~影の女王と五人の歌姫~ 標的はアイドル(その十一)
この物語はフィクションです。
この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
ようこそ、東京の影の中へ。
ここは、光が滅び、影が支配する世界。
摩天楼が立ち並ぶ、華やかな都市の顔の裏側には、深い闇が広がっている。
欲望、裏切り、暴力、そして死。
この街では、毎夜、人知れず罪が生まれ、そして消えていく。
あなたは、そんな影の世界に生きる、一人の女に出会う。
彼女の名は、エミリア・シュナイダー。
金髪碧眼の美しい姿とは裏腹に、冷酷なまでの戦闘能力を持つ、凄腕の「始末屋」。
幼い頃に戦場で、彼女は愛する家族を、理不尽な暴力によって奪われた。
それは、彼女が決して消すことのできない傷となり、心を閉ざした。
今もなお、彼女は過去の悪夢に苛まれ、孤独な戦いを続けている。
「私は、この世界に必要とされているのだろうか?」
「私は、幸せになる資格があるのだろうか?」
深い孤独と絶望の中、彼女は自問自答を繰り返す。
だが、運命は彼女を見捨てなかった。
心優しい元銀行員の相棒、エミリアの過去を知る刑事、そして、エミリアの過去を知る謎めいた女ライバル。
彼らとの出会いが、エミリアの運命を大きく変えていく。
これは、影の中で生きる女の物語。
血と硝煙の匂いが漂う、危険な世界への誘い。
さあ、ページをめくり、あなたも影の世界へと足を踏み入れてください。
そして、エミリアと共に、非日常の興奮とスリル、そして、彼女の心の再生の物語を体験してください。
あなたは、エミリアに、どんな未来を見せてあげたいですか?
…この物語は、Gemini Advancedの力を借りて、紡がれています。
時に、AIは人間の想像を超える unexpected な展開を…
時に、AIは人間の感情を揺さぶる繊細な表現を…
Gemini Advancedは、新たな物語の世界を創造する、私のパートナーです。
この作品はカクヨムにて先行公開しており、こちら(小説家になろう)では一ヶ月遅れでの公開となります。あらかじめご了承ください。
ただし、どうか忘れないでください。
これは、あくまでフィクションだということを。
This is a work of fiction. Any resemblance to actual events or persons, living or dead, is purely coincidental.
Ceci est une œuvre de fiction. Toute ressemblance avec des événements réels ou des personnes, vivantes ou mortes, serait purement fortuite.
(この作品はフィクションです。実在の出来事や人物、存命・故人との類似はすべて偶然です)
東京の摩天楼を朝日が金色に染め上げ、息を呑むほど美しいパノラマが広がる午前中の景色。
松田刑事が運転する黒色の覆面車は、都内の幹線道路を流れに乗って走っていた。
助手席には桜井刑事が座り、手には上司から押し付けられた、コインランドリーの利用者に配布する『下着泥棒に気をつけてください』と印刷された、なんとも間の抜けたチラシの束を抱えている。
本来なら、この時間、彼らは都内のコインランドリーを巡回し、このチラシを配る任務についているはずだった。
「松田さん」
桜井が、助手席で退屈そうに車窓を眺めながら言った。
「この道だと、最初にチラシを配りに行く予定だったコインランドリーとは、完全に反対方向ですよ?」
高級住宅街の並木道を、法定速度を遵守して安全運転を心がける松田に、桜井が至極真っ当な疑問を投げかける。
松田は前方を睨みつけたまま、ぶっきらぼうに答えた。
「ちょっと寄り道するだけだ」
「寄り道って…」
桜井は呆れたように言葉を返す。
「どう考えても、寄り道のレベルを超えていますよね。これ、完全に遠回りじゃないですか」
