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恵母子市役所芸能推進課

 恵母子駅北口から徒歩3分、市内の商店街の中でも、もっとも伝統ある恵母子銀座通り商店街の入り口に、鏡張りを思わせる全面熱線反射ガラス仕様で、8階建ての美しいビル、カトービルディングがある。その存在感で、商店街の“顔”ともなっているこのビルのオーナーこそが、加藤親王(かとうしんのう)だ。最上階を、親王自らが経営するジョニースティングギャラリー(JSG)が使い、その他を一般企業に貸し出している。現在JSGで開催されるイベントの約8割は、音楽関係のイベントであり、しかも大半はジャズ関係のものが多い。また、地元の画家の個展や芸人のライブなど、実に多彩な催しが行われている。中でも、非常にユニークなものは、親王自らが、講話する“恵母子停車場物語”である。加藤家は、代々、恵母子市で運送業を営んでおり、親王の曽祖父がひとりで起こした運送会社に起源を発し、子孫が、代々、家業を継いで来た。そして曾孫にあたる親王が、記念すべき創業の場である現在の場所に、このビルを建てるまでに成長させたのである。


 親王は、エレベーターが8階に着き、扉が開くとともに、正面に見えるギャラリーのガラス扉を開けて中へ入った。ギャラリーの入り口のそばにあるカウンターの電話の受話器を取り、加藤家の出入り業者である一富士園の番号を押した。2~3コールすると、受話器を取る音がした。


「はい、毎度ありがとうございます。造園の一富士です」


 年若い男の声が、ステレオタイプの感謝のことばを述べた。声の主は、社長の津久井岳志(つくいたけし)である。歳は、まだ四十代前半と若いが、腕のいい造園職人として、この男でなければ、我が家の庭には手を入れさせないという贔屓は多い。


「津久井くん、挨拶なんかいいから、すぐに、儂の家まで来てくれんか?」


 親王は気ぜわしく、来訪を促した。


「会長、お言葉、たいへんありがたいのですが、先月も申し上げました通り、今月は、スケジュールに余裕がなく、お伺いできかねます。来月では、いけませんか?」


 親王は、素っ頓狂な声を上げて、皮肉まじりに叫んだ。


「ああっ!、そんなことを言うんだぁ。いいよなぁ~、贔屓にしてくれる客が多いから、なにもせんでも、電話のまえで座っていれば、仕事が舞い込んで来るもんなぁ~。忙しくて、儂のところへなんか、来れないよねぇ~。そうだ、そうだ、元はといえば、儂が悪いんだよなぁ~。きみに、商店街や、商工会議所、市役所の連中を紹介したのが間違いだった。自業自得というもんだなぁ~。すまん、すまん、儂が悪かった。他をあたるわ」


 津久井は、笑いながら、答える。


「会長、またそんなご冗談を…ご恩は忘れていません。先月、お伺いしたのだって、市の依頼を仲間の業者に譲ってまで時間をつくって、伺っているんですから」


 親王は、厳格な性格ではあるが、冗談好きでもあり、ひょうきんな一面を見せるときもある。


「あれ?今度は恩を笠に着るんだね。でもね、その笠、俺が老骨に鞭を打って、ひと編みひと編み編んだものなんだよね。♪爺さんが、苦労ぉ~をして、仕事ぉ〜を紹介してくれたぁ〜♪…辛かったなぁ~。それなのに、津久井さまときたら、そんな老人の苦労など気にもせず、しゃぁしゃぁと、他所の仕事を優先すると言う。渡る世間は鬼ばかりだね。長生きは、するもんじゃないねぇ~」


 最後は、替え歌を交えながら皮肉る始末だ。初対面の者なら、日頃の威厳ある立ち居振る舞いとのギャップに驚いたにちがいない。しかし、長年、加藤家に出入りしている津久井にすれば、こんなことは日常的なやり取りだったので、別に驚きもしない。


 津久井は、親王のそんな冗談など意に介さず、話題を変えた。


挿絵(By みてみん)


「…ところで、会長、今度、市役所に、“芸能推進課”というのが、新設されるという噂を耳にしたのですが、ご存知ですか?」


 親王は、耳慣れないことばに、実業家としての嗅覚が動いた。まったく聞いたことはなかったが、親王は、決して、交渉で、相手にイニシアチブを取らせない。相手から情報をもらえば、相手に借りができるからだ。


「ああ、その話なら聞いている」


(この類の話なら、津久井に聞かずとも、企画課に尋ねれば、詳細がわかるだろう)


 親王はにべもなく言った。


「そんな話で、儂の依頼を誤魔化そうなんて、きみも、まだまだだな。で、いつ来るんだ?」


 津久井は、観念したのか、依頼を承諾した。


「もう、会長、相変わらずですね。夜になりますが、それで勘弁してください。それと今回のお話が、工事のご依頼なら、値切りなしでお願いします。本日着工予定のお客様には、事情をお話して、ご猶予をいただきますから」


 親王は、津久井を譲歩させたことで、満足したのか、とくに苦情を言うこともなく、「おう!」と、一つ返事で応じると、電話を切った。津久井も、微笑みながら、受話器を置いた。間髪をいれずに、妻の洋子が肩越しに、声を掛けて来た。


「あなた、早くしてくださいよ。せっかくのお休みが、台無しになっちゃう。文化会館でやる海城行進丸かいじょうこうしんまるのコンサートが始まっちゃうじゃない」


 津久井は、妻に、微笑んだ。


「まぁ、そう急かすなよ。会長からいただく仕事は、1千万円を下ることはない。会長との駆け引きで、工事金額が、100万円くらいは値切られずに済んだんだから、2〜3分、時間を取られても文句は言えないだろう?以前、会長に教えてもらったんだよ。『損して、得とれ』ってね。本当は、休日だったが、対応ひとつで、大きな商売上の利益になる。会長には、感謝しないとな」


 津久井は、笑いながら、妻の背を押し、玄関へと促した。


 

 


 

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