06.会社
ジョンとは血液を飲まれる以外の会話が無くなってから、一週間。遂に律の仕事が再開された。
仮オフィスに朝6時に着くために朝4時に研究所を出る。以前のデータは殆ど消えており、また一から設定を始める。
「なぁ、相生。彼女でも出来た?」
隣のデスクの同僚が問いかける。律が首を傾げると、同僚は耳を指差す。
「ほら、左耳にピアス付けてる。前はそんなもん無かったよな?」
「ああ、これ…。いつ外せばいいかわからなくて。」
「いや、化膿してんだから、すぐ外せよ。」
「あー、でも…」
律が悩んでいると、同僚が顔を近づける。
「歳いくと傷の治りが遅く…って、お前首どうした?」
同僚が律の首筋にある吸血痕を見て、驚く。
「いや、俺の血しか吸えない吸血鬼がいて…」
「んな奴いないだろ!実在したとしてもそんなもん放っておけよ!」
「いや、なんか寂しそうだったから。」
同僚は信じられないといった顔をして、仕事に戻った。
時計が22時を指す頃、出勤初日ということもあり、全員が帰宅する。律も気が重くなりながら研究所に戻る。
「ただいま…。」
「おかえり人間。遅かったじゃない。どこ行ってたの?」
「仕事ですよ。」
ジョンはソファから、ふわりと降りると律を凝視した。
「それは、オレの空腹より大事?」
「お金とか…それに、俺が仕事しないと他の人が困りますし…」
燃える火のような目で律を覗き込む。
「ふうん。人間はオレよりも優先するものあるんだ…オレには人間しかいないのに?」
食料としての、とは分かっていても律を必要としてくれることに心擽られる。
「人間は黙ってオレに食べられてたらいいの!」
ジョンは律をベッドに組敷く。
「あの…これは…?」
「人間がオレを優先しないから、立場を分からせてやろうと思って。」
律の背筋が凍る。30歳になる今まで交際経験皆無であるが、今から何をされるのか、大体予想がつく。ジョンが律のシャツのボタンを開けていく。インナーを捲り、肌が露になった所でジョンが抱き付く。
「体は律なんだよなぁ…律の匂いがする。」
大して厚くもない胸板にジョンが顔を埋める。
それからしばらく経ち、6月。早朝に仕事へ行き、深夜に研究所に戻り、その後にジョンに血液を飲まれ、犯される。会社とジョンの両方に生き血を啜られる、そんな生活に律の心身は限界を迎えていた。
「…ただいま戻りました。」
「おかえり、人間。今日はどうする?」
律は居住スペースのソファに座る前に蹲った。
「人間、どうしたの?」
「もう、止めてください…。俺を虐めて楽しいですか?」
「はて?私が人間を虐めていると?」
ジョンは人形のように、表情を崩すことなく首を傾げる。
「好きでも無いのに、毎晩抱いて…」
律が言い終わる前にジョンがテーブルを叩く。
「は?律の体なんだから、本来はオレを抱くはずなの。お前ができないから、オレが抱いてんの。」
ジョンは容赦なく律を掴み上げる。ベッドに投げ捨てると、馬乗りになって胸ぐらを掴む。
「ねぇ人間。オレはお前に存在意義を与えてやってんの。律になりきれないお前に価値を付けてるの。わかる?」
「そんな価値なら、要りませんよ。一瞬でも心が通じたと思った俺が惨めじゃないですか。」
律は左耳のピアスを外し、投げ捨てる。
「こっちはなぁ、30年も待った挙げ句、やっぱり戻りませんでしたー、なんだよ。こっちの方が虚しいわ。」
ジョンは律を殴ろうとして止めた。怯えきった茶の瞳が、胸を刺す。こんな顔の律を見たかった訳では無い。中身は違ったとしても、律の姿に慰められて過ごしたかっただけなのに。
「どこでミスったんだろうなぁ……」
ジョンは律の上から立ち退く。律はもう、どこにも居ない。帰っても来ない。その事実が突き付けられる。
「ねぇ、人間。明日の朝、いや昼に起こしてよ。」
沈んだ声でジョンは部屋を後にした。