夢枕
エレベーターが、市長室のある最上階に着いた。この階に上がる者は、日頃、それほど数多くはない。職員たちにとっては、聖域とも呼べるほど崇高な空気が漂っている。人口、僅か24万人の都市を、世界で住みたいミニマムタウン第5位へと押し上げた立役者とも言える絶対的な牽引者である市長・佐道輝の執務室があるからだ。エレベーターの昇降口の正面に、重厚なマホガニー材のドアが威圧感をもってそびえ立っていた。沈着冷静な性格の大栄勇斗ではあったが、ノックしようとしたとき、珍しく緊張している自分に気がついた。
(このドアの向こうに、あの醍醐剣介がいる…僅かデビュー5年後に行った、地元であるこの茅ケ崎市でのデビューコンサートで、1日で、3万人の観衆を集めたスーパースターに会える……億単位の工事の入札ですら、動じることがなかったわたしが、たった一人の男に会うというだけで、これほど緊張するのか?)
大栄は、大きく深呼吸をしてから、軽くノックした。すぐに返事があった。聞き慣れた茅ケ崎市長である佐道の声である。
「どうぞ!」
大栄は、ゆっくりと、ドアを開き、足を踏み入れた。入った途端に、爆笑で迎えられた。
「わはははは!大栄さん、おはようございます。朝早くから、お疲れさまです…それにしても、ずいぶん若返りましたね!!」
茅ケ崎市長である佐道が好奇の目を向けている。その向かいの席に座った剣介も、振り返って、こちらを見ているが、笑いを堪えているようだ。
「あはは…おはようございます。この後、サザンビーチで、撮影が控えておりまして…」
大栄も照れ笑いしながら、挨拶を返した。
「醍醐さん、こちらは、市議会議員の大栄さんです。大栄さん、わたしから紹介するまでもなく、ご存じでしょうが、こちらが、ご当地のスーパースター・醍醐剣介さんです」
剣介は、笑いながら、立ち上がり、大栄に握手を求めた。他人を喜ばせることが大好きな剣介には、大栄の幼稚園児姿が、たいそう気に入ったようだ。
「醍醐剣介です。大栄さん、まったくニュータイプの議員さんですね。おもしろい!!」
大栄もこの気さくな大スターのことが、すぐに好きになった。
「わたしは、醍醐さんの大ファンなんですよ。大ヒットした“明日に向かって乾杯!”、いつもカラオケで歌ってます!」
大栄も、ジョークで切り返したが、直ぐに後悔した。
(ちょっと拙かったかな?…ライバルの永瀬清志の歌のタイトルを聞いて、不愉快になったかもしれない…)
大栄は、唇を噛みながら、剣介の瞳を覗き込むように、様子を窺った。
「わははは!おもしろい!!大栄さんのブラックジョーク、気に入りました。今度、永瀬くんに会ったら、そのジョーク、使わせてもらいます」
さすが、“人間国宝”とまで讃えられる天下のシンガーソングライター、人としての“器”もデカい。腹を抱えて、爆笑している。
(ほお、これは、なかなかの傑物だな)
大栄は、剣介が1ミリも不愉快な表情を見せないことに、心を打たれた。この日以来、大栄は、年下の剣介ではあったが、昔ながらの大親友のように感じるようになった。
「…ところで、大栄さん、芸能推進課のことで、なにかアイデアをお持ちということですが、それはいったいどんな内容なんですか?…それにしても、芸能推進課について、あなたがご存じのこと事態が不思議ですね…ごく一部の者にしか、打ち明けておりませんので…」
佐道が、話の本題に入ろうとしたが、大栄に情報が漏れていることを、自分の情報管理体制に欠陥があるのかもしれないと危ぶんだのか、大栄から、情報の出処を探ろうとしているかのように見えた。
「(あちゃー、そこを突っ込んで来たか…まさか、たったいま知ったとも言えないな)…ええ、それが不思議なこともありまして。実は、昨日、市長がわたしの夢枕に立たれたんです。で、なにやら、わたしを手招きしておいででした。はてな、亡き父であれば、もしかしたら、ついにお迎えが来たのかと、察しもつきますが、まだご存命の市長ですから、きっとわたしにご相談があるに違いないと。そして、なぜ、わたしの夢に出て来られたのか、理由を尋ねたのです。すると、『茅ケ崎市から、次のスターを輩出したい。それをきみに任せたい』とおっしゃるではありませんか…で、なにはさておいても、馳せ参じた次第です!」
大栄は、白々しく、とぼけてみせた。今度は、佐道が爆笑する番だった。
「わたしが、あなたの夢枕に立ったと?わはははは!!で、芸能推進課をあなたに任せたいと?」
大栄の口からでまかせの大芝居だ。ひとつ間違えば、佐道を激怒させてしまったことだろう。ところが、“役者”も一流だったが、“観客”は超一流だった。重要なことは、大栄のもつアイデアの内容であることを認識している。佐道は、話の先を急いだ。
「大栄さん、大喜利なら、座布団、5枚は貰えましたね。残念ながら、ここには、座布団はありませんが、こちらにお掛けください」
笑いながら、自分の横のソファを、指し示した。




