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10 小人の冒険

 九月十七日


 アンバーの前でライラはモジモジしていた。

 ライラは屋敷の使用人たちには慣れているのだが、女伯爵様は背が高く黒髪で少し怖いのだ。母親のベッキーからは「失礼な態度を取らないように」と言われているが、失礼な態度がどんなことなのかもわからない。


「こんにちはライラ。あなた、うちで働いていたそうね。何をして働いていたの?」

「こんにちは伯爵様。んーと、お庭の落ち葉を拾ってました。あとは野菜くずをお庭の穴に運んで捨てていました」

「そう。ありがとう。偉かったわね。今日はライラに絵本を読んであげたいんだけど、いいかしら?」


 ライラは首をかしげた。

 絵本とはなんだろう、絵本というものを見たことがない、と思ったのだ。


 アンバーは自分が子供の頃に繰り返し読んだ絵本を手に取ると、ライラを手招きして自分の膝に座らせた。ライラは母親の膝で髪を梳かしてもらい結んでもらうのが日課だったので少しためらってからアンバーの膝に乗った。


(伯爵様、いい匂い)


 母とは違ういい香りにうっとりする。


「この絵本はね、私が子供の頃に大好きだったものなの」

「伯爵様が読んだの?」

「乳母が私に読んでくれたのよ。一人で読めるようになってからは繰り返し自分で読んだわ。さあ、読みましょうね」


 その絵本は「小人の冒険」というタイトルで、秋のある日、小人の国で暮らしていた男の子が渡り鳥に乗って遊んでいたところ、渡りが始まってしまう。そして遠い南の国まで運ばれてしまう話だった。小人は見知らぬ南の国で冒険をしながら生き延びて、春になってまた渡り鳥にまたがって元の国に戻ってくる、というストーリーだった。


 絵本は色刷りの版画の絵がたっぷり載せられていて、ライラはアンバーの膝の上にいることを忘れて夢中になって話を聞き、絵を見つめていた。





「おしまい。どうだった?」

「とっても面白いです!私も遠くの国に冒険に行ってみたい!」

「そう。ライラ、一人で読めるようになったら、この絵本はあなたにプレゼントしましょう」

「わぁぁ。本当に?」

「本当よ。約束するわ。字を読めるように少しずつお勉強できるかしら」

「できます!」

「じゃあ、明日からは仕事はしなくてもいいから字の読み書きの勉強をしましょうね」

「はい!」


 五歳のライラは翌日からアンバーの指導で文字を読み、書く練習を始めた。

 初めてする文字の勉強は楽しくて、お昼時に使用人食堂の隅でも夢中になって練習した。


 それを使用人食堂でサンドイッチを食べていたクリスティアンが目に留めた。

 クリスティアンは婚約者となった今も、気が向けば使用人たちと食事をする。




「やあライラ、字の練習かい?」

「うん!伯爵様が教えてくれるの」

「へえ。そうなの?」

「読み書きができるようになったら、絵本をくれるって約束してくれたの!」

「そうか。どんな絵本?」

「小人の男の子!鳥の背中に乗るの!」

「ああ、あれか」


 そう言うとクリスティアンは台所の壁に紐で綴じてぶら下げてある書き損じの紙とペンを持って来て、ライラの目の前でサラサラと鴨の背中にまたがる小人の男の子を描いた。


「わあ!すごい!上手!」


 クリスティアンは更に絵に線を描き足して「小人」「鳥」「翼」「頭」「くちばし」「靴」などの言葉を書き添えた。ライラは大喜びした。


「これはこびとって読むの?」

「そうだよ」

「これは、つばさ?」

「そう」


 たちまちにしてライラは六つの言葉を読めるようになった。


「お勉強ばかりも良くないよ。僕と一緒にお散歩もしようか」

「うん!」


 こうしてライラの勉強に散歩しながら言葉遊びをする習慣も加わった。

 クリスティアンは歩きながらいろんな物を指差しては子供向けの物語に出てくるような言葉を教えた。ライラは砂地が水を吸い込むように新しい言葉を覚えた。


 クリスティアンが書き損じの紙に描く物語の絵カードは毎日一枚ずつライラの物になった。ライラは宝物として大切に大切に紙箱に入れて、毎晩それらを取り出しては飽きずに眺めていた。




 九月二十七日



「ねえヘンリー。ライラはとんでもない秀才かもしれないわ。すごい早さで文字を読み書きできるようになっているの」

「そのようですね」

「あら、知ってたの?」

「クリスティアン様が毎日教えてるのを見てますから」

「えっ?」


 そこで初めてアンバーはクリスティアンとライラが遊びながら言葉の勉強をしていることを知った。


「クリスティアン様はたいそう絵がお上手ですね」

「そうなの?」

「はい。わたくしも最初に見たときは驚きました」

「ふうん」


 アンバーは少々面白くなかった。

 ライラと過ごす時間がとても心満たされるものだっただけに、クリスティアンもライラと楽しく過ごしていたことが、なんだかライラを横取りされたように感じるのだ。


(大人げない。こんな感情が私の中にあるなんて)


 そう苦笑したが、クリスティアンが描いた絵は自分も見てみたい。

 そこで翌日、ライラに頼んでみた。


「ねえライラ、クリスティアンに描いてもらった絵を、私にも見せてくれる?」

「はい!すごく上手です!今持ってきます!」


 ライラは駆け出して部屋を出ていき、すぐに紙箱を抱えて戻ってきた。


「はい!どうぞ」

「ありがとう。見せてもらうわね」


 紙箱を開けて中を覗いたアンバーは、一瞬息が止まった。

 書き損じの紙の裏にペンで走り書きされた絵は、どれも素人の域を大きく超えていた。

 鳥は力強く羽ばたいていたし、小人の少年は生き生きと木によじ登り、岩に腰掛け、大きな果実にかぶりついていた。

 

 小人を襲う猫は大きく恐ろしく、水面で跳ねる魚は力強い。木の葉から滴り落ちる水滴はキラキラと光を反射していた。シンプルな線画なのに胸を打つ絵だった。


「これは……」


 アンバーは小さな紙の束を手にしたまま、動けなかった。

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