4話
煙突から立ち込める煙。一緒にこぼれ出す甘い香りに、湖の水面から魚が顔覗かせ、空を飛んでいた鳥たちは煙突で羽を休めながら中を覗き組む。
「アリスまだぁ?」
「もう少し、ちょっと待ってね」
焼きあがったパイを取り出して、シロップ付けにしたシュガリと一つずつ丁寧に乗せていく。作業を見つめるジャックの口からはだらだらと涎が垂れている。尻尾は激しく揺れ、必死に
高まる感情を抑えていた。
「はい、ジャックの分」
「いっただきまーす!」
「ゆっくり食べるんだよ」
「あまーい」
自分の分とハンプティの分を切り分け、彼がお願いした濃いめのコーヒーと自分の分の飲み物を用意したら、アリスは隣の部屋へと足を運日、ドアノブに手をかけようとした。
「わっ!」
「あぁ悪い」
先に扉が開き、アリスは軽く一歩下がる。
部屋から出てきたハンプティは、鼻をくすぐる甘い香りに満足そうな表情を浮かべる。
「いい匂いだな」
「もうジャック食べてますよ」
床には幸せそうな表情をするジャック。そばのお皿はすでにからになっており、食べかすひとつない状態だった。
「んっ、うまいな」
「良かったです。久々に作ったので」
アリスもパイを一口食べると幸せそうな表情を浮かべる。口の中に広がる酸味。脳に糖分が伝わるのがわかるほどに甘い。
無邪気にケーキをほうばるアリスの様子を横目でみながら、ハンプティはパイと珈琲を交互に口に運んでいく。
「アリス、それ何?」
「えっ、何がですか?」
「飲んでるの。すっごい赤い」
アリスのカップの中は、赤い液体が入っていた。それを平然と彼女は飲んでいるが、中身がわからない者からは、少し恐怖を抱いてしまう。
「ヘルバさんにいただいた紅茶に、砂糖の代わりにシロップにつけたシュガリを入れたんです。紅茶の色自体はオレンジに近いんですが、赤くなったのは多分シュガリのせいですね」
「甘くないか?」
「飲んでみますか?」
物は試しと、カップを差し出すアリス。
少し飲むのに抵抗があるのか、恐る恐るカップを受け取って口に運ぶ。すると、ハンプティの顔が歪み、眉間に深いシワができる。
「あっま……」
「お気に召さなかったみたいですね」
「よく飲めるな、それ」
「昔、飲んでたんです。友達に進められて」
カップをハンプティから受け取ったアリスは、赤い水面に映る自分の姿を見つめ、そのまま口に運ぶ。
「アリスって……」
「ん?」
「友達いたのか?」
「……喧嘩売ってるんですか?」
キョトンとした表情から一変、殺意満ちた表情に変わり、さすがのハンプティもゾッとして、すぐに頭を下げた誤った。
「まぁ、そう言われても仕方ないですよね。戦場も単独行動ばかりでしたし、他国でも自国でも、私に友達がいるなんて思わないでしょう」
「……良かったのか」
「何がですか?」
「友達がいるのに国を離れて」
「えぇ。あそこは居心地良かったですが、少し怖かったんです」
「怖かった?」
それ以上の言葉は口にしなかった。
カップの残りを飲み干し、お皿に残った一口ぶんのパイを口に運んだ。
「そういえば」
地面で満足そうにしていたジャックが空になったお皿を持ってテーブルに登って着たときに、彼は思い出したかの様に口を開いた。
「さっき渡り鳥と話をしていて聞いたんだけど、赤も白も、必死になって二人を探してるみたいだよ」
二人の動きは止まり、同時に頭の中には今までの自国で自分が体験した過去出来事が嫌という程再生されて行く。
アリスは黙って立ち上がり、空になったお皿やカップを下げて洗い出す。
ハンプティも珈琲のお代わりをし、口に運んでいく。
ジャックは話を続ける。二人は黙ってそれを聞いていた。
「赤の女王は血眼で探して、普段の傲慢さが二倍にも三倍にも膨れ上がってるって。白はまぁ大臣たちが戦争勝利のためにハンプティを探してるみたいだけど」
「表向きはそうだろうな……」
「ん?」
「なんでもない」
ジャックに手招きをし、近づいて着た彼に珈琲の入ったカップを渡す。軽く匂いを嗅いだジャックはそのまま一口飲むが、すぐに「ウエェ」と言ってカップから口を離した。
「アリスぅ……苦ぃ……」
「ちょっと待って」
カップに校舎を注ぎ、残っているシュガリのシロップ付けを入れてジャックに渡す。口直しにと一気に中身を飲み干していき、満足そうな表情を浮かべる。
空になったカップを受け取り、優しく頭を撫でてあげればまた違った満足そうな表情を浮かべる。
「ハンプティ嫌い!」
「飲んだのはジャックだろ」
じゃれ合う二人を横目で見ながら、アリスは小さな笑みを浮かべて洗い物の続きを行う。
《わかってるな。お前が今こうやって生きているのは妾のおかげだ。逆らうことは許さぬぞ》
アリスの手にしていたカップがそのまま地面に落ちる。バラバラに砕かれたカップ。それを、アリスはじっと見つめる。
「何してるんだ?」
すぐにハンプティが側に駆け寄り、割れたカップを回収していく。
「すみません……」
「……大丈夫だ」
ハンプティは優しくアリスを抱きしめる。何度か頭を撫で、落ち着かせる様に体を撫でる。
「大丈夫」
もう一度、ハンプティはアリスに耳元でそう言ってあげた。
唇を強く締め、アリスは小さな声で「はい」と答えた。