忍法 その49 刺客
小国の力比べ大会といえど国の重鎮が天覧するような舞台ともなれば会場の装いも豪勢なものとなる。
これらを手配したのは軍務を統べるダイゴ将軍一人というのだから彼の政治的手腕は優秀である事は誰もが認めざるを得なかった。
一般人の観客のみならず貴族、有力な武家たちも将軍の功績を口々に讃える。
だが宰相一派は将軍の仕事の粗を探してはそれらをさも大事のように嘲っていた。
「止めよ。見苦しい」
取り巻きたちの囀りを豪奢な礼服に身を包んだ壮年の男が一喝して止める。
太い眉に角張った輪郭、真一文字に結んだ口元から吐かれる言霊は有象無象に息をつぐ事も許さない。
これが実父である先王の死後、数十年に渡ってフソウ国を支えてきた剛腕の政治家キッカワ・たかとらの威光だった。
「お許しください、宰相閣下」
重臣たちがこぞってたかとらに平伏する。
たかとらは無闇やたらと人を弑する事は無かったが、不要と感じれば即座に処刑する冷徹さを持っていた。
そんな冷厳の化身の如き男をオオノキ・ろくろうたはせせら笑う。
「親父、そんなんじゃ太鼓持ち連中から嫌われちまうぜ?祖父さんみたいに暗殺はされたくないだろう」
「貴様も黙れ。ろくろうた」
たかとらは不謹慎極まりない発言をしたろくろうたを正面から睨みつけた。
しかし、これに動じるろくろうたではない。
「黙らねえよ。そもそも祖母さんの身分を考えれば親父が王になってもおかしくはねえんだ。ぎひっ」
ろくろうたは怒りに震える実父の反応を楽しみながらニヤリと笑う。
「父上には父上の判断があったのだ。お前如きが口を挟むような問題ではない。分を弁えろ、ろくろうた」
確かにたかとらとて若い時分は己こそが王太子の地位を得るものとばかり考えていた。
しかし”天導専心”という国教の教祖がそれを阻んだ。
かの教祖は祖父の代から国政に干渉し、ことあるごとに国の重大な決定を覆してきた。
最終的には間者を送り込み、教祖を暗殺する事によって防ぐ事は出来たのだが暗殺事件をきっかけに農民反乱が起こるようになってしまったのだ。
おそらくは”天導専心”の僧侶たちが先導しているには違いないが、国教の伝道師という立場にある為に捕まえるわけにはいかない。
国内の治安を維持する為には未だに宗教の力を借りなければならないのが現状だった。
(父は信心深いが為に坊主どもに力を与え過ぎた。その結果ががこれだ)
たかとらは内心、腸が煮えくり返る思いで会場の真ん中で胡坐をかいているちけいを見ていた。
ちけいは先代の教祖の直弟子の一人で、フソウの国の暗部に通じている人物である。
いっそこのまま誰かの手によって亡き者にならぬか、と邪推さえしてしまう。
「ロクよ、仮にちけいとお前が戦った時には死んでも構わぬ。生かして帰すな」
キッカワ・たかとらはありったけの憎しみを込めて言った。
天導専心には国内の治安を良くするために一役買ってもらった、そういう時期もあった。
先々代国王の頃の話である。遠い昔の話ではない。
だがかの邪宗の教祖は国王を蔑ろにして、王族同士に殺し合いさせるという一線を越えてしまったのだ。
ろくろうたの母も天導専心の放った刺客によって殺害されている。
「ぎししし。まだボクの母ちゃんに未練があるの?意外と可愛いところあるね、パパも」
ろくろうたは心中で憎しみの炎を滾らせる実父を好ましそうに眺める。
彼とて母親の死に悲しみを感じた時期もあったが、今は過去の出来事と割り切っていた。
「でもさ、パパ。ちけいも面白いんだけど対戦相手のしのぶ君も結構、楽しい奴なんだよ」
ろくろうたは出入り口から現れたしのぶを指さした。
「しのぶ?どこの武家の者だ?」
「さあね。どこかの小さな村からやってきた男の子なんだけど、コイツが中々強くてさあ、アマヤス王のお気に入りの”さとし”とかダイゴ将軍の配下が目をかけている”シズマ・とうた”を倒しちゃったんだよ?」
「シズマ・とうた?彼奴はもう年齢だろうに」
キッカワ・たかとらはかつて彼の側に仕えていた老将軍シズマ・とうたの顔を思い浮かべる。
軍を辞した後は郷里で骨を埋めるといって数十年前にキッカワの元を去った。
キッカワの記憶では年齢は七十代半ばだったはずである。
とうたは武芸に秀でてはいるが全盛期のままというわけにはいかないだろう。
「まあ多分、別人だろうね。でもその偽物さんはかなり強かったんだよ。ボクでも手こずるくらいに」
「お前がか…」
「そうだ。ちけいの始末はしのぶ君に任せよう。彼は曲がった事が大嫌いだからきっと天導専心の連中もやっつけてくれるさ」
ろくろうたは口の端を吊り上げてニッと笑う。
今の発言の半分はいい加減な気持ちだったが、確信めいた何かがあった。
しのぶは万難を排して必ず自分の前に現れる。
それだけは間違いない。
「なるほど。それでは見せてもらおうか。お前が宿敵と見定めた男の戦いぶりを」
かくして特等の席で、たかとらとろくろうたの父子は因縁深き相手の戦いを観戦することにした。
俺が闘技場にやって来ると先にちけいの野郎が来ていた。
奴の武器は身の丈ほど(ちけいは209センチくらい)棒を持っていた。
そして俺の姿を見るなり、ニヤケ顔で馴れ馴れしく挨拶をしてくる。
一端の武人を気取るつもりはないが、試合前だってのに相手を舐めすぎだろ。
「しのぶ殿、今日はお手柔らかに頼むよ。拙僧はまだ神様の世話にはなりたくないのだ」
「ああ、そうかよ。だったら今すぐにでも降参しな。命だけは勘弁してやる」
ちけいは耳穴を穿りながら余裕たっぷりに俺を値踏みしている。
「ふむ、反抗的な態度もまた良しだ。力で相手を屈服させて説教するのも坊主の仕事だからな」
ちけいは腰を落として、棒の先端を下に向ける。
(あの構えは…棍じゃねえ、槍術か。そう言えば出会った時に野郎は侍くずれだみたいな事を言っていたな)
俺も警戒心発してちけいの出方を窺う。
腰の位置は高く、緩い突き技ならば即座に叩き落とす算段だった。
「しのぶ殿、拙僧はたたきと為れば手加減は出来ん。今一度、問うがおとなしく退いてはくれまいか?」
ちけいはゆらりと棒の先端を俺に向ける。
さながらスズメ蜂の毒針を向けられたような心境だった。
ここに来てちけいの技量と胆力に驚かされる。
「人生ってのは一期一会だ。”また”とか”今度”とかが無いから楽しいんだよ」
俺は舌を舐めずり、ちけいを睨みつける。
「そうか。それは残念だ」次の刹那、ちけいの姿が俺の目の前から消えた。




