

その様子は、まるで底なし沼のように、彼女の心を、ゆっくりと、しかし確実に、深い諦めの淵へと引きずり込んでいくのだった。


桜井は、もうさっさと日報を書き終え、この騒がしい、それでいてどこか冷え切った空気から解放されたいと、ノートパソコンの画面に視線を落とした。

指先が、無意識のうちにキーボードの上を駆け巡る。

今日の出来事を、簡潔かつ正確に記録していく。

しかし、その機械的な作業とは裏腹に、彼女の心は、どこか上の空だった。


突如、静寂を切り裂くように、電話の着信音が鳴り響いた。

それは、桜井のデスクに置かれた、無骨な充電台の上に置かれた公用のスマートフォンとは別に置かれた、もう一台の電話機から発せられていた。

その音は、まるで緊急事態を告げる警報のように、桜井の意識を現実へと引き戻した。


桜井は、ちらりと電話機のディスプレイに目をやった。

表示されたのは、国際電話を示す、見慣れない番号。

普段、国際電話などかかってくることのない桜井は、一瞬、怪訝な表情を浮かべた。

しかし、松田ほどではないにせよ、彼の手法を見よう見まねで、桜井もまた、意識的に裏社会の事情通との繋がりを増やそうと努めていた。

その中の一人かもしれない。

番号を偽装して身元を隠そうとする、その慎重さが、逆に相手への興味を掻き立てた。

好奇心と、ほんの少しの警戒心を胸に、桜井は受話器を取った。


「桜井です。何かありましたか?」


電話の向こうから聞こえてきたのは、最近よく言葉を交わすようになった、霧島玲奈の声だった。


「桜井さん、夜遅くすみません。あの、今って松田さんどうしていますか?」


霧島の声は、普段の冷静沈着な彼女からは想像もできないほど、切羽詰まった響きを帯びていた。

桜井は、受話器を頭と肩の間に挟み、器用にノートパソコンのキーボードを叩き始めた。

日報の続きを打ち込む、そのリズミカルな音は、まるで彼女の冷静さを保つための儀式のようだった。


「松田さんなら民間人には詳しく言えませんが、いつものように何ら進化もしない日常の繰り返しをしていますよ」


桜井は、皮肉めいた口調で答えた。

その間にも、背後からは、係長の怒号と、それをのらりくらりとかわす松田の、まるで漫才のようなやり取りが聞こえてくる。


「クソッ!何度言ったらわかるんだ、松田!」

「いやー、係長、そんなに怒鳴ると体に毒ですよ。健康第一ですって」


その騒がしさは、電話の向こうの霧島にも、はっきりと聞こえているはずだった。

霧島は、言葉を選びかねているのか、曖昧な相槌を返した後、遠慮がちに、しかし、確かな意志を込めて、桜井に伝言を頼んだ。


「こんな時間で申し訳ないのですが、松田さんが今の事態からうまく逃げ出せたら、私に電話をするようお願いできないでしょうか?」


桜井は、視線をキーボードから外し、愛用の腕時計に目をやった。

無駄を削ぎ落としたシンプルな文字盤の上で、蛍光塗料を施された短針と長針が、静かに、しかし確かな足取りで時を刻み、午前0時17分を指し示していた


「かなり無理なお願いをしているのはわかっています。でも、今しかチャンスがないことなのです。お願いします!」


霧島の声は、懇願するような響きを帯びていた。

普段、冷静沈着で、感情を表に出すことの少ない彼女が、これほどまでに情熱的に訴えかけてくることに、桜井は驚きを隠せなかった。


刑事部のフロアは、日付が変わったというのに、未だ活気に満ち溢れていた。

数か国にまたがる大規模な資金洗浄事件の捜査は、始まったばかりだ。

オンラインでの連絡や電話などで様々な言語が飛び交い、まるで国際会議場のようだった。

壁一面に貼られたホワイトボードには、複雑な組織図や、関係者の写真、そして、それらを繋ぐ無数の線が、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされている。


