58 仮承諾
夜。
公爵邸の一室である。
眠気は、一気にどこかへと吹っ飛んだ。
俺は呆気に取られていた。
令息・ジルフリード様の提案を受けてだ。
俺は、エンデルから出たことさえもない。
この国のことなんて、全く知らないのだ。
それを、どこにあるのかも分からない王都に行き、ダンジョンの中に入って『全癒の翆石』というものを持ち帰ってくる。そして、ゆくゆくは、王家に嫁ぐフレデリカ様に従ってついて行くと…。
すぐには返事が出来ない事だと思い返していると、ジルフリード様は扉を開けて、廊下へと顔を出し、手招きをしている。
すると、なにやら、ゾロゾロと入って来た。
男が3人と侍女が2人、そして、最後にフレデリカ様だ。
「紹介する。左から隊長のダルク、そしてスコット、パミュリュシアット、侍女はバイスとラファンツ、そして妹のフレデリカだ」
「は、はい」
「ダルクとラファンツは一緒だったから顔と名前はわかるね。特にラファンツの件については、改めてお礼をいうよ。助けだしてくれてありがとう」
そう、よく見知った顔が、そこにはあった。
彼女の名前は、『マーレ・ラファンツ』 フルネームは初めて知ったが、まさか令嬢付きの侍女だったなんて。メイド服が似合い過ぎていて、目が合わせられない。
というか、向こうは俯きっぱなしである。
「マーレは、まだ直接お礼を言ってないのだろ」
「あ、はい、この度はご迷惑をお掛けした挙句、命を救っていただきまして、本当にありがとうございました」
「い、いえ、お元気になられて何よりです」
自分の知っているマーレは、基本的には5歳児なので、普通に話しをされると調子が狂ってしまう。
「呼び名は、マーレと呼んであげてくれ。いまさら、ラファンツさん もないだろうから。いいねマーレ」
「は、はい」
「だそうだ」
「それと、彼女もファーストネームでOKだよ」
「ルイジーよ」
男だと思っていたら女性だった…。
割腹の良い人である。年齢は30代後半だろうか。
たしか名前は、パミュリュシアットだ。
確かに呼びづらい。
ルイジ―で覚えよう。
「分かりました。…ってまだ、そうするとは!」
何か、人の多さに圧倒されて、あやうく、「よろしくお願いします」って言いそうになっていた…。が、この後も説得が続く。
俺が、公爵家の従騎士となることで、ダンジョンへの入場手続きも、ほぼ不要になるだろうとは先程聞いた。それに加えて、この先、お給料と手当が貰える。一緒に行くと言っているジルセンセの分もなんとかなる。ここでの返事は最終的なものではないとのことなので、結局、俺は仮ではあるが、承諾をしてしまった。
どちらにしろ、リエルの容態が元に戻らなけれは、『エンデルガーデン』にも住めないのだし、ダンジョンに行くのは、彼女の治療のためなのだから。
でも、本当は…欲を言うと、ルデス村で、サックらと幸せに暮らしていたい。
スローライフとかしてみたい。というのが本音だ。
普通の人間が、異世界に一人で来てしまったのだ。
自分のことのみを考えていて、生きていける訳がない。
人間、一人では生きていけない。
…自分が出来ることはする。協力してこそ、その先があるはず。
メリーザ様とリエルが拾ってくれたから、今の俺があるんだし、二人は悪い人ではないのだから、二人のためになることを! 恩返しをしたい。これも本音である。
…スローライフは将来に取っておいて、今は、二人の役に立つことをしよう。
きっと、ジルセンセも同じことを思って、決断したに違いない。
あの怖がりのセンセだって、自分の役まわりの時は全力でやりきっていたもんな。
エスティルが部屋に入って来た。
「私も行くよ。メリーザ様とリエルの看病も選択肢として貰ったけど、二人が行くのなら一緒に行く。なんか、新しい仲間もできたしね。ね」
何か、いつもと違い、照れ臭そうな顔をしている。
「えっ、ダンジョンに入る時のメンバーはこちらで選別するよ。『エンデルの森』に関わる重大な任務でもあるからね」
ジルフリードの表情は明るい。
「…でも多分、ついて来ると思う。ダンジョンは最大パーティー数が6人だったから、『女神の祝福』は定員残り1名です」
「だそうです。『女神の祝福』での女神のお言葉は、常に決定事項なのです」
彼女の言葉を聞き、カルはあの二人かと諦め顔で話す。
「厳しい女神だね。検討はするけど、あまりにもメンバーに問題がある場合は変更を受け入れて欲しい。成功が結果にならないといけないんだ」
「ええ」
今日のエスティルは、奥ゆかしい。
「そうだ。この剣をお返ししようと思いまして」
