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9 ライラの教育

 九月十五日


 アンバーが各種事業の代表者と届け出たことで「オルブライト家は財政を盛り返したらしい」という噂が広がった。そうなると商人たちは現金なもので、次々とオルブライト家を訪問するようになった。


「伯爵様、こちらは異国の絹織物でございます。この国では作ることができない品質。ぜひ触ってお確かめくださいませ」


「伯爵様、ご婚約おめでとうございます。ぜひ当店のアクセサリーをご覧いただきたくお持ちしました」


 そんな営業がひっきりなしに来る。

 だがアンバーは彼らから商品を買うことはなかった。


 彼らはオルブライト家の財政をブランドンが食い潰している頃は、こちらから店に出かけても粗略な対応しかしなかった。


 なのでアンバーは表立って商売を始めるようになってからは新規に業者を開拓した。


 店の歴史や格にあぐらをかかない新進気鋭の店を心がけて利用した。自分が新たに商売に手を出した時の苦労を知っているからこそ、彼らを応援したかったのだ。


 そんな中でアンバーの注意を引いたのは若い画商の持ってきた作品だった。


「伯爵様、これは無名の画家の作品ですが、私は彼はこの先必ず有名になると思っております。ぜひご覧くださいませ」


 差し出された絵はお茶の時間に使うトレーほどの大きさの絵で、険しい山脈を背景に建つ古城の絵だった。青い山脈は高く険しそうだ。手前に描かれている古城は凛とした姿で敵を拒むように、住む人を守るように厳しい姿だ。


 古城の手前には深く黒い森とエメラルドグリーンの湖が広がっていた。


 アンバーはひと目でその絵が気に入った。ずっと眺めていたいと思った。絵から清冽な空気が流れだしてくるような気さえした。


「気に入りました。おいくらなのかしら」

「大金貨一枚でございます」

「ではそれで」


 アンバーはその絵を自分の寝室に飾った。

 寝る前にその絵を眺めながら時間を過ごすのが毎晩の儀式のようになった。自分で手に入れたお金で買った絵は、描かれているものの他に別の意味でアンバーの心を満たしてくれた。時折絵に近寄っては匂いを嗅いだ。


 もちろん清冽な空気の香りではなく油絵の具の匂いがしたが、それも気に入った。





 エステマッサージ店の従業員はすぐに集まった。

 ベッキーは今まで通りに仕事をした上で彼女たちに技術指導をしようとしたが、アンバーが止めた。


「そんなに働いてはいけないわ。あなたが疲れていてはいい仕事ができないもの。予約を日に四人に減らして、減らした分の時間を指導に当てなさいな」

「アンバーさま、そんなにしていただいては申し訳なくて」


 ベッキーはそう言ったがアンバーは譲らなかった。

 以前、夫の築く損失の穴埋めのために寝る時間を減らして働いていた時のつらさをアンバーは忘れてはいない。


「人には休息が必要なのよ」


 ベッキーは涙を滲ませて何度もお礼を言ったが、アンバーは経済的に苦しい時に最初にベッキーを解雇したことを今も後悔している。あの時、ベッキーを守ってやるべきだったと思い出すたびにつらくなるのだ。


「ベッキー、ライラはどうしているの?」

「はい、私が働いている間はお屋敷で過ごさせていただいております」

「まさか働かせてないわよね?」

「ええと……」


 アンバーは深々とため息をついた。


「五歳の子供を我が家で働かせてるの?」

「ライラもその方が気が済みますから」

「私が忙しさに気を取られてうっかりしていたせいね。やめさせてちょうだい」


 どうしたものか。


 一人で遊んでいなさいというのも無理な話だろう。

 貧しい平民の子供はおむつが取れたら何かしら家事を手伝うだろうし、五歳なら外で働く子もいるのだろう。だが自分の手の中にいる子供はせめて守ってやりたい。


「ライラは読み書きはできる?」

「いいえ。全く」

「そう。では明日から私がライラに読み書きを教えるわ。少しずつ、楽しみとしてね」




 夜、ヘンリーがアンバーの部屋にやって来た。


「お嬢様、ライラにお嬢様が勉強を教えると聞きましたが」

「ええ、そうよ。女だからといって男に嫁ぐしか生きる道が無いのは不幸だわ。読み書きができればその先の人生に選択肢が増える。男に頼らずに生きられる女性を一人でも多く増やしたいのよ」


 少し迷ってからヘンリーが反対した。


「ならば人を雇いましょう。お嬢様は働きすぎでございます。そのうち倒れてしまいます」

「まずは私にやらせてくれる?ライラの才能を見てからそれに合った人を雇うから」


 ヘンリーは「必ずでございますよ。最初だけですよ」と言いながら引き下がった。



 一人になり、アンバーは絵の前に座った。母の口癖を思い出す。


『女は男に可愛がられなければならない、賢い女は愛されない、女は従順で控えめでなければならない』


 そんな考えこそドブに捨てればいいのだ。愚かな大人の犠牲になる女性は自分だけで十分。自分はライラの可能性を箱に閉じ込めたりしない。

 

 自分は思いの外、母親の教育方針に傷ついていたのだ、と絵を見ながら思った。


 なぜ今までその傷に気がつかなかったのかと不思議になるくらい深く傷ついていた。傷はまだじくじくと血を滲ませているのに、ライラの未来を案じることでやっとその痛みに気がついた。


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