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1 夫が侍女と出て行きました

 輝王歴六百四十五年四月二日


 婿養子の夫が侍女を連れて出て行った。四十一歳の夫の相手は十八歳の侍女だ。どこに行ったかは知らない。ずいぶん早めの余生を侍女との愛を育んで過ごすことにしたそうだ。


 アンバー・オルブライトは十六歳で夫と結婚して十一年。二十七歳にして独り身になった。


 夫は真実の愛さえあれば何もいらないと言うのかと思いきや、『当座の生活費は誰だって必要だ』とぬかして結構な額の我が家のお金を持って行った。


 使用人たちは私を気遣っているのだろうか。誰も私の部屋に寄り付かない。


「ヘンリー!」

「はい奥様」


 執事はドアの外に待機していたのか、素早く部屋に入って来た。


「古物商を呼んでちょうだい」

「古物商でございますか?何か売るのですか?」

「そうよ。ブランドンの物は全て売り払うわ。靴下の一足だってこの家には置いておきたくないの」

「かしこまりました」


「呼んだらすぐに貴族籍管理局へ行って『ブランドンが侍女と出て行ったので離婚の手続きをします』とあたりの人に聞こえるようにはっきり告げて書類を貰ってきて」

「かしこまりました」

「ブランドンの実家にも正確な情報を伝えて」

「はい奥様」


 どうせ噂になるなら本当のことを知らしめないと。


 座っていたソファーから立ち上がり、侍女頭を呼んだ。


「マーサ!」

「はい奥様」

「湯浴みをするわ。一番上等なバラの香油を入れてちょうだい」

「はい奥様」



 まだ朝だったが、窓を開け放ち、バラの香りのする湯船に浸かった。

 長く黒い髪が湯の中でユラユラと動く。それを見ている瞳は濃いすみれ色だ。


 足付きの大きな湯船に長い手足を伸ばす。アンバーは女性にしては背が高いほうだ。


 二人の間に子供は生まれなかった。


 それがずっと自分の心を沈ませていたけれど、今となってはそれは幸いだった。父親が娘みたいな年齢の侍女と駆け落ちしたと知ったら、子供はどう思っただろうか。


「くそ親父。そうね。気の強い娘がいたらきっとそう言うわね」


 生まれて初めて使う汚い言葉にクスクス笑いながら顎までお湯に浸かった。


 夫はおとなしい人だった。淡々と財務管理をこなしていた。なのに初めて自己主張したのが侍女を連れて出て行く時ってどう言うことだろうか。今まで妻に我慢していたとか?


「ふざけないでよ」


 涙は出なかった。自分の人生のもっとも輝く季節を共に過ごした人が、自分を見限って十八の小娘を選んだ事実にただただ驚いていた。そんな勝手を平気でできる人とは思わなかった。


 そのうち養子を迎えて夫婦で可愛がり、教育を施し、この王都の屋敷を譲って二人で領地の田舎でのんびり暮らすという人生設計を話し合ったのはなんだったのだ。


「ふざけるな。死んでしまえ。若い女に精気を吸い取られて干からびて死ね!」


 声に出して罵った。高窓が開いているけど、まあいい。もし誰かに聞かれたとしても我が家の使用人だ。


 のんびりと湯浴みをして肌触りの良いガウンを羽織り、香り高いお茶を飲んでいたらだいぶ気分は落ち着いて来た。


「ん?これはもしやチャンスじゃない?むしろ素晴らしいチャンスなんじゃない?」


 やけくそになったわけではない。冷静になったのだ。


 爵位は継いだ。

 一度は結婚したから嫁ぎ遅れと揶揄されることはない。

 夫の機嫌を取る必要もない。

 跡継ぎはどこぞから探してくれば良い。

 資産はある。


 これは神様が自分に与えてくれたご褒美なのではなかろうか。

 アンバーは突然ひらめいたその考えが気に入った。

 もう一度言うがやけくそになったわけではない。

 なぜならアンバーは生まれて初めて自由を手に入れ、やっと「夫の尻拭い」から解放されたのだから。






 アンバーの両親は古風な貴族の価値観に骨の髄まで染まっていて、貴族の娘に必要な知識は口からこぼれるかと思うほど彼女に叩き込んだ。


 社交界にデビューすれば繋がりを作るよう指示された。

 女同士の面倒な世界に放り込まれて地獄だったが、アンバーは頑張った。


 そして年頃になったら有無を言わさず婚約者をあてがわれ、結婚させられた。

 娘の気持ちなんて小指の先ほども配慮されなかった。

 それでも、貴族だから仕方ないと大人しく言いなりになって生きて来た。その挙句、夫に逃げられた。


(もういいわよね。私、頑張ったし)


 だから料理長のコーディーを呼んだ。


「食料庫にある食材は好きなだけ使いなさい。ワインは高いものから開けなさい。バターも砂糖も蜂蜜も好きなだけ使いなさい。今夜は宴会よ。使用人全員で。食べきれなかった分はみんなで分け合いなさい」


 料理人たちは「こんな機会は二度と来ない」と目を輝かせて料理を作りまくった。

 執事は地下室のワインセラーに何度も往復してワインを数十本広間に運び込んだ。

 侍女たちは広間にテーブルと椅子を運び込み、来客用のテーブルクロスをかけた。

 庭師は今を盛りと咲いている花壇の花を惜しげもなく切って花瓶に飾った。


 厩番の若者は「やることがない」と申し出てきたので「主人用の浴室を使ってよし!綺麗に身体を洗ってきなさい」と申し付けたら小躍りして浴室に向かった。


 そして宴会が始まった。


 十一年間、オルブライト家に損害を与え続けたブランドンが出て行ったことを祝う宴会だ。

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