加藤果奔
剣介は、“カホン”と聞いて、咄嗟に、楽器の“カホン”を連想し、なぜ、スケボーの練習をするのに、楽器が必要なのだろうと、訝しく思った。カホンとは、そもそもペルーで生まれた楽器であり、外見は、ちょうど、ステレオの箱型スピーカーに似ている。奏者は、その箱型の楽器に腰掛け、パーカッションを叩く要領で演奏するのである。
(あんな箱に座って滑るなんて、どんな意味があるんだ?)
だが、修羅の話の続きを聞いて、剣介の見当違いであることが、すぐにわかった。
「えっ?ああ、果奔は、俺の同級生さ。加藤果奔”。“果てしなく奔る”って書くんだ。果奔のおじいちゃんが、『他人に指図されずに、自分の意志で、どこまでも自由に生きてほしい』という意味を込めてつけたんだってさ。でも、実際は、俺の後ろばかり、追いかけて来て、俺の真似ばかりしてるんだ。だけどね、果奔の家は、俺の家とはちがって、お金持ちなんだ。そんでもって、果奔の祖父ちゃんは、もっとお金持ちで、駅前のビルの屋上に住んでるんだぜ!サーフボードなんて、買おうと思えば、何枚だって買ってもらえるくせに、いまだにボロっちいスケボーで遊んでる。俺だったら、すぐにサーフボード買ってもらって、海に入るけどなぁ。あいつ、変な奴なんだよ…」
剣介には、どうやら、修羅は、その同級生が羨ましくて仕方ないと思っているように映った。
「ちょっと待っててくれたら、下りて来ると思うよ…ああ、来た。来た。ほら、上の方から、白いヘルメットを被ったやつが、下りて来るだろう?あれが、果奔だよ」
剣介が、修羅の指差した坂の上の方を見上げると、確かに、凄いスピードで、小さな姿が下りてくるのが見えた。まるでゴーカートにでも乗っているかのように低い姿勢で滑走している。その姿が間近に迫って来たとき、修羅の言っていた『果奔は変なんだ』と言った理由を理解した気がした。そのいでたちは、修羅がトレーナーにスウェットパンツという、いたって軽装なのに比べ、果奔は、バイク用の白いフルフェイスヘルメットに、ゴーグル。堅牢そうな黒い皮の上下に、肩、肘、膝にはプロテクターが装着されているようだ。果奔は、二人の直前まで迫ると、上体をひねるとともに、スケートボードを横滑りさせた。進行方向に対して、むりやり直角に向きを変えられたボードは、ウィールとアスファルトの路面の摩擦で、鈍い擦過音を辺りに響かせた。急激に減速したスケートボードは、修羅の真横で、ピタリと止まった。
「ほう、見事なもんだ。曲芸を見ているようだな。しかし、それにしても、なんだか凄い格好だね。まるで映画の宇宙戦争に出て来る兵士みたいだよ(きょうは、驚くことばかりだなぁ)」
修羅は果奔を変わり者と呼んだが、しかし、その奇妙な姿の果奔の方が、実は正常で、“変”なのは、むしろ修羅の方ではないかと、剣介は思った。
「修羅君、正直に言うよ。先程、きみは、果奔君は変わってると言ってたけど、僕には、果奔君の方がまともに見えるんだけど。だって、こんな曲がりくねったカーブが連続した坂を、凄いスピードで滑り下りるんだろう?だったら、転倒したときのために、果奔君のように、それなりの防具を身に着けておいたほうがいいんじゃないかい?安全面に気を配る彼のほうが普通じゃないかな?」
修羅は、これまでに何度もこうした指摘を受けて来たのであろう。うんざりした口調で答えた。
「俺のことなら、大丈夫。凄いスピードといったって、世界のダウンヒルの記録ほどじゃないし…たぶん、時速40kmくらいさ。醍醐さん、世界には、スケボーで時速100kmを超えて滑走するやつだっているんだぜ……それに、そんなお金があるくらいなら、サーフボードを買うために使うよ」
修羅が軽装なのは、腕に自信があるからというより、どうやら、経済的理由によるところが大きいようだ。
二人の会話を見守っていた果奔が、ヘルメットのシールドを上にあげて、修羅に声を掛けた。
「アッシュ、そのひと誰?事故じゃないのかい?…怪我はしてなさそうだね」
果奔は、どうやら車を止めて話す剣介と修羅の姿を見て、事故が起こったのではないかと心配していたようだ。
「ばか言うなよ。俺は、おまえみたいに、どんくさくないぞ!」