3つの“C”
2時間15分。全15曲。盛況のうちに、コンサートは終了した。クラッシックに、バラード、演歌、果ては、小学校の校歌まで、実に多彩な曲目だった。聴衆はみな、上気した顔で、ステージを見つめている。百合亜は、満面の笑顔で、最後の挨拶をした。
「みなさま、本日は最後まで、わたしのわがままなコンサートにお付き合いいただき、誠に、ありがとうございました。どなた様もお気をつけてお帰りください。そして、またいつの日か、再びお会いできる日が来ることを、心より願っております」
千場光一郎は、記事の構成を考えながら、百合亜の姿を撮影していた。そこへ、コンサートの主催者でありギャラリーのオーナーでもある加藤親王が、やって来た。手に、コーヒーが注がれた紙コップを持っている。
「光一郎くん、お疲れ様。どう、いい記事、書けそう?」
「あっ、これは会長!はい!お陰様で。素晴らしいコンサートでした」
光一郎は、会釈し、紙コップを受け取った。
「それにしても、香坂百合亜さんは、凄いですね。あの太いハスキーボイスなら、本場米国のミュージシャンにも引けを取らないんじゃないですか?…ただ、ちょっと気になったことがあります」
「…と、言うと?」
光一郎が、コーヒーを一口啜った。エスプレッソコーヒーの濃厚な苦味が、口中に広がった。
(まるで香坂百合亜の歌声のような味だな。深みがある)
「…英語の曲が、1曲もありませんでしたね?ジャズナンバーにしても、翻訳された歌詞でした」
親王は、目尻を下げた。
「さすがだね。そこに着目してくれたのは、彼女にとっても喜ばしいことだろう」
今度は、光一郎が尋ねる番だ。
「というと、英語なしの楽曲ばかりを揃えたのは、意図したことということですか?」
「もちろんだよ。それこそが、百合亜の狙いさ!」
二人のそばを通る客が、立ち止まり、親王に会釈し、通り過ぎた。親王も会釈し、見送りながら言葉を継いだ。
「百合亜は、あるとき、自分の歌が、どのくらい客を満足させているのかを考えてみたそうだ。あれこれ考えを巡らせた結果、もしかしたら、言葉の“壁”が、感動の妨げになっているかもしれない、と懸念したらしい。で、ネットで、参考になりそうなデーターを探したところ、ある語学学校の調査結果を見つけたそうなんだよ」
光一郎の興味を誘ったようだ。身を乗り出す。
「そこには、数百万人の英語試験のデーターを基にした英語力ランキングが掲載されいたということだ。日本人は、世界112か国中、78位、という、あまり芳しくない結果が記されていたらしい…」
光一郎がことばを引き取った。
「…そして、百合亜さんは、日本人が“英語音痴”である現状では、聴衆は、ほとんど歌詞を理解できていないであろうと推測した。歌詞の意味が伝わっていないとするならば、メロディーやリズムだけを楽しんでいるだけと考えたのですね?」
親王が、右手の拳を握ると、親指を立てた。
「ビンゴ!その通り。…歌詞は大事だ。時代背景は変わりつつあるとはいえ、高齢化の社会にあり、演歌の人気は、まだまだ根強い。演歌の真髄は、メロディーと歌詞の織りなす世界観にある。情感に訴える曲の調べに、メッセージ性の強い歌詞を乗せる。カタルシスを覚えぬ者はないだろう。それに、最近では、水川潔のようなビジュアル系演歌歌手も台頭して、若い層も取り込んでいるし、醍醐剣介のようなポップスからロック、演歌までをも、自らが作詞作曲するマルチなシンガーソングライターもいるしな。ますますモダンジャズが日陰に追いやられると考えたのだろうな」
光一郎は、小さく頷いた。
「ジャズも、歌詞を含めての曲づくりが大事であると考えたのですね?」
「うむ。しかし、ジャズは、そもそもがアメリカで生まれた音楽だから、英語で歌われてこそと考えるファンは多いのも事実。百合亜の考えが、受け入れられるか否かはわからない…」
親王がそこまで話すと、突然、光一郎のスマートフォンのアラームが鳴った。
「…会長、お話しが途中ですが、そろそろ失礼しなければなりません。記事を製版に回すまえに、原稿のチェックをお願いします。FAXさせていただきますから。本日は、ありがとうございました」
光一郎は、親王の言葉を待つこともなく、深々と一礼すると、入口に向かって足を踏み出そうとした。
親王は、間髪を入れず、言葉を返した。
「ああ、承知した…少子高齢化の“宿題”も考えておいてくれよ。国だけでなく、自治体にとっても、重要な問題だからな」
光一郎は、立ち止まり、小さく頷いた。
「光一郎くん、最後にひとつだけ尋ねていいかな?以前から、不思議に思っていたんだけど、なぜ、情報誌の名称を“C-STYLE”にしたんだね?恵母子市に密着した情報誌ということなら、“E-STYLE”じゃないの?」
光一郎は、苦笑しながら、答えた。
「…よく尋ねられるのですが、“C”でいいのです。“C”のつく3つの言葉の頭文字から、取りました。ひとつは、“citizen”。もうひとつは、“customer”。そして、最後は、一番憂慮すべき問題のキーワード、“children”です」
「…なんだ、きみは昔から、少子高齢化の問題を懸念していたんだな。さすがだな!!」
光一郎は、再び会釈して、今度こそ退出した。ドアが閉まる音にかき消され、光一郎の耳には届かなかったが、親王は、最後につけ加えるように言った。
「後ひとつ、“cash”があれば、完璧だ」




