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R33シーサイドカフェ

 修羅は、借りた本と工具箱を、ゴッド社の社屋の玄関横に止めてあるママチャリのカゴに入れた。そばには、聖夫妻が、見送りのために立っている。


「修羅くんの家は遠いのかい?」


 修羅は、ママチャリのスタンドを外しながら、聖の質問に答えた。


「自転車で、30分くらいかな。鷺ノ台団地に住んでいるんだ」


「そうなんだね。ちょっと、距離があるけど、気をつけて帰るんだよ」


「うん。ありがとう」


 修羅は、二人に会釈をすると、ママチャリを押しはじめた。小学生の頃に、タクシー運転手である父から、「自転車は、歩道では押して歩くこと」ときつく言い聞かされていたので、決して、歩道で、自転車に乗ることはない。カゴに入れた工具箱は重く、ママチャリは、歩みのおぼつかない幼児のようにふらつきそうになる。しかし、修羅の心は、足取りに反して、軽かった。


(この工具があれば、スケボー、自分でつくれるかもな。そしたら、あんまり、お金、掛からずにすみそうだな)


 恵母子ビーチの陽射しは、厳しく、高い建物がない国道沿いの歩道を照りつけ、修羅の肌をチリチリと焼きつける。顔に付いた泥が汗を含んで、まるで焦げたように黒く見えた。普段なら、不快な陽射しも、いまの修羅には、気にもならなかった。右肩の痛みもいつのまにか感じなくなっている。


(…デッキにする板をどうするかなぁ。ホームセンターに寄ってみるかなぁ)


 とぼとぼと自転車を押しながら考える修羅に、背後から呼び止める声がした。


「修羅くん、久しぶりじゃない!」


 父が常連になっているカフェレストラン・R33シーサイドカフェの店主の妻の向日葵(ひまわり)である。


「珍しいわね。修羅くんが、ビーチまで来るなんて。お父さんと、いっしょなの?」


 クリッとした大きな瞳、美しい女性だ。修羅は、向日葵に会う度に、「倍返しだ!」というセリフが流行したテレビドラマに出てくる主人公の妻の役を演じる女優を思い出していた。女性には、シャイな修羅は、向日葵の前では、無口になる。


「ううん…」


「あら、そうなのね。一人でここまで来るなんて、ずいぶん、頑張ったわね…それにしても、泥だらけじゃないの。ちょっと、店に寄って行きなさい」


「…いい」


「遠慮なんてしなくていいから。顔を洗って行きなさい…それに、すり傷もあるわね。貼ってある絆創膏も、真っ黒じゃないの」


「…父さんに、叱られるから」


 向日葵は、微笑みながら、修羅のママチャリのハンドルに手を掛けた。


「わたしが、後で電話しておくから、心配ないって!」


 そう言うと、ママチャリを店の駐輪場に止め、前かごから、本と工具箱を取出し、修羅を店内へと誘った。


 カフェレストラン・R33シーサイドカフェは、もともとは東京のとある街で、国民的歌手である醍醐剣介をフィーチャリングした店として、大繁盛していた。しかし、自分自身、熱烈な剣介ファンでもあるオーナーの朝霞圭は、剣介の生まれ故郷である恵母子市を、“聖地巡礼”で訪ねた際に、その景観の美しさに惹かれ、「もっと醍醐剣介ファンを喜ばせたい」という思いから、わざわざ移転してしまったというエピソードをもっている。その徹底した拘りは、剣介ファンを魅了し、いまでは、全国のファンから、“聖地”として崇められる超人気店となっていた。


 店の中に足を踏み入れた修羅に、カウンターの正面のテーブルの上に置かれた水槽の中から、一匹の緑亀が、顔を向けた。愛嬌のある顔が、まるで人懐っこい飼犬のように、修羅を見ている。水槽の横には、“けいちゃん”と亀の愛称が書かれた札が立っていた。


 向日葵は、修羅を、入口近くのテーブル席に座らせ、本と工具箱を、テーブルの上に置いた。そして、カウンターの内側に設置してあるクーラーボックスから、おしぼりを取り出すと、頬に付いた泥を拭き取ろうとした。


「じゃあ、まずはこれで顔を拭いて。それから、絆創膏を貼り替えようか。はい、顔を上げて…」


 しかし、修羅は、顔をそむけて、それを拒んだ。


 修羅は、母が家を出てからというもの女性の優しさに触れる機会がなかったので、こんなときに、どういう態度で接すればいいのか迷ってしまう。家には、妹の富美がいるが、彼女は、“優しくしてくれる”相手ではなく、むしろ、乱暴な父から身を守ってやらなければならない“優しくしてあげる”対象だった。心にもなく、つい強い口調で答えてしまった。


「自分でできるよ!」

 

「あらあら、ずいぶんお冠ね。せっかくのイケメンなのに、女子に嫌われちゃうぞ…いま、ホットチョコレートつくるから、それを飲んで、リラックスして…」


 向日葵は、鍋にミルクを沸かしながら、修羅の強い言葉を、やんわりと受け流した。店を訪れる客の中には、酔客もいる。こうした対応は、お手の物である。沸かしたミルクに、摺鉦でおろしたチョコレートを入れながら、向日葵は、優しく尋ねた。


「泥だらけの格好といい…いつになく気が立っている様子といい、どうしたの?」


 修羅は、供されたホットチョコレートを、一口すすり、ほろ苦い甘さを楽しんだせいか、少し、穏やかな気持ちになれた。


「ごめん。スケボーやっていて、九曲坂で、転んじゃって、ボード、壊しちゃったんだ」


「そうだったのね…それは災難だったわね。でも、見たところ、すり傷以外、大きな怪我もないみたいだし、不幸中の幸いと思って、忘れなさい。でも、二度とこんなことがないようにしなくちゃね」


 修羅は、向日葵に注意されるまでもなく、このような失敗は冒せないと思っていた。ただでさえ、経済的に余裕のない状況で、ボードを破壊してしまうようなトラブルは、即座に、練習不可能な状況を招いてしまう。絶対に、避けなければならない。


(…きょうの失敗は、オイルを発見してから、急激にパワースライドさせたために、古くなったウイールがその荷重に耐えられなかったことが原因だな…なにか、ウイールに負担を掛けずに、減速する方法がないかな?…)


 ヒントを探すかのように、ぼんやりと、窓外に目をやった。夏の入道雲を背景にして、なにかが空を漂っている。


「あれだぁ!!」


 天が与えてくれた閃きに、声を上げた。




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