Akasaka Yukari
加藤親王は、地域情報誌C-STYLEの編集長である千場光一郎が、取材に来ると聞いて、密かに喜んでいた。なぜなら、千場は、恵母子市の主催する“恵母子市百年計画プロジェクトチーム”のメンバーだったからである。
(光一郎くんなら、たいていのことは知っているはず)
「光一郎くん、今度、市役所に、新しい部署ができるという噂を聞いたんだけど、なにか知ってるかい?」
「…」
「なんと言ったかなぁ。ほら、芸能人の育成を手掛ける課だよ」
光一郎は、大きな目を細め、微笑んだ。
「芸能推進課のことですね」
「そう!それ!!それ!!」
「やはり、市の狙いは、醍醐剣介に代わる“客寄せパンダ”を、自力でつくることを目標にしてるんだろうな?」
「…それも、あるでしょうね」
「なんだよ?それ以外にもあるのか?」
「はい。もっと深遠な目標があります」
光一郎は、コーヒーを一口すすった。
親王が、顔を近づける。
「もったいぶらずに、早く教えてくれよ」
せっかちな親王がせかす。光一郎が、壁に掛かったラファエルの聖母マリアに抱かれた赤子のイエス・キリストの絵画に視線を落とした。
「少子高齢化対策です」
「はぁ?」
親王は、目を丸くした。
「芸能人を育成すると、少子高齢化が改善するとでも?どうにもピンと来ないな。仮に、そういう意図があるとして、根拠はどこにあるんだ?」
「…もちろん、それだけで、少子高齢化が改善されるわけではありません。その他の施策と絡めることで、最終的に、目標を達成しようというのです
…ここに、本日配布予定のC-STYLEの号外があります。詳細をお話しすると長くなりますので、ポイントだけをお話しします。詳しくは、ライブ終了後に、ご一読ください。
自治体の当面の目標は、恵母子市を女性に注目される街にしたいのです。例えば、その街から、有名人がたくさん輩出されるとか。子育てに対する福利厚生制度が充実してるとか。子どもの教育に適した環境があるとか…若い女性が集まれば、自ずと男性もやって来ますね?男女が“交流”すれば、“新しい世代”が生まれませんか?」
「ほぉ!」
「さらには、旧来の結婚観を変えてあげることも必要でしょう」
「というと?」
「現代の日本では、富裕層の夫婦以外は、結婚に失望しているのではないかと推察しています。女性は、『結婚して子どもが生まれるのはうれしいことだけど、将来の教育費などを考えていたら、とても専業主婦などに収まってはいられない。仕事に出ようにも、主人は、育児に手を貸してはくれない』。その一方で、男性には男性の言い分があります。『仕事で神経をすり減らされるような毎日では、とても家事の手伝いや子育てを手伝おうなんて気にはなれない』
もっともですよね?
その意識の食い違いから生じる結婚観の“断層”を平らにできたらと、自治体は考えているようです」
「ふむ」
「結婚はしてもいいが、負担や不幸は背負いたくない。ですから、いわゆる結婚条件の“勝ち組”に、人気が集中しているのが現状でしょう。だからといって、市民全員を富裕層にできるはずもない。
しかし、一定の水準までは引き上げるお手伝いはするべきであろうと考えているのでしょう」
「なるほど、おもしろいね。凹凸の凹んだ箇所に、行政が土盛りしようと言うんだな。しかし、自治体は、少し親切過ぎないかな?」
「親切過ぎる?…と言いますと?」
「どこまで尽くせば、意識が平らになるのかな?」
「えっ?」
「欲望は際限ないだろう?」
「…」
「人間は贅沢にできている。埋めても埋めても、足らないと言う。山のように積まれても、まだ足らないと言う。そりゃあ、そうだろう。その積まれた地面の上から見下ろしてるんだから、どのくらい積まれたかなんて見えやしない」
「…では、なにが必要なのでしょう?」
「なにも足らないものはない…率直に言うが、いまきみが揚げた項目を満たさなければ続かない夫婦関係など、いつかは崩壊する可能性が高いだろうな」
二人の間に、しばらく沈黙が流れる。BGMのジャズシンガーの声だけが、空間に漂う。
「光一郎くん、いまBGMで流れている曲、誰が歌ってるかわかるかい?」
「えっ?アメリカの女性ジャズシンガーだということは想像つきますけど…ビリー・ホリデイとか?」
あまりジャズに詳しくない光一郎は、当てずっぽうに、記憶にある女性シンガーの名前を挙げてみた。
「“アカサカ ユカリ”という、ジャズミュージシャンだ」
「日本人!…ですか?」
光一郎には、新鮮な驚きだった。
「それだよ。いま、きみの胸中に去来したもの。それがあれば、男女の関係は続いて行くだろう」
「…会長、それとは?…まだ、ちょっと」
「ヒントをあげよう。“アカサカ ユカリ”は、赤坂由香利(漢字)ではない。Akasaka Yukariだ」
開場の時間になったのか、客が入場しはじめたようだ。親王は、光一郎に笑顔を向け、すっと立った。
「すまんな。お客様が、お見えのようだ」




