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国民芸術勲章

 親王(しんのう)は、意を決したのか膝頭を平手で、パンと、叩くと、立ち上がり、スマートフォンをポケットから取り出し、電話番号をタップし始めた。電話は、すぐにつながった。


「おお、津久井くんか、先程は失礼した。呼んでおいて留守にするとは、本当に、申し訳なかった。すまない。しかも、孫が世話になったようで、有難すぎて、感謝の言葉もみつからない。このお礼は、必ずさせてもらうよ」


親王は、目の前の屋根が外されたピアノに触れながら、話を続けた。


「…ところで、津久井くん、きみノダ先生とは懇意だったよね?」


 親王の言う「ノダ先生」とは、イサミ・ ノダのことで、米国人を母にもつ日系二世の彫刻家である。幼い頃に、母とともに米国コネチカット州から恵母子市に移住。彫刻家、画家、舞台芸術家、インテリアデザイナー、造園家など、さまざまな“顔”をもつ異能の芸術家である。とくに彫刻の才能は突出しており、国民芸術勲章を受章しているほどだ。年齢は、現在、85歳。津久井は、その腕を買われ、イサミから、数多くの仕事を依頼されている。


電話越しに、津久井が返事をした。


「はい」


親王は、一瞬、躊躇したのか、唾を飲み込んでから、津久井に尋ねた。


「…きみ、ノダ先生に、仕事を頼んでもらえないかな?…彫刻なんだけどね。ピアノの屋根…天板に彫刻してもらいたいんだよ」


今度は、津久井が唾を飲み込んだ。


「…会長、お言葉ですが、ノダ先生、彫刻の仕事は、めったなことでは、お引き受けになりません。それは、会長も、よくご存知ですよね?」


津久井は、言葉を続けた。


「ノダ先生は、わたしごときが申し上げては、失礼なのですが、たいへん気難しい方です。先生が、彫刻の仕事をお受けしなくなったのは、あまりにも依頼が多く、全てを受けきれず、どうしてもお断りする場合が出て来る。先生は情が深い方ですので、一件でも断れば、申し訳なさから、良心の呵責に苛まれてしまうんです。それが嫌で、ならば、いっそのこと、彫刻の仕事は、金輪際、引き受けまいと決心されたとのことです。残念ですが、わたしでは、お役に立てそうにありません」 


津久井は、親王の申し出を、やんわりと断ったが、親王の気持ちは変わらない。


「うん、それはわたしも承知している。でも、どうしても、先生に彫っていただきたいんだよ」

 

津久井は、さらに、言葉を継いだ。


「…それに、若いときから、仕事内容が、気に入らなければ、どんなに札束を目の前に積まれても、絶対に首を縦に振ることはなかったですし…」


「うん、それも承知しての頼みなんだ」

 

津久井は、親王の決心は固いと思ったのか、断念させることを諦めた。


「わかりました。お伝えしてみましょう。…会長、ところで、先生に、いったいなにを彫っていただきたいのですか?」


「うん。ピアノの屋根…天板にね…孫の姿を彫ってもらいたいんだ…ほら、昔、木の柱に、成長の証として、自分の身長を印したろ?孫の思い出を、刻んでおきたいんだ」


「お孫さんの成長の記録ですね…理由はわかりましたが…また、なぜ、急にそんなことを?」


「…いや、なにね。飼い猫が…ペルシャ猫の“ヴォルフガング”が、屋根に上がって爪を立ててしまったんだよ…まぁ、傷をごまかす意味もある」


「えっ?…でも、その天板は先日、お孫さんとわたしが一緒に取り外しました。新しいものに交換されるということで…新しい天板を取り付けられたのではないのですか?」


「それが…実は…」


親王は、事の顛末を、全て、津久井に説明した。


「えっ!!…そうしますと、なんですか?あのピアノから取り外した天板は、交換後の新品だったと?……とすると、わたしは、図らずも、会長のピアノを壊す手伝いをしたことになりますね…」


「いや!それは考え過ぎだ。孫にしても、きみにしても、すでに新しい天板に交換されていることを知らなかったのだから仕方ないことだ」


電話越しに、津久井が絞り出すような声で、謝罪した。


「…すみません」


「いや、気にしないでくれ。きみに謝られると、わたしのほうが恐縮してしまうよ…それよりも、先程の件、無理は承知。断られたからといって、苦情など言わないから、一度、先生に頼んでみてくれないか?」


「…わかりました。要するに、傷のついた古い天板に、彫刻をしていただくということなんですね。請け負っていただけるかどうかはわかりませんが、お願いしてみます。少し、時間をください」


「うむ、手間を掛けるが、よろしく頼むよ」


親王は、通話を切ると、ピアノの椅子に腰を下ろし、安堵の溜息をついた。

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