7 エレン・エックルズ
クリスティアンを夜会の女性客たちに差し出して、アンバーはウェイターからワインのグラスを受け取り、少しずつ飲みながら会場を観察した。
(次のドレスのデザインは今の流行の逆がいいかしら。それとも今のを少しアレンジした方が受ける?)
今年は腰から下を膨らませ、上から何枚も薄い生地を重ねるスタイルが主流だ。その分上半身はピッタリと張り付かせるデザインだ。
(スタイルの良さが要求されるマーメイドラインはどうかしら。体の線が崩れつつある年齢には受けないか。色は?若い人は淡い色ばかり。中年女性は落ち着いた色が多いわね)
次に売り出すドレスのことを考えていて、その人が近寄って来るのに気づかなかった。
「アンバー、久しぶりね」
考え込んでいた目を声の方に向けると同じ女伯爵のエレン・エックルズだった。
エレンが夜会に出てくるのは珍しい。今夜は暗い茶色の髪をアップに結い上げ、目の色と同じ明るい茶色を基本にしたシンプルなドレスを着ていた。
「エレン。相変わらず若々しいわね」
「ありがとう。あなたこそすっかり綺麗になっちゃって。ゴミを捨てると女は美しくなるのね?今夜はあなたに会える気がして出てきたのよ」
「ゴミって。エレンたら」
エレン・エックルズはアンバーと同じ伯爵家の一人娘だが、断固政略結婚を嫌がり「私は文学の研究をしたい。無理やり結婚させるならこの家に火を放って自殺してやる!」と親を脅し、結婚しないで親戚から養子を取る許可を得たというとびきりの変わり者だ。
変わり者ではあったが、アンバーとエレンは気の合う友人だった。数少ない心を許した友と言える存在だ。
だが、アンバーが親の言いなりになって歳の離れた男との結婚を受け入れた時、エレンは
「なぜ自分の人生を投げ捨てるの?いつか後悔するわよ」
と静かに怒った。それ以来付き合いが途絶えていた。
「エレン。あなたの言う通りだったわ。私は自分の十一年間と財産を無駄にしたわ」
そう言うとエレンは
「ううん。無駄じゃなかったわ。あなたは強く賢くなって戻ってきたのよ。その顔を見ればわかるわ」
と言ってアンバーを抱きしめた。
エレンは抱きしめた手でアンバーの背中をポンポンと叩き、耳元で囁いた。
「おかえりなさい」
「ええ。ただいま」
「また二人でお茶を飲みながらおしゃべりしましょう」
「ええ、ぜひ。ありがとう」
「あら。あなたの美しい婚約者がやきもちを焼いてるみたいだわ」
そう言われて振り向くと、クリスティアンがこちらをジッと見つめていて、アンバーと目が合うとニッコリと微笑んだ。
「あらあら。なかなか美しいトロフィーじゃない。再婚するのよね?」
「しないわ。もう結婚なんてこりごりよ」
「そう?」
「ええ。今度詳しく話すけど、私、商才があったのよ」
エレンは目を大きくして「面白いことを聞いた」という顔でアンバーを抱きしめるのをやめた。
「とびきりの茶葉を用意して待ってるわ。おしゃべりしましょう」
「ええ。必ず行くわ」
その日の夜会はアンバーとクリスティアンが話題の中心だった。夫に財産を食い潰されて困窮しているらしいという噂は、二人の衣装とアクセサリーが払拭してくれた。
「金に目が眩んで何処の馬の骨ともわからない男と婚約した」と言う噂はクリスティアンの美しさと洗練された所作が吹き飛ばした。
帰りの馬車で快い疲れと解放感でアンバーはご機嫌だった。しかしクリスティアンは微かに眉を寄せている。
これが以前のアンバーで相手が夫なら「どうなさったの?何か嫌なことがありましたか?私、何か失敗しましたか?」とご機嫌をうかがうところだが、アンバーはもうそれはすまい、と思った。
もう、誰かのご機嫌うかがいはしたくない。
そんなことをしても見限られる時は見限られるのだから。
するとクリスティアンの方から口を開いた。
「僕はちゃんと役目を果たせたかな」
「ええ。完璧だったわ。あなたのおかげで面倒な噂も税金対策も、貴族たちとの繋がりも、全部済ませることができた。ありがとう。経済的に困窮してると思われると商売にも差し障りが出るから、色々助かったわ」
すると少し間を開けて、クリスティアンがおずおずと頼み事をしてきた。
「何もかも君に世話になっているのに言い出しにくいんだけど」
「何かしら」
「これから僕に毎月小金貨を一枚ずつくれないかな」
思わぬ頼み事にアンバーがクリスティアンの顔を見つめたまま驚いていると、彼の耳が赤くなった。
「厚かましすぎるだろうか」
アンバーは思わず微笑んでしまい、慌てて咳払いしてごまかした。
「失礼。たった一枚でいいの?と言うより、あなた今までうちの使用人の誰からもお金を貰ってなかったのね?」
「衣食住全て世話になっていたから必要なかった」
「そう。私の配慮が足りないばかりに気の毒なことをしたわ。もちろんお渡しするわ。気兼ねなく使えるお金は誰にだって必要だもの」
「助かるよ。ありがとう」
「どういたしまして」
馬車が屋敷に着いてすぐ、アンバーは執事のヘンリーに
「クリスティアンに毎月小金貨を十枚ずつ渡してあげて。私の婚約者を演じてくれるお礼よ」
と伝えた。
そして楽な服装に着替えると、すぐに執務室に入り、一度クリスティアンの名義になった商売のあれこれを全て自分の名義に書き換えた。明日には役所へ届けよう。
税金は高くなるが、これでもう国に対する隠し事が無くなったと思うと清々した。
その勢いを使って新しいエステの店の内装を考えた。ベッキーの荒れてガサガサになっていた手も、そろそろ柔らかくなっているだろう。
「まずはベッキーのお店を開かなくちゃね。繁盛させてみせるわ」