空気は、緊張感と、そして、どこか高揚した雰囲気に満ちていた。

まるで、これから始まる嵐の前の、静けさと興奮が入り混じったような、そんな独特の空気だった。

コーヒーの香りと、書類のインクの匂い、そして、人々の熱気が混ざり合い、独特の匂いを醸し出している。


そんな喧騒の中で、桜井は、霧島の言葉の真意を測りかねていた。

しかし、彼女の切実な声は、桜井の心を、確実に揺さぶっていた。


 何とか係長の執拗な追及を煙に巻き、松田はふらふらと廊下を歩いた。

まるで嵐の海を漂流する小舟のように、どこへ向かうともなく、ただただ安全な場所を求めていた。

そして、たどり着いたのは、廊下の片隅にひっそりと設置された自動販売機コーナーだった。

数台の自販機が、無機質な光を放ちながら並んでいる。

その横には、ゴミ箱が設置されていたが、既に容量オーバー。

空き缶やペットボトル、弁当の空き容器などが、まるで現代アートのオブジェのように、無残な姿を晒していた。


「やれやれ…」


松田は、独り言ちながら、散乱したゴミを拾い集め始めた。

まるで、自分の心の乱れを整えるかのように、一つ一つ丁寧に、分別しながらゴミ箱へと戻していく。


「もう、松田さん!係長のところから逃げ出して、どこに行ったのか探すのに苦労しましたよ!」


背後から、鋭い声が飛んできた。

振り返ると、そこには、腕組みをした桜井が、仁王立ちしていた。

その表情は、まるで獲物を睨みつける猛禽類のようだった。


(なぜ怒られなければならないのか…)


松田は心の中で呟きながらも、表面上は殊勝な態度で謝罪の言葉を口にした。

これは、彼の長年の経験から身につけた、処世術の一つだった。


「探していたのならすまん。それで、こんな深夜に何かあったのか?」


松田は、ゴミ拾いの手を止め、桜井に視線を向けた。

その声は、まるで疲れた旅人のように、気だるく、そしてどこか遠くを見つめているようだった。

桜井は、呆れたようにため息をつくと、早口でまくし立てた。


「霧島さんから、今すぐ連絡して欲しいと電話があったんです。ちゃんと伝えましたから、電話してくださいね!私は、このまま宿直室が埋まる前に仮眠とりますから!!」


桜井は、そう言い残すと、まるで嵐のように去っていった。

その足音は、廊下に響き渡り、遠くへと消えていく。

松田は、彼女の背中を見送りながら、ぼそりと呟いた。


「慌ただしい奴だな。女子用の仮眠室なら、男子用と違って、まだ余裕があるだろうに…」


松田は、再びゴミ拾いを再開した。

しかし、その手つきは、先ほどよりもどこかぎこちなかった。

まるで、心ここに在らずといった様子だった。


ゴミを片付け終えると、松田は、自販機横のベンチにどっかりと腰を下ろした。

その体勢は、まるで長年連れ添った老夫婦のように、ベンチと一体化しているかのようだった。

そして、本来ならば、警視庁の、しかも刑事部に割り当てられたエリア内では持ち込むことすら禁止されている私物のスマートフォンを、まるで宝物のように、そっとポケットから取り出した。


スマートフォンを手に取りながら、松田は考える。


(しかし、こんな深夜に連絡してこいとは…一体何があったんだ?)


霧島からの連絡。

その事実は、松田の心に、小さな波紋を広げていた。

まるで、静かな湖面に、一滴の雨が落ちたかのように。

その波紋は、次第に大きくなり、彼の心を、不安と期待、そして、ほんの少しの好奇心で満たしていくのだった。


刑事部フロアは、未だ喧騒の只中にあった。

様々な言語が飛び交い、キーボードを叩く音、

電話の呼び出し音、そして、捜査員たちの怒号や指示が、まるでオーケストラのように、複雑に絡み合い、一つの巨大な音の塊となって、空間を支配していた。

空気は、熱気と緊張感、そして、かすかな焦燥感で満たされている。

まるで、これから始まる戦いの前の、最後の準備をしているかのような、そんな緊迫した空気だった。


そんな喧騒を背に、松田は、静かにスマートフォンの画面を見つめていた。

その瞳には、複雑な感情が入り混じった、深い光が宿っていた。


松田は深く息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出した。

まるで、これから始まる長時間の潜水に備える海女のように。

そして、意を決して、スマートフォンの画面に表示された霧島玲奈の名前をタップした。


コール音は、わずか数回で途切れた。

まるで、今か今かと待ち構えていたかのように。


「松田さん、すみません。こんな時間に」


電話口から聞こえてきた霧島の声は、普段の冷静沈着な彼女からは想像もつかないほど、弱々しく、そして申し訳なさそうに響いていた。


「いや、大丈夫。それより、何かあったのか?」


松田は、自動販売機コーナーに設置された、古びたベンチに腰掛けたまま、問いかけた。

彼の視線は、目の前の自動販売機に貼られた、色褪せた新商品の広告に向けられていた。

しかし、その瞳には、広告の文字は何も映っていない。

彼の意識は、全て電話の向こうの霧島に集中していた。


「松田さん。私のような不祥事やあきらかな犯罪で辞めさせられた警察官ではなく、不本意な形で退職することになった警察官の知り合い、多いですよね?」


霧島の声は、緊張感を帯びていた。

まるで、薄氷の上を歩くように、言葉を選びながら、慎重に話を進めているようだった。

松田は、彼女の真意を測りかね、言葉を失った。


「松田さん。私は、自分のスキルが時代に合致したスキルですから、まだ生活費くらいなら稼ぐことができました。でも、私のような理由で警察を辞めた人は、多くの人が再就職で苦労しているのは聞いているのです」


