01.王者、祖国に帰る~最強と最弱の邂逅~
『ランブルフィッシュ』という作品に多大な影響を受けています。
「――ユウヤ、本当に辞めるのか?」
背後からかけられた声に、優也は苦笑しながら振り向く。――そこには、ここ数年で苦楽を共にし、そして……道を違えた友がいた。
――異国で得た、友。
そしてその友を、優也は友の視点からすれば裏切ることになる。
「レオ……今のチームじゃ、僕は戦えないよ」
「本気で言ってるのか……?」
困惑と、憤り――そんな感情が友の顔に浮かぶ。
「僕達は、強かった。――けれど、それで得たものは何だい……?」
「――富と、名誉……だろ?」
一瞬、言い難そうにしていた友人に苦笑する。――彼は、分かっているのだ。それでも優也を止めたいから……彼の本音と、優也が求めている答えが違うと分かっていても……そう言ったのだろう。
「僕は、そんなものが欲しかったんじゃないよ」
「ユウヤ……!」
「――前の皆なら、分かってくれたと思うけどね」
そう言ってから――それは友人達に求めすぎているだろうとも思う。
――けれども、それを言わなければならないほど……優也達はすれ違ってしまっていた。
「ユウヤ!」
「――次に会う時は、きっと向かい側だよ」
じゃあ――そう言って、手を振って振り向く。
――友はもう、優也を止めようとはしなかった。
――この日、イギリスのとある王者が所属チームを離脱したことが、世界的に報じられることになる。
――そしてそれは、新しい物語の始まりでもあった。
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宇宙開発事業が発展する中で開発された機械、『ライドギア(RG)』。人型に限りなく近付いたその機械は、有人制御機械としてはこれまでに未踏だった危険領域にまで進出していた。現在では宇宙開発事業のみならず、地上、水中における土木作業機械としてその優秀さを発揮している。
RGが進化していく過程で軍事利用を避ける事が叶わなかったのは悲しい歴史として語り継がれることになったが、一方で『競技用』として別方向の進化を果たしていた。それが『RGトーナメント』である。
競技用として専用設計されたライドギアを用いて戦わせるこの競技は、新しい娯楽として世界中を魅了し、年二回開催される世界トーナメントへの出場権を勝ち取るべく、各国で代表決定戦が行われていた。
――そしてそれは、東洋の島国と呼ばれた日本でも同じであった。
「代表決定戦まで一ヶ月しかないのに、どうするのよこれ……」
RGトーナメント日本代表決定戦、『RG JAPAN』への参戦を予定している筈のチーム、『レベリオン』のガレージではメカニックと思われる女性がため息をついていた。
標準的な、薄いグレーといった色合いの整備服に身を包んだショートカットの女性。どこか勝ち気な雰囲気を醸し出しつつも、その容姿は一般的に言って美人と呼んで差し支えないだろう。
――見るつもりは無かったが、けっして凝視したわけではなかったが、胸の大きな女性だった。
「おっと……」
邪な思いに心乱されそうになり、慌てて当初の目的を思い出す。
レベリオンのRGはオリジナルデザインで新規製作された興味深い機体だった筈だが、そこにあったのは誰が見ても一目瞭然な、半壊状態のガラクタだった。
「これはまた随分と……」
つい声に出てしまい、その場の視線を集めてしまう。「お前は誰だ?」という視線にやや気まずい思いをしつつ、とりあえず名乗ることから始めようとした。
「神代優也と言います。RGパイロットとして、ここに雇って貰えないかと思って、訪ねてきました」
一瞬、ガレージにいる何人かの表情が明るくなったように思えたが、すぐに落ち込んだような表情になってしまう。
何故だ? と思って先程のメカニックに視線を向けると、ため息をついて説明をしてくれた。
「残念ながら、ウチにはトーナメントに出場できる機体が無いわ。トーナメントに出たいなら、他を当たりなさい。――まぁ、この時期に空いてるシートなんて、無いでしょうけれどもね……」
憂いに満ちた様な表情で笑うメカニック。他のスタッフも似たようなリアクションだった。
「参ったな……前のチームは、啖呵切って出てきちゃったからなぁ」
しばらく生活していくのは問題ない。――それだけの貯蓄は、ある。
