70 エスティルの今
資金は潤沢である。
なので、町で一番いい宿に予約をいれた。
今回は、エスティルの希望もあって、女性陣は広くて豪華な大部屋を選択した。
それならばと、男性陣も同様の大部屋にしてみた。
当然と言えば当然なのだが、馬車の中での寝起きと比べると天と地の差である。
何もかもが、豪華過ぎて感動の域である。
ジルセンセも感動している。
因みにフェルビーは、感動しても、コメントは「んぐっ、んぐっ」である。
敷地内には、温泉もあると説明されていたので速攻で温泉に向かった。
フェルビーが呼ばれたので、恐らく、女性陣も温泉に入るのだろう。
温泉は思っていたよりも各段に広い。
男湯と女湯に別れてはいるものの、仕切り壁は天井まではない。
つまり、天井付近、壁の上部分は男湯と女湯が繋がっているのだ。
まあ、間違っても、俺は覗こうとは思わない。
エスティルにバレでもしたら、フルボッコにされてしまうからだ。
この辺は、ジルセンセも同じ考えである。
純粋に温泉を楽しみたい。
ハッキリ言って、湯舟に浸かれる機会なんて、この先いつ、訪れるかわからないのだ。
先に浸かっているジルセンセの顔がいい。
まさに、『ご満悦』といった顔である。
ウサ耳も、ふにゃっとして、リラックスしているのがわかる。
俺も体を洗い流すと湯舟に浸かった。
いや、実に気持ちがいい。
熱めの湯が好みの俺は温泉を満喫していた。
来て良かったと本当に心から思っていたところ、ふと、口をついてでた。
「ジルセンセ、エスティルって、水浴びとかしないのに、臭ったりしないですよね」
エレンやマーレと地中に落ちた時は、熱かったり、寒かったりと、いろいろあって本人らは、臭いを気にしていた。
そうだ、リエルを救出した時も、全く、臭わなかったな。
「どう、思います?」
ジルは無言である。
そして、上を指さした。
カルは見上げて、上部は女湯と繋がっていることを思い出した。
「カルっ! エスティルの体の臭いを嗅ぎたいんなら、回り諄いこと言ってないで、嗅がせろって、本人に言えばいいじゃないか!」
ジルはそう叫ぶと、速攻で湯から脱出した。
カルは茫然としている。
当然、天井を通して女湯に、エスティルに聞こえている。はず。
「な、な、な、こ、この、変態―――――っ、死ねーーーーーーーーーっ!! 何が、体の臭いを嗅がせろだ!!」
エスティルは高潔なエルフなのである。
大量の桶が、カルを襲う。
どさくさ紛れに、ホットなウォーターボールも飛んでくる。
どうやら、男湯の温泉水を操っているようである。
女湯にいるのに、魔力のない俺の位置が分かるなんて!
(ペイジンより凄いのではないだろうか)
しかも、ほぼ、ほぼ、正確に狙えてるのが凄い。
などと思いながら、逃げまわった。
フェルビーは既に伸びて、桶に埋もれている。
桶が頭に直撃したらしい。
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何とか、カルは部屋に帰還した。
「ひ、酷いじゃないですか! ジルセンセ! あんな事、言うなんて!!」
「だって、もう、聞こえちゃっているしぃ、俺様まで変態とか思われるのは嫌だしぃ。原因を作ったカル一人で責任を取って欲しいしぃ」
「何なんですか、その喋りかた。『し』を並べて。(韻をふむのが、はやっているんだろうか?)……まあ、確かに犠牲になるのは、一人でいいとは思いますが…」
「あいつ、怒ると怖いんだもん」
(…確かに怖い。なんで、体の臭いの話なんかしたんだろ。……失敗した)
「……ご迷惑かけました。すみません」
カルは内容が内容だけに、すぐに頭を下げた。
特段、臭いなんて気にしたことは無かったのだが、ふと疑問に思って口にだしてしまったのである。
リラックスし過ぎると、人はへんなことを口走ったりすることがある。
この後、どうすれば、関係修復ができるのだろうと、少し考えただけでカルは憂鬱になった。
その表情を察したジルは、明るく返した。
「いや、わかればいいって。俺様も反省はしている。ちょっと、やり過ぎた……。! あ、そうだ、それよりも仮面が復活したんだよ。ほらっ」
「か、仮面ですか?」
正直、そんな話しはどうでも良いとは思ったものの、ジルセンセが切り出してきたことなので、一応は対応する。
手渡されたのは、いつぞやの『魔感受の仮面』が割れたあとに被った仮面であった。
確か、ダンジョンで二つに割れた後、腰に引っ掛けて持ち帰り、ジルセンセに返したものである。
俺としては、実用面からして『魔感受の仮面』の方が有用であると思っていて、こちらの仮面は何の効力があるのかさえ、覚えていない。
「へへ、返してくれて、役に立ったんだなと思ったから、また復旧させたんだ。『魔感受の仮面』はもう、必要ないだろうけど、こっちは必要だよな」
「あ、有難うございます」
…正直、『魔感受の仮面』の方が、必要だと思っている…とは言えない。
