忍法 その56 オオノキ・すばる
登場人物
【オオノキ・すばる】
オオノキ・ろくろうたの弟。兄とは違って生真面目な性格の青年。
【ワタヌキ・なおかつ】
オオノキ家に仕える武士。かつては西国の鎮定の為に侍大将の任務についていた武人。ろくろうた、すばるにとっては育ての親とも言うべき存在。また宰相たかとらとは義兄弟の間柄。
「すばる様ッ‼」
気を失ったオオノキ・すばるの首根っこを掴んで持ち上げる。
そしていきり立つすばるの部下たちにすばるの情けない姿を見せてつけてやった。
「おい、お前ら。とりあえずそこでじっとしていろ。俺の話を聞けないっていうなら、――こいつがどうなっても知らねえぞ」
俺はドスの効いた声で連中に警告する。
最初からすばるを殺すつもりなんざ無いが、何よりも主従関係を重んじる武士たちには効果てきめんだった。
凍りついてしまったかのように身動き一つしない。
「しのぶ殿と申されたか。我々はこの通り、降参だ。すばる殿を解放して欲しい」
奥で弓兵を従えていた鎧を着た老人が前に出てくる。
そして俺の目の前で弓と矢、腰に差した刀と短刀を地面に置いた。
「躾けがなってねえな、爺さん。アンタだけじゃねえ、今すぐ全員が武装解除しろ。刀を持った相手に背後を預けるほど俺はお人よしじゃねえ」
「そうだな。皆の者、武器を地面に置け。我々の負けだ」
爺のの命令に従って武士たちは地面に武器を置く。
「この首は必要か?」
しばらくするとすばるが引き連れていた三十五人くらいの手勢が、俺の前の前で正座していた。
俺はりんたちを後ろに連れて来て連中の前に立っている。
オオノキ・すばるは未だに俺の腕の中で眠っている。
「ハッ。爺の首を眺めて喜ぶ趣味は無えよ。それよりハッキリさせてえ事があるんだがよ。これはろくろうたの野郎の命令じゃねえんだよな?」
爺と手下連中が一同騒然となる。
実際、想像していた展開だ。ろくろうたの野郎はえげつない手を使う事も厭わないクソ野郎だが、他者を頼みにするような人種ではない。
事実アイツと直であった時に俺はその事を確信していた。
「左様だ、しのぶ殿。この度の騒動は全てこのワタヌキ・なおかつが企んだ事だ。どのような償いもする。仲間とすばる様の事は見逃して欲しい」
なおかつと名乗った老武人は俺の前で正座して地面に額と両手をこすりつけた。
(肝の据わった爺さんだ。コイツを無下にするような真似をすれば俺の男としての価値が下がるってモンだ)
俺は”連中を解放していいか?”とりんと金糸雀姫ととうたに目配せする。
りんは素直に頭を下げ、金糸雀姫ととうたは何か言いたげだったが一応は賛成してくれた。
だがな、ちけい。
お前の意見は最初から聞くつもりはねえ。
「おう。それで構わねえよ。俺はろくろうたと残りの一人を倒して優勝出来ればそおれでいいんだ。後な、アンタの首も要らねえや。大会が終わるまで引っ込んでいてくれ」
俺は手先をひらひらと振って追い返すような仕草をする。
すばるの部下たちは色めき立ったが、なおかつの一睨みで黙ってしまった。
俺の耳には届いていないが、このワタヌキ・なおかつという爺は相当な実力を持った侍なんだろう。
大会に出場してないのが惜しいくらいだ。
「そらよ」
あたりが静寂に包まれた頃合いを見計らって、俺はすばるを地面に置いた。
一応すばるは貴人みたいなあつかいだから投げ捨てないでやる。
「…よもや虜囚の辱めを受けるとはッ‼」
地面に降ろされた直後、意識を取り戻したすばるは地面を殴りつけた。
そして例の敵意に満ちた視線を俺に向ける。
「そういう一人前みたいな口を利くのは、もう少し強くなってから二しやがれ、坊主」
「黙れ。天導専心の手先に成り下がったようなお前の言葉など、聞くまでもない」
俺はちけいの方を見る。
どうやら俺たちはこの生臭坊主と行動を共にしている為に、転導専心の仲間だと勘違いされているようだ。
それを差し引いても、この執着ぶりは異常だな。
「待て待て、童よ。我ら転導専心は国王にも認められた真っ当な宗教団体だぞ。拙僧たちにどのような恨みがあるのかは知らんが事情くらいは話してくれんか?」
ちけいは苦笑いを浮かべながら俺の方を見る。
こうやって周囲から仲間認定させて外堀を埋めるつもりだろう。
つくづくクソ坊主だな。
(言わせておけば…いつ俺たちがお前の仲間になった?)