桜井がさらに問い詰めようとするも、松田は口を噤んだまま、ハンドルを握る手に力を込めた。
内心では、これから向かう場所のことを考えると、平静を装うのに必死だった。
焦燥感を悟られないように、努めて冷静に運転している。
(大使館の火災…。まさか…)
ニュースで流れた大使館の火災の映像が、松田の脳裏をよぎる。
松田は、何が起きたのか自分の目で確認をしたかった。
桜井は、松田が黙り込んだのを見て、聞いても無駄だと判断した。
手持ち無沙汰になった彼女は、気紛れに警察無線に手を伸ばした。
『暇つぶし、付き合ってくれるかな』とでも言うように、桜井は無線機のスイッチを入れ、刑事部に割り当てられているチャンネルに周波数を合わせた。
途端、車内にけたたましいノイズが走り、その後、とても報道陣や一般市民には聞かせられない、生々しい会話が流れ込んできた。
内容は、いかに自分が長時間張り込みを続けたか、という武勇伝のオンパレードだった。
「松田さん」
桜井は、無線から流れる下世話な話に顔をしかめながら、松田に尋ねた。
「捜査課の人たちって、どうしてこういう自慢話を無線でするのですか?まるで、子供の喧嘩みたいじゃないですか」
松田は、内心の焦燥を押し隠しながら、肩をすくめた。
「どうしてって…、俺に聞かれても困るよ。あいつらの考えてることは、俺にはさっぱりわからん」
「先週も、刑事部の人から、所轄の交通課の新人警官との合コンをセッティングしてくれって頼まれたんですよ」
桜井は、呆れたように続ける。
「でも、捜査課の人たちって、何日も風呂にも入らず張り込みしてるって知れ渡ってるから、誰に頼んでも合コンを断られるんですよ。これが警備部なら、すぐにセッティングできるのに」
松田は、桜井の言葉に、意外な警察内部の力関係の変化を感じ取った。
昔は、警察の花形と言えば刑事部で、警備部など眼中に無かったはずなのに。
「警備部だって、訓練とかで汗臭い連中だろう」
松田は、かつての自分の認識を口にした。
「そもそも、大規模警備や災害時には、何日も家に帰れないほど激務になるじゃないか」
「それはそうですけど」
桜井は、無線から流れる張り込みの苦労話に耳を傾けながら答えた。
「でも、捜査課ほど家庭を犠牲にするような勤務じゃないじゃないですか。何もなければ、普通の公務員みたいな働き方になりますから」
松田は、捜査課の評判が地に落ちたことを知り、内心で愕然とした。
「松田さんって、どこから刑事部に転属されたのですか?」
桜井は、無線から流れる、捜査とは全く関係のない雑談を聞き流しながら、何気ない口調で松田に尋ねた。
「まぁ、いろいろ?」
「いろいろですか…」
都内でも指折りの高級住宅街。
整然と並ぶ邸宅の庭には、手入れの行き届いた植栽が目に眩しい。
太陽が影を短くする頃、松田の運転する覆面車は、その静謐な街並みをゆっくりと進んでいた。
助手席の桜井は、先ほどまでの軽口が嘘のように押し黙り、窓の外をじっと見つめている。
「…松田さん」
桜井が、やや緊張した面持ちで口を開いた。
「もしかして、火災があった大使館に向かっているのですか?」
張り詰めた空気の中、桜井の問いかけに、松田は軽く頷いた。
無精ひげに覆われた顔は、いつも以上に険しい。
くたびれたスーツは、朝日に照らされても、どこか陰鬱な雰囲気を漂わせている。
「桜井。悪いが、赤色灯をルーフに乗せてくれ」
松田の言葉に、桜井は眉をひそめた。
「乗せてって…。指令センターの許可なしに赤色灯をルーフに乗せたら、また後で怒られますよ」
「怒られるのには慣れてる」
松田は肩をすくめて、飄々とした口調で答えた。
しかし、ハンドルを握る手は、わずかに震えている。
内心では、これから起こるかもしれない事態に、緊張を隠せない。
桜井は、松田の曖昧な態度に、ため息をついた。
この上司は、いつもこうだ。肝心なことは何も言わない。
しかし、どこか憎めないところがある。
(まったく…。何を言っても無駄か)
そう思いながらも、桜井は助手席の窓を開け、赤色灯を手に取りルーフに押し付けた。
マグネットが吸着する、カチッという音が静かな住宅街に小さく響く。
「松田さん」
