48 勝利の女神
九月十四日
クリスティアンは正装して王宮の庭にいる。王女殿下と一緒に王宮の庭を歩いていて、周囲には近衛騎士たちも距離を置いて付き添っていた。
スカーレット王女殿下の絵姿は順番待ちをしている他の貴族たちを飛び越えて描かれることになったが、貴族たちに不満はない。自分たちの絵姿を描いた画家は王族の絵姿を描いた画家だと言う方が自慢になる。
スカーレット王女は大人びた印象の気の強い少女だったが、乗馬服を着て馬と触れ合う時は年相応の愛らしい顔になった。
すらりと伸びた細く長い脚、艶々の髪をなびかせて馬を走らせる姿は実に魅力的だとクリスティアンは思った。
「で、あなたはどんな私を描いてくれるの?」
「乗馬なさってるところがよろしいかと」
「ええ?庭の花と私の方が華やかじゃない?」
「殿下はご自身が華やかでいらっしゃいますから。乗馬姿の方がドレス姿より殿下の魅力が伝わるかと。それに、深い緑色の乗馬服は殿下の美しい瞳と髪の色をいっそう引き立てているように思いました」
普段からコンプレックスにしている地味な髪と瞳の色が引き立つと聞いてスカーレットは浮き立った。
「そ、そう?それなら乗馬姿がいいかもしれないわね」
「かしこまりました」
翌日クリスティアンが持ってきた下絵を見て、スカーレット王女はしばし無言になった。
色はついていないが馬を走らせる自分が思わず、といったふうに微笑んでいた。躍動する馬の上で長い髪をなびかせている自分は内側から輝いているし、実に楽しそうだ。
「私、こんな顔をしていたの?」
「はい。実にお美しい表情でした」
美しすぎるクリスティアンに言われると少々面映い。
「そう。仕上がりが楽しみだわ。これ、婚約している殿下に送るつもりなの」
「きっと……いえ、なんでもありません」
惚れ直されますね、と言いかけて(不敬か?)と言葉をのみ込んだクリスティアンをスカーレット王女が問い詰めた。
「気になるから最後までおっしゃい」
「……きっと殿下は王女殿下に惚れ直されるのではと思いました。大変失礼なことを申し上げました」
「惚れ直す。初めて聞く言葉だわ。王子様は絵姿で見る限り、気難しそうな方に見えるの。乗馬姿を送っても、はしたないとお思いにならないかしら」
「乗馬中の殿下のお姿は美しくこそあれ、はしたなさなど微塵もありません。それと、先程の言葉は下賤な言葉ですのでどうかお忘れください。絵の内容がどうしてもご心配でしたらドレスで花を持っている方にいたしますが」
「……ううん。この絵、私が気に入ったわ。やっぱりこれでお願いするわ。普通の絵姿の大きさではなくて肖像画の大きさにしてくれる?」
「かしこまりました」
その日からクリスティアンはスカーレット王女の絵に集中して取り組んだ。絵姿ではなく肖像画で、晩夏の濃い青空と王城の白を背景にして栗毛の馬を走らせるスカーレット王女は明るい茶色の髪を長くなびかせて馬を走らせながら微笑んでいる。
「勝利の女神みたい」
絵を見たアンバーがそう言うと、クリスティアンは「いいね。絵の裏にその言葉を書き添えよう」と言い出した。
「いえ、それはどうなの?不敬にならない?」
「大丈夫だと思うよ」
これは常識に詳しいヘンリーとエレンに聞いてみなくては、とアンバーは慌てる。
十月十六日
スカーレット王女の肖像画が完成して、王宮に持ち込まれた。王女は大満足である。
「やっぱりあなたに頼んで良かったわ。ありがとう。早速殿下に送らなくては」
「光栄でございます」
同行し、控室で待つ画商のチャールズ・コナハンは終始笑顔だ。自分の目に狂いがなかったことが実証されたからだ。王女と一緒にいるクリスティアンも感無量だ。
十代の頃の記憶が甦る。
軟弱者、役立たず、絵筆など捨てろと言われ続けたあの頃の自分に今の自分を見せて励ましてやりたかった。頑張れ、くじけるな、と。
模擬剣で殴られる時も絵が描けなくなっては困ると思ってひたすら手指をかばい、それがまた殴られる理由になったけれど、絵を諦めなくてよかった、と心から思った。
クリスティアンが退室してからマーゴット王妃も絵を見に来た。そして絵の裏に書かれた「勝利の女神」の言葉に気づいて「確かに。国を勝利に導く女神みたいね」と満足げだった。
その夜。
いつもなら就寝する時間にクリスティアンがアンバーの部屋を訪れた。アンバーはデザイン帳と睨めっこしていたが、クリスティアンを招き入れて長椅子に二人で並んで座った。
「お疲れ様。これからは順番待ちをしている貴族の絵を描くんでしょう?」
「うん、そうだね」
「おめでとう。あなたはもう有名な画家ね」
するとクリスティアンはするりと椅子から立ち上がり、アンバーの前で片膝を立て、指輪の入った小箱を差し出した。
「アンバー。僕を助けてくれて励ましてくれてありがとう。やっと君の隣に立てるようになった。僕たちの婚約は君を窮地から救うための仮初のものだったけど、今度は本当に僕と結婚してください」
アンバーは小箱の中で煌めくアメジストの指輪を見て唇を噛んだ。唇を噛んでいないと大泣きしそうだった。
「私のこと、愛してくれているのね?」
「もう既に。ずっと前から愛していた。本当なら君を腕の中に閉じ込めて誰にも見せたくないくらいだ。絶対に誰にも取られたくないから、さっさと結婚して僕だけのものにしたい」
アンバーはクリスティアンの首に腕を回してついに泣き出してしまった。
「ありがとう」を繰り返して子供のように泣いているアンバーをクリスティアンが抱きしめて、やさしく背中をさすって落ち着かせた。
「君は僕の女神だよ。今までも、これからも。僕だけの女神だ」