ただ、RGパイロットとしてブランクが開くのは出来るだけ避けたかった。
「機体の持ち込み、てのは……駄目ですか?」
一応申し出てみると、メカニックは鼻で笑った。
「市販の競技用なんか、メーカーサポートを受けられなきゃ使い物にならないわよ。――まぁ、今年度仕様の最新型なら、ちょっとは戦えるかもだけど」
「あ、僕のはハチクロ」
そう言った途端、ガレージ内溜息が木霊した。
「アンタ、本当にトーナメントに出ようってパイロットなの? 今時、ハチクロなんかじゃ秒殺よ、秒殺」
彼女らがそう思うのも無理はない――ハチクロ、正式名称はアスカ八九型六式。日本のアスカテクノロジーが10年前に開発した競技用RGである。普通に考えれば、現行型の競技用RGに敵う筈はなかった。
「イギリスでは、それなりに戦えたんだけどなぁ……」
苦笑しながら言ってみると、メカニックはわずかに興味を示したようだった。
「――イギリス? アンタ、イギリスでパイロットやってたの……?」
「一応、ね。――これでも、S級ライセンスを持ってる」
そう言って懐のパスケースからカード型のライセンスを取り出して、メカニックに見せる。
「こ、これ……ほ、本物?!」
驚いているメカニック。
国内トーナメントであればA級ライセンスで十分だが、世界トーナメントに出るためにはS級ライセンスが必要となる。――S級ライセンスは国内トーナメントの二位までにしか発行されず、すなわちそれは、ライセンス所持者はどこかの国で二位になったということを証明している。
「マジかよ、S級ライセンス?!」
「初めて見たわ!」
「これがあの、プラチナライセンスか……!」
メカニックの周りにスタッフが集まってくる。メカニックからライセンスを返してもらうと、周囲もやや落ち着いたようだった。
「S級ライセンスの持ち主が、なんで……」
メカニックが「理解できない」という顔をしているので苦笑してしまう。――しかし、普通はそう思うのだろう。
「たまには、そんな物好きもいるんじゃないかな?」
そう言って笑ってみせたが、メカニックはあまり納得していないようだった。
「――騒がしいわね?」
声がしてガレージの入り口を見ると、そこにはスーツ姿の若い女性が立っていた。三十前半、というところであろうか?
「オーナー!」
メカニックにオーナーと呼ばれた女性は、騒ぎの中心に立っていた優也に近づいてきた。
「はじめまして。RGパイロットの、神代優也です。パイロットとして雇ってもらいたくて、ここに来ました」
優也が名乗ると、女性は優しく微笑み、右手を差し出してきた。
「はじめまして。私はレベリオンのオーナー、冴木良子です。――パイロット志望?」
「S級ライセンスの持ち主です……」
補足するようにメカニックが言うと、冴木は「あら、それは凄いわね」と、やや驚いていた。
「でも、ウチはシートは空いたけれど、先日行われた特別戦で肝心の機体がオシャカなのよ。――残念だけど、貴方を雇っても試合に出られないわ……」
「そのようですね。まぁ、最初から機体に関してはパイロットがいるだろうから期待していなかったんですよ。――なので、持ち込みで雇って貰えないかと」
「――持ち込み? RGの?」
聞き返す冴木に「ええ」と肯定すると、横からメカニックが「でも、ハチクロだそうです……」と口を出してきた。
「ハチクロって、あの? 八九型? あら、まぁ……」
若くみえるのに、結構RGの事に詳しそうだな、と思いつつ、冴木がただの金を出しているだけのオーナーではなさそうであるという事に安堵した。
――チームは、オーナーのスタンスで一気に変わってしまう。
「一応、カスタムもメンテナンスもしっかりやって、昨年はイギリスの特別戦で優勝しました」
「ハチクロで優勝? 本当に?」
「ええ」
肯定すると冴木は笑い出した。
「このご時世に、ハチクロで……優勝? 可笑しい……!」
冴木は見た目が美人なのに残念に感じてしまうくらい笑っていた。
「貴方に興味が湧いたわ。これまでの戦績を含めて、詳しく教えてもらえるかしら? 雇うかどうかは、それからね――もっとも、そんな戦績を持つ人って、私は一人しか知らないけど?」
そう言って経営者の顔になった冴木に、優也は「喜んで」と応えた。
「という訳で、我が『レベリオン』は新たに神代優也選手と契約を結び、来月に迫ったトーナメントに参戦することになりました」
