38話
「何の用ですか。今取り込み中ですよ」
不機嫌そうな表情を浮かべながら、包丁を手にしたまま女王は振り返って兵士に言葉を投げかける。
「赤の国の兵が我が国に攻め込んでおり、城下が戦場となっています!」
その言葉に、アリスもまたそのチェス兵に目線を向けた。
もうそんな時間になったのかと、少しだけ息をこぼすアリス。外の音も聞こえない地下牢では、上の騒ぎもわからない。まるで、ここだけ別空間にあるのではないかと思うほどだった。
「それが?」
「ぇ……ですから、赤の国が攻めてきたので……」
「そんなことを聞いてるんじゃないわよ!……私には関係ないわ。どうでもいいからさっさと出ていって」
「そういう訳にはいきません。貴女はこの国の女王なのです!」
「っ!何度も言わせないで、私にはどうでもっ……」
だがふと、女王は言葉を途絶えさせて黙ってしまった。そして、カタカタと震え出した。
「陛下?」
「赤の国が攻めてきた……このまま城に入ってきたら……あぁいけない。ハンプティのところに誰か行くかもしれない!拘束してるから、彼が殺されちゃう……いや、いや……いやぁあああああああああああ!」
頭を抱えながら悲鳴をあげた女王は、そのまま勢いよく牢屋を駆け出していった。
「へ、陛下!?」
唖然と彼女の姿を見た兵士は、慌てて鍵を閉めて彼女の後を追って走り出した。
遠くなっていく二人の足音。そして、また地下牢はしんっ……と静まり返ってしまった。
「はぁ……はぁ……ぅっ、っつ……」
体から一気に力が抜け、ばくばくと激しく動く心臓。酸素を求め、何度も何度も息を吸って吐きだして、必死に呼吸をする。
「よかった……作戦はちゃんと実行された」
全くと言っていいほど聞こえない外の音。だけど、ちゃんと自国の兵たちが白の国へと攻め込んでいる。自分がいなくてもちゃんと作戦が実行されたことが嬉しかった。しかし……
「終わったら、私はどうなっちゃうんだろう……」
戦が終わることはいいことだ。これで、馬鹿げた戦争は終わる。赤の女王が主人となれば、彼女の機嫌さえ損なわなければ平和な生活を送ることができる。でも、だったらとアリスは考える。長きに渡る【紅白戦争】に勝利するために人間を捨て、化け物になったアリス。戦場だけが彼女の居場所で、存在意義を示せる場所。そこがなくなったとき、自分はどうなってしまうのか。
「もう、用済みか……」
そうだろう。別段不思議なことではない。あの女王のことだ。計画の内容を闇に葬るために、アリスごと消すだろう。つまり、この戦が終わる=彼女の人生が終わるということだ。
アリスに未練はない。元々家族に捨てられ、いつ死ぬかわからなかったんだ。それがちょっと先延ばしになってもうすぐそれが起きるというだけ。むしろ、ここまで生きれたことを誇りに思うべきだ。
どうせこんな化け物を愛してくれる人なんていない。このまま死んでも、誰も悲しんだりしない……。
「あぁ……なんだ、女王様にいえた口じゃないな」
ポタポタと、地面に水滴が落ちる。
心の奥から感情が込み上がってきて、アリスは声を抑えながら泣いた。
あれだけ女王に投げつけるように感情の否定をした。だけどアリスは、自分の投げた言葉が自分に言えたことではないとわかっていた。
女王とは逆で、アリスは愛情を注がれなかった。だからこそ、アリスは女王からの言葉を受け入れた。そして、戦場で戦い続けた。戦うことで、周りが認めてくれる、女王も、ハッターも、マウスも、マーチも、チェシャ猫も……。
注がれなかったからこそ、注がれることに戸惑い、注がれ慣れたせいで、注がれなくなることに恐怖を感じる。
「もう……冷たいところには居たくない……一人は嫌だ……」
幼い子供のような言葉がアリスの口から溢れる。
地上から流れてくる風が彼女の体を撫で、切り傷や火傷の跡に触れるたびに痛みが走り、アリスの顔が歪む。
痛みのせいか、それとも精神的な苦しみのせいか、流れる涙が止まることはなかった。
「紅の剣姫も、涙を流すんですね」
突然聞こえた声と、同時に聞こえる扉の開く音。
また女王かと思ったが、声は彼女よりもどこか低く、あまり感情を感じられなかった。
アリスはゆっくりと顔を上げて、その人物に目を向ける。純白の甲冑に身を包んだ彼女は、ゆっくりとアリスの側まで歩いてきた。
「……ホワイトナイト」




