2 アンバーの才能
普段は夜会に使われる大広間にたくさんのテーブルと椅子が並び、料理人たちが張り切って作った料理の数々が並べられた。侍女も厩番も庭師も料理人も洗濯係も全員がそれなりにこざっぱりした服装で座っている。
パン!と手を鳴らして皆の顔をこちらに向けさせた。
「みんなも知っている通り、今朝ブランドンが侍女のキャシーと出て行きました。よって、今日は新しいオルブライト家の始まりの日です。長い間、みんなには苦労をかけました。お疲れ様」
あちこちで使用人が小さくうなずく。
「さあ、ワインも蒸留酒も好きなだけ飲みなさい。料理も食べられるだけ食べなさい。では、新しいオルブライト家を祝って、乾杯!」
「乾杯!」
そこからしばらくはみんな食べることに集中していた。アンバーも赤ワインを飲み、肉を噛み、甘い焼き菓子を食べた。
「はぁぁ。美味しいわ!コーディー!あなたの料理は最高ね!」
「ありがとうございます!最高の肉と最高のバターを好きなだけ使わせてもらいました。最高の味になりましたよ」
男たちは肉料理にかぶりつき、女たちは普段は食べられない菓子類に群がっていた。
「奥様、長い間のご苦労、よくぞ今まで……。わたくし、胸がいっぱいでございます」
侍女頭のマーサがエプロンの裾で涙を拭いた。
「マーサ。あなたにも随分と苦労をかけました。でも、これでやっと我が家は本来の姿に戻れます」
その夜、使用人たちはおなかいっぱい食べ、飲めなくなるまで飲み、歌い、踊り、夜遅くまで祝った。
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侯爵家の三男であるブランドンと縁組をする際、相手の侯爵家からの条件はひとつだけだった。
「オルブライト家の財政管理はブランドンが行うこと」
オルブライト伯爵家は代々の当主が資産運用に成功していたことで、伯爵家としては破格の財産を保有していた。よほどの浪費をしない限り何の心配も無かったし、ブランドンは浪費をしないと誓った通り、自身に関して浪費はしなかった。
だが、ブランドンには全く、ひとかけらも、資産運用の才能が無かった。
まずは、ちゃんと調べれば書類上とは違って息絶え絶えの業績だとわかる商会に投資し、商会の破産と同時に大金を失った。
次は流行に乗って異国の絹織物に手を出し、文字通り山のように絹織物を輸入したが、エキゾチックな柄は既に流行のピークを過ぎていてほとんど売れなかった。
常に時代の流れを読み間違えるブランドンのおかげで、代々の伯爵が蓄えてきた財産は五年で半分以下になった。この間に両親が流行病で相次いで亡くなったのは悲しかったが、領地に引っ込んでいて現在の状態を知らずに済んだのは不幸中の幸いだったと思う。
「奥様。このままではオルブライト家は破産します」
結婚から五年目に執事のヘンリーにそう告げられた時、アンバーは全く驚かなかった。ヘンリーは全てをアンバーに報告してくれていた。アンバーは帳簿を自分なりにつけていて、恐ろしい勢いでオルブライト家の財産が減って行くのを把握していた。
夫のブランドンは百を失ったら二百を注ぎ込んだ。千を失えば三千を注ぎ込んだ。損を取り返すつもりで被害を大きくし続けた。
オルブライト家には当時数十人の使用人がいた。彼らに食べさせ、着させ、賃金を払わねばならない。病気をすれば診察代と薬代が必要になる。
アンバーとブランドンは伯爵家としての品格を保持するために衣服も靴も必要になる。それができなくなったら王都の土地と屋敷は売却しなければならない。世間の信用を失った貴族がもう一度財産を築いて這い上がるのはとても難しい。
ブランドンを止めることは結婚の条件を反故にすることだ。離婚したいとは思っていなかったアンバーは夫を止める勇気がなかった。そこでアンバーは自分でお金を稼ぐことにした。
なのでまず手始めにアンバーは王都で平民用のブティックを一軒開いた。
侍女たちに命じてドレスを縫わせ、自分はデザインと刺繍を担当した。店の名は女性たちが花開くように美しくなることを願って『フラワーズ』と名付けた。
平民用だけれど貴族の流行を取り入れたデザインで生地は丈夫で洗濯に耐える物。レディメイドとしてサイズ調整をしてから売った。
次に接客の出来そうな料理人には執事がマナーを教えてバーを担当させた。
六人も入ればいっぱいになるカウンターだけの狭い店で、料理人は高級な酒のグラス売りと屋敷の料理人が持たせた美味しい酒の肴を少量ずつ出して舌の肥えている客に喜ばれた。夜の五時間だけの店は思いの外確実な利益を生んだ。
バーが夜しか使われないのを利用して、昼間に料理人たちが作った料理を惣菜として売った。惣菜の売り子は侍女たちが交代でこなした。
今思えば使用人たちは主人に見切りをつけて逃げ出すこともできたはずだ。よくぞ耐えて働いてくれたものだ。
素人では作れない味、手間と時間のかかる惣菜は歓迎されて、惣菜屋も数を増やした。
やがてアンバーたちの商売はどれも軌道に乗り、人を雇って任せられるようになった。
指導監督に顔は出すものの、眠る時間を削ってまで副業に精を出す必要はなくなった。店舗は順調に増えた。
もちろん夫には自分たちの商売は秘密にしていたし、そこから上がる利益も知らせることはなかった。知らせればそこからまた夫がドブに捨てるからだ。
アンバーは農作物の取り引きも始めた。
遠くの他領で小麦が豊作と聞けば人をやって買い付けた。安く買った小麦は粉にして袋詰めしてから王都で売り出した。安くて品質の良い小麦粉は飛ぶように売れた。
日持ちする小麦や豆、根菜類などを積極的に農民から買い、地続きの隣国に売ったりもした。
どうやらアンバーは商売の才能を父や祖父から受け継いでいたようだった。
副業からの収入の桁が次第に上がっていった。
最初こそ夫が失う額に比べたらアンバーと使用人たちが稼ぐ金額は少なくて焼け石に水だったが、少しずつ着実に利益が増えた。
一方、ブランドンが管理する伯爵家の資産は不動産を除いて底を尽きかけていた。にっちもさっちも行かなくなったのが確定してから彼は出て行ったのだ。