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忍法 その61 獣、二匹


 「らしゃあッ‼」


 俺がろくろうたの姿を視認した直後、ヤツは脳天目がけて太刀を振り下ろす。

 気配を遮断してから相手に接近して奇襲を仕掛ける。


 (らしくねえな、ろくろうた)


 ろくろうたらしからぬガチガチの正攻法に俺は舌を巻く。

 されど目の前の敵から目を背けるような愚策に奔走する事は無い。

 先んじて一足一刀の間合いを殺しつつ、張り手を放った。


 ばしっ‼


 俺の張り手はろくろうたの右頬を張り飛ばし、ヤツは打たれた方向に仰け反った。

 流石は好敵手、あの程度の攻撃では軸を崩すにはい至らないものか。


 俺は負傷した右肩を抑えながら、あくまで自分にとって有用な距離を保持する。

 仮に間合いを放されてしまえば、俺の身体は勢いの乗ったろくろうたの太刀に真っ二つにされてしまうだろう。

 新しく肩に出来た打撲痕に疼痛を覚える。

 運動機能に支障が出るほどでは無いが、油断すればそれが命取りになるのは必至だ。


 「イラつくなあ…。今のは結構自信あったんだけどなあ」


 ろくろうたは手に持った太刀を肩に乗せて呟いた。

 いつものような芝居がかった口調ではない事がヤツの不快さの度合いが尋常ではないという事を物語っている。

 

 「お前も必死だな、ろくろうた。俺も自慢じゃねえが、かなり無理してるんだぜ?」


 俺は不敵な笑みを浮かべると同時に足払いを放つ。


 「ほっ」


 ろくろうたはこれを飛び退いて躱した。


 「ひどいなあ。こんなチマチマした戦いじゃあ僕は冷めちゃうよ」


 ろくろうたは左手に小太刀を握って、防御主体の構えに移行した。


 実にやり辛い。


 本性を現したろくろうたの戦法は実に巧妙なものだった。

 練度の高い正統派の剣術と先頭における”野生の勘”とも言うべき咄嗟の判断。


 (これがオオノキ・ろくろうたという男か)


 だが”虎穴に入らざれば虎子を得ず”という言葉の通り、あえて死地に足を踏み入れなければ難敵を打倒する事など叶わぬ望みというものだ。

 俺は重傷上等の覚悟でろくろうたの間合いに入り込む。


 「大胆だね。それは自殺希望者って線で片付けていいのかい?」


 ろくろうたは俺の無謀な戦法に狂喜に満ちた面相で応じる。


 (この戦闘狂すきものめ…)


 俺は奥歯を噛み締めて顔を歪ませた。


 「今日は死ぬには良い日だな、――ろくろうたよォォッ‼‼」


 必殺の袈裟切りを潜り抜けて、ろくろうたの顎下に頭突きをぶち込む。

 この上無い手応えに俺は眩暈を覚える。

 直後、左半身から間欠泉の如く血が噴き上がる。

 ろくろうたの斬撃が原因だった。


 ――関係無い。


 (この場で死ぬことになってもそれは俺に運が無かったそれだけの事だ)


 俺は気合で止血して前のめりになったろくろうたの胸に前蹴りを叩き込んだ。


 ぶしゅわっ‼


 傷口からさらに大量出血する。


 「君は頭がおかしいのかい?そんなに血を流しちゃあ、死んじゃうよ?」


 「命を惜しむようなヤツが力士を名乗れるかよ。男がこの世に生まれる理由はいつの世だって、たった一つだ。この何もままならねえ世の中に己の意思を示す、ただそれだけだぁッ‼」


 己の流した血に目もくれずに右足を振り上げる。


 そして地面すれすれのところまで下がったろくろうたの後頭部に躊躇なく落とした。


 「ろくろうた‼」


 この狂気の沙汰を目の前にしては、ろくろうたの仇敵であるツヅキ・ときおも悲痛な声を上げる。


 「があッ‼」


 ろくろうたは俺の四股踏みをギリギリのところで回避すると再び例の”大鳥居の構え”に戻った。


 「悪かねえ。悪かねえよ、ろくろうた。俺はな、ずっとこういう戦いがやりたかったんだ…」


 俺は左の首筋を撫でる。

 指先に染み付いた粘っこい血が俺に残された時間が決して長くはない事を教えてくれた。


 早く試合を終わらせて、止血が間に合わなければ間違いなく死ぬだろう。


 (だからどうした?今さら命が惜しいのか、俺は)


 俺は即座に迷いを断ち切る。


 「僕もだよ、しのぶ君。僕もこういう戦いがやりたかった。明日の事なんか関係ない。混じりっけなしの、ただの殺し合い。僕たちは慣れあう為に生まれたんじゃない、本当の意味で分かり合う為に生まれてきたんだ」


