人生の一番悲しい出来事
「修羅くんのお願いって、どんなことなの?」
純子は、まさか中学生の修羅から、交換条件が提示されるなどとは、まったく予想していなかったので、少々、戸惑った。
「…厚かましいとは思うんだけど、俺に提供されるオールドサマーの服、妹の富美と一緒に着たいんだ。…ダメなら、残念だけど、スポンサーの話は受けられない…だって、俺だけが、新しくてきれいな服、着れないよ」
純子は、内心、そんなことかと安心しながらも、怪訝な表情で尋ねた。
「妹さんと共有したいってことかしら?それは、全然、構わないけど、サイズが合わないんじゃないの?」
修羅の表情が、和らいだ。
「えっ、いいのかい?富美、すごく喜ぶよ!!サイズは、大丈夫。大は小を兼ねるってね!これまでだって、俺のお古ばかり着てたんだからね」
純子は、修羅の言葉に、胸に込み上げるものがあった。
「…あなたは、今日から…正確には、あなたのご両親と契約が済んでからだけど…プロのスケートボーダーになるのよ。どうせなら、自分の力で、お金を稼いで、妹さんに、デザインやサイズが合うものをプレゼントしてあげなさい」
修羅は、神妙な面持ちで、純子の話しに耳を傾けた。
「じゃあ、修羅くん、お家の電話番号を教えてくれる。後は、ご両親と、会社との話し合いだからね」
「070-✕✕✕-○○○…父さんの携帯番号…それから、母さんはいない…」
「(父子家庭?)…そう…わかったわ。では、後ほど、お父さんに電話して、お話しさせていただくわね」
純子は、内面に宿る、修羅への憐憫の情を隠し、ひとりの経営者として、事務的に伝えた。
「…さて、お父さんがなんておっしゃるかはわからないけど。きみが安心して自宅へ帰れるように、今後の話を、少し、しておくね。契約を終えたら、わたしの会社から、ロゴ付きTシャツを、とりあえず、30枚。それから、今度、売り出す予定のジャージの上下、6セットを送るわね。サイズは…Mね…それとSで大丈夫かしら…きみがスケートボードをやるとき、あるいは、いまはまだ考える必要はないかもしれないけど、やがて、きみがマスコミ関係の取材を受けることがあったら、着用してね。あっ、妹さんにも、約束通り、着てもらって構わないわ。そのためのSサイズよ」
純子は、一見、修羅の家庭事情など気に掛けてはいないように見えたが、慈愛に満ちた配慮をした。
修羅も、よほどうれしかったのか、頬を紅潮させて、純子を見つめたまま押し黙っている。そのとき、圭が、修羅に声を掛けた。
「修羅くん、時間は大丈夫?あまり遅いと、お父さんが心配するんじゃないのかい?」
修羅は、顔の表情を曇らせた。
「…あんなやつ、俺のことなんか、なんとも思っちゃいないよ!帰って来なければ、むしろ喜ぶはずさ」
吐き捨てるように呟いた。
気まずい空気を感じたのか、向日葵が間に入った。
「…修羅くん、そんなことはないわ。親は誰だって自分の子どもがかわいいものよ。なにがあって、そんなふうに思うようになったのかは知らないけれど、それはきっとお父さんの本意ではないと思うわ」
修羅は目を伏せた。なにかを思い出しているのか、長い沈黙のあと、感情を押し殺した声で、発した。
「…おまえが生まれて来たことが、俺の人生で一番悲しい出来事だ…」
肩が震えているように見える。
「…父さんは、そう言ったんだよ」
絞り出すように話し、顔を上げた修羅の目は、潤んでいた。
「帰る」
修羅は、本と工具箱を携えると、急ぎ足で、ドアの方へ向かった。純子があわてて声を掛けた。
「待って!!」
修羅の足が一瞬止まった。しかし、振り返ることはない。純子は、修羅の背中に向かって、諭すように言葉を掛けた。
「気をつけて帰るのよ。わたしの話を聞いたら、きっとお父さん…」
修羅の顔の端が、純子たちの方を向いた。
「おまえが生まれて来たことが、俺の人生で最大の幸運だ、とおっしゃるはずよ」
しかし、修羅は、その言葉に反応することはなく、そのまま、一言も発せず、ドアを開けると、外へ出て行った。




