28 バーの支配人
一月四日
新年のお休みが終わり、朝、クリスティアンがヒューズ伯爵家に向かった。
「絵が完成したらぜひ君に見てほしい」
と言って見つめた目の奥に、まぎれもなく熱が灯っているように見えた。
「ええ。見に行くわ」
そう答えたが、できれば二人だけで見たい。他の人の前では恥ずかしい。その絵のことを考えると『女神は裸ではない』というクリスティアンの言葉が頭の中をぐるぐる回るのだ。
クリスティアンを見送ってすぐ、アンバーは午前中にコニーを連れて書店用に買い取った店舗を見に来た。コニーは記録帳を片手に店内を見回している。
「思いの外中は広いんですね」
「入口から想像するよりはね」
「どんな本屋さんになさるのですか」
「そこを決めかねているの。まずは本棚の注文と、壁のペンキ塗り、控室の水回りの修繕を発注しなきゃ」
「かしこまりました」
コニーが素早くメモを取る。
個性のある本屋にしたい。
クリスティアンの絵本だけでなく、多くの子供たちにも読んでもらえるような手頃な値段の絵本を並べたい。絵本専門店にしようかと考えている。
市中で売られている絵本はどれも値が張る。あれでは文字を覚えてほしい層の人たちに買ってもらえない。
裕福ではない人にも我が子のために本を買ってほしい。同時にそれなりの値段の美しい絵本のコーナーも設けたい。
思いついたことをどんどん書き留めてもらい、そのままフラワーズドレスショップ五店舗を周る。
夕方に屋敷に帰ってお茶を飲む頃にはコニーはヘトヘトの様子だった。
「あんなにたくさんのお仕事をアンバー様お一人でこなしていたんですね」
「それぞれの責任者を置くべきなの。ただ、人に任せるのが怖いのよ」
「怖い、ですか?」
「ええ」
コニーはアンバーの離婚の経緯を知らない。人に財産を任せることが不安な自分の気持ちをどう伝えたものか迷って言葉が見つからず、そのまま口を閉じた。
そこにヘンリーがやってきた。
「お嬢様、エレン様がいらっしゃってます」
「あら。ここへ案内してくれる?」
「アンバー、いきなり来てごめんなさいね。近くを通ったものだから。こちらは?」
「コニーよ。私の秘書をお願いしているの。それとあなたはいいのよ。いつでも来てよ」
コニーは品よく挨拶のポーズをとった。
「コニーと申します」
「頑張ってね。この人、仕事の鬼だから大変でしょうけど。そうそう、あの絵本の印刷がもうすぐ始まるわ」
「順調ね。書店の開業も急がなきゃ。エレン、あなたお金に関して信用できる人、知らない?男性で経理ができて、ある程度は腕っぷしが強い人。バーの管理が一括して任せられる人を探しているの」
バーが有名になるにつれて以前のおとなしい客たちだけでなくなっていた。金回りの良い少々柄の悪い客も来るようになっていて対応に苦慮しているのだ。
しばらく考えてエレンは
「一人いるわ。二十四歳で身元は保証する。私の従兄弟で子爵家の次男よ。親の名誉を傷つけるようなことはしないと思う。でも……」
と声が尻つぼみになった。
エレンはブランドンのことを思い出したのだろう。
「人は思いがけないことをするものね。どうする?一度会ってみる?」
「そうね。本人にその気があるかどうかまずは聞いてみてくれる?」
「わかったわ」
一月八日
朝食と昼食の間にエレンの従兄弟、マシュー・エックルズがやって来た。腕っぷしの強さは間違いない、とエレンが言っていた通り、縦にも横にも大柄な人だった。
「はじめまして。マシュー・エックルズです。エレンに頑張って売り込んでこい、と言われています」
赤毛を短く刈り込んだマシューは日に焼けていて笑顔が似合う陽気な人だった。軍人みたいだと思ったら「王国軍に七年在籍していた」という。
「どうして退職したのか聞いてもいいかしら。無理にとは言わないけれど」
「自慢できる理由ではないです。上位貴族の上官を殴りました。軍人なのに家柄にこだわる人で、平民の部下をいじめるのがあまりに酷くて見過ごせませんでした。ある日、このままだと俺の部下が大怪我するか下手すると死ぬかだと思って止めたんです。でもやめてくれなかったので、思い切りぶん殴って止めました。それで退職です」
「なるほど。今は何かお仕事をなさっているの?」
「いいえ。親が平民に雇われることを許さないのです。いずれどこかの家に婿入りさせられるはずです。ですが、できればそれは避けたい。経済的に自立したいんです」
「私が求めるのは客同士のトラブルを止めること、従業員を守ること、酒類の仕入れと在庫管理。現金の管理。大丈夫かしら」
「帳簿管理は親に鍛えられています。力仕事は問題ありません」
アンバーがチラリとヘンリーを見ると、ヘンリーは小さくうなずいた。ヘンリーのお眼鏡にはかなったらしい。
「三ヶ月の試用期間を設けたいのですが、それは大丈夫かしら。本採用は三ヶ月後に決めたいの」
マシューの顔がパッと輝いた。
「ありがとうございます。誠心誠意働きます!」
マシューが立ち上がってアンバーの両手をガシッと包んでブンブンと振った。
「ンンッ!」
すぐにヘンリーが咳払いをした。
「あっ、申し訳ありません。嬉しくてつい」
「いいんですよ。夜の仕事になりますので体調管理に気をつけて。いつから働けますか?」
「今夜から」
すかさず返答するマシューにアンバーはにっこり微笑んだ。
「ヘンリー、急いでマシューに服を用意してあげて。バーの支配人に相応しいものをお願いね」
「かしこまりました」
「マシュー、今夜は一号店へ。日替わりで順番に店を回ってほしいの。他の店でトラブルがあった時にあなたの居場所がわかるようにしておきたいから」
「了解です」
その夜からマシューは全部のバーの支配人になった。
後日、バーの従業員たちに聞くと『マシューが店にいるだけで問題を起こす客もおとなしくなる』という。
「強そうなのに帳簿もできるなんて、すごいですよね」
「コニー、あなたにもいずれフラワーズの経理を任せたいと思っているのよ。帳簿の付け方を学んでくれると嬉しいわ」
「私が帳簿も任せてもらえるなんて」
コニーは『はわわわ』と喜びながら慌てている。
「あなたの人生の選択肢がひとつでも多くなるように、身につけられる知識はどんどん学んでね」