俺は殺意を秘めた視線をちけいに向ける。
「しのぼ殿、我らは共に生死をかけて戦った強敵同士では御座らぬか~」
、――などと”しな”うぃ作ってちけいは俺に寄り添って来た。
禿げ頭のくせに毛深い大男がニヤケ顔ですり寄って来ているのだ。
これはもう殺していいっていう合図だよな?
「待て。その聞き覚えのある声はともよしか?私だ、御剣岳の合戦でともに戦ったワタヌキだ‼」
ちけいの声を聞いた途端になおかつが頭を上げる。
同じくしてすばるの部下たちもまたちけいの姿を見て何やら騒然としている。
ちけいは元武士だと言っていたが、ワタヌキ・なおかつの知り合いだったとは流石の俺も夢にも思わなかったというものだ。
「ぐぬぬぬ…っ‼上手く誤魔化せたと思っていたが、思い切って出しゃばったのは失敗で御座ったな」
ちけいはそう言いながら俺の着物のすそを握っている。
「止めれ」
俺はちけいの手を叩き落とした。
生憎だが五十歳くらいの大男にすり寄られて喜ぶ趣味は無い。
「あの大戦の後に出家したとは聞いていたが、まさかこんな場所で出くわすとはな…」
なおかつは盛大に息を吐く。
なるほど爺の様子から察するにちけいの厄介な性格は坊主になる前からのものなんだろう。
同情するぜ、ワタヌキ・なおかつ。
「なおかつ、天導専心は母上の仇だぞ。仲良くするな」
すばるは酷く不快そうに老臣を叱責する。
「申し訳ございません、すばる様」
なおかつは平伏して己の言動を謝った。
(ろくろうたの身内を名乗る以上、このすばるとろくろうたは血縁関係にあるのだろう。つまりろくろうたの母親は天導専心に殺されたという話なのか?)
俺は疑念に満ちた視線をちけいに向ける。
「ううう…。しのぶ殿、信じてくだされ。拙僧と居間の天導専心はその事件に関しては一切関係御座らん。この通りで御座る…」
ちけいは珍しく素直に詫びてきた。
くせ者のちけいの事だ、何か意図する事がある違いあるまい。
「しのぶ殿、ともよしの言葉には嘘偽りは御座らぬ。どうか信じてやってはくれまいか?」
俺に向ってひたする頭を下げ続けるちけいに、なおかつが助け舟を出す。
すばるも険しい顔をしていたが、忠義深い老臣の言葉とあっては聞き流すわけにも行かず黙って事の成り行きを見守っていた。
「構わねえよ。俺は最初からコイツの事が気に食わねえし。それより親の仇がどうとか言っていたな。何の話なんだ?」
俺はすばるとなおかつに詰め寄る。
男の戦いに私怨は無用というのが俺の基本的な考え方だ。
正直、あのろくろうたが親の仇討ちの為にこの戦いに参加したという事情も受け入れがたい。
「惚けるな。貴様ら天導専心が父上の邪魔をしようとして母上を殺したのではないか‼」
すばるは感極まってか目に涙を浮かべながら己の心情を訴える。
予想外の行動に俺は面食らってしまった。
「すばる様、どうか堪えてください。少なくともここにいるしのぶ殿とともよしはあの事件とは無関係です…」
「ううっ…」
なおかつに諫められてついにすばるは泣き出してしまう。
「おい、ちけい。何か知ってるなら話してくれねえか?いくら俺でも敵さんがこれじゃあ寝覚めが悪いってモンだ…」
ちけいは俺となおかつを交互に見る。
奴には珍しく事情を話すべきか否かと混乱しているらしい。
だが、そんな間も無く、意外な人物が現れた。
「おやおや~。到着が遅いと思ったらこんなところで油を売っていたのかい?君もつくづく罪な男だねえ、しのぶ君~」
いつも人を小馬鹿にしたような喋り口。
並外れた体躯、陰気なニヤケ顔。
忘れたくも忘れられないような禍々しい風貌は怖気を誘う。
誰あろうか次の対戦相手のオオノキ・ろくろうただった。