霧島の言葉は、まるで遠い国の出来事を語るように、淡々としていた。

しかし、その奥には、深い悲しみと、そして、わずかな希望の光が宿っているように、松田には感じられた。


松田は、ようやく重い口を開いた。

しかし、その口から出たのは、言葉ではなく、深い沈黙だった。

彼は、霧島が言いたいことを、痛いほど理解していた。


正義感が強く、職務に忠実だった元警察官たち。

しかし、その正義感が、時として組織の論理と衝突し、彼らを窮地へと追い込む。

不器用なまでに真っ直ぐな彼らは、社会の荒波にもまれ、再就職の道も閉ざされ、苦しい生活を強いられている。

松田は、そんな彼らを何人も見てきた。

そして、その度に、自分の無力さを痛感させられてきた。


中には、故郷へと帰り、新たな生活を始めた者もいる。

しかし、多くの元警察官たちは、まるで何かに取り憑かれたように、東京という巨大な迷宮にしがみつき、日銭を稼ぎながら、辛うじて生きていた。


(なぜ、そこまで東京にこだわるんだ…?)


松田には、その理由が理解できなかった。

しかし、東京という街が、人々を惹きつけ、そして、惑わす、魔力のようなものを持っていることは、彼にも分かっていた。


「松田さん。いきなりこんなことを聞かれて答えづらいの、わかりますが、お願いします。今なら、私と同じような目にあった人たちを助けられるのです!」


霧島の声は、まるで祈りのように、松田の心に響いた。

その声には、迷いや不安は一切なく、ただ、純粋な正義感と、仲間を救いたいという、強い思いだけが込められていた。


松田は、スマートフォンを握りしめ、目を閉じた。

彼の脳裏には、これまで出会ってきた、多くの元警察官たちの顔が、走馬灯のように浮かんでは消えていった。


(霧島が何をしようとしているのかは分からない。しかし、彼女の正義感は本物だ。彼女なら、きっと間違ったことはしない…)


松田は、そう自分に言い聞かせ、静かに口を開いた。


「わかった。連絡がつく人間なら、野球のチームなら一軍から三軍まで作れるほどいるが、全員に声をかけて良いのだな?」


松田の声は、まるで決意を表明するかのようだった。


「はい!さすが松田さん、こういう時は頼りになります!!」


電話の向こうで、霧島が明るい声で答えた。


(そりゃどういう意味だ…)


松田は、心の中で苦笑いしながら、小さく突っ込んだ。

だが、その声は、まるで暗闇に差し込む一筋の光のように、松田の心を温かく照らした。


 秋の夜更け、東京の喧騒も一段落し、静寂が街を包み込む午前一時過ぎ。

株式会社エリジウム・コードの応接室は、しかし、外の静けさとは対照的に、緊張感と、どこか張り詰めた空気に満ちていた。


佐藤は、革張りのソファに浅く腰掛け、目の前で繰り広げられる光景を、まるで別世界の出来事のように眺めていた。

霧島は、いつもの冷静沈着な表情で、時折、黒髪をかき上げながら、熱心に何かを説明している。

その言葉は、専門用語が飛び交い、元銀行員の佐藤には、ほとんど理解できなかった。

眠気と戦いながら、まるで、勉強したことがない外国語を聞いているかのようだった。


彼女の向かいには、ジャン=ピエール・ルブランとアナイス・ベルナールが座っている。

ルブランは、屈強な体格をダークスーツに包み、精悍な顔つきで霧島の話に聞き入っている。

その表情は、まるで獲物を狙う猛禽類のように鋭く、真剣そのものだった。

一方、アナイスは、エミリアよりも暗いブロンドの髪を揺らしながら、時折、優雅な仕草でルブランに言葉を添えている。

その声は、鈴の音のように澄んでいて、心地よい響きを持っていたが、その瞳の奥には、冷徹な光が宿っているようにも見えた。


三人の間には、見えない糸が張り巡らされているかのようだった。

それは、互いの目的を理解し、協力関係を築こうとする意志の表れなのか、それとも、互いの腹を探り合う、緊張感の表れなのか…。

佐藤には、判断がつかなかった。


(松田さん…元警察官…野球チーム…?)