桜井は、コードがダッシュボードにだらしなく垂れ下がっているのを見て、不満そうに言った。
「赤色灯のコードが邪魔なのですけど?」
「すまん。赤色灯をルーフに乗せるの下手なんだ」
松田は、予想外の言葉と、さらに予想外の理由で謝罪した。
その言葉に、桜井は言葉を失い、思わず松田の横顔を見つめた。
無精ひげの下の口元が、かすかに緩んでいるように見えた。
(この人…、本当に…)
桜井は呆れながらも、どこかおかしいと感じた。
普段は飄々としている松田だが、今日はどこか様子が違う。
張り詰めた空気、時折見せる焦燥。
桜井は、松田がただ事ではない状況に巻き込まれていることを察した。
(一体、何があったんだろう…)
高級住宅街の景色は、相変わらず静かで、どこか非現実的だった。
しかし、覆面車の中の空気は、張り詰めた緊張と、僅かなユーモアが混ざり合い、独特の雰囲気を醸し出していた。
桜井は、無言で前を向いた。
これから起こるかもしれない事態に、微かな不安を感じながら。
松田と桜井を乗せた黒い覆面車は、火災のあった大使館から少し離れた、比較的広い道路の路肩に静かに滑り込んだ。
松田は助手席の桜井に手短に告げた。
「ちょっと、大使館に話を聞いてくる。桜井はここで待っていてくれ」
桜井が何か言い返す間もなく、松田はシートベルトを外し、慌ただしく運転席から飛び出すと、大使館に向かって駆け足で走り出した。
その背中を見送りながら、桜井は思わず大声で叫んだ。
「もう、今度こそ始末書だけではすまなくなりますよ!」
桜井もシートベルトを外し、赤色灯のコードに気をつけながらドアを開けて身を乗り出したが、松田を追いかけるのを躊躇した。
目の前には何台もの工事用車両が停車しており、消防車も数台、けたたましいサイレンを止めた状態で待機している。
その異様な光景に、桜井は松田を追うのを諦め、車両が止まっている方向へ歩いて向かうことにした。
近づくにつれ、道路の一部が封鎖され、マンホールの蓋が取り外されているのが見えてきた。
そのマンホールからは、まるで地獄の釜から吹き出す熱気のように、強烈な熱気が立ち上っていた。
陽炎のように背景がゆらゆらと歪んで見える様は、真夏の炎天下を彷彿とさせる。
(一体、何が…?)
桜井は警戒しながらも、そのマンホールを遠巻きに見つめた。
周囲には、ヘルメットを被り、工事関係者を示すような制服を着た初老の男性たちが、業務用無線機で何やら連絡を取り合っている。
桜井は、そのうちの一人に近づき、声をかけた。
「すみません。警察なのですが、何があったのですか?」
桜井は、ジャケットの内ポケットから警察手帳を取り出し、表紙を開いて中のバッジと身分証明書を提示した。
相手の男性は、桜井の顔と手帳を交互に見比べ、少し驚いた表情で言った。
「警察の人?やっぱりこれ、事件なの?」
桜井は、手帳をジャケットの内ポケットにしまいながら、落ち着いた口調で尋ねた。
「私は、何があったのか気になってお話を伺いに来ただけです。特に何か指示を受けているわけではありません」
「ああ、そうなの?」
男性は、少し拍子抜けしたように言った。
「てっきり、どこかの馬鹿が共同溝の中で焚き火でもしたのを捜査しに来たのかと思ったけど」
桜井は、マンホールから熱気が噴き出している理由に納得した。
共同溝、つまり地下の共同配管スペースで何らかの熱源が発生しているのだろう。
しかし、焚き火でこれほどの熱を発するだろうか?桜井は疑問を感じながらも、男性に質問を続けた。
「私以外に、警察官は来ませんでしたか?」
桜井は、熱気を噴き出しているマンホールの周囲で自然鎮火を待ち手持ち無沙汰にしている他の工事関係者や消防士たちを見渡しながら、情報を集めようとした。
「交番勤務の警察官の人たちなら、十分前までいたんだけど、どこか近くで交通事故があったとかで、そっちに行っちゃったよ」
男性は、肩をすくめて言った。
「お嬢さんのような私服の警察官も、何か分からないけど、大使館からやってきた人に何か言われたのか、不満そうな顔で帰っちゃったのよ」
(大使館から来た人に何か言われた…?)
