才能
百合亜は、優れたジャズミュージシャンでありながら、卓越したショーマンでもある。常に、聴衆を喜ばせるには、どうすればいいのかを考えている。今回のライブ会場であるジョニースティングギャラリー(JSG)が、恵母子市にあるということで、ご当地で喜ばれる選曲をと腐心した結果、地元の英雄である醍醐剣介の楽曲をセットリストに加えたのである。
醍醐剣介といえば、いまや国民的スターであり、その人気も全国的であるが、地元の恵母子市での人気は、絶大である。狂信的といって差し支えないだろう。醍醐自身は、現在、東京に居を構えて活動しているが、1年に数回、実家に帰省し、幼馴染みを訪ねるという習慣を、デビュー時から貫き通している。故郷に帰って来れば、昔と変わらない気安さで、友人を訪ねて回り、道行く人が声を掛ければ、にこやかに挨拶を返す。大スターになった現在でも、まったく気取ったところがなく、まるで“お隣さん”のように振る舞うのだから、人気が出ないわけがない。
(さすがは、醍醐さんの楽曲、お客様の反応もいいわね。では、さらに…)
百合亜は、聴衆に、リクエストを募った。
「つぎの曲は、みなさまにリクエストをいただきます。どんなジャンルの歌でも結構です。何か、ご要望の曲は、ありませんか?」
ところが、誰もリクエストする者はない。
「…どんな曲でもいいですよ。わたしの知らない曲でもお受けします」
聴衆は、隣同士で顔を見合わせるだけで、声を上げる者など誰もいない。先程までの熱狂的な反応が嘘のように、静まり返っていた。すると、見かねたのか、ひとりの少年が手を挙げた。誰あろう、このギャラリーのオーナーである加藤親王の孫、加藤果奔であった。
千場光一郎は、声のした方に目をやりほほ笑んだ。
(おお、果奔くんじゃないか。もう、到着してたんだな)
果奔は、その場に似つかわしくないTシャツ姿を恥ずかしく思っているのか、どこか元気がない。
「…えーと…あまり、歌を知らないのですが…僕が卒業した小学校の校歌でもいいですか?」
百合亜は、満面の微笑みで、そのリクエストを受けた。
「ありがとう。もちろんです。ただし、わたしは、残念だけど、きみの卒業した小学校の校歌を知らないから、きみもいっしょに歌ってくれたら、うれしいな。その代わり、わたしがきみの歌に、伴奏をつけるから。どうかしら?」
果奔は、一瞬、躊躇する表情を浮かべたが、自分がリクエストしたという責任を感じているのか、素直に頷いた。
「では、みなさんも、よろしいですか?他には、いらっしゃらないようですし、彼のリクエストにお応えしたいと思います」
会場から、拍手が沸き起こった。
「きみ、お名前は?どこの小学校を卒業したのかな?」
果奔は、顔を赤らめた。
「加藤果奔。浜郷小学校です」
百合亜は、譜面台に、タブレットPCを載せながら、果奔の方に顔を向けた。
「…ちょっと待ってね。いま、歌詞を探すから」
そう言うと、画面に、キーワードを打ち込み、画面をタップした。
「あったわ。楽譜はないけど、歌詞はネットでみつけたわよ。“風よ浜郷を越えて世界へ吹け”。これでいいのかしら?…ステージ正面の大型モニターに、映し出しますね」
百合亜が果奔に尋ねると、果奔が小さく頷いた。そして、会場に向かって、再び、言葉を発した。
「では、加藤果奔くんのリクエストにより、浜郷小学校の校歌を。ご存知の方がいらっしゃったら、ごいっしょに歌ってください」
果奔は、緊張しているのか、心なしか震えているように見える。
「果奔くん、目をつぶって歌っていいのよ。ここには、あなたとわたし以外は誰もいないと思ってね。そして、わたしのことも気にしないで。ちょっと、最初の部分だけ、教えてくれる。どんな出だしかな?」
果奔が、出だしの1小節を、小さな声で、歌って聞かせた。
「オーケー!大丈夫よ。声は、もっと大きくね。さあ、歌いましょう。…3…2…1…ハイ!」
果奔が、声を張った。透き通るような高音が、会場に響いた。その声に、寄り添うように、百合亜も声を合わせた。果奔の澄んだ高音と、百合亜のハスキーボイス、対照的な声質ながら、不思議とバランスが取れていた。
会場からも、年端のいかない果奔の勇気に励まされたのか、いっしょに声を上げて歌う者もいる。ひとり、ふたり、次々と声が重なり、やがて大合唱の輪となり、会場の空気ははひとつとなった。
感動の渦の中で、千場光一郎は、ただひとり、静かに、ステージをみつめている。
(…それにしても、香坂百合亜の才能は凄いな。初見のはずの校歌のメロディーを、楽譜がないにもかかわらず、果奔くんの歌声から推測して、通常では気付かないほどの遅れで追いかけている。まるで、外国人のインタビューを同時通訳する通訳者のようだ!)