 ろくろうたは地面に不純物だらけの血を吐き捨てた。

 おそらく血の中には骨や臓物が混ざっているに違いない。

 さっきからヤツの吐息から血の匂いがする。

 脳みそが損傷し、内臓が破れて、骨折しているのだ。


 ろくろうたもまた、俺と同等かそれ以上の致命傷を受けているのだ。


 「はあ…僕はきっとこの時の為に生まれてきたんだろうなあ」


 立ち上がるろくろうたの姿は真夏の陽炎のようだった。


 「すぐに試合を止めろ‼このままでは息子が、ろくろうたが殺されてしまう!」


 普段は冷徹な策謀家として知られる宰相キッカワ・たかとらが慌てふためく。

 己の立場も顧みずにこの大会運営の責任者に詰め寄った。

 また彼の政敵である国王アマヤスと将軍ダイゴ・さだおきも狼狽するたかとらを放っておけずに随行者を伴ってかけ合おうとした。


 「其の方、何とかならんか。あのオオノキ・ろくろうたは紛れもなく宰相の子だ。このような場所で殺されることがあっては…」


 国王にして宰相たかとらの義弟でもあるアマヤスが総支配人に試合中止を懇願した。


 「畏れながら国王様、それは出来ませぬ。仮にこの場に常駐している軍兵を動かして試合を中止するような事になれば、大会に出資した貴族たちに何を言われるか…」


 試合の運営を任された男は平伏して国王を諫めようとした。

 しかし当の宰相は話を聞いた途端に支配人の男に掴みかかる。


 「このような遊興のごとき戦いで大事な息子を死なせてたまるか‼諸侯どもの機嫌取りなど、後でワシがどうとでもしてやる‼」


 「宰相殿、落ち着かれよ。話はそれ以前の問題なのだ。仮に兵を闘技場に入れたとしても誰が、あの二人を取り押さえるのだ。ここに集まっているのは我が国屈指の勇者だぞ⁉」


 たかとらよりも少しだけ冷静だったさだおきは無礼を承知でたかとらを支配人の男から引き剥がした。

 

 男は近衛兵のツヅキ・ときおらに連れられてすぐに退出する。


 激昂したた宰相の近くに置いておけば、いつ誅されてもおかしくはない状況だったのだ。


 (情けないな、僕の父上は。たかが息子が死にかけたくらいで泣きわめくなんてねえ…)


 ろくろうたは朦朧とする意識の中、貴賓席で自分の為に足掻き続ける父親の姿を見て心の底から呆れていた。

 

 頭突きを食らった直後から意識がはっきりとしない。

 

 こうして太刀を握ってm立っているだけで精一杯だった。


 「いつか終わるから命は美しいんだろ。己の思いを果たせるならここで死んでも構いはしねえよ…」


 しのぶは傷口を抑えながら言った。


 流れる血の一滴が、しのぶの体温が低下するのに拍車をかける。

 だが、その心は熱く、烈火のように燃え盛っていた。


 「そうだね。僕は自分が誰かの生まれ変わりだなんて死んでも御免だよ。オオノキ・ろくろうたとして生まれて死んでいきたい…」


 ろくろうたは右手の太刀を担ぐように、左手の小太刀を腰の位置まで下げえる構えを取った。


 「あれは”平”の型。ろくろうた様、ここで死なれるつもりか…」


 「兄上…」


 たいらの型とは二本の刀を上下水平に構える事で、”切り返し”や”受け止め”といった防御の技を自身から封印する。

 即ち敵の攻撃を受け流しながら一太刀浴びせというる捨て身の技だった。


 (頭の中がグラグラするよ…。これが物狂いの武士として生まれた僕の本懐。嬉しいよ、しのぶ君。これで僕は武家の御曹司じゃない、ようやく武士として死ねる)


 ろくろうたは白歯を見せて笑った。

 

 かつてないほどに痛快な一瞬だった。


 宰相の私生児として生まれ、武家の後継ぎとして何不自由無く育った自身の生を彼は呪っていたのだ。


 「全くよお…いとおしくて反吐が出るぜ、ろくろうたよお…」


 しのぶは地面に粘度の高い血の混じった唾を吐く。

 骨折、内臓破裂、大量出血と自身の負った怪我を数えればきりがないほどだった。


 「俺たちは誰かに頼まれて生まれてきたわけじゃねえ。自分で望んで生きているんだ。人生は一度きり、いつだって命がけだ」


 がふっ。


 しのぶは血の匂いが混じったゲップを吐く。


 睨み合う両雄ともに一歩も譲らす、ただ決着の時を待った。


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