桜井は、眉をひそめた。
外交問題に発展することを恐れて、警察が弱腰になっているのだろうか。
だとしたら、あまりにも情けない。
(いくら外交問題になる可能性があるとはいえ、現場の状況確認を怠るとは…)
桜井は、内心で憤りを感じながらも、冷静に状況を分析しようとした。
マンホールからの熱気、現場の封鎖、消防車の待機。
そして、大使館関係者の存在。
これらの情報から、何らかの事件性がある可能性が高い。
(松田さんは、そのことを察知して大使館に向かったのか…)
桜井は、松田の行動の理由を理解し、改めて彼の勘の鋭さに感心した。
同時に、自分ももっと積極的に動くべきだと感じた。
「ありがとうございます」
桜井は、男性に礼を言い、マンホールから少し離れた場所で、周囲の状況を改めて観察し始めた。
風に乗って運ばれてくる、焦げ臭いような、何とも言えない臭い。
それは、単なる焚き火の臭いではないように思えた。
桜井は、警察官としての直感を働かせ、この現場で何か重要なことが起こっていると確信した。
(私も、無駄に時間を過ごしている場合じゃない)
桜井は、再び警察手帳を取り出すと、近くにいた消防士に声をかけ、さらに詳しい情報を集めようとした。
彼女の目は、鋭く周囲を見渡し、わずかな異変も見逃さないように集中していた。
東の空が白み始め、薄暗い雑居ビルの一室に、エミリアが戻ってきたのはまさに夜明けを迎えようとする頃だった。
昨夜の『お散歩』が終わってから、シャワーを浴びてきたのだろう、髪はしっとりと濡れ、服装もすっきりと着替えられている。
だが、その表情はいつもの飄々とした、どこか無邪気ささえ感じさせるものに戻っていた。
まるで嵐が過ぎ去った後の静けさのようだ。
給湯室では、佐藤が用意した朝食が湯気を立てていた。
鶏むね肉と野菜の卵とじ丼に、プレーンヨーグルト、そして彩りを添えるようにカットされたフルーツ。
エミリアはそれを目にするなり、ぱっと表情を輝かせ、待ちきれないといった様子で丼を手に取った。
給湯室の隅に立ちながら、熱気を帯びた丼を頬張り、小さく声を漏らす。
「やっぱり健ちゃんの朝ごはんは美味しい♪」
その声は上機嫌そのもの。
まるで子供がお気に入りの玩具を手にした時のようだ。
熱心に丼をかき込みながら、エミリアは昨夜の出来事を語り始めた。
その口調は軽やかで、まるで他愛もない世間話をしているかのようだった。
「健ちゃん。ちゃんとね、大使館に突っ込む前に周辺の雑居ビルの警報装置を鳴らして、警備会社の警備員や警察官がすぐに大使館に向かえないように誘導して、次にスマートフォンとか通信機器が使えないように電磁的に極小的に妨害して、共同溝に設置されている通信回線と電力線を過失に見せかけて切断して、あ、ちゃんと水道管とガス管が設置されていない所を選んでるよ。それから、大使館の中に隠れていた私に八百長の損失を押し付けようとした人たちに『教育』したのよ。私って、優しいと思わない?」
エミリアは、箸を口に運びながら、こともなげに、しかし具体的な昨夜出かけた『お散歩』の内容を説明していく。
その内容は、穏やかな朝の食卓には明らかにそぐわないものだった。
佐藤は、エミリアが上機嫌で話す内容を聞きながら、胃のあたりが重くなるのを感じていた。
これは自分が聞いて良い話なのだろうか?いや、聞くべきではない。
そう頭では理解しているのに、エミリアの言葉は容赦なく耳に飛び込んでくる。
まるで止められない奔流のようだ。
どうにか話題を変えようにも、エミリアの勢いはそれを許さないだろう。
佐藤は諦めにも似た感情を抱き、ただ黙って聞き流すことにした。
丼をほぼ平らげたエミリアは、満足げに口元を拭うと、どこからともなく紙袋を取り出した。
