蝉(せみ)
高梨純子と別れた修羅と果奔は、蝉の声が響く坂道を、一列になって、とぼとぼと下りはじめた。
「アッシュ、たまには歩いてみるのもいいね。スケボーで滑っているときは、蝉の声なんて、耳に入らなかったものね」
「果奔、知ってるか?蝉の寿命は、スゲー短いんだぜ」
修羅が、唐突に尋ねた。
「えっ?」
「1週間。月曜に生まれて、日曜には、さよならさ」
(な、なんだ?)
「例えて言うなら、俺とおまえが蝉だとするじゃん。そして、月曜日から金曜日は、学校で遊んで、こうやって週末に、スケボーやるとするだろう。で、『また明日、学校で!』って言うじゃん。ふつー」
「…うん」
「でもな、次の日、俺は学校には行けないんだ。だって、1週間の寿命だから、次の週はない」
「…アッシュ、なにが言いたいの?」
「…いや、なんでもない。時間は大切という話さ!」
アッシュは、イジの悪い同級生に見せられたインターネットの百科事典の記事を思い出していた。
(俺の寿命は、短いかもしれない…)
考えてもどうにもならないことだから、ふだんは気にしないようにしてはいても、やはり、自分の命にかかわること。なにかの拍子に、たまに頭をもたげて来る。
しばらく歩き、自転車を止めてあるバス停の横の駐輪場に辿り着いた二人は、それぞれの自転車の荷台にスケートボードを積んだ。果奔は、着用していた皮ツナギを脱ぎながら、修羅に尋ねた。白いTシャツが汗をたっぷりと吸い込んで、ペッタリと身体に張り付いている。
「アッシュ、どう?右肩の具合?自転車、乗れそう?」
「なんてことないよ!ほら、ママチャリだから、おまえのスポーツ車みたいに前屈にならないですむからね。腕に体重が掛かりにくいから、平気だよ」
九曲坂のふもとから、果奔の祖父である加藤親王のペントハウスがある駅前のカトービルディングまでは、自転車で、30分くらいの距離だ。ここから駅へ至る道は、曲がりくねった九曲坂とはうってかわって、なだらかな直線が、南へと延びている。一方、これから右肩の診察を受けるために修羅が向かう西部病院は、西へ、やはり30分ほど、自転車を走らせなければならない。
「果奔、気をつけてな!」
「アッシュもね。診察の結果、知らせてよ!」
二人は言葉を交わすと、それぞれの目指す方向へと、同時に、自転車を走らせた。
修羅が目指す西部病院へは、10分ほど西へ向かい恵母子市のトップ進学校である湘稜高校を左折し、20分南下したところにある。すぐそばに、自働車専用道路である湘南西湘ラインのインターがあり、車でのアクセスには便利だ。
修羅は、なるべく右肩の負担にならないように右腕の力を抜き、ハンドル操作は、左腕だけで行うようにした。
ふと、幼稚園の頃の思い出が蘇った。まだ、父が酒に溺れることもなく、穏やかで、家族思いの優しい父だった頃の記憶だ。
(父さんに自転車の乗り方を教えてもらったんだよなぁ。あの頃は、まともなひとだったんだけどなぁ)
前後に車や歩行者がいないことを確かめて、久しぶりに両手離しで、自転車をこいでみた。
(腕は、ハンドルに添えるだけ。力が入っていると、素早い操作ができないから。ハンドル操作で曲がるのではなく、重心の移動、バランスで曲がるのが理想だ。そう教えられて、海岸のサイクリングロードを、人気のない早朝に、両手離しで走らされたよなぁ)
父との思い出を、脳裏に思い描くうちに、高校の正門のまえへ着いた。
(…さて、このあたりまで来ればいいかな)
修羅は、くるりと自転車の向きを変え、なんと、いま来た道を引き返しはじめた。