一時間と少し。オーナー室で話し合いを済ませた優也と冴木はチームスタッフの前に立っていた。
「壊れてしまった機体を直すには時間が足りません。――よって、今期は神代選手の八九型六式で戦います」
ざわつくスタッフ達。――無理もなかった。
全く知らぬパイロットと、時代遅れの機体なのだ。世界トーナメントを目指そうというチームにとっては、不安要素しかない。
「不安に思うのは無理もありません。――ですが、必ず成果を出してみせます。僕に力を貸してください」
優也はスタッフに頭を下げた。スタッフに信頼してもらわなければ、勝つための環境は作れない。優也はこれまでの競技生活の中でそれを実感していた。信頼を得ること、それが勝つために必要なのだ。
――そしてそれらが崩れた時、どんなに実力者が揃っていようとも、戦えなくなる。
「彼が勝てるパイロットであることは、私が保証します。皆さんには、全力でトーナメントに挑んでもらいたいと思います。――彼となら、私達の悲願も叶えられるかもしれない」
冴木がそう言うと、スタッフ達から「オーナーがそう言うなら……」という声が聞こえた。――冴木がスタッフに信頼されていることが窺えた。
「チーム編成はとりあえずこれまで通りで行きます。――皆瀬さん」
「はい」
呼ばれたのは、あのメカニックだった。
「神代君、彼女がウチのチーフメカニック兼デザイナーの皆瀬なつきさん。貴方の相棒ね。今はエンジニアがいなくて、エンジニアの方もやって貰っているわ」
「あらためて、よろしく」
皆瀬の前に立ち、右手を差し出す優也。皆瀬は一瞬躊躇したが、その右手に応えた。
「――この世界は、結果が全て。貴方のライセンスが飾りではないことを証明してみせて」
「手厳しいね」
優也は苦笑した。
「オーナーに昨年の成績、機体の動きを見せてもらったけれど……君が本気で取り組んでくれるなら、きっと勝てるよ」
「私はいつでも本気よ」
挑むような表情の皆瀬。少々気難しそうだが、優也は感覚的に『悪くない』と思った。
「それでは、神代君には機体を運んでもらって。他のスタッフは機体整備の準備に取り掛かって。もう一ヶ月しか無いわ。最善を尽くしましょう」
スタッフ達から「おぉ!」と声が上がる。元気の良いチームだと優也は思った。
「各部のモーターは、同系統の新型に交換してあるのね。モニターも全天周囲モニターか……」
機体をチェックしながら皆瀬が言う。
「さすがに、ノーマルじゃ戦えないからね」
苦笑して言うと、「チューンナップしたからと言って、勝てる機体じゃないんだけどね」と皆瀬は溜息混じりに言う。
「――ライセンス名を変えたのは、何故?」
突然、そう切り出した皆瀬に驚いていると、「バレないとでも思った?」と苦笑された。
「いつもサングラス。明らかに本名じゃないライセンス名。正体不明の凄腕パイロット。――貴方がイギリス帰りで、S級ライセンス所持者という判断材料に、大会記録を照らし合わせれば一発よ」
「まぁ、騙すつもりは無かったんだけどね。驚かれても嫌だし、気が付いていないなら、それに越したことはないかな、って」
そう答えると、皆瀬は「今の貴方からは全然イメージできないわね」と言われた。
「まぁ、調べたお陰で色々謎も解けたわ。――ハチクロで勝てるパイロットなんて、貴方くらいよ」
「まぁ、それもコイツ限定だけどね」
皆瀬と入れ替わりにコックピットに乗り込む優也。操作系のチェックをし、微調整を行う。
「――ねえ……貴方がチームを捨てた理由は、何?」
「いきなりだね。――それを聞いて、どうするのかな?」
優也がわざと意地悪をするように尋ねると、皆瀬は不機嫌そうに「私達も同じ様に捨てられるのかな、って思っただけよ」と答えた。
「チームには、信頼関係が必要よ。簡単にチームを捨てる人間を、少なくとも私は信頼出来ない。――理由があったのであれば、教えて欲しい」
真っ直ぐな視線が、少し痛かった。それは、忘れていたような真っ直ぐさだった。
少し躊躇いもあったが、優也は話すことにした。――それが、彼女の信頼を得るために必要だと思ったから。
「――あのチームであれば、今年も完全制覇は夢じゃない」
優也は、驕りではなく事実として、そう思う。
「最高のマシン、最高のスタッフが揃っているんだ。――世界トーナメントで上位を争うパイロットで、あのチームに入って勝てない奴は……いないだろうね。……優勝するかどうかはともかくとして」
