忍法 その 34 波乱万丈
「まさか、あのさとしが敗れるとは…ッ⁉」
力べ比べ大会の会場にある最上位貴賓席で、フソウ国の国王アマヤスは己の悲運を嘆いた。
彼はさとしを推挙した人物であり、何よりも彼の実力を信じていたのである。
忠節や契約ではない、真心からアマヤスは一個の人間としてさとしの優勝を信じていた。
そして、その真逆にさとしの初戦敗退を心の底から喜んでいる者がいる。
国王の叔父にして摂政を務めるキッカワ・たかとらだった。
たかとらはすぐ近くにいるアマヤスに悟られぬよう口元を扇で隠しながら会場の様子を見守っていた。
たかとらは席を立ち、随従の者を伴わずに国王のもとに向った。
「国王様、如何為された。気分が優れぬようで」
たかとらはさとしとアマヤスが友人関係にある事を知りながら探りを入れる。
命令があれば直ちにしのぶを誅する事も厭わない。
そしてそれがきっかけで国王に借りが作れるならば重畳とも考えていた。
「やはり予は戦いを好まぬ性分らしい。たかとら殿、迷惑をかけたな。席に戻られよ」
アマヤスは周囲に気を配りながら臣下に命じる。
帷幕の中は親王派と交代派に分かれ、さながら権力闘争の渦中にある。
アマヤスは政敵といえど、たかとらを親族として大切に思っているのだ。
「承知しました」
たかとらは恭しく一礼すると自分の席に下がる。
その際に太刀が鞘に収められた音を聞いたのはあながち幻聴ではない。
一方、たかとらとアマヤスの接近を好ましく思っていない者がいた。
将軍ダイゴ・さだおきである。
宮中の権力闘争とは無縁の存在と言われている彼だが特にアマヤスとたかとらの距離感には注意している。
どちらかが倒れてもさだおきにとっては有利な話だが過去の隠しウを忘れて手を結ぶような事態だけは回避したい。
「将軍」
さだおきの側近が突然、耳打ちをしてきた。
イヌイ某という侍大将である。
彼は王族の遠縁である為にこの場にいる事を許されている。
「あのしのぶという男を利用してはいかがでしょうか?」
「あれか」
さだおきは階下のしのぶを睥睨する。
彼の目には多少強いだけの男にしか見えなかった。
「使えるか?」
「オオノキ殿を倒せる者がいるとすれば彼でしょう。私が保証します」
イヌイの目利きにさだおきは幾度と無く救われている。
アマヤスとたかとらの胴体に首が繋がっているのはイヌイの進言によるものだ。
”王侯は斜陽に非ず。いまだ健在”と。
その言葉の実証がさとしやオオノキ・ろくろうたの存在だ。
たかとらの私兵のオオノキ、国王の推挙のさとし、いずれもさだおきの知らぬ武人だ。
下手に手を出せばしっぺ返しを食らうのはさだおき本人だっただろう。
さだおきは親指の爪を噛む。
「出来るか?」
「はい。ただし俸禄を用意してくださいませ」
さだおきは目を閉じる。
下手に出れば足元を見られるという懸念があった。
また無名の者を召し抱えられるほど気安い立場でもない。
「任せる」
「はい」
イヌイはさだおきの下を去り、何処かへと向かった。
一方、その頃しのぶは仰向けに倒れたさとしを抱え起こしていた。
全力を出し切った者同士遺恨などあろうはずもない。
「強かったぜ、さとし」
「なぜ止めを刺さぬ?」
さとしはしのぶを睨みつける。
昆虫の世界に互いの健闘をたたえ合うという風習は存在しない。
常に負けて食われるか、勝手生き残るか。闘争とはそういうものだと心得てきた。
「俺は頭が悪いから上手く言葉には出来ねえよ。お前はすごく強い奴だからもう一回戦いたいとかそういう話になるのかな?」
さとしは舌打ちをする。
そして強引にしのぶの手を払い除けた。
「不快だ。格下如きが図に乗りおって…」
さとしは危なげな足取りで出口へと向かう。
その間、ただの一度も振り返りはしなかった。
「さとし、お前の頭突き大したモンだったぜ」
しのぶは微笑みながら手を振る。
その時、遠間から大弓でしのぶを狙う者がいた。
男は緊張のあまり舌を舐めずる。
そしてしのぶの左胸を目がけて矢を射った。
どしゅっ‼
「⁉」
しのぶは目の前で起こった信じられない光景を前にして絶句する。
昆虫人間の青緑色の血がしのぶの身体に飛び散っていた。
さとしだ。
弓の存在を一早く察知したさとしが己が身を挺してしのぶの盾となったのだ。
「がはっ‼」
さとしは吐血する。
「誰だ、こんなつまらねえ事をしやがったのは‼出て来い‼」
しのぶは矢が放たれた方角に向って叫んだ。
「僕だよ、しのぶ君…」
大弓を持った男がしのぶの方に向って悠々と歩いて来る。
長いくせ毛を風になびかせながら、口元にはいやらしい笑みを浮かべていた。
ギョロリ。そして大きな目でしのぶを睨みつけた。
「初めまして。僕はオオノキ・ろくろうた。この大会のスポンサー、宰相のキッカワ・たかとら様の隠し子でーす」
ろくろうたは大弓を捨て、代わりに身の丈ほどの大きさの刀を構えた。
「ギヒヒッ‼君って強いねえ。僕は強いヤツが大好きなんだよ。もうめんどくさいからここで決勝戦やろうよ…」
ぶぉんっ‼
ろくろうたは大刀で空を薙ぐ。
次の瞬間、衝撃波で地面を大きく切り裂いた。
「男の戦いに余計な真似をしやがって、この卑怯者が…」
「ぎゃはははははッ‼君、面白い事言うねええ。卑怯って何?それ、美味しいの?」
「テメエッ‼」
しのぶは大地を蹴って一気に距離を詰める。
一方、ろくろうたは不敵な笑みを浮かべたまま刀を構えた。
「だりゃあッ‼」
しのぶの張り手がろくろうたに向かって放たれた。
「いひっ!」
ろうくろうたは奇声を上げながらそれを弾き飛ばす。
「あれれ?切れないんだ。君って頑丈なんだね…。じゃあ本気を出しても大丈夫かな」
ろくろうたは剣を両手持ちに変えて上段に構えた。
「山津波流天津大颪、躱してみろよ。下郎‼」