本当に、どこから出したのか、佐藤には全くわからなかった。
まるで手品を見せられたような唐突さだった。
その紙袋を、エミリアは有無を言わさず佐藤の目の前に突き出した。
「健ちゃん、それでね。これ拾ってきたから、ヴァネッサを迎えに行く時は、持っていてヴァネッサに渡してね」
佐藤は、紙袋を見て、嫌な予感が全身を駆け巡るのを感じた。
この状況で『拾ってきた』という言葉が、良い意味であるはずがない。
恐る恐る、震える声で尋ねた。
「エミリア…。どこでこれを拾ってきたの…?」
エミリアは、いたずらっぽい笑みを浮かべて、佐藤の顔を覗き込んだ。
「健ちゃん。知りたい?」
佐藤は、即座に首を横に振った。
心の底から、知りたくなかった。
知りたくないというよりも、知るのが怖い、というのが正直なところだった。
「エミリア。知りたくない」
佐藤の言葉は、懇願に近い響きを持っていた。
これ以上、自分の精神衛生を害するような情報は聞きたくなかった。
エミリアの行動は、常に常識を超越しており、その結果は想像を絶するものになりがちだ。
佐藤は、自分の平穏な日常を守るために、必死だった。
エミリアは、少しばかり残念そうな表情を浮かべたが、それ以上は何も言わなかった。
代わりに、残りのヨーグルトをスプーンですくい上げ、口に運んだ。
その様子は、先ほどの物騒な話とは裏腹に、実に穏やかで、朝の光に包まれた給湯室の風景に溶け込んでいた。
そのギャップが、佐藤の不安をさらに掻き立てた。
エリジウム・コードのオフィスは、独立記念コンサートと同時発表のガンアクション映画の準備で文字通り沸騰していた。
そんな喧騒を背に、佐藤は白いコンパクトカーの運転席に滑り込んだ。
助手席には、エミリアから押し付けられた、得体の知れない『拾い物』が入った紙袋が鎮座している。
ヴァネッサを迎えに行くという、一見シンプルな任務のはずだった。
エンジンをかけると、車は幹線道路へと滑り出した。
しばらく走ると、窓の外を流れる景色は、どこか現実離れしていた。
頭上を轟音と共に巨大な軍用輸送機が通過していく。
見上げると、信じられないほど広大な空軍基地が広がっていた。
ここは本当に東京なのか?佐藤は内心で呟いた。
基地周辺の景観は、日本の他の場所とは明らかに異質だった。
広々とした道路、緑豊かな庭を持つゆったりとした家々。
それはまるで、テレビで見た西海岸の郊外の風景を切り取って貼り付けたかのようだった。
どこまでも続く青空の下、通りを走る車も一回り大きく、ゆったりとした印象を与える。
佐藤は、自分が異世界に迷い込んだような錯覚を覚えた。
助手席の紙袋が視界の端で揺れる。
エミリアの屈託のない笑顔が脳裏に浮かび、佐藤の胃が僅かに痛んだ。
ヴァネッサとの待ち合わせ場所は、その異質な風景の中にひっそりと佇む、個人経営のハンバーガーショップの駐車場だった。
エミリア曰く、知る人ぞ知る名店らしい。
しかし、その店長は相当な気性の荒さで、無断駐車には容赦しないという。
「そんなところに車を停めて大丈夫なのか?」
出発前にそう尋ねた佐藤に、エミリアはいつもの無邪気な笑顔で答えた。
「大丈夫よ、健ちゃん。『エミリアからこれを渡してと頼まれている』って英語で伝えれば、あら不思議、全て丸く収まるわ」
そう言って渡されたのは、走り書きのメモ。
広げてみると、意味不明な数列が羅列されているだけだった。
「エミリア、これってフィボナッチ数列とかか?」
佐藤が尋ねると、エミリアは目を丸くして驚いた。
「健ちゃん、健ちゃんが銀行の融資係だったのを初めて実感したわ!」
その言葉の意味が分からず、佐藤の頭には大きな疑問符が浮かんだ。
果たして、この数列とハンバーガーショップの店長の怒りっぽさがどう関係するのだろうか?
