99 守る側の者
フィリップの誘い言葉に女の表情は和らぐ。彼女も興奮しているのか、また表情が変わる。それを見たフィリップは、自身のこれまでの経験から『いける』と感じていた。
フィリップは生唾を飲み込む。と同時に自分の感情が抑えられなくなってきていた。
そして、彼が半歩前に出た時である。
突如、彼女は勢いよく魔法陣から飛び出してきたのだった。
彼女を見て、そこにいた全員が自分の目を疑った。
女の首から下は、四足の獣であったのだ。
驚きのあまり、息が止まる。
次の瞬間、事件は起こった。
四足の獣が、フィリップに飛び掛かったのである。
近距離で飛びつかれたため、フィリップは獣の突進を躱すことができず、そのまま、獣の鋭い爪で胸を突き抜かれ、地面に押し倒された。
「ぐぶうっ」
フィリップは二度三度と吐血を繰り返す。
吐血する度に、心底、後悔するも言葉はもうでない。
彼は、あろうことか、女の顔が出て来た時点で、剣を鞘へとおさめてしまっていた。
両手を広げ、思いっきり彼女を抱きしめようとしていただけに、無防備な状態であったのだ。
そのため、易々と獣の餌食となってしまったのである。
四足の獣は、彼の胸から右脚を引き抜くと、滴る血を幾度と舐め始めた。
顔はフィリップの血で染まっていく。
人の顔を持ってはいるものの、生き血を上手そうに舐める姿は獣にしか見えなかった。
だが、その女の顔も、みるみる内に口が裂けていき、開いた口の中からは、歯が二列、三列と見える。
廻りが棒立ちとなる中、顔も獣へと変化していったのである。
「マンティコアだ!! くそ、助けるぞ!」
ビグルは、もう、駄目かと思いながらも、仲間に声を掛け飛び掛かった。
魔法陣から顔を覗かせた時は、床から1.6m辺りにあった顔の位置が、全貌を現した今は1.8m程の位置にあるのだ。獣にしては体がでかい。
エンセンが槍で突き刺そうとすると、マンティコアは軽快にステップして躱す。
野生の獣、そのものの動きである。
マンティコアは、自分の獲物を横取りされるのではないかと、フィリップから離れようとしない。攻撃を繰り返すも一定の距離を維持し、逃げ出すどころか、凄まじい形相で、『鉄戦士』らを睨みつけてきた。
マンティコアとは、顔面は人族で、首から下は獅子の肉体を持ち、尻尾には蠍のような毒針がついていて、その毒針を飛ばすことができるといった異質でかつ、獰猛な魔物であった。
この魔物は人肉が好物であるため、魔力量が少ない者でも襲う。
ビグルは続けて、大声を出していた。
「おい、手を貸してくれ! 奴が死んじまう!」
ビグルが叫ぶものの、『女神の祝福』のメンバーは動かない。
「馬鹿言わないで! あの魔法陣、消えてないのよ! こっちは、今、忙しいんだから!!」
エスティルの言葉を聞いても、ビグルは意味が分からなかった。
魔法陣はまだ輝き、グルグルと廻り続けている。
「馬鹿ビグル! 聞いてなかったの! 壁に背を向けてるんじゃないわよ! 早く、離れなさい!」
そこに、壁の魔法陣の中から、今度は『男の顔』が出て来た。
エスティルが危惧していたことが起こってしまった。
新たに出て来た『男の顔』。やはり、こちらも美形である。
男の目はゆっくりと周囲を見渡している。
その悍ましい視線を感じたビグルは、すぐさま移動した。
カルは『女の顔』に続いて、今度は『男の顔』がでてきたことで、急に恐怖で呼吸が苦しくなっていた。
あんな化け物が、続けて出てくるのかと思ったからである。
肉体が恐怖に支配されていく中、平然と出て来た『男の顔』を見ていると、今、自分はどんな顔をしているのか等と変な考えが浮かんできて混乱していた。
はっ、顔!? カルは咄嗟にジルセンセの仮面を被った。
なぜ、被ることを忘れていたのだろうか。
いや、外したことさえも忘れていた。
ジルセンセから貰ったのだ、この仮面は勇気の源でもある。
準備もこなさず、本番に臨んでいた…。
自分が情けない。
そう気が付いて、剣を構え直そうとしたその時、ヒラッと一枚の布が落ちた。
どこをどうして出てきたのかはわからない。多分、仮面を被る時の動作で落ちたのだろう。