そこまで言って、優也はシートに背中を預けた。
目を瞑り、懐かしい日々を思い起こす。それは、栄光の日々であり――失意へと続く道でもあった。
「でも、勝てるチームが素晴らしいチームか? 僕はそれに疑問を感じるようになり、そしてそれは、チームに亀裂を生じさせたんだよ」
「――じゃあ、一度話題になった不仲説は、あながち嘘でもなかった訳ね?」
皆瀬の言葉に苦笑しつつ、優也は「そういうことだね」と返す。
優也とチームの関係が上手くいっていないのは、一度報道されたことがある。優也は苦笑しながらそれを肯定したのだ。
「――結果的に、僕が競技生活を続けるにはチームを去るしかなかった。――あのチームでは、もう戦えない。信頼関係が無くなっていたからね。だから僕は、戦えるチームを探して日本に帰ってきた」
「それが、レベリオンということ?」
優也は頷いた。
「レベリオンなら、アイツらに勝てる可能性がある」
そう言うと、皆瀬は驚いていた。
「本気なの……? 私達は、世界トーナメントに一回も出場したことが無いのよ?」
「どのチームだって、初出場を経験しなきゃ、強豪チームにはなれないさ」
苦笑してそう言うと、皆瀬は「呆れた」と天を仰いだ。
「どこまで楽観的なの、貴方は?」
「悲観的であれば勝てるっていうもんじゃ、ないでしょ?」
そう優也が言うと、皆瀬は「本当に大丈夫かしら……」とさらに呆れていた。
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RGトーナメントは初開催から今年で20年。その間に幾つもの勝者が生まれてきた訳であるが、ここ数年はイギリスにあるチーム『ルシファー』が強く、三年連続完全制覇――つまり、三年間、年二回開催されるトーナメントのどちらも勝利したということ――を達成している。
ルシファーの機体は過去三年間はオリジナルデザインの『LR-Ⅳ』で、チャンピオンである仮面のパイロット、『ナイトK』の手で三年連続完全制覇を達成した。
その強さは現状で他のワールドクラスの機体を遥かに凌駕しており、パイロットの腕も並外れていたため、まさに敵無しといった状況だった。
世界制覇を狙うなら、優也達はルシファーに勝たなければならない。それ以前に、まずは国内トーナメントを制覇して出場権を勝ち取らねばならなかった。それはもしかしたら、ルシファーに勝つこと以上に困難であるかもしれなかった。
世界トーナメントの最初の大会、Aチャンピオンシップへの出場権は加盟国でひとつしかない。世界選手権に出るには、チームの登録しているRGトーナメント加盟国で開催される予選トーナメントで優勝する以外には無いのである。
そしてそれは、元チャンピオンであっても同じ条件である。――まさに、実力が全ての世界である。
「私達にとって、今はどのチームも強敵と言わざるを得ないわ。――貴方の腕は確かかもしれないけれど、チームとしての総合力を考えれば、分が悪いものね……」
今期参戦予定チームの昨年までのデータを見ながら、皆瀬はため息をついた。
「今年はどのメーカーもアップデートではなく、最新型を発売しているわ。――市販RGを使っているチームは、資金難でも無い限り、換えてくると思う。――オリジナルデザインのチームはどうかしらね……優勝候補の『エドガー・フェニックス』辺りは、新型を投入してくるという話だけど」
「あそこの機体はハズレがあまり無いから、結構厄介かもなぁ」
デスクに伸びつつ、優也は珈琲を飲みつつ答えた。
「とりあえず、ハチクロのソールはミディアムをメインにして、状況に応じて交換かな。駆動系は現状でいじりようがないから、そのままで行くとして……あとは、武装か」
「ウチにも一通り揃ってはいるけれど……ダガーやブレードみたいな近接戦闘用は好みもあるから、確認してもらわないと」
「ライフルとかも好みはあるけどね。まぁ、贅沢言ってられないさ」
優也は立ち上がり、背伸びする。
「中・近距離をメインに武装を決めよう。機体スペック的に、それがベターだと思う」
優也の提案に皆瀬は頷く。
「ウチには、長距離でハンデを覆せる武器も無いし。まあ、妥当なところね」
「とりあえず、実際に動かしてどんな感じか見てもらうのが先かな? スタッフに機体の事を理解してもらうのは大事だからね」
「ウチは一機体制だし、相手をしてもらえるチームも無いけれど……」