車窓を流れる風景は、相変わらずどこか異質だった。
日本の住宅地では見慣れない、芝生の手入れが行き届いた庭、映画に出てくるような大型のピックアップトラック。
佐藤は、自分が東京の片隅にいながら、西海岸のどこかにいるような、不思議な感覚に包まれていた。
しかし、その感覚は決して心地よいものではなかった。
助手席の紙袋、エミリアの言葉、意味不明な数列。
それらが不協和音を奏で、佐藤の心をざわつかせていた。
遠くに見えてきたハンバーガーショップは、想像していたよりもずっと小ぢんまりとしていた。
しかし、店の前に広がる駐車場は、確かに広く、数台の車が停まっている。
店の看板は古びていて、手書きのメニューが風に揺れていた。
果たして、本当にこんな場所でヴァネッサと合流できるのだろうか?そして、この数列は一体何なのだろうか?
佐藤は、複雑な思いを抱えながら、ハンバーガーショップの駐車場へと白いコンパクトカーを滑り込ませた。
エミリアの笑顔が、再び脳裏をよぎる。
その無邪気さが、今の佐藤にはどこか不気味に感じられた。
佐藤が車をハンバーガーショップの駐車場に滑り込ませると、間髪入れずに店の扉が弾けるように開いた。
けたたましいベルの音と共に現れたのは、まるで熊のような体躯の男だった。
鍛え上げられた筋肉がTシャツの上からでもはっきりと見て取れる。
男は佐藤の車に向かって仁王立ちになり、腕を組むと、地を揺るがすような怒号を轟かせた。
「Whose permission you think you got parkin' here, huh?! You think you own this here place?!(勝手に停めやがって、どこのどいつの許可だ?!ここはテメエの土地じゃねえんだぞ!)」
男は顔を真っ赤にして、唾を飛ばしながら怒鳴った。
窓を閉め切っているにもかかわらず、鼓膜が震えるほどの怒声だった。
強烈な訛り混じりの叫びは、まるで地鳴りのようだった。
佐藤は反射的に両手を上げ、精一杯の声で叫び返した。
「『Emilia specifically instructed me to hand this over to you.』(これはエミリアから、絶対にあなたに渡すように言われているんです!)」
閉じた窓ガラス越しにも、佐藤の必死さが伝わったのだろう。
大男は幾分トーンを落とし、それでも十分すぎるほどの大声で言った。
「Emilia sent ya, did she? ... Now, give me that note.(エミリアが寄越したってか?…ほら、そのメモを渡せ)」
恐怖で手足が震える中、佐藤はジャケットのポケットからエミリアに渡されたメモを取り出した。
運転席側の窓を少し下げ、震える手でメモを差し出すと、大男はそれを鷲掴み、まるで獲物を吟味するようにしげしげと見つめた。
その瞬間、大男の表情が劇的に変化した。
先ほどの怒りはどこへやら、まるで死神からの手紙を受け取ったかのような、絶望の色が顔に広がったのだ。
顔から血の気が引き、額には脂汗が滲んでいる。
「If you're with Emilia, then just say so, dang it! I ain't ready to meet my maker just yet!(エミリアの使いなら、そう言えよ、くそっ!まだお迎えは勘弁してくれ!)」
あまりの変わり身に、佐藤は完全に混乱していた。
一体、あのメモに書かれた数列にどんな意味があるのだろうか?ただの数字の羅列にしか見えなかったのに。
その時、ロックしていたはずの助手席のドアが突然開き、見慣れない女性が当然のように乗り込んできた。
手にしているのは、佐藤が助手席に置いていた紙袋だ。
「It would seem the establishment's owner has a rather keen understanding of Miss Emilia's... displeasure. One might even say he is now endeavouring to curry favour.(どうやら、この店のオーナーはエミリアのご機嫌を損ねたことを、よほど気にしているようね。今となっては、ご機嫌取りに必死といったところでしょうか)」
女性は涼しげな声で言った。