カルは、考えもせず、それをポケットに戻そうと拾い上げた際、ガクンと力が抜けた。
この感じ。何でかは瞬時に理解できた。
これは布などではない。いつしかの例の『投網の切れ端』である。
もともと僅かしかない俺の魔力を持っていかれてしまった…。
まずい。やっぱり、少し、ふら付く。
けれど、この感覚…。
間違いない、古来剣術を振るえる時の感覚だ。
戦える。カルの中に新たな力が湧いてきていた。
周辺の温度は、急速に上昇しだしていた。
魔法陣からヒョコッとでている『男の顔』は、自分のこの顔が異性の人族を惹きつけられることを知っていた。なぜなら、この顔を魔法陣から出すだけで、立ちどころに異性が寄ってきて、その度に散々、喰い殺してきたからである。
だが、今、想定していた反応は全くなく、ただ周辺が騒がしいことに苛立っていた。
『女の顔』は餌が目の前に沢山あるためか、周囲の音など一切気にはならないようである。『男の顔』のほうを見向きもしないだ。
『男の顔』は、もう、餌が釣れそうにないと分かると、今度は弱そうな獲物を探し始めた。
すぐにでも、食事にありつきたいのである。
瞬く間に、ニヤ~と笑みを浮かべた。
恐怖に歪んでいた顔を仮面で隠し、さらには、少しフラついている獲物を見つけたのである。
恐れ慄き、弱っている。『男の顔』にとっては、格好の獲物である。
『男の顔』は、瞬時に魔法陣から飛びだしてきた。
やはり、その姿はマンティコアであった。
しかし、このオスのマンティコアは飛び出した途端に死の恐怖に直面する。
突如、目の前が炎で覆われたのである。敏捷性に優れたこの魔物は、何とか、すれ違うように右へ飛んで躱しきった。
けれども、オスのマンティコアは、すれ違ったことで左後脚に火傷を負い、尾は焼失してしまい、カルの目の前に着地すると、そのまま即座に左半身から崩れ落ちた。魔物は何が起こったのかが分からなかった。ただ、ただ、尾を失った痛みと、後から襲ってきた肉体を焼かれた痛みで、悲痛な叫び声をあげていた。
直後、爆発が起こり、爆風が室内に充満する。
煙の量も多く、石破片が降り注ぐ中、魔法陣のあった壁は真っ黒に焦げ、破損していた。
原因は、エスティルである。
彼女が『火の槍』を魔法陣目掛けて放っていたのである。
ビグルに忙しいと言っていたのは、この準備のためであった。
彼女は『エンデルの洞窟内』のことを思い起こし、この後も目の前の魔法陣から何匹でてくるかわからないと思い、面倒だと思って、いきなり放ったのである。
「はは、爆風もいい感じだよ。何か、魔力が抜けて、全てがちょうどいい」
カルはそう言うと、即座に動きだした。
立ち上がってきたオスのマンティコアに対し、カルは左側面から胴体部分を引き裂いた。魔力が無いにも拘わらず、カルの剣はやすやすと魔物の肉体を裂いて行く。
あらたな痛みに襲われたマンティコアは、苦痛に顔を歪ませる。
横一文字に裂かれた体からは大量の血があふれ出し、徐々にと力が抜けていった。
オスのマンティコアは、まさか弱っている餌に致命傷を与えられるとは思いも寄らず、藻掻き、暴れた挙句、絶叫の中、魔石へと変化した。
カルはその変化を見届けることなく、その足でメスの方へと向かっていた。
古来剣術の一端を使える時の彼は、敵を目の前にして躊躇はしない。
メスのマンティコアは、突然の爆風に恐怖し、ビグルらと距離をとった。
爆風が落ち着いてくると、メスのマンティコアは、自分の獲物からビグルらを遠ざけたいらしく、離れたところから尾にある毒針を放ちだした。
明かりが少ない中、視認が厳しい攻撃に戸惑うも、ビグルらも容易してきた魔道具で火魔術をけしかける。されども、メスのマンティコアは野性的な動きで躱し続けるので、あたらない。
「く、くそ、これだから魔物はやりづれぇ」
ビグルには手詰まり感があった。
「ビグルは下手もいいとこね。あんなに的が大きいのに当たらないなんて、あれじゃあ、一生、ううん、生まれ変わってもFランクよね」
エスティルは、『火の槍』を放ち、やりきった感があるので、彼女のコメントは、もう傍観者のようである。
