45話
天へと登る黒い煙。
どこからともなく聞こえる人々の悲鳴の声。
戦の、剣と剣がぶつかり合う音。
部屋の外はアリスも、ハンプティも良く知る光景だった。
空からは戦場が良く見える。どこでどんな風に人が動いて、何をしているのかがしっかりと。城下はすでにトランプ兵が占領しており、国民たちは中央の広場に集められていた。怯えているもの、どこかホッとしている者。同じ国民なのに、反応は様々だった。
そして、白の敷地内。チェス兵の死体が多く転がり、体内からあふれた血液で白く美しいお城は、赤く染まっていた。トランプ兵たちはすでに数名が城の中へと入っているようだった。外に女王の姿はない。彼女も城の中に入ったのだと思うと、アリスの顔が歪んだ。
「もう、終わりか……」
圧倒的戦力差。いくら腕の立つ騎士がいても、人手不足で残っているチェス兵は戦を知らない平民ばかり。戦の勝利のために県の腕を磨いたトランプ兵に勝てるはずもなかった。
いたるところに赤の国の旗が上がる。城に立つのも時間の問題だろうとアリスもハンプティも思った。
戦争はもう終わる。長い長い、くだらない戦争が。白の国は赤の国の領土になり、赤の女王が両方の領土を収めることになる。
「アリス、雲行き怪しいね。雨降りそう」
空は立ち込める煙のせいか、黒くて分厚い雲が空を覆っていた。遠くからは雷の音が聞こえ、少しだけ雲の上で光ったりもしている。
その天気は、あの日の景色にどこか似ていた。
「ねぇアリス、この後どうする? このまま逃げる?」
ジャックにそう尋ねられ、アリスは考える。ハンプティは何も言わなかったが、後ろから強く彼女を抱きしめていた。体はまだ僅かに震えている。
「それはそれでいいかもしれない」
傲慢で強欲な赤の女王。我儘で幼い子供のような彼女が、大きな領土を手に入れて今までと同じになるとは思えなかった。現状でも、国民の鬱憤はそれなりに溜まっていた。女王の耳には入っていなかったが、レジスタンス的なものが結成されているのを、アリスは知っていた。けど、戦力は圧倒的だし、女王にさえ歯向かわなければ平和な暮らしがあると、協力者は多くないようだった。
だけど、戦が終わり、現状が悪化すればきっと内乱が起きて女王は国民の前で処刑される。ぼんやりと、誰が国を収めるのだろうと考えてしまう。
「また、一緒に暮らそう。アリスがいれば、僕は幸せだよ」
「おい、俺は?」
「まぁー、ハンプティもいいよ。本当はアリスと2人っきりがいいけど」
「ホントお前はアリスばっかりだな。少しは俺にもなつけよ」
「だって、ハンプティ意地悪だもん!」
そんな2人のやりとりに、アリスは笑みを浮かべる。
このまま三人であの家に戻って、あの時と同じように幸せな日々を送ろうと。村の人たちに受け入れられるかわからない。自分たちのせいで色々迷惑をかけた。その時は、別の場所に家を建て、頑張って三人で生活しよう。どうせ、私たちの心配をしてくれる人なんていない。
『アリス』
「っ!」
『アリス、お疲れ様。このクッキー、私が作ったのよかったら食べて』
『お前、ちゃんと城で飯食ってるのか? お菓子ばっかりだと戦場で倒れちまうぞ』
『そうそう。あっ、この紅茶美味しいよアリス。マウスの用意したボロボロクッキーによくあう』
『たくさん食べるといいですよ。お腹いっぱい食べて、また元気なおでここに来てください』
不意に、アリスはお茶会の様子を思い出した。
化け物となり、道具として戦場に立ち続けたあの地獄のような日々の中で、アリスが唯一居場所と言える、心安らぐ場所。おかえりと、笑顔で迎え入れられるところ。
隣で笑みを浮かべるマウス。向かいの席で私たちの様子を眺めるマーチ。たまに来てはマウスをからかうチェシャ猫。そして、そんな光景を楽しそう見つめるハッターの姿。
「アリス?」
俯くアリス。このまま三人で暮らしたあの場所に戻るのもいいかもしれない。だけど、自分のことを想ってくれる、待ってくれている人がいると。心の中に残る、未練のような、ハンプティやジャックとは違う、手放したくないという一瞬のわがままのような感情。
無理やり連れ戻されてあの場に行った時、アリスの心は酷くもやついていた。国を捨て、他国の男と生活をともにしていた。だけど彼らは何も聞かなかったし、言わなかった。ハッターでさえ、いつも通り振る舞った。
彼はこの日常を取り戻したから嫌いな女王と手を組んだ。みんな、本当にアリスが戻ってきて嬉しそうだった。
「アリス、どうした?」
心配そうにアリスの顔を覗き込むハンプティ。
彼は先ほどけじめをつけた。自分の中にあった、言い訳を、諦めを、鎖を断ち切った。
奥歯を噛み締め、アリスは心の中で、今度は自分がそれを断ち切る版だと。
「ハンプティさん」
「ん?」
「一つ、提案があるのですが」
腰に回された手をギュッと握りながら、アリスな真剣な目でハンプティを見た。その目には、どこか怯えも含まれているようだった。