佐藤は呆然としながら、助手席に座る女性を見つめた。
エミリアが太陽のような眩い美しさを持つとするなら、目の前の女性は静かに輝く月のような美しさだった。
黒曜石のような長い髪、吸い込まれそうな深い瞳。整った顔立ちは、冷たいまでの美しさを湛えている。
「I am Vanessa Williams. It is a pleasure to make your acquaintance, Mr. Sato.(ヴァネッサ・ウィリアムズと申します。佐藤さん、お会いできて嬉しいです)」
ヴァネッサは僅かに微笑み、佐藤に視線を向けた。
その美しさに、佐藤は思わず息を呑んだ。
先ほどまでの緊張と混乱はどこへやら、ただただ見惚れるばかりだった。
大男の怒号、メモの謎、すべてがこの女性の登場によって霞んでしまった。
エミリアの奔放な魅力とは対照的な、静かで威圧感のある美しさが、佐藤の心を捉えて離さなかった。
秋の柔らかな陽光が、ハンバーガーショップの駐車場に並ぶ車たちのボンネットやフロントガラスをきらきらと照らしていた。
風に舞う枯葉がアスファルトの上をカサカサと音を立てて転がり、時折、店の換気扇から食欲をそそる香りが漂ってくる。
昼前の駐車場は、これからランチを楽しむ人々で賑わい始めていた。
助手席のヴァネッサは、エミリアが佐藤に託した、どこか得体の知れない雰囲気を纏う紙袋に、ためらいなく手を伸ばした。
中から現れたのは、無機質な光沢を放つ最新式のモバイルノートパソコン。
佐藤は運転席で、彼女の行動を固唾を呑んで見守っていた。
ヴァネッサは、清楚な装いの上着のポケットから、手のひらに収まるほどの黒い物体を取り出した。
角が丸く、中央には赤い印が浮かんでいる。
それをノートパソコンの上に重ねると、赤い印がオレンジ、そして緑へと色を変えていく。
まるで何かの認証が解除されていく過程を、色で示しているかのようだ。
手際よく黒い物体をポケットにしまうと、ヴァネッサはノートパソコンを開き、慣れた手つきで操作を始めた。
佐藤は、信じられないものを見る目でヴァネッサを見つめていた。
厳重にロックされているはずのノートパソコンが、いとも簡単に突破されたのだ。
その驚愕は、隠しきれずに表情に現れていた。
「Mr. Sato.(佐藤さん、ねぇ?)」
ヴァネッサは、ノートパソコンの画面に視線を落としたまま、楽しげな声で問いかけた。
その口調と表情は、まるでエミリアが乗り移ったかのようだった。
太陽の光が彼女の横顔を照らし、薄く笑みを浮かべる口元が、どこか悪戯っぽく見えた。
「I daresay, one wonders what treasures Emilia has unearthed this time.(あら、今回はエミリアがどんなお宝を掘り出してきたのかしら、気にならないのかしら?)」
佐藤は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
この展開は、あまりにも見覚えがあった。
エミリアの悪ふざけに巻き込まれる時の、あの嫌な予感。
彼は心の平穏を守るために、必死の抵抗を試みた。
「I implore you, I don't want to know! I don't want to hear a word! I just want to continue enjoying my peaceful slumber each night! Please, just please!(どうか、切にお願いします、知りたくないんです!一言も聞きたくないんです!僕はただ、毎晩安らかな眠りを享受し続けたいだけなんです!どうか、どうか、お願いします!)」
その必死な様子に、ヴァネッサは一瞬つまらなそうな顔をした。
しかし、すぐにいつもの、エミリアが佐藤をからかう時に見せる、あの特徴的な表情を浮かべた。
それは、獲物を前にした猫のような、どこか残酷な喜びを秘めた微笑だった。
その表情を見た瞬間、佐藤は反射的に両手で耳を塞ぎ、全身で拒否の姿勢を示した。
秋風が窓ガラスをかすめ、遠くの道路を走る車の音がかすかに聞こえる。
ハンバーガーショップの駐車場は、午前の喧騒を増し始めていた。
そんな外界の音を遮断するように、佐藤は心の中で悲鳴を上げた。
