7話
日が傾きかけ、空がオレンジ色に染まる。謎の鳥の鳴き声が響き、森の頭上を数十匹の鳥が横断する。
そんな鳥を、庭に出ていたジャックが涎を垂らしながら見上げ、腹の虫を鳴らしていた。
「美味しそう……」
「ジャック、ご飯の時間だよ」
「んー……」
生返事のジャック。何を見ているのだろうと、アリスも庭に出て彼の見ている空を見上げる。
数十匹の鳥の群れ。アリスはその鳥を自国で見たことがあった。時期によって、赤と白の国を横断する渡り鳥。方角から、赤の国から白の国へ移っているところだろう。
「ダメよ。今食べたらお腹いっぱいになって、晩御飯が食べられなくなる」
「えぇー……」
「おいで」
肩を落とし、しょぼくれた表情を浮かべながらアリスの側にいき、彼女に抱きかかえられる。
テーブルにはすでに晩御飯が並べられており、ジャックの口からは再び涎が溢れだし、お腹がギュルルと大きくなった。
「ハンプティさん呼んでくるから待ってて」
「早くね!」
ジャックを床に降ろし、アリスはそのまま隣の部屋に足を運ぶ。
光のない暗い部屋。床にはたくさんの本や紙、薬草や鉱石などが置かれている。それらの横をすり抜け、壁際にあるベットの上に眠るハンプティの側による。
「ハンプティさん、ハンプティさん起きてください」
最初は優しく声をかけるが、彼は全く目を覚まさなかった。今度は体に触れ、揺さぶりながら声をかける。
「ハンプティさん、起きてください。晩御飯できてますよ」
「んっ……」
小さな唸り声をあげて身をよじり、彼はゆっくりと目を開いていく。
意識が朦朧としているせいで、聴こえる声が、視界の姿がアリスだとは判断できなかった。だから……
《ハンプティ》
悲鳴混じりの声をあげながら、ハンプティはアリスを突き飛ばしてベットから体を起こした。息は絶え絶え、身体中の毛穴からは一気に汗が吹き上がってくる。
彼に突き飛ばされたアリスは軽くよろめくが、一歩後ろに下がる程度で、床に倒れるようなことはなかった。
今だに過呼吸を起こしそうなほどに酸素を体に取り込むハンプティ。その表情はどこか恐怖を抱いているようだった。
その様子をアリスはじっと見つめる。
「ハンプティさん」
アリスは再び声をかける。
ハンプティはゆっくりと顔をあげていき。アリスと目が合い、彼女は何事もなかったかのようににっこりと笑みを浮かべ、ゆっくりと手を伸ばして彼の頭を優しく撫でてあげた。
「晩御飯の準備ができました、落ち着いたら来てくださいね」
「……悪い」
「いえ。それじゃあ、待ってます」
少しだけ小さな声でそう呟くと、アリスは部屋を出ていく。
暗い部屋の中、一人になったハンプティは頭を抱えて深々とため息を零す。
「せっかく、アリスが起こしにきてくれたのにこんな」
先ほどの自分の行動を思い出し、もう一度ため息をこぼす。
《ハンプティ、私の愛しいハンプティ。貴方はずっと、私の傍にいてね》
もう半年以上会ってもいないのに、頭の中に纏わりつくような“彼女”の声が聞こえ、この地には咲いていないはずなのに、嫌という程“彼女”を思い出すブラックバカラの香りを感じる。
ハンプティはぐっと奥歯を噛み締め、ゆっくりとベットから立ち上がり、隣の部屋へと足を運んだ。
扉を開いた瞬間、鼻をくすぐる晩御飯の匂い。そして……
「遅いですよ。ご飯、冷めちゃうじゃないですか」
「……悪い」
—————耳に心地よい、彼女の声。