08.記憶
ジョンはひとしきり泣くと、寝てしまった。日光に当たったせいで疲れたのかもしれない。律はジョンを寝室の棺に戻す。朝露のような涙を拭って口にしてみると、律は凄まじい頭痛に襲われた。
「あ…」
律は全てを思い出してしまった。復活の実験としては成功したが、相田律は戻って来なかった。知らない誰かの人生を映画で見た気分になる。
「こんな奴好きだったのかよ…。」
律は膝を床に付ける。相田律はジョンに好意なんて抱いていなかった。相田律は吸血鬼の不死性について研究していた男で、何人もの人を吸血鬼にさせていた。相田律がジョンのワガママを聞き、愛情を注いだのも、実験に失敗した後、自分の血しか飲めなくなったジョンを餓死または自死させることで、自分の行いを隠蔽しようとしていたからだ。他の吸血鬼にも似たような事をしている。「人間に酷いことした」と言っていたが、相田律はより酷い事をしていた。ジョンが気付かなかっただけで。
「ジョン・ドゥって『名無し』じゃないか…。」
律はこの目の前の名前すら与えられなかった、哀れな少年のために涙を流した。
会社に電話して、今日の仕事を打ち切る。課長には怒鳴られたが、この少年が受けていた仕打ちの比ではないだろう。居住部屋の床を這いつくばり、投げ捨てたピアスを探す。
「おはよう…なにしてんの?」
ジョンが起きてきた。つまりはもう夜なんだろう。
「おはようございます。相生律です。血、飲みますよね?」
ジョンは眠たそうに頷く。律の差し出した首に遠慮無く噛みつく。痛い。痛みで小さく声が出る。
「人間、急に優しくなったねぇ。」
飲み終えると、ジョンは律の頭を撫でた。
「ジョンさんが耐えてきたものと比べれば、易しいものです。」
「どういうこと?」
「俺がジョンさんに酷いことしたみたいなので、せめてもの償いです。」
ジョンは首を傾げる。どれだけ長く生きようとも、この人の本質は子供なのだろう。律は再び、床を這ってピアスを探しだす。それを不思議そうにジョンは眺める。
「で、なに探してるの?」
「昨日投げ捨てたピアスです。」
「え、そんなの探してたの?また買えばいいのに。」
「これは、ジョンさんが俺にくれたプレゼントですから。」
「律はそんなに私を好きだったの?嬉しい!」
ジョンは可愛らしくくるくると舞う。
「相田律の前でやってたみたいにしなくても、俺はどこにも行きませんよ。」
ジョンはふと動きを止める。
「別にそのままのジョンさんも十分かわいいですから。」
「は?別にそんなんじゃないけど。」
「俺がジョンさんを一人にしたくないだけです。」
ジョンは四つん這いの律に抱き付く。
「ホントに?勝手に置いていかない?」
「ええ。俺がおじいちゃんになったら、俺が吸血鬼になりますよ。その後、一緒に餓死しましょう?」
「え、儀式分かったの?」
「相田律が知っていましたよ。その…手記に暗号で記してあります。」
律は相田律の記憶が戻ったことを適当に誤魔化し、お茶を濁す。一方のジョンは目を輝かせて、律の顔を覗き込む。
「でも、吸血鬼は吸血鬼の血を飲めないので、死が近づいたときに、一緒な末路を歩みましょう?」
落胆したかと思いきや、ジョンは律の背中に顔を埋めて、胸に回した腕の力を更に強める。
「約束だからね…?」
律は床にピアスを見つけた。
「ほら、ありましたよ!これでもう一度お揃いです!」
律は立ち上がり、ジョンにピアスを渡す。
「俺と一緒に記憶を作って、生きましょう?エメラルドは俺とジョンさんが出会った、5月の誕生石です。俺たちが新しく始まった記念の石ですよ。」
「それって、告白って受け取っていいの?」
ジョンはピアスを受け取り机に置くと、律を床に押し倒す。
「律…もう、何も思い出さないで。今の律が好き。」
ジョンは冷たい唇を律の暖かい唇に重ねた。