8 ベッキーの店
七月三十日
ベッキーのエステ店の内装を話し合うためにアンバーとベッキーがお茶を飲みながら話し合っていた。
ベッド、ソファー、棚、タオル、ガウンなど必要な物を書き出した。
「タオルの肌触りは満足感に影響しますので、なるべく良いタオルを。それと、使うオイルは最高級のココバオイルがいいと思います。かぶれる人はまずいないので。それと……」
「なあに?」
「お願いします、お嬢様のお身体で練習させていただけませんか?エステの経験者じゃないと私の腕が鈍ってるか鈍ってないかわかりませんから」
「いいわよ。ベッキーのエステマッサージ、久しぶりね」
今、アンバーはベッキーの施術を受けてメロメロだ。やはりベッキーは腕がいい。身体も心もほぐれて眠ってしまいそうになる。眠っては施術を判定できないから寝るわけにはいかないのが残念だ。
「ベッキー」
「はい、お嬢様」
「最っ高だわ」
「安心いたしました」
全身ツヤツヤピカピカになり、くまなくほぐされ、心も身体もホカホカである。
熱い蒸しタオルで全身を軽く拭き取られ、ワンピースドレスに着替えてエレンとの待ち合わせの店に向かった。
「エレン。お待たせ」
「あらアンバー。お肌が艶々じゃないの。どうしたの?」
「今、エステマッサージを受けてきたから。今度、エステマッサージの店を出すのよ」
上品にお茶を飲んでいたエレンがカチャンと音を立ててカップを置いた。
「あら。その人は上手いの?」
「ええ。とっても。生きたまま天国を体験できるわよ」
エレンが口をキュッと引き結んだ。
「受けるわ、私も受けたい。肩こりが酷いのよ。どこに行けばいいの?」
「店舗を探してるところだから開店はまだ先なのよ」
「そんなぁ。美味しい匂いだけ嗅がせて食べさせないようなことしないでよ」
という経緯があって、今エレンは我が家にいる。我が家でベッキーのエステマッサージを受けているのだが、気持ちがいいらしい。正体不明のうめき声を出している。
「あーーー、最高ぉ」
「ね、ベッキーは上手いでしょ?」
「ずっと通うわ、ベッキーのお店に」
「ありがとうございます、エレン様」
ベッキーが笑顔で頭を下げた。
エレンは顧客一号になった。代金は今日は不要だと言ったけれど
「技術に敬意を表して支払いたい」
と言い張り、小銀貨五枚の代金を置いていった。
「ベッキー、これはあなたの分よ。お店を開けたらちゃんと私の分も貰うから、これはあなたが受け取って」
「ありがとうございます!助かります。娘が欲しがっていたぬいぐるみを買ってやれます」
「うんうん。それがいいわ」
幸先の良いスタートが切れた。
八月三十一日
それから一ヶ月後。
ベッキーのエステマッサージの店は繁盛している。アンバーが見込んだ通りに裕福な商人の妻たちが頻繁に通ってくれている。
日に五人まで、という完全予約制だが、予約表はギッシリ詰まっている。早く人を雇わなくては。
この手の店は一人の客に一人の施術者がかかりきりになるから良心的な値段設定だと従業員を何人か雇わないと利益が上がらない。少なくとも三人は雇おうと、すぐに斡旋業に求人の知らせを出した。
元夫のブランドンのおかげで私は自分の商才に気づくことができた。エレンの言うように学んで強くなったのかもしれない。今はもう、何をやっても楽しい。
「ねえアンバー。君はこのところずっと忙しそうだね」
「ええ、忙しいわよ?」
「お金は十分稼げているのにまだ仕事を増やすつもり?」
「そうね。やりたいことがまだまだあるの。クリスティアンはやりたいこと、ないの?」
「ある」
それが何なのか、教える気はないらしい。毎月彼に渡るお金は何に使われているのかもわからない。
(まあ、いいんだけど。彼は契約している婚約者だもの)
そう思うのだがふと手が空いたときにまた考えてしまう。
九月五日
料理長のコーディーが作っている惣菜の売れ行きをチェックしようと馬車で街を移動している時のこと。
荷物を抱えて歩いているクリスティアンを見かけた。
馬車から降りてクリスティアンに声をかけようとして思いとどまった。クリスティアンから少し離れて歩くどこかの屋敷の侍女らしい人がいたのだ。
(おや。どこへ行くのかしら)
個人的なことに首を突っ込むのは良くないと思いつつ二人の姿を目で追った。二人は住宅街の中の一軒に入って行った。
「ここって……」
その家は大きく立派で、裕福な商人か貴族の持ち物のようだった。二人はすんなりと入って行き、初めて来た感じではない。
(他の貴族の家で何をしているのかしら。……ううん、詮索はやめましょう。私が口出しすることではないわ)
頭ではわかっている。
なのになんとなく力が抜ける思いなのはなぜだろう。しっかりしろ、と自分を叱りつける。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
帰宅していたのでヘンリーが心配している。
「なんでもないわ。心配してくれてありがとう」
自分にはこの人たちがいる。そう思って昼間に見たことを考えないようにした。努力して忘れようとした。