一方で、オルガとフェルビーは、エスティルの安全だけが最優先事項であるために、厳戒態勢をとったまま、参戦はしてこない。
二人は、『鉄戦士』らの応援に行く気はさらさらないのである。
「ビグルッ! ちょっと、あんた早くしてよ! ここ、煙臭いから出たいのよ」
エスティルが大声で好き勝手いう。
……誰が煙くしたんだよ。
エスティルの態度を見ていて、余裕がでてきたのか、ジルも無意識に突っ込んでいた。
「げっ、あっちは仕留めてやがるぜ! ビグルの旦那、彼奴らは、ただもんじゃえな!」
「女神とだけ覚えておけ! 次あった時は挨拶しねえと、必ず、しばかれるぞ!!」
「わかりした」
ベックの緊張は解けることは無い。
「お、カルだぜ。へへっ、助かる」
「は?」
カルはメスのマンティコアの左から背後に廻る。
いきなり背後から現れた敵にマンティコアは衝撃を受けた。なぜなら、煙があるとはいえ、全く気付けなかったからである。咄嗟に体を捻って振り返る。
すると、カルの剣に、オスのマンティコアの血が付着しているのに気が付いた。
すかさず、獲物を放棄して逃げ出そうとするも、魔力を吸い取られたカルの剣から逃れることは出来ない。
恐怖に貫かれ離れようと、跳ねる動作に入るも、即座に尻尾を斬り落とされてしまった。
マンティコアは、痛みに耐えきれず発狂しだす。
狂ったかの叫び声を、ひととき上げたと思いきや、怒りの形相でカルを見据えると、今度は反転して向かってきた。
カルは、獅子のような前脚を躱しつつ、剣を振るう。
体が大きいこともあり、前脚も太く、爪も思った以上に長く鋭い。
だが、マンティコアの単調な脚の動きと速度に慣れると、もはや敵ではなかった。
横薙ぎに振りきると、太い前脚が急回転しながら地を這っていく。
マンティコアは前脚を斬り落とされ、残された脚だけでは自身の体を支えるのがやっとのようにも見えたが、逃げられないと悟ったのか、再び、反転して襲ってきた。
逆の前脚が落ちる。
さらなる激痛に耐えられないといった表情を一瞬したものの、まだ目を血走らせて睨んでいる。
「お、おの…れ」
片言であったが、人の言葉を話したことに、ビグルらは怯んだ。
「い、今の共通言語じゃ」
『鉄戦士』の一人、ベックはダンジョンの魔物が喋ったことに愕然とする。
だが、背後に移っていたカルには一切聞こえることもなく、廻り込み背中を斬りつけて、胴体を一刀両断にしてしまった。
ベックは、カルの見事な一刀両断を目にすると、魔物の言葉のことなど吹き取んでしまった。
24層の魔物の体を容易く両断するなど、Cランク冒険者でも出来る者は少ないと言われる中、魔力を感じない男が目の前でやってのけたからだ。
ベックは俄然カルに興味を持ち始めた。
魔力を得物に込めるという魔剣術でないと、魔物の体に傷をつけることが出来ない。それが常識なのである。
「だ、旦那、あ、あいつは何て奴なんで」
「ありゃあ、女神の騎士って覚えとけ。でないと、女神の怒りを買うぞ。買ったら、あの焦げ付いた壁みたいになっちまうぜ」
「一生忘れちゃいけない事って、やつかい?」
「そうだな。ベック」
話終えると、興奮していた二人は急に安心したのか、戦場であるにもかかわらず、ぐったりして、少し意識が飛んでしまった。
気を失った二人を余所に、ジルとフェルビーがマンティコアの成れの果てとなった魔石を拾いにいった。
エスティルは二個の魔石を見せられて驚いていた。素人の自分が見ても価値が高いことがわかるのだ。
最初、手に取った時は24層の割りには、思いのほか小さくて、期待外れだなというのが第一印象だったのだが、目を凝らして覗いて見ると素直に美しいと感じる。
それぞれ、群青と深紅に輝く、この二つの魔石は純度が高いのだ。
元の姿であるマンティコアを見ていなければ、もっと素直に感動出来たのに。そう思いつつ、エスティルは魔石をジルに渡した。
この二つの魔石については、2パーティーで挑んだのだからパーティー毎にひとつずつの取り分とするのが通例なのだが、ビグルの仲間らは『鉄戦士』の取り分はいらないという。
何もしていないのだから、当然と言えば当然ではある。
彼らからすれば、生きて、この部屋から出られただけで儲けものなのである。
