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30 クリスティアンの過去(1)

 夜遅く、日付が変わる直前にクリスティアンがアンバーの部屋をノックした。


「どうぞ」

「アンバー。遅くなってごめん。マシューは?」

「彼はあのあと仕事に戻ったわ。彼からは何も聞いてない。あなたから聞くべきだと言って譲らなくてね。マシューはバーをまとめている責任者になってもらっているの」

「そうか」



 アンバーはソファーに座りクリスティアンには向かいの席を勧めた。クリスティアンはなぜかその椅子には座らずにアンバーの隣に腰を下ろした。


「その、何から話せばいいか。とっ散らかった話になるかもしれないけれど、聞いてくれる?」

「ええ」


 クリスティアンは背もたれに背中を預けて天井を眺めながら話を始めた。長い金髪がひと筋顔の脇に落ちていて、なんとも色気が漂っている。


「十五歳までの僕の本名はカーティス・エインズワース・ライトウェル。ライトウェル辺境伯家の長男だった」


「!!!」


 育ちの良い貴族だろうとは思っていたけど、次男か三男、もしかしたら庶子かと思っていた。よりによって強大な武力と確固たる自治権を持つ辺境伯?しかも長男?なんで?なんで平民だと?


「驚くよね。僕はずっと辺境伯になるための教育を受けて育った。十五歳までは自分でも辺境伯になるのが当たり前だと思っていた。絵を描くのが好きだったけど、両親は僕が絵を描くのを嫌がっていたよ。そんな暇があるなら剣の腕を上げろ、という考えだった」


「僕が十五歳の時、今までのダンスの先生が高齢を理由に引退して、新しい先生が雇われた。三十歳の女性で、物静かな人。夫を戦争で失って生活のためにマナー講師やダンス講師をしていたんだ」


「先生の年齢と人柄から両親は安心して僕を任せた。でも……僕はその先生に夢中になった。女性として好きになったんだ。知的で温厚で物静かな人で、ダンスをするたびに僕は彼女の虜になっていった」


「先生はきっと、僕の気持ちに気づいたんだと思う。早いうちに手を打たなければ彼女は職を失うと思ったはずだ。ある日、わかりやすく僕に釘を刺した。『私は死ぬまで夫しか愛さない。自分が死んだら夫の残した絵を一緒に棺に入れてもらうのが楽しみで生きている』って微笑みながら言ったんだ」


「僕は初恋に溺れている最中の子供だったから、その言葉を聞き流して先生の夫の絵を見せて欲しいとねだった。先生は快諾してくれて、次のダンスレッスンの時にたくさんの絵を持ってきてくれた。それを見て雷に打たれたようなショックを受けたんだ」


「絵は素晴らしいものだった。何よりも亡くなった旦那さんの絵の中で、彼女は緩やかに笑ったり描き手を熱い眼差しで見つめたりしていた。僕には絶対に見せない顔の先生が描かれていた。『ああ、敵わない。今の僕では絵でも男としても絶対に敵わない』と、思った」


「先生は一年の契約を終えても契約を更新しなかった。僕には何も告げずにどこかへ引っ越してしまったんだ。『自分のせいだ』とすぐわかった。自分が好意を示したせいで、先生は割りの良い仕事を辞めて遠くへ引っ越さなければならなかったんだと」


「僕は先生も先生の旦那さんの描いた絵も忘れられなくて。ひたすら絵を描き続けた。剣術の稽古はおざなりになり、少しずつ腕が落ちていくのが自分でもわかった」


「ある日、父に鍛錬場に呼び出された。模擬剣を渡されて打ち合いをさせられた。自主練習を減らして絵を描き続けていた僕が相手になるはずもなくて、何度も何度も転がされ、最後はうずくまっているところを模擬剣で散々に打ちのめされた」


「父は僕が剣術に集中できていないことに怒っていたんだと思う。ある日、文字通り歩けなくなるまで相手をさせられて、四つん這いになって自分の部屋に戻ったら、絵の具も筆も描き溜めた絵も、全てなかった。何かを燃やしている煙が上がっていたことに気付いて、焼却場に急いだ。先生を描いたものも何もかも、僕の絵が全て燃えていたよ」


「父は目を覚まさない僕に腹を立てて、どんどん厳しい訓練を課すようになった。肋骨が何度も折れた。腕も二度。お前のような役立たずは死んでしまえと罵りながら剣を打ち込む父に、本当にいつか殺されると思った。今ならわかる。あれは訓練ではなかったよ。父は思い通りにならない僕に訓練という名の暴力をふるい続けていたんだ」


「その後、僕は絵を描くのをやめて表面は従順な長男に戻った。僕にはすぐに婚約者が選ばれて、顔合わせの翌日には婚約が成立していた。僕より三つ年下の令嬢と、この先ずっと生きていくことがもう決定済みだった。絵を描けない日々は、ただひたすら自分の人生の持ち時間を地面に垂れ流しているのと同じだった。生きている意味がないと思った」


「僕は真面目な長男を演じながら監視の目が緩む時を待った。そして十六歳の社交界デビューの直前に家を逃げ出した」


「両親に手紙を書いた。辺境伯に向いていないし、なりたくもないから自分を廃嫡してくれ、婚約者と結婚する気も全くないから婚約は白紙に戻してくれと。そして夜中に家を逃げ出して先生を探した。手がかりが全く無かったからなかなか見つからなかったけど、家を出て七年後にやっと王都の救貧院で痩せ衰えた先生を見つけたんだ」


「だけど七年ぶりに再会した先生は腹部に腫瘤ができていて、余命は長くないのだと救貧院の医者に言われたよ。先生はそれまでの蓄えが底をついて救貧院に入ったそうだ。僕は毎日救貧院に通って看病した。だけど先生は僕と一切喋らなかった」


「再会してひと月もたたないうちに先生は歩けなくなって、酷い痛みに苦しむだけの生活になった。でもある日、先生は妙に元気で、僕に遺言をするからちゃんと聞いて頭に刻み込め、って言い出した」



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