「Mr. Sato. The contents of this laptop… oh, but I wouldn't want to spoil the surprise.(佐藤さん、ねぇ。このノートパソコンの中身は…あら、でも、驚きを台無しにしたくないわ)」
ヴァネッサが口を開いた。
その言葉が佐藤の耳に届く直前、彼の必死の叫び声が、かろうじてそれを打ち消した。
心の安寧を保つための、辛うじての防波堤だった。
秋の日の穏やかな光が、その小さな攻防を静かに見守っていた。
先程まで青ざめていた熊のような体躯の店長が、再び店から飛び出してきた。
額には脂汗が滲み、顔は怒りで真っ赤だ。
「What in tarnation are y'all hollerin' in my parking lot?!(うちの駐車場で一体全体何叫んでんだ、てめぇら!)」
轟くような怒声が駐車場に響き渡る。
佐藤は慌てて両手を上げ、まるで降参する兵士のように必死に謝罪した。
情けない表情を隠せない。
しかし、これもエミリアの相棒として、情報を集めるための任務の一環だ。
彼は心の中でそう言い訳した。
対照的に、ヴァネッサは涼しげな表情でノートパソコンの電源を切り、静かに閉じた。
そして、先程の黒い物体と同じように角が丸く、中央に赤い印が浮かぶ白い物体を、清楚な上着のポケットから取り出した。
それをノートパソコンの上に重ねると、赤い印はオレンジ、そして緑へと変化していく。
佐藤は横目でそれを見て、まるでノートパソコンの中身をコピーしているようだ、と理解した。
その手際の良さは、まるで熟練の職人のようだ。
ヴァネッサは助手席の窓を開けると、その白い物体を店長に向かって投げ渡した。
巨体に似合わぬ器用さでそれを受け取った店長に、ヴァネッサは小さく、しかしよく通る声で告げた。
「Consider this a token of our alliance. It would be most unfortunate if certain… pronouncements by, shall we say, individuals of influence, were to precipitate any untoward circumstances, such as, perhaps, public inquiries. A little discretion now could save a great deal of trouble later.(これは同盟の印です。今のうちに分別あるご対応をいただければ、後々の面倒を避けられるでしょう)」
店長は、大声ではないが、低い声で吐き捨てるように言った。
「Alliance? Don't gimme that! Y'all are always tryin' to pawn off yer problems on me!(同盟だなんて言うな!お前ら、いつもいつも問題ばっかり押し付けようとしやがって!)」
その言葉に対し、ヴァネッサは佐藤が思わず聞き惚れてしまうほどの色っぽい声で応えた。
「Figurez-vous que j'ai un faible pour les hommes… disons… virils. On dirait que je ne peux m'empêcher de me laisser aller un peu.(あら、私、男らしい男性に弱いのよね。つい甘えちゃうの)」
店長の顔に一瞬、照れくさそうな、しかしまんざらでもなさそうな表情が浮かんだ。
先程までの怒りはどこへやら、彼はぶつぶつ言いながらも店へと戻っていった。
その変わり身の早さは、見ていて面白いほどだった。
ヴァネッサはその様子を見届けると、涼しい顔で助手席の窓を閉め、佐藤に告げた。
「Shall we proceed to Emilia, then?(それでは、エミリアのところへ参りましょうか?)」
佐藤は、一連の出来事を振り返り、ため息をついた。
店長の怒鳴り声に縮こまっていた自分と、涼しい顔で全てを処理していくヴァネッサ。
その対比はあまりにも鮮明だった。
しかし、それもまた、エミリアの傍で活動するということなのだろう。
彼は再び運転席に座り直し、エミリアの元へと車を走らせる準備を始めた。
秋の陽光は、相変わらず駐車場を優しく照らしていた。