佐藤は、頭の中で、断片的に聞こえてきた言葉を反芻してみた。

しかし、その言葉たちは、まるでバラバラになったパズルのピースのように、意味のある形を成してはくれなかった。


応接室の壁には、Berurikkuのサイン入りポスターと、所属タレントたちの写真が飾られている。

普段であれば、明るく活気のある雰囲気を醸し出しているはずのその空間も、今は、人工的な照明の下で、どこか冷たく、無機質な印象を与えていた。

窓の外は、深い闇に包まれ、時折、遠くを走る車の音が、微かに聞こえてくるだけだった。


佐藤は、まるで場違いな場所に迷い込んでしまった異邦人のような感覚に襲われていた。

エミリアのような、特殊な訓練を受けた人間ならば、この会話の内容も理解できるのだろう。

しかし、佐藤はただの元銀行員だ。

金融の世界ならばまだしも、このような、裏社会と繋がりのあるような話には、全くついていけない。


三人の真剣な表情を見ていると、佐藤は、自分がこの場にいることが、ますます場違いに思えてきた。

まるで、高級レストランに、普段着で来てしまったような、そんな居心地の悪さを感じていた。

彼は、小さく息を吐き出し、そっと立ち上がった。


「Would you care for something to drink? Would tea be acceptable for all of you?(何かお飲み物はいかがですか?皆様、紅茶でよろしいでしょうか?)」


佐藤は、張り詰めた空気を少しでも和らげようと、努めて明るい声で提案した。

エリジウム・コードの応接室は、夜の静寂に包まれている。

窓の外は、東京の夜景が宝石を散りばめたようにキラキラと輝いているが、室内の空気は重く、まるで時間が止まってしまったかのようだった。


佐藤の提案に、ジャンは、まるで古い友人の秘密を打ち明けるかのように、ふと表情を緩め、口元に微笑みを浮かべた。


「Ah, zat is Emilia's favorite, non? And Madame, she also enjoys it, you see.(ああ、それはエミリアのお気に入りだね、そうだろう?マダムも、ほら、お好きなんだよ)」


ジャンの言葉は、静かな部屋に、予想外の波紋を広げた。

佐藤は、一瞬、言葉を失った。エミリアは、確かに紅茶を好んで飲んでいた。

しかし、それは彼女の数ある嗜好の一つに過ぎない。

コーヒーを飲むこともあれば、緑茶をすする姿も見たことがある。

自分の好みをことさら主張しないエミリアの、その控えめな一面を、佐藤は好ましく思っていた。


それなのに、なぜジャンがエミリアの好みを、それも「好きな飲み物」として言い切れるのか。

その事実が、佐藤の心に、小さな棘のように突き刺さった。

まるで、自分だけが知らない秘密を、目の前で明かされたような、そんな疎外感と、ほんの少しの嫉妬心が、胸の奥底で渦巻いていた。


「Now, now, my friend, you misunderstand. It is only because Madame mentioned it that I know what Emilia likes.(まあまあ、友よ、誤解しているようだね。私がエミリアの好みを知っているのは、ただマダムがそう言っていたからだよ)」


ジャンは、佐藤の心の揺らぎを見透かしたかのように、穏やかな声で続けた。

その表情は、まるで秋の日の光のように柔らかく、そして温かかった。


「But, eh... if Emilia, she 'as told you 'erself what she likes to drink... well, zen you must be someone special to 'er, eh? Lucky you, I must say.(でも、まあ…もしエミリアが、君に直接、自分の好きな飲み物を教えたっていうんなら…そりゃ、君は彼女にとって特別な存在なんだろうね、え? いやはや、羨ましい限りだよ、全く)」


ジャンの言葉は、佐藤の心に、静かに染み渡っていった。

まるで、乾いた大地に恵みの雨が降り注ぐように。

先ほどまで渦巻いていた嫉妬心は、いつの間にか消え去り、代わりに、温かい感情が胸を満たしていた。


しかし、同時に、佐藤は自分の未熟さを痛感させられた。

エミリアの相棒を自称しながら、彼女の些細な好みの話題に嫉妬してしまう自分の心の狭さ。

そして、それをいとも簡単に見抜いてしまうジャンの、人間としての深み。


(僕は、まだまだ未熟だ…)


佐藤は、心の中で深く反省した。

そして、エミリアの相棒として、彼女にふさわしい人間になろうと、改めて決意を固めた。

応接室の時計は、午前1時を過ぎたばかり。

秋の夜は、まだ始まったばかりだった。

窓の外では、冷たい風が木の葉を揺らし、カサカサと乾いた音を立てている。

それは、まるで佐藤の心の成長を促す、静かな応援歌のように聞こえた。

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