19 コニーの闘い(3)
十二月二十二日
コニーの父親チャールズ・ハクサム子爵はオルブライト女伯爵を前にして「我が子を返してほしい」と熱弁していた。
汗をかいて話し続ける自分を、貴族らしい曖昧な微笑みを浮かべて女伯爵は眺めている。話を聞いているのだろうが、彼女は相槌を打つでもなくうなずくでもなく黙って聞いている。
「というわけで、すぐに娘を返していただきたい。あの子は世間知らずな上に反抗期なのです」
しばしの沈黙があってから伯爵は口を開いた。
「コニーが反抗期?どんな反抗をしたのでしょう」
「それは、その、食事の時間にも部屋から出てきませんし、本ばかり読んで学園にも行きたがりませんでしたし」
伯爵は片方の眉を上げた。
「それ、本人の口から直接聞いたのですか?」
「……いや、妻と次女からですが」
「まあ……。で、子爵がおっしゃりたいことはそれで全てですか?」
「ええ、そうです」
「では私からもお話しさせていただきましょう」
伯爵は子爵の前に一枚の紙を滑らせるようにして置くと、上から順に読み上げた。その文字はおそらく娘の字だ。
『身に覚えのないことで叱責され、食事を半減されるのが頻繁だったこと、服を買ってもらえずコートのボタンも閉められないほど小さいものを使っていたこと、妹が通う学園に自分も行きたいと何度も懇願したが母親に行く必要がないと言われたこと、妹だけ外出に連れて行かれて自分はいつも留守番だったこと』
その他にも驚くような内容がたくさん書かれている。
「これは、こんなことはあの子の嘘です!妻と次女が実の娘や姉にそんなことをするわけがない!あなたはあの子に騙されているんですよ!」
すると伯爵はドアの方を向いて「入ってらっしゃい」と声をかけた。
入ってきたのはコニーだが、子爵は一瞬誰かと思った。いつも下を向いて人の目を見ないコニーが真っ直ぐ父親の自分を見て堂々と歩いているからだ。
「お父様、わざわざおいでくださってありがとうございます。でもわたくしはあの家には帰りません。もう、母と妹に見下され、いたぶられながら生きるのはうんざりなんです」
「いたぶるだと!お前はなんてことを!」
「コニー、ここに」
伯爵が自分の隣の椅子を指さした。
「子爵はこの子が嘘をついているとおっしゃいますが、私は見ましたよ。この冬の最中に薄い春物のサイズの合わない古びたコートを着て、母親と妹の鞄を持たされて後ろからついて歩くコニーを」
「そ、それはきっと……」
理由が咄嗟には思い付かない。
「コニー、手を出してごらんなさい」
なぜか白い手袋をしていたコニーが静かに手袋を外して卓上に並べて手を置いた。
その娘の手を見てチャールズは驚いた。酷いあかぎれだらけの手は薬を塗られているが、あちこちの指の関節からは血が滲んでいる。
「下の娘さんの手はこんなでした?」
チャールズは次女の手を「小さくて可愛い」と毎日のように撫でさすっている。次女の手は滑らかで真っ白だ。
「うちの使用人ですらここまであかぎれの酷い者はいませんよ。どれだけの水仕事をこの子にさせたのかしら。そしてあなたの家の使用人はそれを主人に報告することすらしていないのね。なぜ言わなかったか、理由は想像がつきますけどね」
チャールズは愕然としていた。コニーは家族を嫌って引きこもっていたのではないのか、それなら妻や次女の言葉は嘘だったのか、自分は妻に欺かれていたのか。頭の中が真っ白になった。
「全ての親が間違いを犯さないとは言いません。でも子爵、この子は十六歳になるまでの人生の大半を苦しんだんですよ。もうそろそろ彼女を自由にしてあげたらいかが?もう成人ですしね」
「ですがっ!」
「十年以上も実の娘の苦悩に気づかなかったあなたに、何の罪もないとでも?下のお嬢さんが笑って暮らしている時に、コニーは一人ぼっちの部屋で耐えていたんですよ。コニーの笑顔を最後に見たのはいつ?」
この子が笑っているところ……思い出せないことに慌てる。いつも下を向いて暗い顔をしていたことしか記憶にない。
「この子は私が面倒を見ます。人に何か聞かれたら行儀見習いに出したと言えばいいわ」
そこでコニーがはっきりとした声で言葉を挟んだ。
「お父様、私はあの家には帰りません。私は学園に通いたかったし、ひもじくて眠れない夜が数えきれないほどありました。みんなで出かけている時に一人家の中で惨めな思いに沈んでいることなど、どれだけあったか。あの家に戻るくらいなら、死んだ方がましです。いえ、あの家で暮らすことは死んでいるのと同じです」
「コニー……」
「子爵、そんなことは無いと信じていますが、万が一にもコニーや私のことで事実ではないことが世間に広まるようなら、私もオルブライト家とコニーを守るために徹底的に戦いますよ。『事実』を社交界に広めます。幸い、伯爵として社交界に知り合いは多いので。下の娘さんは来年デビューでしたわね?可愛い下の娘さんに肩身の狭い思いをさせたくはないでしょう?」
チャールズは言い返せず、黙って立ち上がると部屋を出ようとした。その後ろ姿にコニーが声をかけた。
「お父様、私をこの世に送り出してくれたことだけは、あなたとあの人に感謝しております。どうぞお元気で。さようなら」
チャールズは娘を見た。
この子はこんな強い声を出せたのだと、初めて知った。
ドアが閉まったのを確かめてアンバーはコニーを抱きしめた。
「幸せになりなさい。私が力を貸してあげる。あなたが幸せになって笑って暮らすことが、あなたを苦しめた人たちにとって一番の罰になるわ」
「ありがとうございます、伯爵様」
緊張と恐怖で震えている薄い身体をアンバーは強く強く抱きしめた。そのアンバーも震えていた。
『大人しく、従順であれ。そうでないと愛されない』と言われ続けて育ったアンバーは、年上の人に逆らったことがない。二十七年の人生で初めて喧嘩を売るような物言いをしたのだった。
そのあと二人は甘いお菓子を食べながら互いの勇気を称えた。