第6話 二人での夜
早月と別れたあと、阿蓮とメディは廃工場の方へと歩みを進めていた。
その間、阿蓮は早月に渡された電子機器の操作を試してみはするものの、操作方法が全く分からない。最新のユーザーインターフェースで構成されているのだろうけれど、百年前の知識と照らし合わせたところで全然ピンとこない。
新しい技術というものは、使用者がその技術の一世代前の知識を保有している前提で作られているという。この時代の人間からすれば緩やかな進化の果てに使われているこのマシンも、百年もスキップしてきた今の阿蓮にとってはブラックボックスも当然だった。
「いくら王国史上最高の大賢者といえども、この時代の科学技術にすぐ適応できるわけではないんですね、プププ」
隣を歩くメディは両手で口をおさえ笑う。
「そういう女神……メディだって使えないだろ。こんなの、俺が元居た時代ですら存在しなかったんだからさ」
異世界と阿蓮の元居た百年前、科学が進んでいたのは阿蓮の世界だった。しかしそれは、異世界の学問の進歩が劣っていることを端的に示しているわけではない。
異世界には、阿蓮の住んでいた世界にはなかった『魔力』が存在している。そして本来、科学技術で行うはずだったほとんどを魔法によって解決することが可能な以上、異世界の科学が、魔法で起こる現象の補助的な役割としての発展を遂げることは明白だった。
現実社会の科学が、人間の行動を拡張するために進化してきたという歴史からみれば、歪に見える異世界の科学技術も、異世界からすれば正当な進化ともいえたわけだ。
『蒸気機関』も『ハーバー・ボッシュ法』も異世界には存在しない。
なぜならあの世界には『魔法』があるのだから。
だから、そんな異世界の神としての存在だったメディがこの時代の科学を使いこなせないと考えるのは、阿蓮にとって至極当然のことだった。
だがそんな阿蓮の考えとは裏腹に、メディは胸を大きく反らせて阿蓮の方を見ると、鼻高々に告げる。
「使えちゃうんですよね、それが!」
そう言ってメディは腕に付けたマシンを胸の前に持ってくる。
そうしてすぐに、何もなかったはずの彼女の前には、大きなディスプレイの様な映像が開かれた。
『……んばんは、本日のニュースです。数時間まえ、葛飾B区の港にて小規模の……』
「どうです、凄いでしょう!神界で流行り始めていたゲーム機……最新通信媒体が、原理は違えどとても似たような操作感だったんです。最初は戸惑いましたけど、すぐに慣れました」
神界の情勢なんて聞いたこともないけど、ゲームなんてものが流行る程俗世に塗れていたとは。
そして同時に阿蓮は、もしかしたらこの目の前の女は異世界で手助けをしてくれていた女神ではなく、この時代に生まれて育った、ただコスプレが趣味で電波な妄言を吐いているやばい奴なんじゃないかと」
「ちょっと!心の声漏れてちゃってるんですけど!!」
「あ、悪い。でも確かに凄いことは間違いない。早速俺にも教えてくれよ」
この時代のことは可能な限り知っておきたい。
確かに阿蓮は、この世界では大きな力を持っているのかもしれない。だがそれはあくまで、先ほど出会った早月、それと男三人組という少ない物差しの上でのみ図られている。もしかしたら阿蓮程度の力の持ち主など星の数ほどいて、さっきまでは運よく事が運んでいただけなのかもしれない。
阿蓮は異世界で学んでいた。本当の強さとは腕っぷしでも魔力の総量でも魔法の精度でもない。ありとあらゆる物事を『知っている』こと。
そしてそれを使いこなすことが、『大賢者』のとして生きていくための極意だということを。
だがそんな阿蓮の考えは、目の前の女神には全く関係のないことだった。
「ええー、どうしよっかなあ? 私だって簡単に覚えられたわけじゃないしぃ? そういえばなんだか、ずっと歩いて疲れてきたなあ。誰かおぶってくれないかなぁ?」
ちらちらと、メディは阿蓮に視線を向ける。つい先刻、自らの悪行の結果の窮地から救って貰ったというのに、この態度である。
身軽な少女一人背負うぐらい、魔法を取り戻した阿蓮にとっては些末なことだ。しかし、どうにも納得がいかないのも確かだった。
繰り返されるメディの視線をよそに、二人はいつの間にか廃工場へとたどり着いていた。
元から人が住むような場所ではなかったが、先の戦闘でいたるところに風穴が開いている。
先ほどから強くなっている雨風は、夜の間中二人の身体を冷やし続けるだろう。
「ええっ……私たち、こんなところで寝泊まりするんですか?」
「金も身寄りもないんだし、仕方ないだろ。まあ大丈夫、寒さぐらいはなんとかなるさ」
「えそれってまさか二人で肌を寄せ合って寝るってことですかすみません嫁入り前に殿方とそういうのはいや別に阿蓮さんとが嫌ってわけではないんですけど私初めてはムードとか大事にしてほしいタイプ……」
「『錬成魔法』、『形成』。あとは『障壁魔法・三重』。ベッドはこんなもんで……、シャワーも真水を出せるようにしておいて。この時代の建築基準法は満たしてないと思うけど、まあこんなもんだろ」
三メートルほどもあった瓦礫の山は見る見るうちにその組成を変化させる。そして阿蓮の魔法の元で、人が十人は入れるかといったサイズの小屋へと形成された。
そのあたりに転がっている多数の布はきっと織布工場だったころの名残だ。その布を一度分解して余計なものを取り除いて組み直す。これである程度の清潔さを担保できているはずだ。
「俺はここで寝泊まりするよ。じゃあメディまた明日」
そう言って阿蓮は小屋の扉を開こうとする。だがそれをただ黙ってみているほど、メディものろまではない。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってくださいよ!ズルいって! チート冒険者って力に溺れると女神さまにこんなひどいことするんですね!幻滅した!人の心とかないんか!?」
「別に俺に頼らなくても、自分でやったらいいじゃないか。女神様なんだし」
欠伸をしながら、阿蓮は答える。
「女神にだって出来ることは限られてますよ!! ていうか一瞬で家を建てるとか、アンタ意外誰だって無理だわ!!」
「うーん、でも俺も今かなり疲れてるしなあ。あ……そういえばさっき、命を助けられた身分でいながら、俺を足代わりとして使おうとしてた誰かさんがいた気がするなぁ。あれは誰だったかなぁ」
「へへへ、足でもなんでも揉ませていただきやすよ親分!!」
一週間前まで厳格な女神だったとは思えないほど小物然とした低姿勢で、メディは阿蓮へとへりくだる。
そこまですることないのに、と阿蓮は少し思いながらも、強い眠気の中でこれ以上メディについての思考を割くことは出来なかった。