忍法 その36 血戦
それは俺が医療区画を離れて、りんと金糸雀姫のところに戻ろうとしていた時の出来事だった。
「一回戦突破おめでとう」
通路の向こうから小太刀の男、とうたが歩いて来た。
「手前はとうたか。俺に何の用だ」
目の前のとうたからは人の気配らしいものを一切感じない。
とうたの整った顔立ちからも表情は消え失せていた。
「しのぶ、お前には一回戦で世話になった間柄だ。一つだけ忠告させてもらおう」
俺はとうたの指先を注視する。
そう仕向けたのかどうかは知らないが、偶然にも周囲に人の気配は感じられなかった。
「フン。聞こうか」
「今すぐ荷物をまとめて郷里に帰れ。見逃してやる」
しゃ…。
とうたは小太刀を抜いた。
(大胆なヤツだ)
俺の口元は自然と笑みの形を作っていた。
この力比べ大会は基本的二国の威信をかけたものだ。
不意打ちや反則が明るみになれば一族郎党にまで害が及ぶ可能性もある。
とうたはそれを知っていて仕掛けてきたのだ。
並大抵の覚悟ではない。
「俺には倒さねばならぬ仇がいる。この命に換えてもだ。その為ならば手段は選ばぬ」
とうたは刃を伏せて下段に構える。
(小太刀の下段。コイツの武器は”足”か)
俺は前に出るような構えでとうたの攻撃を待った。
神速の歩法、縮地を用いてこちらの間合いに入ってくるつもりなら即叩き込みを見舞ってやるつもりだ。
「参る」
次の刹那、俺の目の前からとうたの姿が消えた。
早いというレベルではない。
反応する事自体が不可能な戦法だった。
(先手を取るのは無理だな。ならば…)
しのぶは身を屈めて十字受けの姿勢でとうたの攻撃を待つ。
全身の筋肉に血を巡らせる。筋肉が膨張し、鋼の硬度を得る。
やや無謀な策だが、先手を取られてしまった以上はこうする他ない。
(来い、とうたよ。お前の初太刀、俺が受けきってやる)
しのぶは風と化したとうたの姿をかろうじて目で追いながら”その時”を待った。
「いい判断だ。しかし、その賢しさが仇と為る」
とうたは地面を蹴って左右に移動してしのぶをかく乱しようとする。
だが、しのぶは微動だにせずとうたの動きを見ていた。
「チッ」
とうたは気を焦らしてついに懐に隠し持った棒手裏剣を投げつけた。
「まどろっこしいぜ」
しのぶは急所目がけて投げつけられた手裏剣を全て叩き落とした。
とうたは俊敏に移動して手裏剣を投げるが、鉄壁の要塞と化したしのぶは四方八方から投げつけられる手裏剣を全て叩き落とした。
「影月流、新月裂花斬ッ‼」
とうたは数本の手裏剣を放ったのと同時に姿を消す。
しのぶはそれらを張り手で全て落とすと本命を待った。
「来な‼」
しのぶは大きく息を吸い込むととうたの攻撃をを待った。
とうたはまずしのぶの背後に周り逆袈裟に切り裂く。
だがしのぶは反転してとうたの攻撃を避け、同時に下腹に向って蹴りを打った。
ずしゅっ‼
しのぶの背中に浅く切り込みが入り、しのぶの顔がわずかに歪む。
その間を逃さずにとうたは左に回り込んでしのぶの胴を切り裂く。
これも浅い。
後手に回ったしのぶは遅れて張り手を見舞うが難無く回避されてしまった。
「早いな…」
しのぶは斬られた箇所に手を当て、怪我の度合いを調べる。
傷口が別を帯びて時間の経過と共に痛みが増す。
しのぶが前世において尖兵たちの武器によく塗らせていた、――毒だった。
(クソが。因果応報ってか)
しのぶは窮地にあっても不敵な笑みを崩す事は無かった。
勝負において勝利を欲するのはごく自然な流れ。
手段や流儀に囚われる事がそもそも不純であり、まして力士が相手の非道に異議を申し立てるなど言語道断。
「速さは強さ。目に見えぬ者を捕まえる事は出来ぬ」
とうたはしのぶの死角に回り込んで次々と切りつけてくる。
一撃、一撃は大したダメージにはならないが刃に毒が塗ってあるならば話は別だ。
斬られた数と時間の経過は確実にしのぶの命の灯をすり減らしていった。
影は舞い踊り、その度にしのぶの身体は斬られ続けた。
「――耐えたか」
十数分後、しのぶの足元は血に染まっていた。
いつ倒れてもおかしくはない状態だったがしのぶが防御の姿勢を解除する事はない。
「もはや万策は尽きたぞ、しのぶ。このまま死ぬがいい」
とうたは再び姿を消す。
そしてまた地面を蹴って素早く移動した後に今度はしのぶの目の前に現れた。
「さらばだ‼」
しのぶは白い歯を見せて笑った。
そして頭を後ろに下げてから一気に前方に向って振り抜く。
がしっ‼
とうたが刀を振るよりも早くしのぶの額がとたの顔を潰した。
地面に飛び散る、とうたの血と歯。
がっ‼
次の瞬間、しのぶはとうたの両耳を掴んで固定した。
「いい位置だ。少し痛いが我慢しろよ」
ぐわしっ‼
とうたの顔にしのぶの額がぶつかる。鼻が折れる。口内で歯が折れる。
唇が裂け、悲鳴を上げる事もままならない。
「貴様は殺す‼」
ざしゅっ‼
とうたは余力を使って小太刀をしのぶの腹に刺した。
だがしのぶは止まらない。
「痛いじゃねえか、とうたよ。じゃあもっと伊達男にしてやんないと駄目だな」
ぐわしゃあっ‼
鐘撞の要領でしのぶはとうたの顔に頭突きした。
また砕ける。意識を失いかける。地を噴き出す。
砕かれた鼻腔の内部に血が詰まって呼吸をする事もままならない。
「ぐわあああああああ‼」
ざしゅ‼ざしゅ‼ざしゅ‼ざしゅ‼
とうたは持てる力を振り絞ってしのぶの腹部を刺し続けた。
がんっ‼
しのぶの十回目の頭突きでとうたは意識を失った。
「ハッ。口ほどにも無えな」
しのぶは気絶したとうたの身体を地面に寝かせるとその場を立ち去った。
腹の傷は浅くはない。
いつの間にか足元には血の池が出来ている。
視界はもやがかかったようになっていた。
だが後悔は無い。
それが力を以て生まれた者の責務だから。
「痛み分けか…。次はこうは行かぬぞ。しのぶ、いや”ふじわら巨根斎”よ…」
とうたは朦朧とする意識をどうにか繋ぎ止めながら去り行くしのぶの姿を見た。




