思惑
翌朝、目覚めた修羅は、父に、恵母子市役所の場所を教えてもらい、自転車を走らせた。
(駅のそばの第一工業きいろ公園の向いとか言ってたな…ああ、なんだ体育館の正面じゃん)
修羅は、逆光でシルエットを浮き彫りにされた白い6階建ての庁舎を、目を細めて見上げた。建て替えたばかりの新庁舎は、近代的建造物らしく、洒落た外見だった。
(なんだか、ずいぶん気取った感じの建物だなぁ~。俺ひとりだと、入りにくいよぉ〜)
一瞬、気後れした修羅だが、気を取り直し、駐輪場に自転車を止めて、庁舎の自動ドアの前に立った。よく磨き込まれたガラスの扉が、軽快なモーター音とともに左右に開くと、直ぐ左手に受付のカウンターが見えた。中年の女性職員が、後ろ姿に見覚えのある、日焼けした背の高い男性を応対している。修羅は近づいて行き、男性の背後から、驚かせないように、小声で呼び掛けた。
「ねぇ、レジェンド、用事って何だよ?」
声を掛けられた男性が振り返った。白い歯が、笑顔からこぼれる。恵母子市内で知らぬ者などいない日本のサーフィン黎明期に、その名を轟かせた“レジェンド”こと、ゴッドインターナショナルの鈴木聖だった。
「やあ、よく来てくれたね!本は読んでくれてるかな?」
聖は、満面の笑みで、修羅に握手を求めるように右手を差し出した。修羅は、照れくさそうに、右手の拳を握り、腕を、ゆっくりと聖の方へ突き出した。
「レジェンド、スケーターは、“グー”でタッチし合って挨拶するんだ」
修羅に教えられた聖も、右手を握りしめて突き出した。
「これでいいかな?」
80歳を超えたレジェンドと呼ばれるサーファーと、中学一年生になったばかりの、これからスケートボードでその名を世界に轟かすことになる少年が、拳をコツンとぶつけ合い、友情の挨拶を交わした。
「読んでるよ……でも、レジェンドの昔話とか、教訓めいた話がほとんどだよね。あれ読んで、サーフィン、上手くなるかなぁ〜」
中学一年生の修羅には、まだ忖度するなどというあざとさはない。自分の感想を率直に述べた。
「わっははは……きみの言う通りだ。あの本は、いわばわたしの体験を綴った日記。過酷な人生を上手に乗り切るための指南書のようなものなんだよ。子どものきみに読ませるには、ちょっと早過ぎたかな」
聖は、鷹揚に笑った。
「……それで、用事って何さ?」
修羅にすれば、本のことよりも、わざわざ、中学生の自分が、なぜ、こんなところに呼び出されたのかが気になって仕方がない。
「はははは。ごめん、ごめん……まだ、要件を伝えてなかったね。きみに、大人の世界を見せてあげようと思ってね。ほら、うちの店に来たとき、僕みたいになりたいって言ってたじゃないか?」
聖は、そう言うと、右手の親指を立てた。
「実は、いまから佐堂市長と会うんだよ。恵母子市の新しいプロジェクトについて、サーフショップ関係者の意見を聞きたいとの仰せだ。北部の遊休地に、大規模なスポーツ娯楽施設をつくりたいとのことなんだが…」
修羅の悪戯な眼が、キラリと光ったように見えた。
「ふ〜ん……北の方って、どの辺?……香川……芹沢……どこにしたって、海どころか、湖すらないじゃん。サーフィンなんてできないよ。レジェンドとどんな関係があるんだい?」
聖は、エレベーターを指差しながら、修羅の背中を優しく押した。
「なかなか鋭いね……山の中でサーフィンができればいいんだけどね。……そうではない。実は、施設の中に、我々サーフショップのライバルともいえるスケートボードやサーフィンなどのエクストリームスポーツ用具の量販店を全国展開する“クレナイスポーツ”をテナントとして入れたいらしい」
修羅は、エレベーターのボタンを押す聖の横顔を見つめながら呟いた。
「なんだ、レジェンド、市長のところにケンカしに行くんだね……で、俺がレジェンドの加勢をするために呼ばれたってわけか……」
エレベーターのドアが開いた。
「いや、別にケンカしに来たわけじゃない。会議のために来たんだよ」
聖が、ドアの縁を押さえて、修羅に、先に入るよう促した。
「“カイギ”って、なにさ?もしかして、手を挙げて、誰かの悪口を言う学級会みたいなものかい?」
修羅は、話に集中して、聖がエレベーターのドアの縁を押さえてくれていることに気づかない。
「“カイギ”ってさ、『女子のスカート、覗かないでくださ〜い』とか、『弱い者虐め、しないでくださ〜い』とか、『弁当のおかず、盗らないでくださ〜い』みたいな、どうでもいいことを発表して、みんなでそいつのことを懲らしめるんだよね?」
そして、ファイティングポーズをとり、身を屈めた。
「なぁ〜んだ、つまんないなぁ〜。殴り合いなら得意なのに。俺、勉強は自信ないけど、ケンカには自信あるんだけどなぁ」
それから身を起こし、ムエタイの選手のように、膝蹴りをするポーズをしてみせた。聖は笑いながら、エレベーターに先に入り、修羅を招き入れた。
『学級会の話、それ、全部、きみのことだね?』
聖は、笑いながら、エレベーターの数字の6のボタンを押した後、右手で拳を握り、修羅の方へ腕を伸ばした。修羅も恥ずかしそうに照れ笑いしながら、
「わかる?」
と言いながら、右の拳で応えた。ドアが閉まり、二人を乗せたエレベーターは、ゆっくりと、市長室のある6階を目指して上昇しはじめた。