考えこむ皆瀬。
シミュレーターを使ってテストも出来るが、シミュレーターの精度次第では現実と大きな差異が生まれてしまう。――実際、世界クラスのトップチームでも、シミュレーターでのデータと実際のデータに差異があって苦戦を強いられた、という事があった。テストはやはり、実機で行うのが一番なのだ。だが、レベリオンにはテストに使えるフィールドはあっても、実機でテストを行える『相手』、つまり仮想敵機が無かった。
「相手が動いてくれないのはやや物足りないけれど、ダミーターゲットを使ってやれば、それなりの成果は出せるよ」
ダミーターゲットとは、ヘリウムガスを充填した、RGの形をした人形である。土台が自走式となっている簡易的なシステムで、主に射撃訓練等に用いられている。
「接近戦での反撃を想定できないけれど、無いよりかはマシ、かしらね……」
溜息混じりに皆瀬が言う。
「こういう時だけは、トップチームが羨ましくなるわ……」
「無い物ねだりをしていても、始まらないさ。やれる事を全てやって、後は――」
「――後は?」
優也は笑った。
「時の運さ」
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「よう、優也」
数日後。優也は喫茶店で待ち合わせをしていた。
待ち人――黒沢直人は「まだまだ寒いな」と言いながら向かい側の席に着いた。
「急に呼んだりしてすみませんでした」
「まったくだぜ。俺だって、これでもファクトリーのテストパイロットとして忙しいんだぜ?」
苦笑する黒沢。黒沢はRGメーカーであるアスカテクノロジーと契約を結んだパイロットであり、製造される競技用RGの開発パイロットを務めている。
優也とはイギリスで知り合い、何度か対戦も経験している。
「――で、ハチクロをトーナメントに出すって言ってたな。……本気か?」
黒沢の言葉に優也は「ええ」と頷く。
「本気ですよ。――昨年のイギリスで開催された特別戦の成績、知らないんですか?」
優也がそう言うと黒沢は「知っているさ。だが、昨年イギリスで通用したものが、今年日本で通用すると思うのは甘すぎるぜ」と返した。
「甘くなんかみていませんよ。自分の手札の中で、最も勝てる可能性として高い選択肢を選んだだけです」
「ハチクロが勝てる、って思っている時点で甘くみてるだろ。……まぁ、日本でお前が操るハチクロを止められる奴が、何人いるかっていったら……少ないだろうな」
やって来た店員に珈琲を頼むと、黒沢は持参した鞄からファイルを取り出した。
「俺もワークス契約の身なんでな、ここまでしかしてやれないぜ」
ファイルを受け取り、中身を確認する。
「いえ……十分ですよ。ありがとうございます」
「まぁ、それに書かれているのは公表されているデータばかりだ。もっとも、俺がコメントを入れているから微妙だけどな。黒に近いグレー、ってところか」
「助かりますよ。あまり時間をかけられませんからね、僕達は」
優也の言葉に黒沢は「だろうな」と苦笑した。
「――それはそうと、何で辞めたんだ?」
避けようとした話を突きつけられ、優也は苦笑した。
「僕が避けようとしているのを察していながら、それを聞くんですか?」
「それぐらい聞かせてくれても良いだろ。こっちは、会社に睨まれる可能性を覚悟して協力してるんだぜ?」
そこまで言われてしまうと、無理を言っている手前、黒沢の言い分を飲むしかなかった。
「――分からなくなったんですよ。何のために戦っているのか」
「RGは極めた、って事か? さすがにそれは、お前だとしても嫌味にしか聞こえないぜ」
優也は苦笑する。
「違いますよ。――ただ……強い相手と戦って、仲間達と協力してそれに勝って……その先にあるものを、僕は、僕達は目指していたと思っていたんですよ。――でも、それは違った」
同じモノを見ていたつもりだった。――けれども、優也だけが、違うモノを見ていたのだと……気が付いてしまった。
「RGトーナメントは、道楽でやるものじゃない。――今のRGにはスポンサーという存在がいて、スポンサーがいなければ戦えない。……スポンサーのために戦い、スポンサーのために勝つ。それはたしかにそうなんだけど……でも、僕にとってはそうじゃなかった」
そこまで話したところで黒沢の珈琲が届き、黒沢が口をつけるのを待つ。