あの仮面には、どれだけ、命を救われたか分からない。
ジルセンセの顔を見ていると、そんなことは言えないし、さらには、今更、この仮面は何の効力があるのか、なんて聞けない…。
今度、誰かに聞いてもらおう。
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一方、女性陣の部屋では。
「あ、あの変態、やっぱり、直接、殴らないと気が済まないわ」
エスティルは怒りが収まらない。
「あ、あの、私って、臭い大丈夫ですか」
クミアも気にし出している。
「大丈夫、臭いはないって言っておくから」
「ち、違うんです。そ、その、フェルビーさんに、いつも抱っこされているので…」
「……自分がフェルビーに聞いておきます」
オルガは普通に答える。
この中では、フェルビーの言葉を理解できるのは彼女だけである。
「ち、違うんです。聞いて欲しい訳ではなくて…どちらかと言うと、聞かないで欲しいです。聞かないでください」
「もう、みんなで気になっちゃうのは、あの変態のせいよね。折角、こんなに、いいお部屋に泊まっているのに、腹が立つ、クミアの分も怒っておくわ。もう!」
「私は大丈夫です。何かされた訳でもないので」
「そうお?」
「はい」
「ふうん。あ、そうだ、二人に見せたい子がいるの。待ってて」
そう言うと、エスティルは、いつも持ち歩いているポシェットを持ってきて、中を見せた。実は、言いたくて、見せたくて仕方がなかったのである。
「じゃーん」
中からでてきたのは、小さな生き物であった。
少~しだけ、目を開けたが、今にも寝てしまいそうである。
オルガが、身を乗り出す。
「あ、ポルン」
「え、名前あるの? って知っているの?」
「エスティル様が名付けられたのです」
「……そ、そうな、の」
「はい」
「ポルンって、何て生物なの?」
「ポルンはこれでも。守護精霊獣です」
エスティルは、守護精霊獣と聞いても分からない。
オルガは説明を続けた。
「以前、エスティル様は石像にされていたと仰っておりましたが、その時、ポルンがお守りしていたに違いありません。お守りして魔力を使い続けたからこそ、こんなに小さくなって、未だに元の大きさに戻れないのだと思います」
「そ、そうなの?」
「はい、恐らくは。確か、完全に石にされてしまうと、普通は記憶の大半が消失してしまいます。完全消失では無いと言われてはいますが……。それを、ポルンは魔力を使って、遅らせていたはずです。それで、こんなに小さいのだと思います」
「…そんな。私のために」
「カル殿から聞きましたが、一時、ポルンをドライアドにお預けになっていたとか。恐らくは、そのドライアドが危機に直面した時も、エスティル様の意を組んで、ドライアドを守護していたものと思われます」
「……ポルン。無理をさせてしまっていたのね。ごめんなさい。そして、ありがとうね。私の記憶を、あなたが守ってくれていたのね」
エスティルは、瞳を潤わせながら、ポルンを抱き寄せた。
ポルンは、日中ほぼ寝ている。
今も眠そうである。
一つ大きな欠伸をすると、そのまま寝入ってしまった。
エスティルは、小さくて暖かいポルンを胸に抱いているだけで、幸せな気持ちになっていた。
その夜。
エスティルは、ベッドに入ると、すぐに眠気に襲われた。
ウトウトしながら、いつもの考え事である。
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私は。
元の記憶を全て取り戻したいなんて思わない。
石像にされた理由や事実なんかは気にはなるけれど、今では、もう、知りたくない。
なぜなら、傷ついたり、怖い思いなんてしたくないから。
今、精いっぱい生きていることが楽しいし、嬉しい。
何よりも、生きている実感がある。
それで、今は充分満足。
……だからと言って、自分の過去を全く、知りたくない訳じゃない。
寂しくなる時もある。
ある日、シャルティエットが「いずれ、ご家族のもとへお連れ致します」と言ってくれた。
嬉しかった。
ずっと。ずっと。
もしかしたら、自分には家族がいないのでは、独りなのでは、と思っていたからだ。
自分にも、愛する家族がいることを知って本当に嬉しかった。
私は、この彼の言葉を思い返して、あたたかな気持ちになる。
過去の自分なんて、知らないままでいいと思っている。
なぜだか、知ろうとも思わない。
嘘のない、気持ちである。
確かなのは、今の自分が好きなこと。
だから、今のままでいたくて、従者たちに自分のことは聞いていない。
流れのままに、過去の自分が受け入れた人は、そのままに、今の私は受け入れている。
自分は、自分のために、自分のままに生きているのである。
決して、過去から逃げているとも思わない。
エスティルは自身の中で繰り返す。
彼女は、溶けるように深い眠りについた。
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