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前編


「梛原おはようっ!」

「ぐぇ!」


 朝から元気よく俺、梛原貫太(なぎはらかんた)の背中に飛びついてきたのは、高校に入って一番に仲良くなった生田奈央(いくたなお)。そして必ずその後ろに付随して立っているのが、


「おはよう、梛原くん」


 俺と奈央から頭ひとつ飛び出た長身の、室屋成一(むろやせいいち)


「奈央、そんな風に走っちゃダメだよ。倒れたらどうするの?」


 綺麗なラインを描く眉が、心底心配げに下がった。だけど、そんな心配な気持ちは少なからず俺にも分かった。

 高校生男子としては些か小柄である生田は、幼少の頃から体が弱く、何度も救急車のお世話になって来たのだという。そんな生田をずっと側で助けてきたのが、同級生で幼馴染でもある室屋だった。


「このくらい大丈夫だって、成一は過保護だなぁ」

「そんなこと言って、先週部屋の片付けしただけで気分悪くなって寝込んだの、誰?」


 むぅ、と黙り込んだ生田の頭を、室屋が慰めるように優しくなでた。

 いつも寝癖が付いてる俺とは大違いの、適度に整えられた清潔感ある黒髪と、真面目そうに見える黒縁メガネ。着崩されることなく着用されているシャツは真っ白で皺一つなく、伸ばされる背筋が余計に綺麗に見える室屋の立ち姿。

 今時珍しい学ランが誰よりも似合う、なんて表現したらそれだけでも〝委員長〟なんてあだ名が付きそうなんだけど、委員長と呼ぶには華やかすぎる容姿がそこにある。

 普通はメガネでちょっと隠れる気がするんだけど、全然隠れてない。寧ろ美貌がはみ出してる。

 話口調も穏やかで誰にでも優しい奴だから、隣のクラスであるはずの室屋が俺のクラスの女子たちの人気を根こそぎかっさらっている。


「梛原くんもごめんね、いつも奈央が迷惑かけて。背中痛かったでしょう」

「迷惑ってなんだよ! そんなこと思ってないよな!?」


 子供みたいに俺にしがみつく生田に苦笑する。


「思ってない。でも、室屋の言うことも分かるから、お前もあんまり無理すんなよ。俺だって心配になるからさ」


 な? と生田の肩を軽く叩くと、生田は諦めたように小さく息を吐いた。


「分かった、ごめん」

「謝んなよ、悪いことしてねぇんだし」

「梛原ぁ! 俺梛原大好きっ!!」

「おーれも」


 抱きついてきた生田を抱き返すと、生田の肩口から優しい目をした室屋と目があった。言葉なくその目が〝ありがとう〟と語っていた。

 室屋は優しい。あまり関わったことのない俺にも、クラスの女子にも、みんなに優しい。だけどその根底はすべて生田に繋がっていて、室屋の一番はいつだって生田なのだ。


『生田くんが羨ましいよねぇ』


 そんなことを言っていた女子の言葉をふと思い出す。その会話を聞いたとき感じた思いは、紛れもない共感だった。

 俺は、室屋に恋をしている。



 ◇



 寒さが和らいで、いつもより気候のいい日。体操服で元気に走り回るクラスメートの向こう側で、生田が手を振った。

 天気が良くても悪くても、体育は見学の一択しかない生田。外で見ているにはまだ少し肌寒いからと、運動場を見渡せる保健室にいるようだ。

 俺が気づいたと分かったのか、生田の手が千切れんばかりに振られるから、俺も笑いながらそれに答えた。その時、


「危ないっ!」


 ボカッ、と凄い音が俺の頭の中で響いた。実際、頭には異変が起きていたらしい。


「大丈夫!?」


 何が起きたか理解できず、ふらりとタタラを踏んだ俺に慌てて駆け寄ってきたのは室屋だった。体育の時間はふたクラス合同でやるのが常で、俺のクラスは室屋のクラスとセットだった。