黒沢はゆっくりと一口飲むと、「なかなかイケルな」とつぶやいた。
「お前の言いたいこと、分からなくはない。俺だって、今じゃメーカーの子飼いだが、お前と出会った頃は、現役の競技パイロットとして生きていたからな。そういう気持ち、理解できなくはないさ」
黒沢は「だがな」と話を続けた。
「勝つために『そういう事』が必要なら、俺は喜んで信念を捨てる。――勝つためになら、な」
「黒沢さん……」
「お前、今年で20だっけか? まぁ、若いうちに成功しちまうと、俺みたいに曲がった根性は持たないのかもな」
苦笑する黒沢。黒沢は、今年で31の筈だ。現役としてはまだ通用する筈なのに、黒沢はアスカテクノロジーと契約を結び、28で競技パイロットを引退した。――それは、優也にとっては不思議な事だった。
「――黒沢さんは、もうトーナメントで戦う気は無いんですか?」
そう言うと、黒沢は鼻で笑った。
「おいおい……アスカテクノロジーは、ワークスチームを撤退させたんだぜ? シートがねぇよ」
「――その、シートがあったら?」
黒沢は黙ってしまった。
珈琲を一口飲み、天井を見上げる。それからゆっくりと、外の景色を眺める。
「どうかな……たしかに、俺はチャンピオンになれないまま引退した。そこに悔いがないとは言わないさ。――だが……何かに縛られて戦うってのは、もういいかもな」
「――何かに縛られる?」
「色々なしがらみさ。スポンサーだったり、メーカーだったり、色々あるだろ? そういうのは、もういらないかな……」
そう言って黒沢は笑った。ただ、その顔にはどことなく影があったように見えた。
「お前が直面したのも、そういうものなのかもな。――ただまあ、俺よりも贅沢な悩みみたいだけどな」
鼻で笑う黒沢。優也は苦笑した。
「これでも、本気で悩んだんですけどね」
「悩め悩め。若いうちは、うんと悩め。そして年長者を敬え」
「なんですか、それは」
久しぶりに身構えることなく笑っているような気がした。黒沢は、それほど長い付き合いとはいえないが、優也が信頼出来る数少ない人間だった。
「お前が勝ちたいのが本当に『アイツら』なのかどうか。それはたぶん、お前が優勝しない限り分からないと思う。――大勢に迷惑かけたんだ、お前自身がちゃんと納得できる答え、絶対に見つけろよ」
「――自分自身が納得できる答え、ですか?」
「ああ。お前が何故チームを離れたいと思ったのか。お前が求めているものが何なのか。それが、『答え』だ。見つけられるか? お前と、『レベリオン』で」
問われ、優也は目を閉じて考える。――『答え』、それは何なのか? そして、新しいチームでそれを探すことが出来るのか?
「……分かりません。――でも、あのチームなら……それは、ゼロじゃない。そんな気がします」
「なるほどね……。まぁ、俺はゆっくりと高みの見物を決め込むさ。――まずは国内トーナメントをお前がどう戦うか。厳しい目で見てやるさ」
いたずらっぽく笑う黒沢。それは、初めて出会った頃と、どこも変わってはいなかった。
「ただ、ひとつだけ忠告しておいてやる。――ミハエル・ロッテラーには気を付けろ。奴は、かなり手強いぜ」
真剣な表情で言う黒沢。その名前はあまり聞いたことがなかった。
「新人ですか?」
「いや、昨年から日本で戦っているパイロットだ。ドイツ出身で、ユーロの育成リーグで戦っていたらしい」
ユーロの育成リーグは、プロの競技パイロットになる前のB級ライセンス所持者が凌ぎを削っているRG大会のひとつである。各国に育成リーグはあるが、ユーロリーグは国内トーナメントと国内育成リーグの中間に位置づけられている大会で、そこから巣立ったパイロットの多くが世界トーナメントで活躍している。
「という事は、一昨年まではユーロリーグにいたという事ですよね? ユーロリーグはあまりチェックしていなかったからな……記憶にないかもしれない」
「戦闘スタイルは、お前に似ているかもな。近接戦闘が得意で、主力武器はブレード。――奴の反応速度は桁外れだ。お前でも、捌ききれるかどうか……」
黒沢にそう言われ、優也は笑った。
「そこまで言われたら、尚更負けられないですね。誰が来るにせよ、勝たなきゃ世界トーナメントには出られない」
優也は、まだ見ぬ『敵』の影に――喜びに震えた。
「――変わってないな、お前」
そう言って黒沢はフッと笑うと――コーヒーのおかわりと、カレーライスをオーダーした。