そう言って、カルは公爵家の家紋が入った剣を差し出した。
これまで。普段使いしていた剣である。
「…これは、このまま、受け取ることにするよ。大切な一品だ。…彼の遺品でもあるし、魔人を打ち倒した剣でもあるのだろ」
ジルフリードの言葉を聞いて、カルの動きが止まった。
カルは、公爵側がどの程度まで、魔人殺しの事実を知っているのかと不安になったからである。
だが、特に質問されることは無かった。
ジルフリードはその場で剣を抜いた。
よく見ると、剣には多くの刃こぼれがあった。
所謂、ボロボロの剣である。
だが、彼は見とれていた。この剣は魔核を貫き、今回の『エンデルの森』での戦いを切り抜けてきた一品であるのだ。
ジルフリードは、配下16人の敵を討ってくれた剣であると、改めて思い返すと涙が頬をつたってきた。
今回、公式発表では、魔人を打倒したのは、隊長のジョー・ドースとしている。ベルロカ劇団の演劇の内容も、この発表に基づいたものである。
ジルフリードは、エンデルのこの地で、彼が英雄として語り継がれていくことを望んでいる。だが、そこに悲しい現実があったことに間違いはない。
戦って死んだ者は、もう、戻ってはこない。もう再び、会うことは出来ないのだ。
その人の人生は終わる。
それだけではない。
その人の家族、友人達の心の中にも、大きな傷が深く記される。
令息ジルフリードもまた、あの日、共に戦うことができず、馬車に乗り込んだことを悔い、心に傷を負っていたのであった。
その後悔の念と心の傷への救いとなってくれているのが、今、目の前にいる男なのである。
フレデリカ様が、兄であるジルフリードの涙の意味を捕捉説明してくれた。そのお蔭で、涙の意味は、俺も理解が出来た。
家族のような強い絆で結ばれていたのだろうと、心を打たれていたが、カルには一つ気になることが頭に浮かんできた。なので、恐る恐る質問をしてみた。
「あ、あの、私が気にするのも、変だと思われるかもしれませんが、私に家族はいるのですか」
エスティルが驚いていた。
自分でも、今の今迄考えつかなかったことである。
「君には姉が一人いる。君と同じく、魔力が極端に少ないが、魔術の学問に長けていて、今は王都の学術院で、研究員兼講師をしている。いずれはエンデルに戻って活躍してもらおうと思っている」
「お姉さん一人ですか?」
なぜか、エスティルが質問している。
「そうだよ」
ジルフリードが、そう答えると。
「カル、会いにいこう」
なぜか、急に前向きになっている。
俺としては、今、家族について質問をしたことを後悔していた処だった。
会っても、他人なのだから話すことなんてないのだ。
それと、詳しくは聞かなかったが、両親は随分と前に他界しているらしい。
エスティルの前向きな声を聞いて、ジルフリードは安心していた。
今日は、仮とはいえ、先程の返事が聞けただけで十分だったのだろう。
彼は二人の姿を見ながら、夜遅くなってしまって、すまないと言い、この場をお開きにしてくれた。
俺達は、もう少し、体を休めたいとも思ったが、リエルの容態を考慮すると直にでも、『全癒の翆石』を持ってきてあげたい。なので、3日後には、領都・エンデルを旅立つことにした。
翌朝、ジルセンセは、大失態を犯していた。
ウサギの姿のままベッドで寝てしまったのである。
これまでは、寝ている時は兎人の姿で、朝起きた時、目元を誤魔化すために、ウサギの姿に変身していた訳だが、やはり疲れていたのか、なんなのか、逆になってしまった。
その結果、シーツが毛だらけとなってしまったのだ。
本人は、迷惑を掛けてしまったと、ひどい落ち込みようである。
しかし、しかし、この部屋の担当は、元気と笑顔いっぱいのマーレなのです。
はじける笑顔と明るい声で気持ちよく、対応してくれたマーレに当てられたジルは、すっかり彼女の虜になってしまった。
しかも、しかも、マーレも、カルに倣ってジルのことを『ジルセンセ』と呼んでくれるのだ。
ジルは頗る機嫌が良くなっていた。
ぽかぽかの陽光のもと、窓辺で、ジルがカルに語っている。
「カル、もの凄く、いい娘がいるんだよ! って、さっきから聞いてるのか! 俺様が言っている娘、ここから見て、どの娘だか、わかるか!」
ジルは庭先を掃除するメイドらを指さしていた。
カルは、ジルセンセが彼女を全く覚えていなかったことに驚きながら、淡々と答えた。
「あの娘のことでしょ。十分すぎる程に顔を合わせたことあるから、名前と顔は一致してます」
「そ、そうなの?」