「い、いてぇ~」


 衝撃の走った後頭部を手で押さえうつむくと、足元に白黒のボールが転がっていた。遠くでクラスメートたちが「サボってるからだ!」って大声で笑ってる。


「大丈夫? 歩ける?」


 頭を抑える俺の手に、室屋の手が重なる。身長が俺より高いからって、手まで大きいものなのかな。俺の手はすっぽりと全部包まれてしまう。

 じんわりと伝わる室屋の低い体温に、心臓が恐ろしい程跳ね上がった。


「だ、大丈夫大丈夫、俺そんなヤワじゃねぇし」

「でも凄い音したよ? 後頭部は危ないから、念のため保健室行こう」

「大丈夫だってこのくらい」


 そう言いながらもやっぱりふらつく足元に眉をしかめた室屋が、珍しく大きな声を上げた。


「先生! 梛原くん気分が悪いみたいなので、保健室に連れて行ってきます!」


 言うなり肩を抱いた室屋を見上げると、その顔は少しだけ悪そうな笑みを浮かべて俺を見下ろしていた。


「あんな大きな声で言わなくても…」

「イタズラにしても、頭に物を当てちゃだめだからね。ちょっと反省した方が良いんだよ」


 俺にボールを当てた奴は、確かにヤバイって顔をしてた。その視線を受けながら、室屋は大げさに俺の躰を支えて歩き出す。

 ぐいと引き寄せられ間近に室屋を感じると、俺の心臓はブッ壊れる寸前まで早鐘を打った。



「あっ、梛原! お前大丈夫か!?」


 保健室のドアを開けるなり生田がすっ飛んで来ると、俺の肩をしっかりと抱いていたはずの手は簡単に外れていなくなった。

 向かう先は、生田の小さな背中。


「奈央、走っちゃダメだって」

「煩いな、ほんのちょっとだろぉ? 俺は梛原が心配で」

「大丈夫だよ、多分軽い脳震盪だから」


 なんでお前が答えるんだよ、室屋。

 当たり所が悪くちゃいけないからと、保健室に連れてきたのはお前なのに…その言い方は無いだろう。思わずムッとしてしまう。


「ほら、ちゃんと椅子に座って」


 素直に椅子に戻った生田にホッと息をつくと、思い出したかのように室屋が俺を見た。


「あ、梛原くん」

「俺のことは気にしなくていいから。室屋が言う通り、とんでもなく軽い、大したことない脳震盪だから」


 驚いたように目を見開く室屋から、プイと視線を外した。黙って様子を見ていた保険医に話しかけ、言われたとおり利用者ボードに必要事項を記入する。


「授業が終わるまで少し横になっていたほうがいいね。気分が悪くなってきたら直ぐに教えて、病院に連れて行ってあげるから。頭は怖いから油断は禁物だよ」

「はい」


 仕事だから当たり前だけど、好きな奴から軽視された後にかけられる保険医の労わりの言葉は、俺を少なからず温めてくれた。

 言われるままにベッドを一つ拝借する。上履きを脱いでベッドに上がると、その横に室屋が眉を下げて立っていた。


「梛原くん、」

「ついて来てくれてありがとう。俺にはもう付き添い必要ないから、戻っていいよ」


 戻る先は、授業なのか生田の横なのか知らないけどな。困った顔をした室屋との間に、勢いよく白いカーテンを閉めた。

 そのままカーテンに背を向けて横たわり、布団をかけて瞼を閉じる。

 後頭部はまだ少しだけジンジンと痛んで熱を持っている。だけど、確かに室屋が言ったとおり、大した怪我でないことは自分でも分かっていた。でも、だからって…。


「いいなぁ、俺もサッカーやりたいなぁ…」


 少し離れた場所で、生田が心底羨ましそうに呟くのが聞こえた。きっとその横には、優しげに、だけど切なげに笑みを浮かべて、大事な大事な幼馴染を見下ろす室屋がいるんだろう。

 見なくても分かるその光景に、絶対に口に出してはいけない言葉が浮かんで目頭が熱くなった。


 体育なんてできなくていいから。運動なんてできなくていいから。何度、寝込んだっていいから。俺は、お前の隣に立つその男が欲しいよ。


 耐え切れず零れた一筋の醜い想いを隠すため、枕に顔を埋めて、深く布団をかぶり直した。

 俺って、マジで最低なヤツ。



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