今、カルは疲労困憊の状態にあった。
ポケットにあった『投網の切れ端』に吸収されたために魔力が無い状態なのだ。
普通の人であれば、魔力欠乏症で重症と診断され、動くことも出来ないであろう。
けれども、元から魔力の少ないカルにとっては、重症ということでもない。
魔力がない中で戦ったので、カルにとっても、きつい状態なのは確かなのである。
……これだけ出来たってことは、古来剣術の力の一端なんだろうな。
毎度のことだけど。
『投網の切れ端』に魔力を吸収されての戦闘は正直きつい。
実は、口にこそ出してはいないものの、古来剣術の剣を振るうと肉体への負荷が結構ある。そこに、魔力欠乏による脱力感みたいなものが襲ってくるのだ。
けれども、この状態に至らないと、魔物とは戦えない。
いい加減に慣れなければ……。
気絶していたビグルらは、アイナに起こされ、今、介抱されている。
それと、メスのマンティコアを口説こうとしていた女好きのフィリップだが、心臓を爪で刺されていたこともあって落命していた。
どうも、即死に近かったらしい。
そのことを聞いたカルは、死んだ仲間の供養にと群青色の魔石を差し出した。
ただ、ギルドへのパーティーランク申請をする時は貸してくれるよう注文を付けておいた。パーティーランクは、今後、ダンジョン内を移動するのに重要なのである。
彼らに魔石を渡したことについては、エスティルも、ジルも、何も言ってはこなかった。
仲間を失ったことを自分に当てはめてみると、当然の事だろうと思う。
犠牲が出たこともあり、少し、しんみりしていたところ、フェルビーが宝箱とバスケットを見つけてきた。
バスケットは普通の大きさだが、宝箱は異常に大きい。
開けたら、魔物が出てきても、おかしくない程である。
意識が戻ったベックが言うには、階層主の部屋の宝箱から魔物が出て来ることはないという。宝箱が大きかった場合は、大概、武具なのだそうだ。
それを聞いても、なお、怖いのだろう。ジルセンセが緊張しているのがわかる。
力が入って、両耳がピン立ちしているのだ。
開けてみると、ベックの言う通り、宝箱には武具が入っていた。大盾である。
勿論、見ただけで効力なんかは分からない。
この手の物は、最適とされる者が使ってみて、初めて分かるものなのである。
ビグルらは魔石を譲ってもらったのでと遠慮してきたため、大盾は『女神の祝福』のものとなった。この大盾は、オルガの推薦もあって、フェルビーが使うこととなった。
フェルビーがこの大盾の最適者といえるかは分からないが、大きくて持てる人が他にいないのだ。
「んぐ、んぐ」と本人は大喜びである。
大盾を使ったことはないのだが、これで、エスティル様をお守りできると、笑顔が絶えない。
一方、バスケットには期待通り、食料が入っていた。といっても、果物である。
当然の如く、全員で直ぐに口にしだした。
階層主のいなくなった、この場所が、現在一番安全であるからである。
無心になって、食べ始めた。
ゆっくりしたいとこではあるが、あまり長居もできない。
閉じ込められては、何が起きるかわからないからだ。
カルは腰を下ろして、一人考えていた。
ここ最近には無い、圧倒的な勝利であった。
敵は手負いであったり、背後からの攻撃ではあったものの、勝ちは勝ちである。
『内なる声』が聞こえていないのにだ。カルは無意識に呟いていた。
カルの独り言はルバートに全て聞かれている。
当然、今迄全てをだ。
『主よ』
「ど、どうした、いきなり」
『あなたは魔力が少ないがために、自分は守られるべき者であるのだとよく呟く。だが、守られるべき者が、このような剣を振るえるものではない。あなたは、明らかに守る側の者である。それを認められぬのは、自分の理想と離れていくが故なのであろう。……特殊な力を持つ者は、世の中に対して責務がある。貴方の言葉である。研鑽を積み、武を高めよ。何もせねば、何も出来ずに大事なものを失い、悔いて死ぬ。それがこの世界である』
脱力状態の中、左腕が告げてくる辛辣な進言に、カルは言葉を失っていた。
今回、長くなり過ぎました。




